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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『由香、サントリーに入る―斎藤由香⑩』

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★今日の画像は、先日亡くなったノーベル平和賞受賞者『劉暁波夫妻』と、7年前の夏、広島県北、聖湖そばの高岳1,113mの頂上で会った『アサギマダラ』。ふとネットでアサギマダラを見て思い出しました。ヨツバヒヨドリから蜜を吸うことに熱中し、そばに寄っても逃げませんでした。アサギマダラは台湾、沖縄方面から関東・東北まで季節に乗って往来する『渡り蝶』。なかなかの生命力があって、いったん海に落ちても、波に浮いて、流されて岸辺にたどり着き、再度飛び立つというしたたかな保命術を持つ蝶です。ヨツバヒヨドリやフジバカマが好物で、飛来の途中この花に立ち寄ります。そして、高岳頂上で見つけた花たち、ヨツバヒヨドリ、ホトトギス、虎の尾?、アザミ、です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。中華人民共和国って、本当にひどい国だねえ。共和国と言いながら、共産党独裁。人権無視に、報道管理。本当のことは国民は知らない。第二次世界大戦中の日本とまったく同じだ。真似をしているのかなあ。

★★昭和58年3月、セイシェルから帰国すると、輝子はその年の暮れから翌年1月にかけて、大京町の伯父の家の近くにある林外科病院に入院した。肝機能低下という診断だった。さらに、4月から一ヶ月入院した後、6月には伯父の長女恵子が計画して、輝子と伯父夫婦と恵子の4人で、大分県の湯布院にある『玉ノ湯』に行った。柔らかい豊後牛や、旬の食材を喜んで食べたと言う。

この年の7月、大学4年生の私は『齋藤茂吉』の卒論が書けずに焦っていた。情けないことに、肝心の歌の意味が分からず、茂吉の歌のどこが優れているのか見当もつかないのだ。私には、歌よりも茂吉の日常生活の方が面白かった。父によると、茂吉は鰻が大好物で、しょっちゅう自分だけの鰻の出前を取った。しかも、上中下とあると、中で満足していた。珍しく家族全員の鰻を頼んだ時は、じっと鰻を見つめ、その中で一番厚い鰻を食べたがったと言う。

膨大な茂吉の論文や歌集を読むものの、評論も何十冊も出されていて、どこから手をつけていいのか分からない。おまけに新卒採用の就職試験が始まっていて、連日、会社訪問で外出していた。父の躁鬱病を見ていたので、何が何でも会社に就職して普通の勤め人になりたかった。父に新潮社に入りたい、と言うと、『由香は本も読まないし漢字も知らない。新潮社に迷惑をかけたくないから、絶対ダメ』と、猛反対された。とすると次に知っているのは文藝春秋だ。104で番号を調べ、文藝春秋の人事部に電話した。『私は斎藤由香といいます。来年の春、就職をしたいのですが、どうやったら入れますか?』『どこの大学ですか』『成城大学です』『ちょっとお待ち下さい』。3分ほど電話を待たされた。暫くすると、電話の向こうで男性は言った。『申し訳ありませんが、成城大学は採用していません』。今まで自分の大学のレベルなんて考えたこともなかったが、初めて世の中の常識を知った瞬間だった。中学から成城学園に入学し、何も考えることなくボーとして大学まで来てしまった事を思い知らされた。


文藝春秋の人事部の人の一言により『これは本気にならないと内定を貰うのは大変だ。ウチの大学のレベルだとどこにも入社出来ないかも知れない』と、知っている限りの会社を訪問する日々が続いた。まずは父がいつも飲んでいるコカ・コーラの会社に行ってみると、渋谷にあった会社は英語だらけで、会社案内も英語で表示されていて、私は絶句。私は、ハロー、とサンキューしか話せない。一瞬にして諦める。当時4年制大卒の女子を採る企業は少なく、ノエビア化粧品を初め、何十社も見て回ったが、そのうち漠然と、お客様に喜んでもらえるサービス業が自分には合っている、と思い出し、航空会社や旅行会社、ホテルなどを中心に回ることになった。

就職活動は山場を迎えていた。友人全員が合格したリクルートでは、私だけが一次試験であっさり落とされ、絶望的な気持になっていた。輝子は何事も一流が好きだからと、私は輝子を喜ばせたい一心で、JAL、JTB、ホテルオークラを受験した。ハローとサンキューしか言えないのに、オークラの面接では『将来、フロントか、コンシェルジュになって、海外からのお客様に喜んでいただけるお仕事をしたいです』とヌケヌケと語ったし、JTBでは『添乗員になって世界各国へお客様をご案内したいです』と言った。

丁度その頃、母の知り合いの方が、『サントリーは新しい会社だけど、元気で面白い社風だから、由香ちゃんに向いているんじゃないの?』と声を掛けてくださり、全く考えていない会社だったが、こうなったらどこでも受験しようと思って受けることにした。

最終面接にはJTBとサントリーが残った。JTBは輝子が大顧客だったから残してくれたんだろう。JTBの最終面接に来た人達は大人しく、楚々とした上品なお嬢様タイプばかりで、みんな紺色のスーツにセミロングの髪型だった。一方、サントリーは茶色や赤色のスーツがいたり、意志が強そうな帰国子女やジャズシンガー、NHKで司会のアシスタントをやってる人がいたり、日大芸術学部でコピーライター志望の男の子みないなショートカットの女性がいたり、そのバラバラな雰囲気と個性豊かな受験生に圧倒された。

世間的に有名で一流企業であるJTBには是非入社したかったが、『お嬢様ばかりの会社に入社して、ずっと猫をかぶるのもつらいなあ・・・』と、心中は複雑だった。結局はサントリーを第一志望にし、ようやく内定が出た。早速、輝子に知らせるため、病院に行くと点滴中で皺だらけの青白い顔をして眠っていた。私は小さな声でそっと話しかけた。『おばあちゃま、由香でございます』。すると輝子は目を覚ました。『輝子おばあちゃま、結局、就職する会社はJTBでなくサントリーになりました』と報告すると、キョトンとした顔をした。一流が好きな輝子にとって、サントリーなんて聞いたこともない会社だった。輝子は弱々しい声で私に尋ねた。『・・・何故そんな会社がいいの?』『女性社員が元気で、自由な雰囲気なのでノビノビ出来そうです』『・・・じゃあ、しょうがないわね。由香がいいというなら仕方がないわ・・・』。輝子は弱々しく言うと、また眠りについた。
  (参考: 斎藤由香著『猛女と呼ばれた淑女』)


★広島市の中心部、中区本通りの正面に『日赤献血センター』がある。無駄使いだろうなあ、この建物は、賃料も高かいだろうし、といつも思う。そして、センターの職員が本通りの通行人に『献血をお願いしま~す。治療用血液が不足していま~す』と大声で怒鳴っている。私は時折、いたずら心でそのセンター員の耳元で『有料献血にしたら、すぐ集まるよ』とささやく。とセンター員は無言でにやっと笑う。

無料献血はおおむね1人当たり400ccを献血する。この血液は、照射赤血球濃厚液だと、200ml献血に基づく製剤1パックで『8,618円』。400mlの製剤だと『17,234円』。成分献血の『人血小板濃厚液』20Uだと『153,610円』。もちろん、日赤にこのお金が入る。無料で献血したものが、有料で販売される。その資金の使途は不明だ。この仕組みは国家、厚労省が認めている事業だから犯罪でも詐欺でもない。が、無料献血者に、日赤は献血された血液を有料で販売している、とは説明しない。まったく、闇の中の日赤財政ではある。

と、『有料献血=売血』を禁止した法律があった。『安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律』で、無料献血についての法律で、その中で『第十六条  何人も、有料で、人体から採血し、又は人の血液の提供のあっせんをしてはならない』とある。売血が社会的問題になって、昭和31年に制定されたらしい。国家って強いなあ、国民から本当の意味で生の血を吸っているのだから。


★今注目のジャーナリスト、東京新聞社会部『望月衣塑子さん(42)』。菅官房長官の会見で、日々食い下がり、さすがの官房長官も眉をしかめ、不機嫌な表情をする。『権力の監視役』を自認してきた大手メディアがその役割を見失いつつあるにも見える今、ひときわ望月さんの言動が目につく。

『現在の私の取材テーマは軍学共同と武器輸出で、あとは散発的に、事件などの発生ものをヘルプしている。2人目の子供を産んで、復職したあとに武器輸出を解禁する「防衛装備移転三原則」が決まり、その時に、子供がいると取材先への朝回りと夜回りが出来ないので、上司から何かテーマを持って取材をしたほうが』いい、とアドバイスされ、比較的自由に取材をさせてもらっている。事件取材が長いので疑惑系のニュースには関心があって、森友学園問題や加計学園問題についても、自分から手を挙げて入っていった。その流れで、官房長官会見にも出席するようになった』。

『社会部記者の感覚からすると、畳み掛ける質問は割と当たり前だが、政治部は一言聴くだけ。一方で稲田防衛相の失言問題などは、様々な角度から質問が出るから、政治部の記者と比べてアンテナの立て方が違うなとも思う。古い政治部記者に聞くと、昔はもうちょっと緊張感があったとも聞くが、今はそれとは異質なものになっている』。

『(6月8日に20分以上質問をしたが)それ以降、会見の司会役からは、質問は手短にお願いします、と連発されるようになった。それでも官房長官は私が手を挙げていて、無視することは絶対にない。その点はさすがだな、と思う。2人の子供がいて、同業者の夫も単身赴任中だから、時間に制約がある中では、時間をかけて裏に回ってという手法が取れない。(読売新聞の)渡辺恒雄さんの本を読んでいても、かつての政治記者はもっと政治家に厳しかったのに、今の政治記者にはそれを感じない。アメリカのホワイトハウスみたいに、もっと丁々発止でやればいい。少しでも、そして日本がいい方向に向かうといいと思っている』。望月さんの談話を読みながら、ふと、かつて出合ったM新聞のI女性記者を思い浮かべた。現在は東京の司法クラブに属していると思うが、ぶっきらぼうでも、質問の核心がストレートに出てくるというタイプの記者だった。それだけに受ける側としては慎重になるが、反対に本音で話しが出来るというメリットもあった。うわべのやり取りでなく、核心をついた議論になると、企業の立場を超え、日本やアメリカの産業論を交わしたのがなつかしい。(参考:ビジネス・インサイダー)


★今日、北アルプス・唐松岳登山道で、42歳の女性が滑落し、死亡した。アルプスは一歩間違えば、命がなくなる登山。普通に注意し、天候を選べば問題ないのだが、それでもアルプスの岩場は事故を起こしやすい。拙者も今月末から、燕岳・常念岳・蝶が岳を縦走する予定だが、天候が悪ければ即撤退をと決意している。だが、表銀座、常念山脈の縦走路を、右手に穂高連峰の山並みを見ながら歩くのには、とても魅力を感じる。きつい場面も想定sれれるが、まあ時間をかけてのんびりと歩こう、と思っている。この夏最大のチャレンジだ。

★本当に中国という国はどうしようもない国だねえ。人の国の政治や軍事には嘴を入れるくせ、自分達がやる了解新入には口をぬぐって。一昨日日本海の日本領土に中国の艦船が侵入したという報道があったが、今日は津軽海峡で了解侵入した。津軽海峡や対馬海峡は通常の領海計算だとすべて日本領になるが、そうるすと艦船の航行がとても不便になるところから、国際条約で一部水路を公海としている。それに乗じてか、中国艦船のやること、なすことデタナメだらけ。中国が領海権を主張する公海をアメリカ艦船が通過しだたけで、それこそ天地がひっくりかえったように騒ぐ中国。対馬海峡の日本領侵入には大人しく、無言の構えか。自国にとって都合のいいこことしか言わない、中国の破落戸国家など世界から消してしまえばいい。今でも思うが、なぜアメリカは中国本土で国民政府軍が中共軍に押され、台湾に逃げるしかない状況にまでなった時、なぜ手をさしのべ助けなかったのか、不思議だ。まあ、トランプを見れば、ご都合主義、自分勝手な国アメリカだから、今更何を言っても無駄なんだろうがねえ。

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