★今日の画像は、都議選で歴史的大勝利を収めた『都民ファーストの会・小池百合子会長』などの選挙中のスナップです。すごいことが起こりました。自民の驕り、不遜、傲慢が自民退場を促したのだなあ。都議会の小池派は議席半数の64議席を大きく上回る79議席に。まあ、自民オウンゴールの側面も多いが、都民ファーストもよく頑張った。すごい躍進ぶりだ。右下をクリックすると大きな画が見られます。
★★輝子の旅のエピソードを連ねていくと際限がなくなるのだが、その中でも私が特の印象深く記憶している旅のいくつかを紹介する。
昭和47年(1972)、76歳の輝子は、7月にモンゴル・ウランバートルへの旅を決意した。私は小学校4年生だった。出発前、渡航祝いを兼ねて世田谷松原の私の家で夕食会をすることになった。『おばあちゃま、モンゴルってどんな国なんですか?』『由香、実は私も全然知らないのよ。旅行社の人も行ったことがなくて知らないんですってよ。だからどんな国なのか、見てみたいのよ』。それまで入国不可能だったモンゴル人民共和国と日本が国交回復をして、初めて外国人旅行者を受け入れることになり、その第一回旅行団をJTBが企画し、輝子は参加した。添乗員、毎日新聞の記者とカメラマン、ライター、2人の女性観光客と輝子の7人のツアーだった。
イルクーツクから乗ったモンゴル航空のソ連製双発機は、10人くらいしか乗れない小さな飛行機。鉄のタラップを自分達で運んでいかねばならず、入り口も狭い。しかし輝子はこの飛行機がよほど面白かったのか、帰国後よく話していた。『それが、ぶっ壊れたような飛行機だったの。フワリ、フワリと低空を飛んで、見渡す限りの草原で何一つないところへ着陸しちゃったのよ』。なだらかな丘陵の大草原に降り立つと、羊の群れが見えた。その夜は移動式テント・ゲルに泊まった。
翌朝、食堂になっているゲルに案内されると、普通のホテルと同じパンとコーヒーの朝食が出された。『今日はラクダを見に行きます』。添乗員の案内で、バスに乗って、200頭も飼っている場所へ。『このラクダで遊んで下さい』。以前サハラ砂漠でラクダに乗ったことのある76歳の輝子は、ガイドに勧められるまま大喜びで乗ったと言う。輝子意外の旅行者は、みんな尻込みして乗らなかったらしい。翌日はラクダではなく馬のいるところへ連れていかれたが、乗馬なんて面白くない、と言って輝子は乗らなかった。ゴビ砂漠の外には何も見るところがなく、4日間の滞在だったが、好奇心旺盛でせっかちな輝子はもう飽きてしまった。せいぜい食事くらいしか楽しみのない旅だった。
そんな旅も終わりを迎える頃、現地で輝子は急病になり入院した。イルクーツク経由で帰国の途に就くという前夜に嘔吐し、腹痛がひどく一晩中寝られなかった。イルクーツクの空港バスの中でも吐いた。ようやく医者に診てもらうが『単なる消化不良だから心配ない』と言われ、医者は帰り支度を始めた。しかし、輝子は病状から50代に患った腸閉塞の再発だと悟った。帰ろうとする医者に向かって大声で叫んだ。『レントゲン!レントゲン!』。あまりに輝子が真剣に叫ぶので、仕方なく医者はレントゲンを撮ることにしたが、最初の病院では設備がない、と断られ、二つめの市立病院でようやくレントゲンを撮ることが出来た。その診断の結果、即時入院となったのである。そして容体が悪化したため、緊急手術を受けることになった。
その頃、日本では大騒ぎになっていた。『もうダメだと思った』。後に父は何度も言う。パスポートを確認すると期限切れ。一方、叔父の茂太も直に駆けつける決意をした。が、問題はビザ、2週間かかる。しかもハバロフスクへのフライトは週2便。茂太は斎藤病院の院長の他、早稲田大学での講義、原稿の締め切りなどなど。幸い茂太にはすぐビザが下りて日本を出発したが、アエロフロートは平気で時間に遅れる上、入国審査が異常なほど時間がかかり、ホテルに着いた時にはヘトヘトになっていた。翌日、睡眠不足のまま、イルクーツク行きの飛行機に乗り、病院へ駆けつけた。慌ただしく2階の病室のドアを開けると、げっそりと痩せこけた輝子は言った。『あなた、忙しいのにどうして来たのよ』。死んでいたかもしれない輝子は、弱ってはいたものの、生きていて毒舌をはいた。
入院10日余りで退院。ゆっくりなら歩けるというので、普通の病院車で空港に。定刻19時45分だったが、乗り込んだのは21時を過ぎていた。イルクーツクの空港で心配顔の見送りの人達に向かって、76歳の輝子は元気に言った。『また、チョイチョイ来るわよ!』
(参考: 斎藤由香著『猛女と呼ばれた淑女』)
★『ほぼ毎日、帰りの電車の中でちゃちゃと注文している』。渋谷区代官山にあるイタリアンレストラン『TACUBO』のシェフ、田窪大祐さんはこう語る。田窪さんが使っているのは『プラネット・テーブル』(東京・渋谷)の『SENDセンド』だ。センドは農産物の生産者と飲食店をインターネットで直接つなぐ仕組み。注文した食材は、翌日の昼前には配達される。『わざわざ市場まで足を運ばなくても済む』手間暇を省いてくれると喜ぶ。現在、同社は4,000人の生産者と契約している。また同社を利用する飲食店は2,500軒ある。流通経路を短縮すれば、生産者は高く販売出来るようになり、飲食店は安く仕入れられる。農水省の試算では、消費者が支払う飲食費のうち『農林漁業』に還元されているのは14%。35%が『食品関連流通業』に帰属している。生産者の所得を増やすには、流通経路の簡素化・効率化が欠かせない。現在、SENDを利用できるのは、東京都心に限られている。現在そのエリアを拡大するため、新たな物流拠点を増設する計画。この新拠点の規模は、現在の11倍、2,200平方にも及ぶ。ネットで流通が簡素化され、利益が生産者に還元される、ウイン・ウインのこのシステム、発展を願ってやみません。
★麻生副総理兼財務相は、自民党に逆風が吹き荒れる中、言うことに欠いてマスコミ批判を。『マスコミの人は言ってるだけだ。責任は何も取らない』と。続けて『しかも報道内容はかなりの部分が間違っている。書かれている本人だからよく分かる。こんなものにお金まで払って読むか』。『結果として新聞は部数が減っている。自分が蒔いた種じゃないか、とこの間、ある新聞社の社長が言った』などと述べた。
見当違い、アナクロリズムも甚だしいなあ、麻生ご老人。新聞部数が落ちているのは、ネットの影響であって、新聞の報道内容ではない。自民に厳しい報道が続くのは、『火のあるところに、煙が立っているから』だ。その火や煙の原因を、隠し、ウソをついて、国民をだまそうとしてるのが、現在の自民であり安倍内閣なのだ。文句があったら、森友学園、加計学園問題をきれいにクリーニングし、情報をキチッと公開してみたらどうだえ。マスコミ=メディアの役割は、『権力の監視人』なんだよな。書いたことに責任を取る、とか取らないとかいうレベルの話ではないんだ。社会的役割を担っているのを認めないというのも、麻生さん、あんた首相になる器ではないねえ。ギャフンと言うのは自民党だろうから、な。
★カープって、本当に強いんだなあ、とつくづく感心した。2日の中日第3戦。中日のドラ1・柳の投球に翻弄され、またカープの先発大瀬良がピリッとせず、1-4で終盤に。と、7回裏、今季初打席という代打磯村が2ランを打って3-4。8回裏は岩瀬が投げ、ランナーを2人出したところで、救援のエースとも言える又吉を投入。この又吉を鈴木がライナーの3ランで、6-4と逆転。そのまま試合を終え、カープは中日に3連勝。その前、中日は阪神に3連勝したのだから、阪神って一体どうなってるの、と思う次第。逆転することが普通になり、ファンはリードされている場面でも、安心感を持って観戦できることはとてもいいことだ、と思うねえ。全国に盛り上がるカープファンの喜びが聞こえて来る。
★都議選、予想をはるかに超える『都民ファースト』の圧勝。『光が当たって都民が目覚めた』と小池都知事。都民49、公明23、無所属都民推薦6、ネット1、計都知事与党側79議席。対する自民党は57議席からたったの23議席へ歴史的大崩壊。都民が小池知事の悪口ばかり言う自民党に愛想をつかした形。過去最低38議席をも大幅に下回る結果に。NHKの出口調査では、『小池都政を評価する』が77%を占め、安倍内閣を支持するは43%で、支持しないの57%を大幅に下回った。国民を見下げ、傲慢、隠ぺい的な体質が都民から嫌気されたのだろうなあ。そして選挙戦では小池知事の悪口ばかり。投票率が7ポイント以上上昇したのも、都民の自民党への怒りの結果なのだろう。まあ、天に向かってツバを吐く自民党ではあった。驕る平家久しからず、だな。
北区で再選を決めた都民ファースト現職の音喜多議員は、街頭で『自民党をやっつけてくれ』と声を掛けられたと言う。『自民党が自滅したと言うか、オウンゴールを重ねた』と報道陣に述べた。墨田区の成清梨沙子候補は、都民ファーストの新人、公認会計士で2歳の長男を持つ母親でもある。政治と無縁だったが、3議席を5人で争い、自民2人、公明1人の一角を切り崩した。『しがらみの政治や忖度から決別し、新しい議会を作ってほしいという都民の願いを感じた』と述べた。
小池知事は大勝となった都議選の結果について、『古い議会を新しく、を標榜させていだだきまして、様々な新しい顔ぶれで戦わせていただきました。ご支援、ご支持いただきました都民の皆さまのご理解、ご協力に感謝したいと思います』とフレッシュな顔ぶれをそろえたことが勝因と分析した。続けて『医師、公認会計士、税理士、様々な方が出ていただきました。これまでにない都政の切り口を議会で発揮していただく。都政改革の一丁目一番地は情報公開にあると思って、これまで進めさせていただきました』と述べた。そして国政への進出を問われ『都議会選挙の結果をどうお考えになるのか、それは自民党の方が考えることと思います』と明言は避けた。まあ、この自民大敗北は、小池知事が自民党に知事選出馬の意向を示し推薦の申請をしたにかかわらず、都連は増田候補をかつぎ大敗北した時に起点がある。なのに、その大敗北からも小池知事を敵視し、反対勢力として熱を帯びた自民党議員に都民が怒った結果と言える。自民議員、都議会議長や大口をたたいていた都連幹事長も落選する惨敗だ。
24年前、都議選で20議席を占めた日本新党は、直後の衆院選で35議席を獲得、当時の細川代表が非自民連立政権の首相になった。すでに政党要件の5議席を占める議員が都民ファースト支援を意思表示している。都民ファーストの国政進出が『自明の理』とも言え、現実的課題になってきたとも言える。政治評論家の中には、オリンピックを成功させ、それを土産に国会に進出し、女性初の首相を狙うのではないか、と予想する人もいる。
しかし恐れ入ったねえ。朝日、毎日、産経、そして日経までも開票時間帯には都議選当確者・議席数の速報版をHPに載せているのに、読売は一切ナシ。これって一体なんだ。自民党広報部の読売新聞としては、大敗戦の自民党ニュースを流すな、と渡邉恒雄から命令されたのか、本当に面妖な読売のネット掲示だ(2日、22時現在の話)。ニュースも数行だけ。自民が大敗北し、都民ファーストが大躍進したという、まさに『大ニュース』に目をつぶる読売新聞。巨人の衰退と合わせて、こんな偏った新聞は公器を言えず、読者はどんどん減るだろうなあ。
★ただ残念なのは、憲法改正問題がポシャルこと。GHQの管理監督・指導のもとつくられた日本国憲法が70年も放置されていることは残念でならない。とにかく一度日本人の手で改憲が必要だというのが拙者の持論。また、帝国議会で、単に憲法改正を決議して生まれた憲法を改正するのに国民投票が必要とした現憲法の成立過程は、法理的に瑕疵があると思う。いわば町議会が県議会の権限にまで及び決議したと同じことだ。国民投票が必要な条項を入れるなら、改正する際に国民投票が必要であった、と私は思う。また安部自民党敗北で、北方領土問題の解決にも水が入ったねえ。とにかく何につけても、自民党は総懺悔だよな。事はあの傲慢顔の内田元都連幹事長から始まった物語のような気がするねえ。ギャフンといってるかな、内田茂は。
★明けて3日、自民党は役員会を開き、今後の対応などを検討した。その中で、安倍総裁は『選挙結果を真摯に受け止め、反省すべきは反省、これからは丁寧に謙虚に取り組みたい』と発言。言葉尻を捉える訳ではないが『これからは丁寧に謙虚に・・』ということは、『これまでは丁寧で謙虚でなかった』ということを自ら証明したようなものだねえ。常とう文句となった『丁寧』もここまで落ちたかと、あきれ果てる。
永田町では自民惨敗について『THIS IS 敗因』という指摘が大ウケしている。『頭文字をとって、Tは豊田、Hは萩生田、Iは稲田、Sは下村』という解説。秘書に信じられないような罵詈雑言を浴びせ、暴行もしたという『魔の2回生』の豊田真由子衆議院議員、加計問題で『総理の意向』を振りかざして文部科学省を押し切ったと疑惑を招いた萩生田光一官房副長官、『自衛隊としてご支援を』と弁護士出身らしからぬ失言で火だるまになった稲田朋美防衛相、そして選挙戦の最中に加計学園関係者からの『闇献金疑惑』が週刊誌に報道された下村幹事長代理の4人が自民惨敗の『戦犯』という訳だ。
しかし、拙者は『THIS IS A敗因』と思うなあ。Aは当然『安倍』であり、森友学園、加計学園問題の国会答弁などで、疑惑の真相を晴らそうという姿勢が見られず、隠そう、隠そうとした言動が最大の敗因だとみるよなあ。自民党は『敗戦の総括』で、安倍首相を戦犯第一号と特定出来るかな。出来ればまだ、将来があるとみるなあ。出来なければ、右下がりの曲線ありになると見る。