★今日の画像は、自主トレ開始したカープ鈴木誠也と、東京大学三四郎池と安田講堂です。赤門から東大キャンパスに足を入れ、安田講堂を。1969年ここに学生達が立てこもり、東大は4年生の卒業を3カ月遅らせた。この講堂は安田財閥を一代で築き上げた安田銀次郎の匿名寄贈によるもの。風格がある。ふとみると、その横の低地に池が。秋も深まり、木々は紅葉を。なんとも風情のある池で、後でこれが夏目漱石が書いた小説『三四郎』に出て来る池で、『三四郎池』と呼ばれていると。本当に東大は雄大で優雅であった。
昨季、足を骨折し、途中休業したカープの鈴木。自主トレを始めたが、まだ足は不完全で、本人も足の回復がこれほどの時間かかるとは思わなかったと。打撃面は問題ないが、走塁、守備面でまだ万全には遠い状況だ。トリプル3を狙える有望打者故、完全な回復でシーズンに臨んでほしいなあ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★家庭の経済状態によって進学機会が左右されることが大きな問題になっている。大学・短大進学率は6割に迫るが、生活保護所帯に限ればわずか2割。しかし高等教育無償化論には混迷の道が横たわる。
政府の『人生100年時代構想会議』の報告には、大学教育無償化の条件に高校の成績は問わないという意見が出ている。高校で勉強を頑張らなくてもいいというメッセージになりかねず、大学の質低下に拍車がかかる。スピード重視で金目の話ばかり。これは教育政策ではなく福祉政策になってしまう。しかしこうした意見は『無償化ありき』の議論の中でかき消されがち。
自民党の人生100年時代戦略本部が示した提言には、無償化の条件は『入学後勉学に励むこと』だけ。これでは、成績評価が甘い日本の大学で怠勉の抑止効果はほとんど期待出来ない。学ぶ意欲に乏しい学生が今以上にキャンパスに増え、定員割れ大学の救済につながる。二重のモラルハザードを招く可能性さえある。
大学側にも懐疑的な声が多い。『私大が求めてきたのは国私立の格差是正。そこに突然、中身が曖昧な無償化論が出て来た』と。全くの生煮えの論議なのである。
大学には進学機会の確保と並ぶ深刻な課題がある。21世紀の知識基盤社会は大学の競争力が国力を左右するとさえ言われているのに、日本は世界の先頭集団から脱落しつつあることだ。『大学の研究力を高めないと大変なことになる』という声に対し、政治の反応は今ひとつだ。
もちろん、競争力の低下の一因は大学の自己改革の遅れにあるが、厳しい国家財政下での予算削減の影響も大きい。そこに降って湧いたように現れた8千億円規模の経済支援。東京工業大学の岡田理学部長は『それだけの金額を使うほど無償化の優先度が高いとは思えない。もっと大学に投資すべきだ』と指摘する。
虎の子の消費税増税分を大学に使うなら、無償化だけでなく、もっと有効な使い道はないのか。拙速な議論を避け、幅広い視野で検討することが必要だ。
もっと議論を広げると、進学年齢の子供を抱えた家庭の貧困は、おおむね『離婚』に起因している。この根を絶たない限り、まるで個人の結婚、離婚が社会制度の救済を待つ手段にも成りうる。まさに主客転倒である。夫婦が離婚し、親権を持った親に対する生活支援金、教育費の支払は『絶対的社会制度』として構築する必要がある。おおむね別れた夫側が、支援の義務を途中放棄するケースが多いと。なら、離婚したら、その子供が成人になるまでの支援は離婚の義務として責任を持たすべきである。結婚も離婚もこの世の流れとばかり、まるで流行歌のような節度のなさに、神の世界からは嘆き節が聞こえてくる。教育無償化論には、一方で人間としての『モラル』の復活が必要不可欠である。
★<箱根駅伝余談>中国メディアが『箱根駅伝』に注目し、中国陸上界に檄を飛ばしている。『今日頭条』は、日本の長距離走文化の重厚さは『箱根駅伝』と大きな関係があるとする記事を掲載した。箱根駅伝の来歴を紹介した上で、今年4連覇を達成した青山学院が昨年優勝した際のメンバーの1万mのベストタイムと中国で行われた全国的な陸上大会の1万m決勝の成績を比較した。
青山学院のメンバーは補欠の6人を含めた16人全てが30分以内のタイムで、中でもエース格だった一色は28分23秒、田村は28分18秒というベストタイムとなっている。片や、昨年5月に中国で行われた『全国陸上グランプリシリーズ・太原ラウンド』の男子1万m決勝で優勝した選手のタイムは30分13秒で、30分を切る選手は1人もいなかった。記事は、『現在中国では、大学100マイルリレー大会が社会や各界から重視され始めているが、100年近い歴史を持つ箱根駅伝と比べればとても長い道のりである。長距離文化、大会の制度、選手の育成といった点で、努力して追いつかなければならない』としている。けだし当たり前のことであるが、中国メディアが当たり前のことを報道したことがまた珍しい。
★<江夏の21球 箴赦54年1979、近鉄との日本シリーズに臨んだカープだが、3勝2敗で大手をかけて、舞台は大阪へ。が、第6戦で敗れて3勝3敗となり、第7戦の9回、『江夏の21級』へと繋がって行く。死んだと聞かされていた親父と会ったのはこの時。心中穏やかでない部分があったのは確かだ。しかし、自分は人より鈍いのか、ずぶといのか、一旦ユニホームを着てグラウンドに出れば、他の事をきれいさっぱり忘れられた。
迎えた第7戦。4-3とリードした7回途中から登板した。7回、8回と抑え、迎えた9回。先頭の羽田に初球を中前に運ばれた。代走が出て二盗された時に悪送球、走者は三塁へ。得点を与えないため、四球と敬遠で無視満塁となった。あと三つアウトを取れば日本一という状況が一転、逆転サヨナラ負けのピンチだ。
絶対絶命の中、怒りで我を失うようなことが起きた。カープのベンチが、ブルペンに池谷と北別府を走らせたのだ。この期に及んで、俺以外に誰が投げると言うのか。ぶち切れそうになった。その心をつなぎ止めてくれたのは、マウンドに寄ってきた衣笠祥雄の一言だった。『お前が辞めるんなら、おれも一緒に辞めるから』。ここで誰かにマウンドを譲る以上の屈辱はない。なんなら、今ここでユニホームを脱いでやる、という気持を衣笠は分かってくれていた。それに自分は救われた。
近鉄は佐々木を代打に送って来た。2ストライク1ボールと追い込んでからの4球目はファウル。この後の2球の配球は自分の投球術の集大成となる『最高傑作』だった。5球目は膝元へのボールになる直球。決め球への布石だった。見逃し方を見て、同じコースから曲がってボールになるカーブを放れば、絶対振ると確信した。空振り三振で、まず1死。問題は次の石渡だ。小細工が出来、スクイズが考えられた。ふと、近鉄の三塁コーチャーの仰木さんを見た。マウンドから睨むと、いつもにやっと笑っていた仰木さんが、目をそらした。間違いなく、スクイズだ。しかし、どのカウントか・・。駆け引きが始まった。(参考:日経新聞『私の履歴書』)
★<村田修一>巨人を自由契約になった『村田修一(37)』が、神奈川県厚木市内のグラウンドで始動した。いまだ今季の所属が決まらない状況だが、『声がかかったらいつでも行けるように』と例年通りに自主トレを開始した。今オフ中の現役引退は完全否定。プレーする場所はNPB球団を最優先した上で、独立リーグを含めオファーを待つ姿勢を示している。
村田は球界トップ打者として歩んできた自負はある。だから己の力量も十分分かっている。年末年始は息子の軟式野球の練習で臨時コーチも努め、『小学生が楽しそうに野球をしていた。自分もそういう時期があった。見ていると嬉しくなる』と、野球愛を再認識させられた。今後も継続して自主トレを続け、徐々に強度も上げていく。野球をしたい。村田の『希望条件』はそれだけだ。
★<消える龍馬、松陰>教科書から『坂本龍馬』『吉田松陰』が消えそうである。実像とフィクションが入り乱れ、歴史的価値を見直す、というのが趣旨。一坂萩博物館特別学芸員の意見、以下。
今の教科書で龍馬が書かれているのは、徳川慶喜が朝廷に政権を返還する『大政奉還』のところ。龍馬と後藤象二郎が藩主を通して将軍慶喜に大政奉還を勧めたと。これは正しくない。龍馬が大政奉還を唱えたという根拠になっていた『船中八策』は、後世に創作されたという説が有力だ。龍馬は大政奉還が実現した後、新政府綱領八策という文書を書いているが、当時の知識人達が他に何人も言っている内容で、新政府に影響を及ぼしたという根拠はない。
『薩長同盟』では、龍馬が薩長の間で何らかの周旋をしたという史実はある。しかし、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に出てくる、彼の一喝で両者がいきなり手を結んだとか、そういう分かりやすいものではない。この話は『維新土佐勤王史』という大正元年に出た本に出てくる。明治政府で窓際に置かれていた土佐閥が、維新の時に俺達はこれほど頑張ったというアピール本だ。維新直後に出された『志士100人伝』のような本にも龍馬は出てこない。
また、『吉田松陰像』がどうやってねじ曲げられたか。松陰は戦前の修身の教科書の中で、国家のために命を捧げた人ということでブランド化していった。そうやって政治の力で故意に書かれるようになったとか、外されたとか、が歴史人物にはある。冷静に受け止めなければならない。今回は良い機会だ。龍馬や松陰が、なぜ教科書から外されるのか、など生徒と一緒に考えるくらいの歴史教育があっていい。
今回の件は、今の歴史学会と社会が断絶しているという実態が原因ではないか。学会では船中八策は否定されているし、薩長同盟も小説とは違うと言うことが一般社会に伝わっていなかった。だから、寝耳に水で、いきなり爆弾が落ちたような騒ぎになった。橋渡しをだいぶ怠ってきたツケ、とも言えなくはない。
まあ、学者の言うことだから一筋あるのだろうなあ。司馬遼太郎著、『竜馬がゆく』『飛ぶが如く』『坂の上の雲』、いわゆる維新3部作による歴史上の英雄達の実像は否定されるのであろうかなあ。遼太郎はよく調べていると思うが、それでも齟齬があったと言うべきか。たかが小説、されど小説か。
★<MRJの危機>三菱重工の子会社三菱航空機で開発する短距離旅客気『MRJ三菱リージョナルジェット』が危機的な状況に置かれている。三菱重工は、すでに豪華旅客船の建造遅れで2千億円超の大赤字を出し、南アの火力発電所では日立と6千億円の赤字負担を係争中。その中で、MRJは当初予定より初号機納入を5度も延期した。
当初MRJは、既存の同型旅客機より燃費が20%良いことを売りに開発された。ところが納入を5度もの延長するうち、ボーイングがブラジルのエンブラエルの買収に走ったのだ。理由は、欧州のエアバスがカナダのボンバルディアの製造会社に50%出資し、傘下に収めたことによる。ボーイングも負けじとエンブラエルに手を伸ばしたという次第。そしてその間、この買収先2社は、MRJに匹敵する燃費の旅客機を開発してしまったのだ。MRJの売りが消えてしまった。
一番の懸念は、ボンバルディア、エンブラエルが各々の傘下に入ると、エアバス、ボーイングの販売ネットに乗って、世界の航空会社との商談が太くなるということ。MRJはまったく実績がないところに、アフターサービスネットでも相当なビハインドを受ける。どうやら、三菱重工は昨年来の東芝の二の舞になるのではないだろうか。含み資産は潤沢にしても、キャッシュフォローがついてこなければ、企業は頓挫する。岩崎弥太郎も草場の陰で涙、だろうなあ。
★<安倍首相欠席>安倍首相は2月9日に行われる平昌五輪の開会式への出席を見送る方針を固めた。表向きは1月22日に招集予定の通常国会の日程があるため、とするが、慰安婦問題の解決を約した日韓合意を巡り、文政権が日本政府に新たな措置を求める姿勢を示したことを受けて判断した。
韓国政府はこれまで、平昌五輪に合わせた阿倍首相の訪韓を繰り返し要請してきた。そうした中で、康外相が9日に『被害者らの名誉・尊厳回復と心の傷を癒すための努力継続を期待する』と発言。10日には文大統領も記者会見で、日本の誠意ある謝罪が必要だとの認識を示した。
日本政府は『最終的かつ不可逆的な解決』を盛り込んだ日韓合意を見直す動きだと判断。昨年1月に釜山の日本総領事館前の慰安婦像設置への対抗措置として中断している日韓スワップ協定再開の協議に引き続き応じない方針と共に、阿倍首相の平昌五輪の開会式出席を見送る方針を固めた。至極当然なことではある。
<収賄汚職>淡路島の水道事業にからみ、南あわじ市の水道課長(58)が収賄汚職で逮捕された。工事で便宜を図った謝礼として50万円受け取ったと言うもの。58歳。定年まじか。退職金もまじか。なのに、たった50万円で退職金も人生も台無しにしてしまった。家族はどんな思いだろうか。特に子供達へのいわれのない非難が想定される。魔がさした、ではすまない。
先日の前橋市の85歳の老人が起こした自動車事故も同類である。家族からやめろと厳しく言われているのに運転をした。しかも家族に知れないように2時間家を早く出たと。そして女子高生2人を意識不明の重症事故に。そこに行くまでに何カ所か、車で衝突している。これはまさに刑法で言う『未必の故意』である。厳罰が必要だ。余生を刑務所の中で過ごすとよい。