★愛知県美術館に個人から寄贈された、評価額6億円、フランス出身の画家バルデュスの作品『白馬の上の曲馬師』です。愛知県美術館では、評価額17億7千万円のクリムトの『人生は戦いなり』、14億円のピカソ『青い肩かけの女』に次いで3番目の作品となると。すごい、ですねえ、寄贈者の心境や、お見事なり、です。そしてブルーがまぶしいムスカリと、真白な利休梅、一本の木で紅白の花が咲く源平梅、です。私は、このムスカリの群生がとてもさわやかで、好きです。花っていいですねえ。画像の右下をクリックすると、大きい画が見られます。
★★イルクーツクから生還した翌年の昭和48年(1973)、輝子は6月から7月にかけて、グリーンランドなどの北極圏に飛び立った。その年の8月から9月はアマゾン、ガラパゴス諸島に行き、次の年の12月末には医者が止めるのも聞かず、79歳で南極を訪れた。
北極圏から帰ってくるなり、翌日、輝子は松原の家にやってきた。私は小学校5年生で、学校から帰宅すると玄関には見慣れない車が停まっていた。ランドセルを背負ったまま、庭から居間に入ると、着物を着た祖母が座っていた。『おばあちゃま、ごきげんよう』。丁寧な言葉遣いで、きちんと挨拶する。輝子の存在は偉大で、輝子が家に来ると、皇族が来られたかのような緊張感に包まれた。
『おばあちゃま、グリーンランドはどんな所でしたか?』『クルスク島という東部の地に行ったのよ。元アメリカ軍基地のナルサルクアークに着陸したけど、旅行社が現地の情報が何にも分からないと言うものだから、寒いだけだと思ってセーターだけ用意して行ったのよ。ところが、ブーツがなきゃ、氷原は歩けないということがアイスランドで分かったの』『えっ、おばちゃま、氷原を歩かれたんですか?』。父も母も箸を持つ手が止まった。アイスランドでブーツを買いに行ったところ、輝子の足は22cmで、そんな小さなサイズのブーツはなかった。かといって子供用では幅がきつい。『靴だけはピッタリ合わないと、氷上は歩けないからね。どうにでもなれと思って、履いて行った運動靴で行ったの。イヌイットの集落まで行ったけど、往復3時間も歩いたのよ。その間、飛行機は夕方まで待っててくれたの』。唖然と母が言う。『お母様、氷の上を3時間もお歩きになったのですか』『ヤムをえないでしょう。ツルリ、ツルリと滑るのよね。見かねたデンマーク人のガイドがエスコートしてくれましたが』。
父はほっとして言った。『そんな所、もう二度と行きたくないでしょう』『とんでもない!私、グリーンランドは全島を回りたいと思っているの!』『お母様、そのバイタリティーはどこから出るのですかね?』『どこからって、私には分かりませんよ。習慣と、もう一つは惰性でしょうね。習い性になってしまったんでしょう。先がないと思うと忙しいの。これから12月まで毎月のように出なきゃならないの』『えっ、お母様、これから毎月ご旅行されるんですか』『そうよ。いつ死ぬかわからないでしょう。あっ、グリーンランドへはアイスランド航空のフレンドシップで行ったんだけど、元全日空機でした。機内のトイレの案内表示とか、日本語で書いてあるの』。
輝子は北極圏から帰ると、すぐ8月から9月にかけて、南米のアマゾン、ガラパゴス諸島、イースター島を訪ねた。今でこそ、ガラパゴス諸島のイグアナがテレビで見られる時代になったが、南米大陸の西1,000キロの洋上に浮かぶ島々に行くためには、日本から何日もかかる。当時、そんな辺境へ行く人は少なかった。学校から帰ると輝子が来ていて、母が言った。『由香、お帰りなさい。これ、おばあちゃまからガラパゴスのお土産です』。居間へ行くと石の置物や陶器で出来たお面、木製の笛、絵はがきなどがテーブルに並べてあった。
『イースター島では移動するのにトラックの荷台に乗せられて、それは大変だったの』、輝子は嬉しそうに言った。ピラニアやワニもいたらしい。しかも湿度が高くて、ベッドのシーツはベタベタしていた。それらも輝子には何の苦労もないようだった。鬱病の父が夕方まで寝ていて、ようやく起きて来ると、輝子は開口一番言った。『宗吉、あなた、いつかガラパゴスに行っておいた方がいいわよ。あの島は実際に行ってみないとダメ。外界から全く絶縁された地でね、何千年前から動物の進化がストップしたままで、生物の楽園なのよ』。『こちらはいろいろ忙しいんで・・・。お母様は暇がありすぎるんですよ』。父は呆れかえって返す言葉も弱々しかった。
(参考: 斎藤由香著『猛女と呼ばれた淑女』)
★東京港区の『seak』では、農地探しから販路開拓まで、新規就農に係わる一連のサービスを提供する。この春に東京農大を卒業して農業を始めた猿渡遙さん(22)。実家が農業を営んでいた訳ではなかった猿渡さんが就農してトマトを育てられるようになったのは、seakが提供するサービス『leapリープ』のお陰だ。
未経験者が就農する時の最大の課題が農地の確保だ。seakは神奈川県藤沢市から耕作放棄農地を買い取っており、就農希望者に提供している。農地にはトマト栽培を栽培するためのビニールハウスと独自に開発した土壌も用意している。栽培方法もseakの社員が教える。収穫したトマトは同社が集荷して、首都圏のスーパーに販売する。農業就業者は、1990年度の400万人弱から、14年度には200万人割れ寸前までに落ち込んでいる。『在学中から就農したい気持があった』と語る猿渡さんのような人が円滑に就農出来る環境が求められていると言える。
seakの就農支援サービスを利用している人は13人。現時点では全員がseakの社員として農業に携わっているが、いずれは農家として独立する計画だ。その時は、フランチャイズ契約を結び、農地の賃借料と売上の15%をseakに支払う予定になっている。
農業分野で活躍するスタートアップは増えている。和歌山の『NKアグリ』は全国の50農家と連係してITを使ってニンジンの収穫時期を最適化する取り組みを始めた。また、全国の農家から直接食材を買えるスマホアプリを運営するのは、岩手県の『ポケット・マルシェ』。ヤマト運輸と連係、注文が入ると自動的に配送伝票をドライバーが生産者に届ける仕組みを取り入れ、農家の負担を軽減する。
まさに、これからの農業はIT抜きには考えられない状況になっている。ITにより、品質管理から作業管理、またコストセーブと多岐に亘るITの活用は農業に限らず、全産業で必須の要件になっているなあ。すごいことだ。
★自民党・小泉進次郎議員が『こども保険』を突破口に、高齢者優遇の現状を打破する意気込み。曰く、『2015年度補正予算で低所得の年金生活者に1人3万円配った。財源は4千億円。それなのに財務省は子育て支援になるとお金がないと言う。一体なんだと思った。高齢者偏重の社会保障から全世代型の社会保障にしなければいけない。こども向けの社会保険が公的な保険制度のない中で、子育ての負担を軽減し、就学前の常時教育を実無償化して行く。こどもの有無にかかわらず、社会全体で支えて行く国にしなければいけない』。意気軒高だ。『社会保険労が毎月どれだけ天引きされているか。年金、医療、介護、雇用保険の4つで毎月15%。大半は高齢者向けだ。仮に新たに0.1%加わることをなぜ負担と言うのか。発想が全世代型になっていない。日本は何を変えないといけないかが、ここに表れている』とも。その発言やよし、だ。しっかり制度として実現するよう頑張ってほしいねえ。政府、官僚は『子育て』の掛け声だけで、本当の子育ての政策に足を踏み入れていない。このまま日本は野垂れ死にするのか。そうはさせまい、と進次郎君、いいですねえ。新しい自民党の宝であり、尖兵だ。
★その昔、街の酒屋さんが次々姿を消し、さらに日本酒の消費量が低迷。これが『日本のお酒』に特化するチャンスを与えてくれたと、広島市南区の『酒商山田』の社長は語る。現在市内に4つの店舗を持つ。社長の山田淳仁社長は大学を卒業後、大手損保会社に勤めたが、父親の体調不良をきっかけに、1989年に家業を継いだ。酒販の自由化と共に、価格競争が激化し、『目の前に死活問題が横たわった』と語る。これまでと同じことをしていたのでは、消えてしまう。もんもんとするうち、市場が縮小傾向の『日本酒なら』と閃く。市場が拡大する業界は競争が激しく、縮小傾向の市場にこそよりチャンスがあると読んだ。純米酒などの特定銘柄酒に着目し、猛勉強を始めた。
全国の蔵元を巡り、居酒屋などの取引先に教わり、売れ筋情報を集め、本物の品質を備える地方の小さな蔵元、銘柄の発掘などに心血を注いだ。受け継いだ酒屋の売上は、ビール75%、たばこ15%、普通の日本酒4%を合わせて95%。これを捨てるには相当の勇気がいった。しかし『夢を見、夢を追い、夢を叶える』という志、ワクワク感がはるかに上回った。決して順風満帆な船出ではなかったが、日々取り組んだ結果、現在は市内に4店舗を展開し、日本酒4,069アイテム、本格焼酎1,465アイテム、日本ワイン455アイテムを取り扱う。取引先は国内385社にも及ぶ。アイディアと根気、努力が必要で、さらに汗をかいた結晶が現在の『酒商山田』を育てた。お見事、山田淳二社長殿。
★日中関係が改善の兆しを見せる中で、中国へのコメ輸出拡大を目指す交渉が動き始めた。『日本のコメを出来るだけ多く食べた欲しい』。中国を訪問した自民党二階幹事長は、中国政府高官にこう切り出した。高官は『検査官を早期に日本に派遣する。10年間の貿易をレビューし下地を作りたい』と応じた。今年は日本のコメ輸出が一部解禁されてからちょうど10年に当たるものの、実績はかんばしくない。とは言え、中国の富裕層には日本のコメはなお人気がある。上海で売られる日本米は1キロ1,779円と、現地米の3~15倍。日本製の高級炊飯器で日本米を炊くのが上海でのステータスとなっている。このような、量から質への転換の機運が輸出増と相まって、日本米の中国輸出が増大するかも。ちなみに中国のコメの需要は年間1億4,400万トンと、日本のコメの生産量750万トンの20倍。懐は深い。
★6月30日に行われた東京電力福島第1原発事故をめぐる、業務上過失致死死傷罪で強制起訴された、東電元会長らの初公判。『10m超の津波が来襲するという計算結果の重大性は十分認識出来た』。東京地裁104号法廷では、検察官役を務める神山弁護士が、時折語気を強めながら、冒頭陳述を読み当てた。
『被告人らが原発を設置、運転する事業者を統括する者として注意義務を尽くしたか。注意義務を尽くしていれば原発事故は回避できたのではないか。それが、この裁判で問われています』。原発から4.5キロ離れた双葉病院と隣接する老人施設の入院患者など440人が救助される過程で、44人が長時間の搬送や待機を余儀なくされ死亡した。神山弁護士が口調を変えたのは、この44人が死亡する過程を述べた時だった。『患者らを搬送したバスの中は悲惨で、椅子に座ったままの状態で死亡している患者者や補助席を頭に乗せて死亡している者もいた』。一呼吸置いて『本事件がなければ、44人もの尊い命が奪われることはなかったのです』と口調を強めた。
そして、『御前会議』と呼ばれる東電内での対応会議で、東電の子会社『東電設計』が計算した結果、15.7mの津波が襲来する可能性があることを示したことなどが明らかにされた。神山弁護士がポイントを置いたのは、15.7mの計算結果に対して、武藤原子力事業担当前副社長は『長期評価ではなく、従来の評価に基づいてチェックを行うこと』などを部下に指示。神山弁護士はまとめとして、『武藤被告は平成20年6月には東電設計の計算結果(15.7m)を把握していた』と主張。他の2被告についても『継続して原発の安全性に係る会社内外の情報を常に収集することによって、東電設計の計算結果の重大性は十分に認識出来た』と述べた。
この記事を読んで、私はあの『森永ヒ素ミルク事件』での、中坊弁護士(故人)の冒頭陳述を思い出した。森永粉ミルクを飲んだ赤ん坊が、粉ミルクに含まれていたヒ素に侵され、身体の自由が奪われたという事件。中坊弁護士は、『森永はヒ素は材料に入っており、森永の責任ではないと言う。また厚労省の職員は被害者に一時金をもらって決着をつけるよう勧めている。あの食品に関係のない国鉄仙台管区では、この材料を検査し、ヒ素が入っているからと、取引を停止している。いわんや食品を扱う森永がなんの手だてもなく製品に使用した瑕疵は責められるべきだ』、と主張し、森永に確か35億円くらい拠出させて財団をつくって被害者の救護支援の形を作った。この森永と東電の事件はとてもよく似ている。事件が起こることが想定できたのに会社側が手を抜いた、という点で。東電は、末代まで原発事故のつぐないをすべきである。勿論、当時の社長ら3被告は刑罰を受けるのは当然である。東電の元会長以下の被告人は無罪を主張している。あんな被害を出しながら、無罪とは、人道に劣る行為ではある。
社長らは『これほどの津波は予測出来なかった』として無罪を主張。が、まって、平安時代にこれを上回る津波があったと検証されており、さらに『原子力は絶対安全です』と世間に叫び、約束して導入した原子力発電だ。その公約を守り、『安全』について徹底的に検証する必要があったのに、『手を抜いた』こと自体、『過失責任』に当たる、と拙者は思うねえ。
★プロ野球・オールスターが近づいた。楽天・茂木が選出されたが、右肘痛で出場を辞退。梨田監督は、球宴出場規定の不合理に言及。辞退すれば、後半戦10試合の出場登録停止になる、というルール。『使いたくても使えないから抹消している。辞退して、後半戦開幕から10試合を棒に振るというルールは疑問。来年あたりにはルールを改正していかないといけないと思う』と。現行ルールは、後半戦への調整を目的とした辞退を防ぐためのものだが、今回の茂木の場合、事情は違う。非常事態で、試合を回避している状況の選手を、このルールに当てはめるのは不合理、という訳。拙者もそう思いますねえ。そして、WBC出場選手、山田、大谷などがリーグ戦で不振に陥っているのを見て、一体WBCとは何のためにあるのか、と疑問に思いますねえ、拙者は。
★ついにと言うか、やっぱりと言うか、サンフレッチェ『森保一監督』が3日辞任した。監督就任1年目でリーグ優勝を果たすと、その後計3回の優勝を手にした。が、今季選手の入れ替えからチームのコンディションが高まらず、下位に低迷。前節浦和と対戦し、0-2から一時3-2と逆転したものの、ロスタイムに失点、結果3-4で敗退。この時点で監督辞任を決意した模様。
サンフレッチェは、育成型クラブとして多くの現役名選手を輩出。特に浦和には柏木、槙野など元サンフレ選手が5名も移籍して活躍している。その度に補強が必要になり、2年前のドウグラスの補充までは補強=チーム力の向上という順回転をしていたが、毎年活躍選手を抜き取られ、昨年から補強がチーム力の強化につながらなくなった。特に今季は補強者がマイナスプレーになるなど、戦力的に大きな足かせに。拙者が思うに、昨季ブラジルから補強したロペスの技術レベルが低すぎたのが痛い。せめて鹿島にいたカイオ並のプレーを期待したが、程遠く、ストライカーとしての資質を欠いていて、ドウグラスの足元にも及ばないお粗末さ。今般緊急措置として、ガンバの契約が切れるパトリック(29)と、ガンバ現役の丹羽大輝(31)を緊急移籍させ、7月下旬から新しい陣営で戦うことに。17位と低迷するが、きっかけさえあれば中位に浮上する可能性は大で、新しく監督に就任する横内ヘッドコーチを中心として、チームの立て直しに大きく期待を寄せたい。