間違いだらけの歴史認識亜愼邉諜垤坩戮呂覆った、伍長証言す』
昭和12年12月の南京攻略戦をめぐる東京裁判の判決は、旧日本軍が残虐の限りを尽くしたと断定しました。日本兵は市内に群がって様々な残虐行為を犯した、と。まるで野蛮人の一団のように放たれ、何の口実もないのに中国人男女や子供を殺害し、死体は大通りに散乱、幼い命や老女を含め強姦事件を起こし、射殺しては多くの住宅から略奪品を運び去った、・・・と。
元歩兵連隊伍長の橋本光治(90)は、身に覚えのない『虐殺者』の汚名を着せられたことに、今も怒りを禁じ得ません。『戦争中でも軍紀は守られていた。そんな残虐行為が出来るわけがない』。『婦女子に手をかけてはいけないと厳命されていたし、夜間外出は禁止され、任務以外に自由な時間はありませんでした』と。
判決では『攻略最初の2、3日間で1万2千人の殺害』という検察側の証言だけを採用した理由には触れられず、『1ヵ月で2万の強姦』も数字の明確な根拠が示されませんでした。
しかし日本軍は、細心の注意を払って南京を占拠していたのです。『南京の安全区の掃討には厳重な命令がありました。』(元歩兵隊伍長喜多留治(89))。安全区では、軍服を脱ぎ捨てて民間人になりすました便衣兵の掃討が始まり、喜多さんはこれに参加。掃討は同じ師団の金沢と富山の連隊が担当し、他部隊が安全区に入らないよう『金沢』『富山』という合い言葉まで使っていました。喜多さんは、略奪や強姦は『絶対ありえないことだ』と話します。
元獣医務曹長城光宣さん(98)も軍紀で思い出すことは多くあります。『憲兵がおりますけん、違反は出来んし、我々も絶対にせんかった。軍紀はそれほど厳しかったとです』。では、何故、南京での『残虐性』がここまで突出するのか。城は『おかしな事ですたい』と言って、ため息をつきます。
南京攻略戦で旧日本軍を率いた元司令官松井石根大将にとって『南京大虐殺』は寝耳に水でした。『大虐殺は公的な報告を受けたことがなく、終戦後米軍の放送で初めて知った』と。南京に入城した松井さんは、当時の様子を綴った日記を基にした供述書で、『巡視の際、約20名の中国兵の死体を見たが、市内の秩序はおおむね回復した』といった内容を述べています。
元々松井さんは、孫文が唱えた『大アジア主義』に共感し、志願して中国の駐在武官を努めたほどでした。中華民国トップの蒋介石とも親交があり、蒋が日本で暮らした際には生活の支援もしました。その蒋が喧伝した『大虐殺説』によって松井さんは命を落としました。
元少尉の和田泰一さん(89)は、『普通は敵兵の慰霊はしない。だからこそ、松井大将の思いを残さなければと皆が感じていた』と語り、こう続けます。『当時の記録を読めば事実は別にあることは明らかなのに、大虐殺説を許してきた私達の責任も大きい』。
昭和21年春、松井さんは収監前夜、親しい人を集めた席で次のような言葉を残しました。『願わくば、興亜の礎、人柱として逝きたい。かりそめにも親愛なる中国人を虐殺云々では浮かばれない』。
1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約、第11条で『日本は東京裁判の結果を受諾する』とあり、これにより、日本国政府は東京裁判への異議申し立ては途絶しました。が、日本には勇猛無比、正義を重んじるジャーナリズムが存在します。読売、朝日、毎日を頂点にしたあまたの新聞メディアやテレビメディアが。この東京裁判の穴、恥辱を国民の前に明らかにし、ジャーナリズムの力で『南京虐殺の虚構』を質しめることこそ、真のジャーナリズム、と私は思います。が、政権に癒着する読売や、虚構の慰安婦強制連行を書き、世界的に日本を貶める朝日には荷が重いのでしょうかしら。唯一、産経新聞の勇気が糧になります。 (参考: 産経新聞連載『歴史戦・兵士たちの証言』)
★中国共産党の宣伝と証拠ねつ造の嵐が吹き荒れた東京裁判。産経新聞はその名誉回復のため、特集記事などを掲載します。が、本来、この作業は読売、朝日、毎日が担うべき性質のもの。慰安婦捏造記事で、日本人の誇りを世界的に貶めるより、南京事件の真相を明らかにするのが、日本メディアの役割と責任ではないでしょうかしら、朝日新聞社殿。
★ 韓国がベトナム戦争時、サイゴン(現ホーチミン)市内に韓国兵のための『トルコ風呂』(Turkish Bath)という名称の慰安所を設置し、そこでベトナム人女性に売春させていたことが、米公文書で明らかになりました。韓国軍がベトナムで慰安所経営に関与していたことが、公文書として確認されたのは初めて。韓国が朝鮮戦争時に慰安婦を『第5種補給品』として部隊に支給していたことはすでに知られていますが、外国であるベトナムでも慰安婦を運用していた実態がうかがえます。
文書は米軍からベトナム駐留韓国軍最高司令官、蔡命新将軍に宛てたもので、日付は記載されていないものの1969年ごろの通報とみられます。韓国陸軍幹部らによる米紙幣や米軍票などの不正操作事件を説明したもので、その調査対象の一つとして『トルコ風呂』が登場。その中で米軍は、ベトナムの通関当局と連携した調査の結果として『トルコ風呂は、韓国軍による韓国兵専用の福祉センター(Welfare Center=慰安所)』と断じました。また、その証拠として韓国軍のスー・ユンウォン大佐の署名入りの書類を挙げています。
その上で確認事項としてベトナム人ホステスがいることや『売春婦は一晩をともにできる。料金は4,500ピアストル(38ドル)。蒸気風呂とマッサージ部屋は泊まりの際のあいびき部屋として利用できる』ことなどを指摘しています。この米公文書は、週刊文春(4月2日号)でTBSの山口敬之ワシントン支局長が最初に発表しました。
現代史家の秦郁彦氏『ベトナムにおける韓国軍の住民虐殺、強姦はつとに知られていたが、その陰に隠れて慰安所経営にかかわっていたことが判明したのは、公文書では初めてだと思う。引き続きさまざまな公文書が出てくることを期待する。今後、米国にいるベトナム難民移住者らが声を上げる可能性もあり、韓国に旧日本軍のことを言う資格はないという意見も出るだろう』と述べています。まさに、李大統領の声高な『日本軍慰安婦』発言は、韓国の恥辱を天に向かって唾をはく、の図ですねえ。
★オウム真理教の上佑史浩元外報部長、なぜ有罪にならないのか不思議です。事件実行犯の核心にタッチしていないとしても、犯人隠匿の罪とかあるでしょうに。本当、上佑がのほほんと世間に顔出しする姿がとても不快であり、不安です。またもオウムサリン事件などを企てているのではないかと思って。サリン事件の被害に合われた方々、お見舞申し上げます。
★今日の画像は、スペイン・セビーリア大聖堂のステンドグラスです。セビーリアは、コロンブスの新大陸発見後、大陸からもたらされる金銀財宝、高貴な物産の輸入港として栄え、世界最大の100万都市に発展しました。レコンキスタでイスラムを排除し、モスクをキリスト教会に建て替えられた大聖堂は、街の発展と共に隆盛を誇り、欧州3大聖堂の一つに挙げられます。ステンドグラスには製造年が入ったものもあり、私が見た限り一番古いものは1555年のものでした。コロンブスの棺が収容されていることでも有名です。