今日の画像は、新しい南相馬市小高産業技術高校の開校式に、校歌を作曲し、新入生たちと一緒に歌う『長淵剛』。(作詞は同市に住む作家『柳美里』)。そして人気が沸騰する『伊藤若冲を世に出した、『ジョー・プライス夫妻』と、若冲の画です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★1953年、ニューヨークの古美術店で若冲の『葡萄図』を見た、若きジョー・プライスは、この画家はまさに自然を『nature』ではなく、『Nature』でとらえていると直感した。『葡萄図』は墨絵の掛け軸で、西洋人の一般的価値から見ると、地味な作品だった。しかし作者の名前も知らぬまま、ジョーは雷に打たれたように見入り、その作品の虜になった。
昨年5月18日、東京都美術館。『生誕300年記念、若冲展』を見ようとする人達で、入館の行列は最大5時間20分待ちを記録した。わずか31日間の会期に、44万人余の人達が訪れた。文字通り記録的な展覧会となった。『伊藤若冲』の人気がここまで大きくなるとは。ジョーが若冲作品と出会ったのは64年前。奇想の画家とも言われる若冲は、当時ほぼ埋もれていた。
若冲の評価は大きな浮き沈みを経てきた。江戸時代の京都で活躍した画家は没後、絵画史の表舞台から遠ざかり、明治時代には忘れられたも同様だった。ジョー自身『ジャクチュウ』の名をようやく知ったのは、作品を集め出して数年後だった。なにしろ日本でもつい最近まで若冲という漢字をどう読むかさえ、迷う人が多かった。
『葡萄図』の購入をきっかけに、この不思議な画家に取りつかれたジョーは、日本詣でを重ね、作品を探し集めてきた。若冲をきっかけに広げた応挙や酒井抱一など江戸美術コレクションの総点数は、今や600を超える。『ジャクチュウ』の響きが日本人の耳に値を下ろすのと歩調を合わせるように、無名だった画家は注目を集め、ここ20年ほどで若い人を中心に、人気が高まってきた。世間では若冲再評価のうねりの一端を、このジョーが担っていると指摘する声もある。面はゆいけど、光栄だ、とジョーは語る。
若冲は、正徳6年・1716年、京錦小路にあった青物問屋『枡屋』の長男として生を受けた。23歳の時、父源左衛門の死去に伴い、4代目源左衛門を襲名、『若冲』の号は、禅の師であった相国寺の禅僧大典顕常から与えられたと推定される。40歳になった若冲は、家督を3歳下の弟に譲り、早々と隠居した。その後は町の世話役などで過ごした。絵の方は、狩野派に学び、通じた後、その画報を捨て、宋の元画に学び、特に濃彩の花鳥画の模写に励んだ。代表作の『動植綵絵』30幅は、多種多様の動植物がさまざまな色彩と形態のアラベスクを織りなす、華麗な作品である。
生前の若冲は、『平安人物志』の上位に掲載されほどの人気と知名度を持っていたが、明治以降一般には忘れられた時期もあった。1990年代後半以降その超絶した技法や奇抜な構成などが再評価され、特に、アメリカ人『ジョー・プライス』のコレクションにより飛躍的にその知名度と人気を高めた。
★産業廃棄物の島、愛媛県『豊島』のゴミが最終撤去された。愛媛県が認可した業者が、豊島にどんどん産廃物を捨て去り、島の1/3が埋め尽くされた。怒った島民が愛媛県に善処を求めたが、あの公務員の典型、無反応、責任逃れ。そこに、弁護士中房公平さんが登場し、島民の結束が固いことを確認し、愛媛県を相手取り訴訟を。結果、県の過失責任が認められ、島から産廃物の撤去が始まった。以来12年、先般、完全にゴミの撤去が終了。なんとも島民の長い闘いであった。政府、自治体は住民の利益より、企業側の利益を尊重するきらいがある。中房公平さんが支援した事件ではそれが顕著。森永ヒ素ミルク事件、金の延べ棒の豊商事事件、そしてこの豊島事件。中房さんは徹底して国、自治体の過失を指摘し、その責任を追及した。さらには、住専の社長に就任、無秩序な融資の焦げ付きを回収、経営の健全化に資した。2013年5月永眠。ご冥福をお祈りします。 合掌
★トランプ君、君は不法移民の根絶を錦の御旗にしているが、アメリカの歴史そのものが移民と奴隷の歴史でもあるのだ。君も移民の子孫に違いない。移民、移民と目くじらを立てるのは、祖先に向かった刃を向けるに等しい行為だ。
フランス国王ルイ14世が、『アントワーヌ・ドゥ・モートゥ・キャディヤック』をはじめとする100名のフランス人を北米五大湖周辺に送り込んだのは、1701年のことでる。村を建設し、そこを拠点に植民地経営に乗り出そうとする魂胆だった。やがて村は『ヴィル・デトゥロワ』、則ち、海峡の村、というフランス語で命名された。デトロイトという地名と歴史の発祥である。また植民者キャディヤックの名前もやがて英語読みされて、GMの高級車のシリーズ名『キャデラック』として採用された。
以後、100年近くは、フランス人、イギリス人、ついで大西洋岸で独立を宣言したばかりのアメリカ人が、それぞれの旗を立てて勢力を争い、領有を主張して、それがデトロイトは次第に大きくなっていく。三つの国旗の町、それがデトロイトのニックネームだった。やがてデトロイトは機械工業の町から自動車の町に発展していく。その過程で、多くの黒人達が南部から押し寄せ、町は人種間摩擦での緊張が高まる。以後、多くの死者を出す暴動が頻発するデトロイトとなる。
が、こうした劇的な暴動が起きる数年前から、デトロイト市の内部では微妙な変化が始まっていたのだ。中心部からの白人の流出である。1970年の統計によれば、市の人口は151万人。それは過去10年間に9%つまり、ほぼ10人に1人が郊外や他の都市に流出して行ったことを示している。人種間の絶え間ない反発と違和感、犯罪の多発、暴力的雰囲気、文化や価値観の深い溝、経済力の極端な格差。市内から転出出来る資金と余裕とチャンスをもった中産階級の白人達が、デトロイトを見捨てるようになっていたのだ。そして、その分、ダウンタウンの中心部にはスラムが広がっていった。デトロイトはゆっくりと、しかし確実に崩壊に向かったのではないか。
トランプ君、君はデトロイトの選挙演説で『雇用』を取り戻す、と声高に叫んだ。デトロイトが埋没したのは、日中独のせいかえ。『人種間の絶え間ない反発と違和感、犯罪の多発、暴力的雰囲気、文化や価値観の深い溝、経済力の極端な格差』、これらは日中独が引き起こしたのかえ。アメリカの内政がプアーなために起きたのではないのかえ。日本からアメリカに進出した自動車メーカーでデトロイトに工場を持つ企業はあるのかえ。何故ホンダが工場をオクラホマに建てたのかえ。ないものねだりのトランプ君は、歴史上最悪の大統領として、米国の歴史に燦然と輝くだろう。
★NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公・井伊直虎にゆかりがある浜松市と浜松商工会議所が、『直虎』の文字の商標登録取り消しを求めた異議申し立てについて、特許庁が退ける決定をした。異議を認めなかった理由として、第13代須坂藩主・堀直虎をはじめ、直虎の名を持つ歴史上の人物が複数存在し、必ずしも井伊直虎とは特定できないことなどを挙げた。決定により、関連商品に無許可で『直虎』の文字をつけることはできなくなり、浜松市などは独自のロゴマークを使っていく方針だ。面白いこともあるもんだねえ。商標登録をした人は、まっこと頭のよい人だねえ。特許使用料がどんどん入ってくるか、な。
★テロ防止のための『共謀罪法案』、趣旨には賛成するが、どうもねえ。と言うのは、政府、官僚、警察、自衛隊がみんな『隠し事』や『ウソ』を言うんだよんね。自衛隊の南スーダン派遣隊の日誌を、隠したり、勝手に償却、削除したりして。そして一番気になるのは、問題を隠ぺいしようとする体質。森友学園事件では、財務省、国土省の局長が国会で答弁したが、法律通りやっておりやましいところはないと押し切る始末。が、大阪財務局の担当者は5回も大阪府に出向き、森友学園の小学校認可について問い合わせをしているんだよね。こんなこと、財務省内では明白の理、のはず。それを大臣から局長、もちろん首相も隠すんだよね。さらには、中国放送の元アナウンサーが冤罪で最高裁まで上げないと無罪が確定しない警察、検察の『嘘』。『絶対に情報の隠ぺいはしません』『神、仏に誓ってウソは申しません』と国民に宣誓書きするまで、この法案には、拙者は反対だねえ。明治維新以来、どれだけ官憲・軍の権力蹂躙、横暴で国民の多くが迫害、殺害され、冤罪を受けたことか。本当に困った体質の日本国政府・官僚・警察・検察ではある。
★福島原発の被害で避難した児童生徒へのいじめが2016年度、129件にのぼり、このうち4件は東日本大震災や原発事故関連だったことがわかった。しかし、今時の子供たち、なぜ避難した児童生徒をいじめるのだろう。いじめに快感をおぼえているのか。私が小さいころもいじめはあった。が、それはこのような陰湿ないじめではなく、何か特徴的に目立つ子供を村八分にするようないじめだった。私はその被害者に近づき、一緒に学業に励んだ記憶がある。こんな子供たちが、大人になるまで、目が覚めて全うな人間に成長するのかしら、心配、不安になる。
★東京都の浜渦元副知事。百条委員会や、その後の独自の記者会見の姿を見て、これが慎太郎の影武者だったのか、と感心するやら、驚きやら。なにか都民、国民を目の下に置いた物言い、礼節をわきまえぬ言葉尻。なんとも、『都庁は伏魔殿』と言った慎太郎は、自ら『登頂の閻魔大王』になっていたのではないか。そうとしか思えぬ、浜渦元副知事の言動ではある。
★昨夏行われたリオ五輪の施設の荒れようが報道されているが、長野県のボブスレー・リュージュ競技会場として使われ、国内唯一のそり競技施設として長野市が運営してきた『ボブスレー・リージュパーク』が、来年の平昌五輪以降は競技施設としての使用を休止すると。年間2億2千万円にのぼる維持管理費が重荷となっていた。ユニクロの柳井さん、1兆円に上る資産の一部を寄贈し、この施設の命名権と引き換えに運営維持を図る気持ちはござんせんかえ。
★長淵剛が新設高校の校歌を作曲。作詞は柳美里。入学式には、ギター片手に舞台に上がり熱唱。生徒たちも一緒になり、いまい校歌に熱中。新し時代の新しい校歌。いいですねえ、長淵剛。福島県南相馬市小高産業技術高校での話。
★希代の真打『春風亭一之輔』、39歳。全国のファンからの要望を受け、年間1000件以上の高座をこなす。小学校で落研のクラブに入ったが、高校時代はラグビーに。が、ラグビーが上達しないと見て、落語への入門を画す。大学卒業後『春風亭一朝』に内弟子入門。猛烈な練習時代を経て、なんと34歳で、21人抜きの『真打』に。推薦者は人間国宝の『柳家小三治』。押しも押されぬ真打は、毎日古典と創作のはざまを行きかい、落語に新風を吹き込む。
★歌手『ペギー葉山さん』が逝去、享年83歳。『南国土佐をあとにして』『学生時代』などヒット曲で有名。死因は肺炎。昭和がどんどん遠くなります。ご冥福をお祈ります。 合掌