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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『「だった」を3回も続けるな―阿川佐和子④』

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今日の画像は、京大ベンチャーが造った『GLMのEVスーパーカー』と、アフリカキンセンカ、アリッサム、そして名花クリスマスローズです。このようなベンチャーが京大から生まれるとは、時代ですねえ。とってもいいです。

★★テレビ番組のアシスタントに採用されたのも、ほとんど同時に原稿依頼が来るようになったのも、すべて自ら切り開いた道ではなく、単なる父の七光りであることは最初から重々自覚していた。当初は父についてのエッセイを望まれることが多かったが、私自身、父に関するエピソードなら比較的筆が進んだ。

『アガワさんのエッセイ、面白いですねえ』、人に誉められたと父に告げると、『材料がいいんだ』。涼しい顔で言われた。好評だった『聞く力』の二匹目のドジョウを狙って『叱られる力』を出した時も、久々に『父にひどい目に遭いました』話をたくさん書いたので、すでに老人病院へ入院中の父のものへ報告がてら届けたら、次に会った時やはり、『読んだ。日本語についていくつか気になるところがあった』と言われただけで、『こんなことばらすなよ』と叱られることは一切なかった。

テレビの仕事を始めて間もなく、私宛に原稿依頼の手紙が届いた。カタログ誌の『父親礼賛』という連載ページに父について短いエッセイを書いてほしいという主旨だった。『なんだ、お前に原稿依頼が来たのか』。父が目ざとく訊ねてきたので、私は引き受ける気は全くなかったのだが、『うん。「父親れいさん」だって』、とその依頼文を差し出すと、『バカ。らいさんだ。そんなことも知らんのか』と呆れつつ、文面に目を落とした。間もなく、『こりゃ、今、俺が連載している原稿よりよほど原稿料がいいぞ』。

紆余曲折あり、仕方なく『皆さん聞いて下さい、ウチの父はこんなに横暴です』と、友達に愚痴を吐露するような作文に仕立て上げた。原稿を先方に届けに行こうと、玄関に下りていったら、『おい、どこへ行く』。父がヌッと現れた。『あの、例の原稿を届けに・・』。すると、『その方に電話して、30分遅らせてもらいなさい。それから俺の書斎へ行って、赤鉛筆とメガネを持ってきなさい』。ヒエー、参ったなと思ったが観念するしかない。赤鉛筆とメガネを渡すや、父の持つ赤鉛筆が動いた。『まず、名前の位置が悪い。タイトルをあと、一行開けて、名前。そこからまあ二行ぐらい開けて、本文を書きなさい』『はあ』『それから、ここ。だった、だった、だった。だったが三回も続いている。安機関銃じゃあるまいし』『ほお・・』『あと、に、に、に、に、『に』を四回も続けて、ニイニイゼミじゃない。こういうところに神経の行き届かない文章はダメだ』『はい・・・』。

私はいつ、『こんなくだらんことばかり書いて。どうも読むに絶えない!』と、父が原稿用紙を引きちぎるのではないかと怖れていたが、そういうことにはならず、間もなく、『もうこれくらいでいいだろう。気になるところはまだあるが、全部直していたら、俺の文章になってしまう。これくらいで目をつぶろう。清書して、お届けしなさい』。これが父の文章指導の始まりだった。
  (参考: 阿川佐和子著『強父論』 文芸春秋社刊)



★京大発・ベンチャーの『GLM』が『EVスーパーカー』の試作車を展示し、話題を呼んでいる。『GLM』は社員22人のうち、15人が技術者。技術本部長の藤墳フジツカさん(44)は、大学を出て15年間、日産と川崎重工、トヨタで自動車やオートバイの開発に携わってきた人物。だが、コンピューターのシミュレーションを徹底した短期間の開発、失敗が許されないクルマ作りに違和感を覚えていた。『失敗を重ねてこそ、チャレンジが出来るのに』。そんな時GLMを知り、社長の小間サン(39)を京都に訪れた。

小間さんは当時、『絶望のどん底』にいた。京都大学の大学院生のころから、1990年代に生産された『幻の国産スポーツカー』の改良に仲間と取り組み、EVで復活させた。『幻の名車の復活』と話題になったが、完成した車は『ゴーカート以下』という出来で満足ではなかった。小間さんから望みを託された藤墳さんは『面白そうだ』とトヨタを辞め、2011年にGLMに。だが、妻と子供2人がいて、給料は1/3。家族での外食や旅行は一切止め。ビールは第3のビールで。

藤墳さん達は、改良ではなくゼロからのEVスポーツカー開発に取り組んだ。『失敗』を繰り返し、やっと形にしたのが現在大坂うめ北の『ナレッジキャピタル』に展示している車だ。ナレッジキャピタルには『プロトタイプ』という開発中の車を一般の人に見せて、反応を開発者に伝える仕組みもある。藤墳さんは『スポーツカーの100倍難しい』というスーパーカーの開発・商品化に挑んでいる。GLMの資本金は設立時の1千万円から、7年後の今は32億円余りに。国内だけでなくサウジアラビアや台湾、香港など海外からの投資も少なくない。なるか、GLMがあの株式時価総額でフォードを抜いたベンチャー『テスラ』に。希望と困難と汗と。ガンバレ、藤墳、そして小間!


★続加計学園問題。『池上彰さん』の見立て。以下。

5月16日、朝日新聞朝刊の報道に続き、同日夕刊で毎日新聞が追っかけた。朝日の記事が重要な特ダネだと毎日も理解したのだ。朝日が報じた文書について、同日午前、菅官房長官は『どういう文書か。作成日時だとか、作成部局だとか明確になっていないんじゃないか』と、怪文書扱いの発言。不思議な対応だ。

本来、このような重大な事実を推測させる文書の存在が報道されたら、『重大な問題を提起している。早速事実関係を調べてみたい』と答えるべきではないだろうか。それが、怪文書扱いして調べようとしないのは、何か不都合なことがあるからではないかと思ってしまう。

この官房長官の記者会見でのコメントに、朝日は事実を持って反論した。18日付朝刊で、作成日時と『対応者』の4人の実名が書かれていると報じたのである。さらに20日付朝刊で、文科省が文書の存在を調べたが『存在は確認できなかった』と松野文科相が発表したと報じている。

この対応に朝日は追い打ちをかけた。25日付朝刊で、文科省の前川前事務次官のインタビュー記事を掲載。事務次官在任中、問題の文書を見たと証言した。怪文書ではなくなったが、松野文科相は25日の参議院文教科学委員会で、『すでに辞職された方の発言であり、文科省としてコメントする立場にない』と述べている。何としても認めたくない。教育行政のトップは、こういう人である。


★ネット通販で、宅配業者問題が社会問題化する中、『セブン-イレブン』の通販が気を吐いている。セブン-イレブンは、書籍などを店頭で受け取る販売サービスを行っている。アマゾンもローソンの店で受け取れるサービスを行っており、私は数度このサービスを利用した。両者とも送料無料故。そのセブン-イレブン頭受け取りが賑わう実情を、セブン-イレブンの商品本部長は、こう語る。『ヤマト運輸の労働環境等の問題が出た今春から、通販商品の店頭受け取りが一段と増えている』『配送してもらうより、自分でセブン-イレブンに商品を取りに行った方が、少しでも社会貢献になるのではというお客様の心理の変化があるように思う』と。確かに、セブン-イレブンの配送に乗れば、特段の労働強化や配送業者への負担は加わらない。はてさて、たかが通販なれど、時代はじわっと絵柄を変えつつある、と感じるなあ。

★社長のホテル代が高すぎて、テレビ宮崎に600万円追徴課税と。テレビ宮崎が国税局の税務監査を受け、渡辺同社社長の宿泊費のうち社内規定の上限を超える分が社長の個人所得と認定された。追加納付した分は渡辺社長が同社に支払ったが、その後に役員報酬の引き上げで補填されたと。渡辺社長は出張時に高級ホテルを利用しており、社内規定を越える分も会社が負担していた。支出した理由は、社長は病気を抱えており、医療態勢の整ったホテルに泊まる必要があったから、と。おおらかですねえ、宮崎。追徴された税金を、報酬引き上げで補填するとは、驚き、桃の木、です。

この話の結末は、同社にコンプライアンス違反の疑いがあるとして、弁護士や会計士ら第三者による調査が実施されると。渡辺社長は取締役会で、健康上の理由で6月16日の株主総会で退任する意向を示し、幕引きとなる模様。


★『だるまのように、転んでも必ず起き上がれ』。26日に東京都内のホテルで開かれた、民進党OB、OG会の会合で、『政界のご意見番』の異名をとった渡部恒三元衆院副議長が、蓮舫代表ら出席した党幹部に喝を入れる一幕があった。渡部氏は、英国で昨年、26年ぶりの女性宰相としてメイ首相が誕生したことにも触れ、『次は君がやれ!』と蓮舫氏を鼓舞した。

会合には、輿石前参院副議長や藤井元財務相ら30人が出席。しかし鳩山由紀夫元首相は、自ら離党届けを出したことから『入会資格なし』とみなされ、会場に姿はなかった。哀れ、鳩山由紀夫、仲間からも絶縁状なり、だなあ。もっとも、民主党の党勢をいともくじいた鳩山由紀夫のあの行状ではとっても民進党の輩も顔を合わす気にもならないだろう。

★プロ野球、セパ交流戦が始まった。カープは貯金10と、前期を4上回る数字を引っ提げての突入。が、パ・楽天は何と貯金18の猛烈なトップ快走。一体何が変わったのか。快進撃の原動力は、強力打線、だ。リーグ1位の打率『0.279』、ホームラン、得点は試合数が少ないため2位に。その強力打線を特徴づけているのが、2番打者ペゲーロ。2番打者は通常、送りバンドや進塁打が期待される、つなぎ役を期待されることが多い。しかし、ペゲーロは趣きが異なり、打率281、11本塁打、36打点と中軸打者に引けを取らない数字。『つなぐ』と言うより、『自ら決める2番』と言える。

ペゲーロの起用法は、実はチームの苦境から生まれた『コロンブスの卵』。楽天はオープン戦序盤に打線が思うように繋がりがなく試行錯誤が続いた。3月20日の西武戦、1番茂木、2番ペゲーロ、3番フィーラー、4番アマダー。この試合の1回、茂木の内野安打のあとペゲーロの2塁打で早速無死2、3塁の好機。『あっ、この打順もありだな』。池山コーチがヒントを得た瞬間だった。攻撃的オーダーが首脳陣の選択肢に加わり、開幕後の『2番ペゲーロ』に繋がった。

2年目の茂木の成長も大きい。高い出塁率と走力も備え、リードオフマンとして適任。そしてペゲーロとの相性を高めているのが長打力。梨田監督が『1番が長打で出れば、バントで送る必要もない』と話すよう、茂木の長打力が、小細工不要の『2番ペゲーロ』を可能にした。結果、本塁打は10本と昨年実績の7本を超えた。交流戦前最後の試合となった5月28日の西武戦でも、共にホームランをかっ飛ばした。ソフトバンクを上回る戦力に成長した楽天は、今年のパリーグの優勝戦線の最右翼だ。

セパ交流戦の緒戦、楽天―巨人は、この思惑通り、なんと巨人というよりセリーグのエース菅野を滅多打ちに打ち倒し、13-5で楽天の完勝。初打席、茂木はファールで粘り菅野に10球投げさせた。2番ペゲーロは三振だったが8球投げさせた。そしてウィーラーの2ランが。貯金19にした楽天は、パ優勝を目指しどんどん前に。逆に巨人は横浜に抜かれ、Bクラス転落。私はあの傲慢な面をした菅野が大嫌いなので、テレビの前で大拍手。右がカープ戦、左が巨人戦の、スカパー観戦、二画面での出来事でした。


★それにしても、巨人の貧打、ひどい。坂本の急降下と共にチームは敗戦続き。安部の打棒も一時ほどではない。とにかく繋がらない。原因は、ひょっとして、元広島の江藤打撃コーチにあるのでは、とよそ事ながら心配する。広島からは、江藤、川口と投打のエースが移籍し、いずれもコーチに就任した。江藤のコーチ?と言わざるを得ないなあ。横浜から移籍した投手山口がケガで出てこないのも、巨人の不運だな。日本ハムから移籍の陽もまだまだ登場できない。泣きづらに蜂の巨人陣営。

★尾道の風景で特徴的なのは、あの千光寺山山肌、坂道に張り付く家々。江戸時代は、山は神が宿るとしてこのような景色はなかった。明治中期に鉄道の施設があり、鉄道線路上予定地にあった家屋が山に移転させられた、という次第。江戸の時代、尾道の賑わいは、物流の要所で広島をも凌ぐ繁栄ぶりだったと。今また、林芙美子の尾道は、再び脚光をあびつつあり、観光客も増えていると。いいことです、尾道。

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