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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『追悼、ロングトレイルの伝道師「加藤則芳さん」』

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北アメリカのバックパッキング文化、中でも『ロングトレイル』のスルーハイク(完全踏破)というスタイルを日本に紹介したネイチャーライターの『加藤則芳さん』が、4月17日、63歳の若さで亡くなりました。

2010年6月、治療の見込みのない難病『筋萎縮性側検索硬化症ALS』を宣告されてから急速に病状が進行。車いす生活になり、パソコンを打つことも困難になり、体の自由が利かなくなっても、精力的に日本各地での講演活動や、講述筆記による執筆活動を続けておられました。加藤さんは、1949年埼玉県生まれ。角川書店編集部に7年間在籍し、80年退社。八ヶ岳山麓の森に移住し、世界各地のトレイルを歩きながら、国内外の自然や自然保護をテーマにした執筆活動を続けてきました。

『アメリカの自然保護の父』と言われる『ジョン・ミューア』について調べ上げ、『森の聖者―自然保護の父ジョン・ミューア』を刊行。同年夏には、カリフォルニア州のネバダ山脈を貫く全長340舛痢悒献腑鵝Ε潺紂璽◆Ε肇譽ぅ襦戮1ヵ月かけて完全踏破しました。

05年には、フットトレイルとしては世界最長3,500舛箸いΕ▲瓮螢東部の『アパラチアン・トレイル』を6ヵ月間かけて一挙に踏破。この経験を1年間月刊誌『山と渓谷』に連載、その後
『メインの森を目指して。アパラチアン・トレイル、プロローグ』として平凡社から刊行。

日本でのロングトレイルブームの先駆けとなった『信越トレイル』に深く関与し、NPO法人信越トレイルクラブ理事も努めていました。現在、日本各地でロングトレイルが完成し、新たな計画も進んでいますが、加藤さんの影響を受けているといっても良いでしょう。

このネバダの『ジョン・ミューア・トレイル』の踏破は、NHKBSで放映され、私も見ました。また、米東部の『アパラチアン・トレイル』は、加藤さんは出演しませでしたが、1時間半ものをNHKBSで放映され、私は録画をしていて、もう4、5回見ています。一番強くインパクトを受けたのは、このロングトレイルが1930年代の大不況の時代、人々の心がすさみ、荒れていることを嘆き、創設されたこと。創始者は『ベントン・マッケイ(1879~1975)』。彼が考えたのは、開発が進む社会から離れて、人々が休息できる場所を作ることでした。自然があふれていて、お金をかけることなく誰でも楽しむ場所が必要と考えたのです。それにはキャンプ場があり、人々が語り合えること、女性も老人も。しかもボランティア達の手で造られたという点で、アメリカ人の良心の深さと広さを感じます。

自然を愛し、山歩きの楽しさ、醍醐味を語ってくれた加藤さん。難病にかかっておられるのは知っていましたが、訃報は月刊『山と渓谷7月号』で知りました。まだまだ長く生きて、活躍してほしかった人ではあります。ご冥福をお祈りします。  合掌

■加藤さんは当時アパラチアン・トレイル踏破の経過を逐一ブログで報じておられます。
 加藤則芳『新アパラチアン・トレイルの旅』: 
    http://www.bepal.net/e_appalachian/01.html
 その後、この刊行本を読みましたので、その抜き書きを以下に。

<加藤則芳著『メインの森を目指して。アパラチアン・トレイル、プロローグ』2011.7平凡社刊>

思えば30年以上も前のこと。あるグラフ誌に、僕の目は釘付けになった。変哲もないモノクロームの写真だったが『アメリカを代表するアパラチアン・トレイル2,200マイルを目指す若者達』というキャプションと共に、その写真を見た途端、何かが僕の中で動いた。7人ほどの若者達がそれぞれ、薄汚れたTシャツに半ズボンという姿で、アウターフレームのバックパックを背負い、カメラに向かって微笑んでいた。2,200マイル=3,500舛箸いΔ箸討弔發覆さイ離肇譽ぅ襪梁減濕体に、僕は強い好奇心を抱いたのだが、それ以上に、カメラに向かって微笑む、まだあどけなさが残る屈託のない笑顔達に共感する何かを、その時僕は感じた。

しばらくはその存在を忘れ去っていた僕は、15年ほど前から、今や僕のライフワークとなっている『ジョン・ミューア』の研究を始め、その名を冠した『ジョン・ミューア・トレイル340繊戮鯤發という計画が具体化していく中で、この超ロングトレイルの存在を思い出し、歩いてみたいという気持がふつふつと湧き上がってきた。

その後、何度も歩いたジョン・ミューア・トレイルで出会ったバックパッカーの中に、アパラチアン・トレイルを踏破したという中年カップルがいた。そして踏破した人だけが手に出来る『Appalachian Trail Georgia to Maine 2000 miler』と刺繍されたワッペンが縫いつけてあった。この輝かしい勲章を見て、たかがワッペン一つへの憧れが、僕の思いを決定的に強めた。以後、機会あればアパラチアン・トレイルやアパラチアン地域にまつわる資料を探し、本を購入し、現地に向けて様々検討してきた。

アパラチア山脈は、南はアラバマ州からジョージア州あたりで盛り上がり、北はメイン州を超えてカナダのラブラドール地方にまで、長大な連なりを見せている。地質学的には老年期に当たり、同じ北アメリカ大陸の西に位置するロッキーやシエラネバダに比べれば、穏やかでたおやかな峯々の連なりになっている。ジョン・ミューア・トレイルは標高4,000m級の山々の山麓を巡るトレイルということもあり、富士山並の峠をいくつも越える。一方、アパラチアン・トレイルは、標高が低く、穏やかな山並みということもあってか、3,500舛砲錣燭辰届△覆觧殻のそのほとんどの峰を越えて歩く。その延々たるアップダウンの連続は、歩く者の心身を衰弱させる。途中で嫌気が挿し、やめてしまうバックパッカーも多い。

記録によると、僕が歩いた2005年、一気に踏破することを目指したバックパッカーは1,768人もいた。その内、410人が目的を達成している。その厳しさを体験した僕の目から見ても、これは驚くべき数字だ。なぜそれほどの人たちがアパラチアン・トレイルを目指そうとするのか、ということに強い興味を抱いていた。全行程を踏破するスルーハイクだけでなく、部分踏破のセクションハイクやフリップ・フロップなど、どの方法であっても、アパラチアン・トレイル管理委員会から与えられる称号がある。ジョン・ミューア・トレイルで出会った夫婦が付けていたワッペン『2000 miler』だ。

ヨーロッパ系アメリカ人の多くが、『アパラチアン』という音を聞いただけで、心に響き、疼くものがあると言う。その理由は、アパラチア山脈には、古いヨーロッパ的歴史を否定し、彼らが誇りに思い、自尊し続けるアメリカ合衆国という民主主義国家へと発展していう輝かしい歴史の故郷があり、一方では、その発展の陰で、黒人奴隷制度や、ネイティブ・アメリカンを暴力的に排斥してきた後ろめたい歴史への、心の痛みを伴った複雑な思いがあるからなのだ。
 (参考: 加藤則芳著『メインの森をめざして』平凡社刊)

★夏山歩きの計画を立てている、北アルプス立山の天気予報が芳しくありません。初日の8月5日は降雨率40%と。まあ、天気予報は変わりますから希望をすてないで、待ちましょう。

★隅田川の花火大会も雷雨で中止になったと。東北の豪雨は止まりません。なにか今年の夏は天候異変ですねえ。これがコメなどの作物に影響しなければいいですが・・・。

★醜いですねえ、オリンパス。企業倫理に反し、他社の企業秘密を買収しようとした上司を社内告発したら、チームの役職を取られ、畑違いの部署に配転された社員。会社の行為を裁判にかけ、最高裁で勝訴した後今度は、部下のいない会社を提訴している幹部社員のもとに配転させられて。こんな会社の内部の雰囲気はどんなものでしょうか。社会正義は曲げられ、改革的・革新的な意見は芽をつまれ、上司命令至上主義がボッコして、活力が削がれるのは目にみえているでしょうに。それともこの社員はもともと思想的にチェックを受けていたのでしょうかしら。赤字隠しといい、この内部告発といい、醜聞プンプンのオリンパスです。オリンパスユーザーとして恥ずかしい。(怒)

■今日の画像は、『アパラチアン・トレイルを歩く加藤さん』と、『牛田山縦走、尾長山登頂』です。牛田山連山の尾長山には、市内東区二葉中学校北から登ります。急登、岩場もあり結構な登り道です。レンズは新しく手にした、オリンパス・マイクロフォーサーズ、9-18mmズームのワイド側です。(^.^)  (昨日のアップからのアクセス件数は、280件でした)

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