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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『原爆供養塔物語⑧「江田島海軍兵学校からの救援出動はなし」』

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★今回の画像は、『真夏の原爆供養塔』『急逝された中村紘子さん』に続いて、スペインの画像です。印象に強く残った風景、セルビアのグアダルキビル川の手こぎボート達。次から次へと絶え間なくボートが現れます。いろんな種類、老若男女いろんな人達が漕いで。どういう理由があるのか分かりませんが、とにかくセビリアはボート熱のある町だと。そしていにしえには、ここまでアメリカ大陸などからの金銀宝石など貴重物資を運んだ船舶が入っていたそうです。その富がセビリアの繁栄を生んだとも。セビリアの大聖堂には、当時のレオン王など4人の王がかつぐコロンブスの棺が鎮座しています。グアダルキビル川は全長657km、イベリア半島で5番目に長い川です。

★★江田島幸ノ浦の『船舶特別幹部候補生(特攻)』に入隊し、被爆後の死体処理に関わった和田は、昭和40年に入って全国に散らばっているかつての仲間たちに呼びかける作業を始めた。持ち出し厳禁、焼却処理を命ぜられたはずの名簿は上官の遺品から出てきた。理髪店の従業員にも手伝ってもらいながら、全国に散らばる2,000人もの元少年兵全員に往復はがきを出した。返事があったのは800人程度。残る1,200人は連絡がつかなかったり、家族から短い返信があった。特に多かったのが、こんな知らせだった。『戦地から帰ってきて、息子は早くに亡くなりました』。

電話をかけて良く聞けば、多くは原爆症と似た症状で亡くなっていた。原爆症が広く認知されていなかった時代、ほとんどが『原因不明』として扱われた。その中で、和田には一つだけ、どうしても納得のいかない問題にぶち当たる。それは、同じ時期に江田島にいた、正規の『海軍兵学校』の生徒達の行動だった。

海軍兵学校は、海軍エリートの卵達が全国から集められた学校だ。江田島には当時数千人単位の生徒が学んでいた。しかし、8月6日、海軍兵学校から広島に救援に入った者はいない。カッターに乗り込んで広島に偵察に出ようとした生徒もいたが、上官に制止され、引き返したと語る者もいる。

海軍呉鎮守府は、事前に原子爆弾投下の可能性を把握していた。複数の記録から明らかになっている。被爆の翌日7日には、被災者の白血球を採取するための看護婦らを広島市内に送り込み、被害のひどい地点から同心円状に土も採取し、放射能の影響を計るための調査に乗り出しています。つまり彼らは、早くから放射能の人体への影響、その恐ろしさをよく知っていたということだ。

日本の将来を担う海軍エリートの卵に、放射能にまみれた現場で危険を冒させる訳にはいかない、海軍上層部にはそんな考えが働いたのではないか、というのが和田の見立て。あの戦いで命を落としていった同じ仲間であることは百も承知している。それでも和田は、広島の一件については納得がいかない。戦後、海軍兵学校の元関係者に、なぜ広島に救援に向かわなかったのかを尋ねる質問状を出したが、今に至るまで返事はない。

和田には、自分達特攻隊志願兵が広島の大惨事に命がけで立ち向かい、死者を弔い、軍人として任務を全うしたという自負がある。しかし、捨て駒のように命尽き、人知れず全国の村々で亡くなっていった仲間の戦後を思う時、やりきれない思いがどこかに残る。貧しく、弱い立場の者から矢面に立たされ殺されていく、そしてエリートは残る。これが戦争の現実だ、と和田は口を堅く結んだ。
  (参考: 堀川恵子著『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』)

★私は憲法改正賛成論者です。それは以前に書きましたが、現憲法がGHQの8人の素人集団に指揮指導拘束された憲法であること、そして18条の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』という、奴隷的という言葉が、この憲法が米国文化=GHQの強い指導と監察のもと成文化された証拠だからです。日本文化には『奴隷』という概念は希薄で、黒人を奴隷として酷使した国だからこそ発想できる言葉です。加えて、今回前文が米国憲法のコピペだということが分かりました。(日本国)『われらとわれら子孫のために、(中略)自由のもたらす恵沢を確保し、(中略)この憲法を確定する』。(米国憲法)『われらとわれら子孫のために自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、(中略)この憲法を確定する』。GHQのメンバーには憲法学者は存在せず、素人が原案を書いたと推定され、手っ取り早く米国憲法の前文をコピペしたのでしょう。

さらにこの憲法は、帝国議会で承認されただけで、国民投票にもかけられていません。欠陥憲法を後生大事に『護憲、ゴケン』と叫ぶ集団に私は嫌悪感を抱きます。

★自民東京都連元会長の石原伸晃君、見苦しいねえ。都知事選に対する自分の見通しの甘さ、過ちを認めず、知事選は党本部マターで金も本部持ちだから、(都連としての)責任の取り方二も限界がある、と。父親慎太郎翁ももうろくし、『(小池)は嘘つき』『大年増の厚化粧』などののしり、増田候補の女性票何十万票をも小池派に流してしまって。伸晃君、将来首相の座もあるかと思っていたが、この器ではとても難しいねえ。

★さあカープどうなるか。巨人戦で土壇場9回裏にひっくり返したサヨナラゲーム。しかしここのところ同一カード1勝2敗が3回続いています。今日からの阪神3連戦はどうなりますか。まずジョンソン対岩貞の結果いかに、であります。

★ピアニストの中村紘子さんが急逝されました。享年72歳。初めて中村さんの、ベートーベンピアノ協奏曲『皇帝』を聞いたときの、あの出だしのカデンツアの華麗で力強かったことに驚いたのを思い出します。中村さんの来歴を調べると、ピアニストとしての活躍以外に執筆家としても有名だと。早速図書館の蔵書から著作を調べ、『チャイコフスキー・コンクール』を借りてくる。14歳の時、エミール・ギルギスのピアノ演奏を聴き、ピアノがこれほどの音を出すのかと心底驚き、新しい目と気持でその後のピアノ生活を送ったくだりは、誠に素晴らしい文章力で、読んでいる私がその場面を想像し、引き込まれてしまった。チャイコの審査員を務め、ピアノ界の裏話、真相を書いている。名演奏家の控え代役を務めることで主役が倒れたときの演奏で、一躍寵児となる手があると。ホロヴィッツ、リヒテルらはこの『第三の道』で世界のひのき舞台に躍り出たピアニストである。どこの著名なコンクールの賞を得ずして、寵児となった稀有な例であると。

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