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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『プレミアブランド小話⑮ ロレックス、エベレストに登る』

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今日の画像は、アユ解禁で益田市匹見町澄川でのアユの釣り人たち、またもや高齢運転者事故、昨夜福岡市早良区で起きた『逆走車の多重事故現場』。そして、優々たる『クレマチス』と『センニチコボウ』です。風にゆらゆら揺れるセンニチコボウ、とっても可愛いです。

広島の太田川では、一昨日アユ釣りの老人が溺死体で発見されました。アユ釣りの方々、くれぐれも事故のないよう気をつけてくださいね。

高齢者の無謀運転、なにやらブームのような様相になって来たねえ。何等かの対策は必要だろうなあ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★ロレックスは戦後も、積極的にプロモーション活動を続け、1953年にエドモンド・ヒラリー卿がエベレストに初登頂した際もロレックスを装着していた。実はこの時、ヒラリー卿以外のエベレスト挑戦チームにもロレックスを支給しており、どのチームが初登頂に成功してもロレックスのアピールが出来るようにしていたと言われる。

現在の人気モデル『エクスプローラ』は、このエベレスト登頂のイメージにちなんで開発されたモデルである。1960年には最も深い海溝と言われるマリアナ海溝への潜水ミッションにチャレンジ。特殊な試作モデルを作ってミッションを成功させ、防水時計として名声を博していたロレックスのイメージをさらに確固たるものとした。1971年にはそのイメージを商品化した究極の防水時計『シードゥエラー』が発売されている。

これらのプロモーションは全て冒険、チャレンジという点で共通しており、ロレックスという時計を『タフで高精度』という明快なブランドイメージに集約することとなった。

このように、まだ腕時計が未成熟だった時代に、ロレックスは『タフで高精度』という時計としての本質的な部分で他社を圧倒するブランドイメージを商品力とプロモーション力によって築き上げ、それを多くの人に認知・浸透させることに成功したのである。そして、ロレックスが極めて価値の高い時計であるというイメージを『社会的に』確立したのである。


ロレックスは今でもその地位に胡座をかくことなく、進化を続けている。全ての製品に『スイスクロノメーター認定』を得るだけでなく、それを大きく上回る日差±2秒という独自基準を向上させているのだ。対外的にそうした進化をアピールすると同時に、F1やヨットレースなどのチャレンジングかつステータス性の高いスポーツのスポンサーになるなど積極的なコミュニケーション活動を継続し、さらなる認知の拡大とブランドアイデンティティの強化を怠らない。

ロレックスのブランド力の維持・管理に対する力の入れようは、メルセデス・ベンツ以上である。それ故に、過去の歴史を知らない新興国においても富と成功のシンボルとして幅広く認知され、富裕層の仲間入りをしたら最初に選ぶべき時計としてのポジションを盤石なものとしている。(参考: 山崎明著『マツダがBMWを超える日』)

『セイコー』のHPを見ると、プレミアムブランドとして『グランドセイコー』が掲げられている。先日も新聞での宣伝広告をみた。この『グランドセイコー』、マーケティングの入り口、プライシング、デザイン、ネーミング、の『ネーミング』で失敗していると思う。

私が『グランド』と聞くと、往時ミズノが販売していた老人向けのクラブ『グランドモナーク』を思い出す。そこには、若々しさが欠け、金満家のニオイがプンプンし、よりアグレッシブな若い気持ちで前向きに取り組む雰囲気が欠落している。残念ながら、『グランドセイコー』には、そのネーミングでまず失敗しているように、私には思える。もっとも、セイコーは低価格の汎用時計から高級品まで幅広く、ロレックスのように下位製品を切り落とす決断ができないことが一番の原因だとは思うが。


■■昔、昔、その昔、『ロッテ歌のアルバムの司会者』として一世を風靡し、日本歌謡界の発展に尽くした『司会者・玉置宏』。その玉置さんが、遺作として自分の辿った歌謡界を綴っている。昭和の昔が懐かしい。川崎市生まれ、1934年1月5日 - 2010年2月11日、享年75歳。


★★★『玉置宏の「昔の話で、ございます」 ひばり母子に対抗した「江利チエミ」』このような、ひばりさん母子の動きを敏感に察知したのが、江利チエミサイドだった。チエミさんは、ピアニストの父、久保益雄さんと一緒に小さい頃から、米軍キャンプのステージに立ってジャズを中心に歌っていた。そして、ジャズだけでなく、笠置シヅ子そっくりに『東京ブギウギ』なども歌う処女歌手として日本人の間でも評判になり、その後キングレコードのオーディションを受け、昭和27年(1952)に『テネシー・ワルツ』で、15歳でデビューした。

『テネシー・ワルツ』は、昭和25年にパティー・ページが歌ってアメリカで大ヒットした歌だが、チエミさんはこの歌を、初めは英語の歌詞、途中から日本語の歌詞を交えたもので歌った。というのも、この頃丁度越路吹雪さんが宝塚を辞めてフリーで東京ミュージカルなどに出演していて、そこではシャンソンを日本語に訳して歌って、喝采を浴びていた。この訳詞を担当したのが岩谷時子さんだった。

このアイディアは見事に成功し、売り上げ枚数40万枚という大ヒットになった。この後、昭和28年には、雪村いずみさんも『思い出のワルツ』というジャズでデビューしたが、英語と日本語の歌詞を交えた同様のアイディアで歌い、ヒットを飛ばした。

その後もジャズ一辺倒だったチエミさんだが、ひばりさんがジャズを歌い始めたことで、今度はチエミさんが『着物を着て歌える歌』を身に着けようと、小唄や都々逸など江戸時代の音曲や、一節の最後に『さのさ』という囃子詞が入る『さのさ』などを習い始めた。


チエミさんには、後に私が司会をしていた、キングレコードの専属歌手を毎回ゲストに招くラジオ番組『キングアワー』に出てもらったが、もう音感の魂のような人だった。私が学生時代好きだった『東京キューバンボーイズ』の見砂さんからも、ラテンの真髄を吹き込まれた筋金入りだから、一般リスナーだけでなく私からのマニアックなリクエストであろうが、どんな曲でもこなせる人だった。本番中だったが『いや参りました』と、本気で頭を下げた覚えがある。

そして昭和31年には主演した映画『サザエさん』が大当たりして、ずっこけ三枚目まで演じられるエンタティナーとして、日本中の人気者になった。

そこで今度は、ひばりさんサイドも黙ってはいなかった。お母さんが参謀として映画での対抗策を講じたのだ。つまり、映画の中でふた役させるという作戦を立てた。宝塚の男装をヒントに、娘役と若衆などのふた役で登場させて、ひばりさんの新たな魅力をアピールするのだ。ひばり映画でのひとり二役の設定は、このチエミ対策が発端だった。

雪村いずみさんはジャズだけで通したが、ひばりさんとチエミさんは、こうしてお互いにないものを意識し合い、学ことでますます芸域を広げていった。(参考: 玉置宏著『昔の話で、ございます』)


★★<ジャイは落ちる、交流戦予想達川光男さん> 今日から『セ・パ交流戦』が開幕。毎年、パ高セ低などと言われ、交流戦順位はパ・リーグ→セ・リーグの順となるのが通例だった。だが、昨年は最下位に沈んでいたヤクルトが交流戦で優勝し、ペナントレースでも2位に食い込んだ。今年のセ・リーグで、交流戦後に抜け出すチームはどこになるか。『今年のパは弱いよ』と力強く言い切る野球評論家・達川光男さんが語る。

『台風の目はDeNAですが、交流戦が終わったら広島が首位を独走しとるでしょう。なんといっても投手陣は、先発の枚数が揃っている。3年目ながらこれまで交流戦で登板がないカープの床田寛樹(24)なんかは、初見では打てんと思うよ。床田は左対左で内角に厳しく投げられる。パにいない左腕です』(達川さん・以下同)。

さらに広島は打線にも上積み要素があるという。『鈴木誠也(24)が核となっている打線は、唯一の懸念が田中広輔(29)の不調。ただ、詳しくは言えんけど、実はここまでケガを抱えながらのプレーになっていて、それが治り、交流戦からはまた打ち出すと思う。田中が打率2割5分まで戻したら、カープは手が付けられんようになる』。

一方、いまひとつ波に乗りきれない巨人の交流戦はどう読むか。『巨人は落ちていくんじゃないか。菅野智之(29)は交流戦に戻ってくるじゃろうが、中継ぎがようない。4点差ではセーフティリードにならんから、先発を引っ張りすぎてしまう。打線がカバーするにも、限界があるでしょう』。

 交流戦の第2カード(6月7日~)は、ソフトバンク対広島の3連戦という昨年の日本シリーズの再現となる。シリーズではソフトバンクの“頭脳”として見事に古巣を封じた達川氏だが、『今回は同じようにはいかん。セとパのどちらが優勢か、このカードではっきりするじゃろうね』と笑顔で締めくくった。

その達川さん、2日日曜日に廿日市市で行われた『往年の名選手交流会』の高校生との試合では、バッターに立って、例のインコースの球が手に当たったとデッド・ボールをアピールした。が、審判は手を振って受け付けなかった。現役時代もインコースの厳しい球をデッド・ボールとアピールすることがしばしばあった達川さんの面目躍如と言ったところか。面白かった。


★★<3X3 バスケの人気>バスケットボールの本場、米国の路上の遊びとして生まれ、若者を中心に世界中に愛好者が広がった『3X3 バスケ』。国際バスケットボール連盟FIBAが2007年に統一ルールを設けて競技性を強め、国内では14年に男子プロリーグが創設され、昨年に女子リーグも始まった。男子は今季からニュージーランド、タイ、韓国の海外勢も参加する。

選手の競技への向き合い方も従来の型にははまらない。18年覇者の『立川ダイス』に所属する池田千壽(35)の本業は、公立中学校で担任を持つ体育教諭だ。大学卒業後は『仕事をしながら頑張りたい』と3人制に活路を見出し、13年に初代日本代表に選ばれた。週2日は勤務後に練習に参加し、その他は公園のストリートコートなどを転々といて技を磨く。『教え子にも3人制の面白さを伝えたい』と、教諭として東京五輪出場を夢見ている。

『東京ダイム』の落合知也(31)は3人制での五輪挑戦を目指し、昨年2月にBリーグ1部の栃木との契約を解除した。芸能事務所にも所属し、テレビ出演などのモデル業もこなす。『お客さんとの距離が近くて、声を掛けてもらえる機会は増えた』と3人制のブーム到来を予感する。

同じく東京ダイムの小松昌弘(35)は金融機関で働きながら東京五輪を目指しており、『気軽にできて、国際連盟主催の世界大会もある』と3人制の魅力を語る。

5人制のプロチームと比べて拘束時間は少なく、ほとんどの選手が仕事と両立しながら楽しむ文化が定着している。その気軽さも普及の背景にある。

どんどん進化する、スポーツの世界、だなあ。とってもいいことだ。本業の仕事と掛け持ちで五輪に出られるなんて。


★★<そっと渡された電車賃1000円…高齢夫婦にお礼したい>『困っているなら、これを使って』。先月29日夕、東京・池袋の駅で、ICカードの残高不足で、帰宅できなくなった東京都立特別支援学校高等部1年の男子生徒(16)=東京都足立区=に高齢の夫婦がそう声をかけ、1000円札を手渡した。行き違いではぐれた母、福田恭子さん(59)は「こんなに親切な人に出会えるなんて感謝しかない」とツイッターに投稿し、連絡先が分からない夫婦に会い、お礼を伝えたいと考えている。

◇残高9円、母と行き違い
29日午後6時ごろ、福田さんの長男の男子生徒はJR池袋駅の北改札で立ち往生していた。自宅最寄りの北千住駅まで帰るつもりだったが、カード残高が9円しかなかった。その姿を見た高齢の夫婦が長男に近づき、『これを使って』と1000円札をそっと渡した。長男がカードのチャージを終えると、既に夫婦の姿はなかった、という。福田さんによると、長男は自身の状況を言葉で具体的に説明することが苦手だという。

4月に墨田区の支援学校に入学した長男は電車で通い、福田さんも付き添っていた。1人での通学に慣れ始め、下校時に2人が落ち合う場所は校門から最寄り駅の道中に変わっていた。この日は、普段より1時間早い午後2時半に授業が終わり、下校時間が早まったこともあって2人は行き違い、会うことができなかった。長男の携帯電話も、ちょうど解約したばかりだった。


10日ほど前、福田さんは冗談半分で『早く授業が終わる日は、池袋に行けたらいいね』と長男に話した。このことから、長男は『先に行った恭子さんを追いかけなければ』と思い、自宅に帰らずに池袋駅を目指したとみられる。ダウン症の長男は計算が不得意で、お金の価値をしっかりと把握できないので、ICカードに高額の入金をしないようにしている。福田さんは残高が数百円と把握しており、『そろそろチャージしなければ』と思っていた。

長男のかばんには、援助や配慮の必要性を知らせる『ヘルプマーク』が付けられ、道に迷ったり、はぐれたりしたときは、最寄りの交番に行き、マークに記載された福田さんの携帯電話に連絡を頼むよう伝えていた。長男の説明によると、駅周辺で2時間ほど福田さんを待ち、疲れたため帰宅しようとした際、夫婦が1000円札を渡してくれたという。長男は午後7時前に自宅に戻ってきた。

1日10万人以上の乗降客があるターミナル駅での出来事に、ツイッターでは『殺伐とした世の中、捨てたもんじゃない』『その1000円は神様のバトン。巡り巡ってほんわかバトンはそのご夫婦に届くはず』など、温かい投稿が相次いでいる。福田さんは『長男は失敗と体験を積み重ねて、生活力を身につけており、すてきなご夫婦に多くのものをいただいた。直接会ってお礼がしたい』と話している。


★★<SB入団スチュワートはゴルフも別格 ベストスコア『65』>ソフトバンクの新外国人カーター・スチュワート・ジュニア投手(19=東フロリダ州立短大)が3日、福岡市内のホテルで入団会見を行った。

6年620万ドル保証で、出来高を含めると1200万ドル(約13億2000万円)の大型契約とみられる。今季推定年俸は1億1000万円。昨年全米ドラフトでブレーブスから1巡目指名された怪物はゴルフの腕前も規格外。「6年間で日本で一番の投手を目指す」と目を輝かせた。

198センチ、91キロの大きな体にスーツ姿。でも表情はあどけない。期待の19歳に無数のフラッシュが浴びせられた。場所は過去に松坂らが入団会見を行ったヤフオクドームに隣接する高級ホテル。超VIP待遇で三笠取締役GMから背番号2のユニホームを着せてもらうと笑顔でポーズを取った。『質の高い野球を6年やり、日本で一番の投手になりたい』と目を輝かせた。

昨年の全米ドラフト1位右腕を獲得した三笠取締役GMは、その理由について『身体能力が優れているから』と明かした。野球以外でも規格外の腕前を持つ象徴が、趣味のゴルフだ。3歳で始め、日本にも愛用のクラブを持ってきた。『ベストスコアは65』と笑顔でサラリ。ドライバーでは巨体を生かし、何と360ヤードをかっ飛ばすという。


『65』のスコアは米国男子ゴルフツアーでも、首位争いができるレベル。松山英樹プロの平均飛距離は304ヤード。360ヤードのスチュワートの飛距離は驚異だ。大学からゴルフ競技で誘われたこともある。『野球が終わったらゴルフ(のプロも)やるかも』と笑った。ボウリングのベストスコアは246。卓球も得意。高校時代は26試合で10本塁打を放った。

もちろん本業の投手の素質も抜群だ。巨体から最速98マイル(157キロ)の直球と大きく縦に曲がるカーブを繰り出す。直球もツーシーム、フォーシームと投げ分け、チェンジアップ、スライダーも持つ。5月1日まで実戦で投げていた。『「試合からしばらく離れているので、2~3週間で試合に投げられるよ』。

目標はソフトバンクでの6年間で能力を磨き、メジャーで通用する選手になること。今季はまず、日本野球に慣れるところから始める。福岡市内に住み、しばらくは両親も滞在する。新幹線で福岡・筑後市のファーム施設へ通う。とてつもない素材の米国の19歳怪物が、異国の地で挑戦をスタートさせた。

まあ、凄い選手ダネエ。SBも安泰だ、いいねえ工藤さん。


★★<また起きた、福岡で高齢者逆走多重衝突事故>そのSBの本拠地福岡市早良区。帰宅ラッシュの歩行者が行き交う地下鉄駅近くで、また高齢ドライバーによる事故が起きた。福岡市早良区百道の幹線道路交差点で4日夜に発生した多重衝突事故。弾みでひっくり返った乗用車が歩道に乗り上げ、事故に遭遇した住民は肩を震わせながら、力を合わせて下敷きになった人を助け出した。

『すごい衝撃と共に自動車が宙を飛んでひっくり返った。「とにかく助けなきゃ」と必死だった』。帰宅中に事故を目撃した近くのスポーツトレーナー、佐藤美代さん(39)は携帯電話で119番しながら、通行人らと一緒にひっくり返った車両の下敷きになった男性の救助に向かった。

上半身が挟まれた男性は『うーうー』とうめき声を上げていたが、通行人らが車を持ち上げて助け出した。男性は体を震わせてぐったりしており、間もなく救急搬送された。周囲では別の車から助け出された運転手らを心臓マッサージする外国人男性や女性の姿もあった。

別の40代女性によると、現場前の学習塾や病院などからタオルを持ち寄り、負傷者に手渡す人の姿もあった。近くの医師、中川元典さんは『雷のようなドシャーンという音を聞いて外を見たら車がひっくり返っていた。中から運転手を助け出して手当てした。心臓マッサージが必要な人がいたので救急隊が来るまで手伝った』と当時の様子を語った。

歩道上にも頭から血を流した母親と足から血を流して震えている小学生くらいの女児もいた。事故後、周辺道路は一般車両の通行が規制され、約3時間たっても近くの住民らが心配そうに現場を見つめていた。

逆走したワゴン車を運転していた老人と同乗の妻は死亡。事件の詳細の解明は難しいなあ。600m以上、反対車線を猛スピードで走り、アクセルとブレーキの踏み違いが修正出来ず、自ら死に至った事故。

死亡したのは現場近くに住む小島吉正さん(81)=同区原=、節子さん(76)夫婦だったと発表した。他の負傷者は14~52歳の男女7人。けがの程度は不明だが、いずれも命に別条はないとみられる。同署は事故車両のドライブレコーダーを精査するなどし、事故の状況を詳しく調べる。 

もう高齢者事故は社会問題だねえ。やっぱ、免許更新をもっと厳しくすべきだねえ。

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