★今日の画像は、カープの4番打者『鈴木誠也』が高校時代、投手として活躍していた画像。現在、鈴木誠也の背番号は『51』。あのイチローと同じ番号だ。球団が、投手から野手に変身し大ブレークしたイチローにあやかって、誠也に51を付けたそう。イチローに向かって一直線、現在打点トップの誠也ではあります。そして幻想的にも美しい花『岩花火・レウィシア』です。岩花火はあのロッキー山脈が出生の地と聞きます。とっても好きな花です。
★★父の母、祖母・輝子は相変わらず海外旅行三昧の日々であった。海外に行くと、帰国した翌日にはお土産を持って、我が家に遊びに来る。父は大躁病で騒いでいるか、半年以上は鬱病で夕方まで寝ているかのどちらかで、普通の状態は極めて少ない。ついにある日、父が門の所に大きな立て看板を出した。『当家の主人、ただいま発狂中!万人注意!』。私の小学校の友達は『発狂』と言う言葉に大喜びし、同級生達が見に来た。郵便屋さんも仰天していた。
70歳の時に輝子と父は2ヵ月間のアフリカ旅行に出かけたが、超マイペースの輝子に振り回され、父の方がへばってしまい、それ以来、どんなに誘われても、原稿の締め切りを理由に、海外に同行することはなかった。ところが輝子もいよいよ85歳である。食いしん坊の輝子が、パリの団体旅行のツアーから離れて、リヨンのレストラン『ポール・ボキィーズ』、さらにその近くの『ピラミッド』に行きたいと言うので、ついに躁病の父は同行することになった。
あれこれどさくさ芝居があって、やっとJALの機内へ。機内に入ると、父はJALのスチュワーデスさんに向かって英語で『私はルフトハンザの職員でいろいろ調べたいから、パーサーを呼んでいただけますか』と話しかけた。『あなた、スチュワーデスさんは忙しいのだから、話しかけてはいけません!』。母の言葉も馬の耳に念仏の父はその後も新聞や飲み物サービスされると、スチュワーデスに英語で話しかける。ついに輝子までが怒り初めた。『宗吉。もうおやめなさい』。
パリのホテルにようやく着いた時、みんなは憔悴していた。父はベッドに倒れ込み、身動き出来なくなる。母は機内で眠れなかったので、夕食まで昼寝をしようとベッドに入った。すると、隣室の輝子がやってきて、たちまち激怒した。『あなたたち、そのザマは何です!85歳の私がこんなにピンピンしているのに』。怒り心頭に発した輝子は母に、『宗吉を置いて、食事に行きましょう』と部屋を出て行った。
母と輝子が夕食から戻ると、今度は食事のまずさと、ボーイのサービスの悪さに輝子が腹を立てていた。輝子が自室に戻ると、母は父を怒り、口論となった。翌日、パリ観光のバスに乗ったが、その間もずーと父は騒いでいた。ホテルに帰ると停電があり、短気な輝子はまた怒り、翌日、レストラン『ポール・ボキューズ』に行くと、輝子は『美味しくない』と不機嫌になった。『ボキューズはもうダメね。美味しくないわ。あなたたち、残りを食べてちょうだい。私は、やはり日本の和食の美味しいのが一番好みにあるのかも知れない』。日本からはるばるリヨンの超有名店に来たのに、輝子は憮然として言い放った。
今、考えると輝子と母は大躁病中の父と、よくもまあヨーロッパ旅行などに行ったものだと思う。大躁病中の父は誰とでも平気で喧嘩をし、周りの人達のひんしゅくを買うようなことばかりわざとするのである。斉藤家の血には、そもそもそういう気質があるのかも知れない。『茂吉も相当の変人だった』と父は言う。だから輝子は父の躁病もある程度理解出来たのだろうか。
生前の輝子に直接父の躁病についての感想を聞いたことはない。私は、不肖の息子は不肖であるが故にかわいくて仕方ないという、母親としての想いがそこにあったのではないか、と思ったりするのだが、いずれにしても破天荒な親子ではあった。 (参考: 斎藤由香著『猛女と呼ばれた淑女』)
★『斎藤輝子』は、青山の4,500坪もある大病院のお嬢様として育ちながら、関東大震災、東京大空襲といった修羅場を生き抜いてきた。79歳で南極に立つ。一流を好みながら、贅沢は嫌い。権威をもろともせず、明治女の気骨を持った文字通りスーパーレディだった。斎藤輝子は言うまでもなく、斎藤茂吉の妻。斎藤茂吉は、輝子の父、斎藤紀一には男の子がいなかったので、跡継ぎにふさわしい少年を探していて、生地山形県の寺の和尚の仲立ちで、神童と言われていた茂吉を東京に引き取った。開成中学に通うようになった茂吉は、文学に熱心な級友達の影響もあり、短歌を詠むようになった。また中学2年生で日本の精神医学のパイオニアとも言える呉秀三の『精神啓微』を読み始めるなど、神童ぶりを発揮した。紀一の頭には茂吉をすぐ養子にするつもりはなかった。しかし、上京から9年経った明治38年に、茂吉は輝子の婿養子として入籍された。その時、輝子はまだ9歳だった。
★熊本県八代市に作業量を9割削減出来たトマト農家がある。しかも100平方当たりの収穫量は18トンで、地域平均の16トンを上回る。この農家の山本恭平さんは『新しい栽培技術を実践し、産地の発展につなげられる』と自信を見せる。その技術とは、川崎市の『ルートレック・ネットワークス』が明治大学の研究成果をもとに開発した『ゼロアグリ』だ。
トマトを育てる上で最も人出がかかるのが水と肥料の供給。ゼロアグリはこの作業を自動化するシステムだ。山本さんのビニールハウスの内部には、センサーが設置されている。これが日射量や温湿度、土壌に関するデータを収集する。データをインターネットでルートレックの専用サーバーに送る。サーバーでは独自に開発したシステムにより供給タイミングなどを判断する。クラウドコンピューティングの農業版だ。山本さんは、2015年8月にゼロアグリを導入、良好な実績を収めたことから16年にはハウスを増設した。ゼロアグリの導入費用は250万円前後。利用料は年12万円。人件費や収量増による収入増が見込めるため、初年度で投資費用を回収する例もある。東京大学の関係者は、『生産技術を農業用の装置に組み込んだのが画期的』と評価する。
数年前、オランダの全自動トマト農園の映像を見たことがある。大規模で、投資額も半端ではなかった。が、このゼロクリアは、ネットを使って、心臓部のサーバー、コンピューターを本部で運用するため、農家の投資負担が極端に少なくて済む。ルートレックとしては、加入する農家を100軒ほどに増やせば、年間1億4千万円の収入になるから、300軒程度加入促進をすれば、IT投資も短期間に償却できる算段となる。このようなネットを使った農業が、これからの主流になるかもしれないなあ。そうすれば、農作業の負担が極端に減って、都会人でも、若い人でも操業が可能になる。いいことだねえ。
★パキスタンで石油を積んだタンクローリーが横転、炎上し、131人が死亡、150人が負傷したと。漏れた石油を手に入れようと、周辺住民や通行人が集まっていたところへ、タンクローリーが炎上し、多くの犠牲者が出たと。群衆の一人がたばこを吸おうとしていたとの情報がある。パキスタンでは停電が多発しており、燃料不足も深刻な問題となっている。このような災害は、エジプトやギリシャでも過去に起きており、多数の人が炎上する石油に巻き込まれて亡くなっている。哀れ、悲惨なタンクローリー事件ではある。
★これまでの侍ジャパンのユニフォームの担当が、『ミズノ』から、『アシックス』に代わった。スポーツ用品と言えばミズノのイメージが強い。が、実は10年前からスポーツ用品全体の国内シェアでは、アシックスがトップを走っている。アシックスの売上高は4千億円弱と、ミズノの2千億円弱に比べ、2倍以上の差をつけている。ミズノが、日の丸スポーツメーカーの筆頭をアシックスに奪われた理由は何か。ミズノ関係者によると、『大きくは海外展開に遅れをとったこと、そして収益性の低い事業を切れなかったことの2つ』にあると。
アシックスは2012年に、子会社アシックスジャパンを設立し、国内事業を移管。本体のアシックスは主に海外事業へと軸足をシフト。日本を一つの地域として位置づけ、海外の他の子会社と横並びで競わせた。空前のランニングブームも手伝って、アシックスのランニングシューズは欧米でも高い評価を受ける。
一方、ミズノにとって競技用品や学校販売は、同社の看板ともいえる分野。『スポーツ=ミズノ』とイメージの源泉であり、同社のブランドを支えてきた。『相当な薄利』とは言え、そう簡単に切れなかった。いわば名門の矜持が、自社の利益を圧迫するという皮肉な状態に陥ったのだ。加えてここ数年、ゴルフ事業が業界全体の斜陽で大不振。17年3月期には、米国におけるランニングシューズの損失が響き、営業利益が前期比51%減という厳しい結果にも。
アシックスジャパンは、侍ジャパンのダイヤモンドパートナーとなった。サッカーやバスケットボールなどが活況とは言え、国内のプロスポーツはまだまだ野球一強。かつてアシックスに総合首位を奪われたように、野球でもアシックスの台頭を許し同じ轍を踏むか。かつての輝きを取り戻せるか、剣が峰にあると言える『ミズノ』ではある。
★<『商人』の語源>昔、中国に『殷』という国があった。甲骨文字などで知られており、秦や漢のずっと前、紀元前の国。この国では『岩塩』が産物として取れた。『殷』の国の名称は、その前に『商』と呼ばれていた。この岩塩を背負って、殷の人達は中国全土へ売り歩いた。そしてつけられた名が『商から来る人=商人』と。日本にもその言葉が伝わり、現在に至っている。日本文化は、本当、中国文化を祖先とするんだねえ。改めて感心する。
★1979年に殺人事件で逮捕され、81年に懲役10年が確定、原口アヤ子さん(90)。取り調べでも、服役中でも『あたいはやっちょらん』と無罪を主張し続けた。90年の出所後、鹿児島地裁の法廷を訪ねた。同県鹿屋市で起きた殺人事件で無罪判決を勝ち取った八尋弁護士に会うため。『あたいは無実だー』。原口さんの思いが裁判のやり直しを求めて動き出した。
訴訟は3次に及び、2度も最高裁から却下を受けた。が、今回は新しい証拠と、裁判官の『疑わしきは被告人の利益に』という原則に沿った形で再審が認められた。しかも『絞殺殺人』をされた事件は、写真で見る限り絞殺の跡が首に残っていないと。ひょっとすると殺人事件ではなかった可能性もあると言う。全く長い38年間の闘争である。が、仮に無罪判決が出た場合、国は原口さんの人生を破壊した責任をどう埋めるのか。金銭補償だけでは、すでに90歳になっている原口さんには不足だと思われる。あの『テロ防止法』で反対する人達が懸念するのは、警察、検察優位の体制下、このような冤罪が多発する可能性を指摘しているのである。原口さんが車椅子で入廷する姿が痛々しい。最後まで頑張って下さい、原口さん。
★都議選、いよいよ終盤。自民党幹部による演説でのチョンボが目立つ。石原伸光の都民ファーストを攻撃する、内容のないつまらない攻撃演説を前回紹介したが、今度は二階幹事長が応援演説で、『この頃は地元にもあまり帰れない。よく変なものを打ち上げて来る気違いみたいな国がある。そうすると私どもは集合がかかる』と述べた。弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮を揶揄した発言だが、精神障害者への差別表現が含まれていたことから、二階幹事長は演説後記者団に『表現として必ずしも適切でないものが一部あった。今後注意したい』と釈明した。
これに先立ち、岸田外相は自民党岸田派の会合で、都議選について『国会議員の言動で党のイメージが落ち、選挙に悪い影響を与えている』と述べ、緊張感を持って都議選の応援を行う必要があるとの考えを示した。
首相側近の下村博文幹事長代行、稲田朋美防衛相、萩生田副官房長官、3氏が次々と批判や疑惑の的となり、安倍政権を揺さぶる。始末におえない、とはこのことだろう。政権中枢は、3氏を巡る疑惑や批判が相次ぐことで、重用した首相の任命責任が問われる事態を懸念する。支持率が下落する中、選挙情勢が第一次安倍内閣時代の2007年に閣僚らの失言や不祥事が相次ぎ、夏の参院選で惨敗した当時と今を重ねる。『いやな感じだ。いつか見た政治風景になってきた』とぼやく。
都議選が自民党に逆風の情勢下、自民党候補の支援演説は、ややもすると敵の都民ファーストを陥れる演説に走りがちで、その際発言内容がミスるという悪循環を繰り返しているように見える。余裕がなくなった自民党の懐の狭さを感じる。自民党都議団が今まで行ってきた発言や行動は、すべからく小池新党派を敵視したもので、都民の感情とは相いれない形になっていることに気付かない自民党の哀れを感じる。
元はと言えば、都知事候補に小池知事が立候補の意向を自民党本部に意思表示したのに、それを蹴とばし増田候補を擁立。惨敗した自民党本部の判断の大間違いからの延長線上に今回の都議選がある。とすれば、自民党本部の総懺悔こそ、都民の感情を自民党に引き寄せる最良の手段であろうが、状況からするとそれも出来ないし、もう時期を逸している。惨敗都議選の責任を誰がどう取るか、国民は自民党の一挙一動を注視している。
それにしても、読売新聞。下村幹事長代行が、加計学園筋から闇献金を受け取ったというネタ。下村さんは否定の記者会見を開いたが、この献金者の名前は明かさなかった。その事件の顛末を、各紙、NHKまで報じているのに、読売は一行もふれず(大阪本社版)、黙視。こんなの『公器』を自任するメディアと言えるかえ、本当に。こんなのが続き、巨人がさらにプアになれば読売の読者は雪崩を打って撃滅するだろうなあ。まあ、正力松太郎元オーナーが、大正11年に読売新聞の経営を引き受けた時の発行部数はたったの5万部だったのだから、元に里帰りをすると言うことだねえ。
★金本阪神が苦闘している。30日のヤクルト戦で敗戦し、金本阪神では初の8連敗を記録。とにかく打てない。福富、糸井がけん引してきた打線がぼろぼろになって。一時下位打線を引っ張ってきた梅野も三振、内野ゴロの連発。とにかく中日3連戦での得点がたったの1点、20イニング無失点の無惨さ。何か劣化高齢化集団巨人の13連敗に一脈通じるものがあると感じる。一体阪神内部で何が起こっているのか。阪神ファンの忸怩たる、暗澹たる気持ちに同情する。翌1日のヤクルト第2戦は勝ったものの、大山の3ランで得点した3点のみ。同じ日、阪神が中日にほぼ完封で負けた時の相手投手、小笠原をカープは打ち崩し、中日に8-1で完勝。カープと阪神の差は、やはり選手層の厚さにあると見るがどうだろうか。
★厚労省が発表した5月の有効求人倍率は、何と『1974年2月以来、43年3ヵ月ぶりの高さ、1.49倍』になったと。1974年と言えば、昭和49年、まさに石油ショックの直前の大バブル時代。とにかく猫の手、ネズミの手でも借りたいという時代。求人活動予算は潤沢で使い放題だったなあ。私も九州地区の職安や学校に何度も出張で出かけたなあ。そういう状況だと、中小の商店や製造業の会社は本当に困っているだろうなあ。想像するだけでかわいそう。でもどうにもならないねえ、日本国は移民ほとんど禁止の国だから。が日系人の子孫には寛大で、ブラジルなどからまた出稼ぎに来る人達が増えるのかなあ。が、当時とは産業界の地図が変わっているから、まさかブラジル人をスーパーや百貨店の店員で雇えないだろうし。困惑は続くねえ、人手不足の時代に入って。
★カープでプレーし、阪急の監督になって黄金の一時代を築いた『上田利治さん』が亡くなった。享年80歳。選手としては地道にコツコツと。指導者として才能を発揮、稀有な野球人として殿堂入り。75年から3年連続で日本一に。『俺の力ではない。選手に恵まれた。山田、山口、福本、長池・・・』が口癖だった。ご冥福を祈ります。 合掌
★自民党を離党した都民ファーストの会、若狭勝衆議院議員『情報公開に後ろ向きで、ゴマカシ政治の安倍自民を選ぶのか、情報公開に前向きの都民ファーストを選ぶのかの「政権選択選挙だ」』と訴えている。『「情報公開」は正しい政治を進めるための「命」「要」なのです。情報公開に後ろ向きな自民党が政権をやっているのは問題がある』『今後、5年、10年、20年の国政、都政のあり方を考える際、今どちらを選ぶかという重要な選択選挙と考える』と訴えている。なかなか説得力がある。今夕8時には、NHKが選挙情勢見通しを発表するとのこと。どうやら勝負あった、らしいですねえ。