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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》
★今日の画像は、内村航平11連覇を阻止した19歳『谷川翔』と、喫茶店『銀座ウエスト』の店内、そして春の花たちです。『ウンナンオウバイ』『ハナモモ、白とピンク』『満開のソメイヨシノ』、見事な花たちです。白のハナモモ、本当にピュアな白で、清楚です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
体操の全日本個人総合選手権の最終日、29日、男子で29歳の内村航平は3位。2008年から続けてきた連覇が10で途切れた。順天堂大2年で19歳の谷川翔が初優勝した。日体大の白井健三は2位だった。素晴らしき谷村翔、です。まさに、今時の若者は素晴らしい。
★★★昭和39年の春。次のミュージカルの題材を考えていて、やはり『夜明けのうた』しかないという結論に到達した。『夜明けのうた』は、坂本九のために作られた歌であった。それをその年の夏頃、ある労音のリサイタルで岸洋子が初めて歌って、急にレコーディングすることになった。その時、ディレクターの牧野サンが、『いずみサン、ひょとすると、この曲はレコード大賞を受賞しますよ』。スタジオの隅で突然言われて、まったく本気にしなかったが、その年の暮れ、牧野ディレクターの予言通り、岸洋子は歌唱賞を受賞して、急にスターとして有名になった。実は数年前から、岸洋子の実力を知り、ボクは彼女の大ファンであった。長身に長い髪、スマートな大柄な体を黒のドレスに包んで歌う彼女は、とても神秘的であった。クラシックで勉強したその実力は、その頃のどんな流行歌手もかなわない貫禄を持っていた。
ボクの頭の中は次のミュージカルへの構想に満たされて、毎日毎日の仕事にも、一層の張り合いが生まれていた。しかし仕事に張り切っていたボクは、会社経営の中に大きな落とし穴があるのに気づかなかった。それは『不渡手形』、倒産の危機という、ボクの今まで経験したことのない大きな事件だった。
ミュージカル『夜明けのうた』は、新宿のある映画館で上演された。映画の終了後、夜の10時にミュージカルは開演された。10日間の公演は、一応実験的に成功したかのように思えたが、覚悟していたように、大きな赤字が後に残された。いつものように、自分のギャランティでその赤字を決済してホッと一息ついた時、暗い顔をして、専務の浮田が、ボクの部屋の扉を叩いた。
『社長、実は相談が・・』『ああ、ミュージカルの赤字ならボクが責任を持って完済しておいたよ』『いえ、実は明日までに1千万円のカネを都合しないと、不渡り手形と未払いで会社は倒産します』『えっ、どうして?』。ボクは瞬間どのような言葉も口に出せなかった。やがて、気を取り直したボクは、浮田に理由を問いただした。『実は、・・申し訳ないのですが、社長に無断であるボーカルグループにカネを貸したのが、こげついてしまって・・』。落ち着いて話しを聞いてみると、400万円のカネをあるボーカルグループに貸して、それが動かなくなってしまったと言うのだ。その他に多くの未払いがあって、明日中に1千万円のカネがないと、にっちもさっちもいかないと言う。
経理を調べてみて驚いた。非常にズサンな経理で、調べれば調べるほど、いろいろなボロが出てくるのだ。専務が私用で使っていたものもある。実は、ボクは人間を信用しやすい『甘ちゃん』である。今までも何度も裏切られ、信用し、と言った失敗を繰り返している。浮田を信用していただけに、ショックは大きかったが、彼には多額の退職金を払って会社から去ってもらった。
そして次の日から本格的に、芸術家と社長業の二本立ての毎日が始まった。何か月かの間、会社の再建と負債返済のために、ガムシャラに働いた。会社の経営陣も一新して、一生鶏鳴、全員で頑張った。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)
★<書道家武田双雲>僕は書道家として活動している。熊本で生まれ、大学卒業後はNTTに就職し、一生この会社で働くと思っていた。人生とは不思議なもので、まさか会社を辞めて書道家になるなんて、僕も、師匠である母も考えたこともなかった。
母が書道の先生をしていたこともあり、僕は3歳から筆を持っていた。褒めることはあまりないけど、いつも肯定して見守ってくれていたので、反抗期もないまま42歳になってしまった。しかし、書道だけは違った。1mm単位で直される。冗談まじりに明るく言うので、直されて落ち込んだとしても、根っこから腐ることはなかった。小学1年生になる頃には、僕はすでに大人のような整った字を書いていたので、担任の先生が感動を伝えてくれたのを今でも覚えている。
そして東京理科大に合格し、初めて熊本を出て一人暮らしをした。あまりに家事や料理が出来なくて、母のありがたさに気づいた。就職し、会社員としてうだつが上がらない中、メモ書きの字がうまいということが周りに評判となり、社内やプライベートで筆文字を頼まれるようになった。
ある同僚の女性の名前を筆文字で書いたら、涙を流して喜んでくれた。それがきっかけで、僕は興奮し、その勢いで独立。母は、僕が会社を辞めることは心配したはずだが、一切否定せず、強力なバックアップをしてくれた。今の『武田双雲』があるのは母のお陰だ。母とは書道を通じて、日々交流が出来ている。書道が親子の絆を強くしてくれた。感謝の気持ちでいっぱいだ。(参考:武田双雲筆『おふくろ』)
★<アルゼンチン金利30.25%>アルゼンチン中央銀行は、予定外に金融政策決定を行い、政策金利を30.25%に引き上げた。通貨ペソの下落に歯止めをかけるのが狙い。金融当局者らの間では、ペソの下落が急速に進み制御不能になるとの懸念が強まっており、下落に歯止めをかけるため大規模な介入を実施した。
破綻国家アルゼンチンのなれの果て、だな。第一次世界大戦では、欧州の穀物が軒並み生産が破壊され、その合間を縫って、アルゼンチンは小麦の輸出で大儲けをした。そのお金で、首都ブエノスアイレスはパリと同じ仕立ての都市に模様替えした。が、第二次世界大戦後はアメリカ小麦が台頭し、アルゼンチンは競争激化で低落し、代替えの産業も育っておらず、メキシコの破綻に続いてアルゼンチンも破綻した。メキシコ経済はその後再興されたが、アルゼンチンは相変わらず低空飛行。金利30%もかかるような弱い通貨は国民も見放して、ドルが国内でも主要通貨になっているのではないだろうか。日本にとっては、あの麻生財務省にとっては、まさに対岸の火事である。
★<拉致問題>朝鮮南北首脳会談で、『日本人拉致問題』について文大統領から金委員長に提起されたと、阿倍首相が電話会談で連絡を受けたことが明らかになった。また問題解決については日朝首脳会談も必要と話した。拉致問題、一歩前進ととらえていいのかな。実現まではまだ北朝鮮は信じてはいけないような気がする。なにか特別なおねだりでもあるのではないかとも。破綻で撤収された朝鮮総連のビルを元にもどせ、とか。
★<出雲ナポリタン、誕生>島根県出雲市で新たな当地グルメ『出雲ナポリタン』が誕生する。農産物加工の『ひかわ食品加工』など食品関連の3社が得意分野を生かし、地元食材を使って共同開発した。全国的に有名な『出雲そば』に続く名物料理として育て、出雲への観光集客や産業振興に一役買う。
開発したのは、ひかわ食品加工のほか、『玉木製麺』『新日本食品』。玉川製麺のうどんに、ひかわ食品加工のトマトケチャップを加えてナポリタン風にし、新日本食品の厚切りベーコンを載せた。うどんは『文吉うどん』と呼ばれる地元のオリジナル製品。江戸時代末期に地元の製麺業者に酔って作り出された手延べ製法を、玉木製麺が復刻した。油を一切使わず、卵黄と小麦粉と塩のみで練って製造するため、つるつるとした食感が特徴だ。
出雲市は若い女性の間での『縁結びブーム』により、出雲大社を中心に多くの観光客が訪れる。ただ、そば以外の名物料理は、甘味である『出雲ぜんざい』などに限られる。開発に携わった人々は、『なぜ出雲でナポリタン?』と興味を持ってもらい、地元のオンリーワン商品、リピート食品に育てたいと意気込んでいる。面白いね、出雲とナポリ、どうして結びついたのか、と。
★<エリトリア国民に課すナショナルサービス>アフリカの小国、エリトリアの国民には『ナショナルサービス』と呼ばれる義務が課せられている。事実上無期限で公務員や兵士として低賃金で働く。『自立した国家のため』とされるが、国民は隷属を強いられているとの批判がつきまとう。これを嫌い国外に出る人も絶えない。
エリトリアはエチオピアと30年に及ぶ闘争を経て、1993年に独立を果たした国。その間、ソ連などが肩入れしたエチオピアとは対照的に、外国の支援は限られた。ほぼ自力で独立を勝ち取ったことは人々の誇りだ。『自立』は建国後も国是となり、95年にそれを支える政策としてナショナルサービスが導入された。
高校3年生の1年間、寄宿舎に入り軍事訓練を受け、『自立した国家の防衛は一人ひとりに課せられた義務』とたたき込まれる。共通テストの成績上位者は大学を経て官庁などに配属。そうでない者は高校卒業後、兵士や公務員に。職種や任地の希望がかなうことはほとんどない。
賃金は低い。大卒で官庁勤務の40代男性は、月額1万9千円と打ち明け、『賃金じゃない。ポケットマネーだ』とぼやいた。1人当たりのGDPが680ドルという世界最貧国の一つ。医療費や教育費は原則無料、食料の多くも配給されるとはいえ、結婚して家族を養うには到底足りないと言う。
何かのドキュメントで読んだが、エジプトのカイロに、シリアなどから脱出してきた難民の中に『エリトリア』からの逃れてきた若いカップルが登場した。とにかく若い人が住むには希望がない国と書かれていた。独立はしたけれど、独自に国を富ますにはまだまだ力が必要なんだねえ。
記録を探すとあった。『リチャード・エンゲル著・中東の絶望、そのリアル』だ。スタンフォード大を出て、カイロに渡り、独学でアラビア語を学び、イラク侵攻後も現地に止まり、シリア内戦をつぶさに追った。凄まじき物語だ。私の読書録には以下を期している。少し長いが、ご参考に。
『ブッシュ大統領のイラク侵攻という誤った軍事行動と、オバマ大統領の一貫性のない中東への混乱した対応は、わずか15年の短い期間でこの地域の旧体制を破壊してしまった。そして、地域を混沌状態に陥れ、長い間自分達の中に抱え込んできた腐敗を明るみに出してしまったのである。ブッシュ政権とオバマ政権は、相互に矛盾した行動の結果、相乗効果を生み出した。その結果、中東の腐った家々は倒され、内部の腐敗が噴出する中で、それぞれの国家の再建は難しくなって行った。私は1990年代の末、アラブの独裁者達が権力のピークにある時に、ジャーナリストとしての活動を始めた。そして、イスラエルとパレスチナの和平交渉の破綻によって地域が一変するのを見た。イラクが安定から混沌へと変わるのを見た。そしてシリアの止めどもないシリアの内戦が続いた。『アラブの春』の希望と怒り、そしてオバマ政権の場当たり的政策と、その後にやってきた狂気を目にすることになった。中東において次は何が起きるだろうか。(参考:リチャード・エンゲル著『中東の絶望、そのリアル』)』
★<注目の先発松坂>今日のプロ野球で、中日が松坂の先発を決めた。今季3度目の先発となる。前回の登板は自分のエラーから自滅したが、自責点は2と健闘した。カープの先発は、これも注目かな、藪田だ。先日リリーフでは3者連続四球であえなく交代されられた。9連戦故、カープも無理に投げさす感じでもある。
★<元Jリーガー俳優の伯母はあの俳優>元U20日本代表で、J2徳島などで活躍し、俳優に転身した『青山隼(30)』が、29日『明石家さんまの転職DE天職』に出演した。徳島の熱烈なサポーターだった故大杉漣さんにあこがれ、俳優の道に進んだ青山。青山は『大杉漣さんみたいに脇役で活躍する役者に』と夢を語った。
また、『うちの伯母がさんまさんに・・』と切り出し、作家・伊集院静と結婚し、芸能界を引退した『女優・篠ひろ子』が伯母であることを告白。今回の番組出演を伝えたところ、篠は、明石家さんまとドラマで共演した際の思い出を回顧。『さんまさんが絡んでくれなかった。すごい寂しい思いをした。シャイボーイなのかな』と話していたことを伝え、さんまを赤面させていた。
青山の同世代は、香川真司、内田篤人、槙野智章ら。現在はサッカーのコーチのアルバイトをして生活費を稼ぎながら俳優業をしている。とても面白い転身だなあ、成功しろよ、青山。応援しているよ!
★<お子様にご注意>洋菓子でもおなじみの銀座『ウエスト』は、1947年(昭22)に創業。喫茶室のコーヒーが一杯972円という高給な店だ、味といい落ち着いた雰囲気といい、そこで過ごす時間の贅沢さを考えるとむしろ安いと言える。その『ウエスト』の銀座本店の公式アカウントが、先頃こんな『お願い』とツイートした。
『小さなお子様をお連れの喫茶室ご利用のお客様にお願い:炎上覚悟で申し上げます。大きな声を出したり、走り回るなどお子様の行為が周囲のお客様へ多大な迷惑となっている場合がございますので、くれぐれもご注意の程お願い申し上げます』。
このツイートは29日現在で2万を超える『いいね』を集め、1万4千のリツイートがあり、255のコメントが寄せられている。幸いにして、ツイートは炎上していない。『決して間違っていない』『よくぞ言った!!!』という賛同の声が大量に寄せられている。また年齢制限を設けてもいい、などなど。
年齢制限については、『就学前とおぼしきお子様がアイスクリームの器を前にきちんと足を揃え、少し緊張してお座りになっているのは微笑ましいものです。こんな素敵なお客様を締め出すことは出来ません』と、お客を大切に思っている姿勢を伝えた。また服装についても『銀座に相応しくない服装のお客様は来店して欲しくない、という意味にとられることは本意ではありません。先代より、服装や身なりでお客様を判断してはいけない、ときつく言われておりました。他のお客様のご迷惑にならない限りどんなカジュアルな服装でご来店いただいても構いません』と語っている。まさに銀座物語だねえ。
先般、NHK・BSで裕次郎と浅丘ルリ子の『銀座の恋の物語』を見たが、銀座も表通りだけではないからなあ。でも『銀恋』が今だ、カラオケベスト10に入るくらいだから、『銀座』のプライオリティーは健在と言うところだろうな。拙者は未だ、銀座ウエストなる喫茶店に入った事がない。今度銀座に行ったら覗いてみよう、話のタネに。
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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》
★今日の画像は、内村航平11連覇を阻止した19歳『谷川翔』と、喫茶店『銀座ウエスト』の店内、そして春の花たちです。『ウンナンオウバイ』『ハナモモ、白とピンク』『満開のソメイヨシノ』、見事な花たちです。白のハナモモ、本当にピュアな白で、清楚です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
体操の全日本個人総合選手権の最終日、29日、男子で29歳の内村航平は3位。2008年から続けてきた連覇が10で途切れた。順天堂大2年で19歳の谷川翔が初優勝した。日体大の白井健三は2位だった。素晴らしき谷村翔、です。まさに、今時の若者は素晴らしい。
★★★昭和39年の春。次のミュージカルの題材を考えていて、やはり『夜明けのうた』しかないという結論に到達した。『夜明けのうた』は、坂本九のために作られた歌であった。それをその年の夏頃、ある労音のリサイタルで岸洋子が初めて歌って、急にレコーディングすることになった。その時、ディレクターの牧野サンが、『いずみサン、ひょとすると、この曲はレコード大賞を受賞しますよ』。スタジオの隅で突然言われて、まったく本気にしなかったが、その年の暮れ、牧野ディレクターの予言通り、岸洋子は歌唱賞を受賞して、急にスターとして有名になった。実は数年前から、岸洋子の実力を知り、ボクは彼女の大ファンであった。長身に長い髪、スマートな大柄な体を黒のドレスに包んで歌う彼女は、とても神秘的であった。クラシックで勉強したその実力は、その頃のどんな流行歌手もかなわない貫禄を持っていた。
ボクの頭の中は次のミュージカルへの構想に満たされて、毎日毎日の仕事にも、一層の張り合いが生まれていた。しかし仕事に張り切っていたボクは、会社経営の中に大きな落とし穴があるのに気づかなかった。それは『不渡手形』、倒産の危機という、ボクの今まで経験したことのない大きな事件だった。
ミュージカル『夜明けのうた』は、新宿のある映画館で上演された。映画の終了後、夜の10時にミュージカルは開演された。10日間の公演は、一応実験的に成功したかのように思えたが、覚悟していたように、大きな赤字が後に残された。いつものように、自分のギャランティでその赤字を決済してホッと一息ついた時、暗い顔をして、専務の浮田が、ボクの部屋の扉を叩いた。
『社長、実は相談が・・』『ああ、ミュージカルの赤字ならボクが責任を持って完済しておいたよ』『いえ、実は明日までに1千万円のカネを都合しないと、不渡り手形と未払いで会社は倒産します』『えっ、どうして?』。ボクは瞬間どのような言葉も口に出せなかった。やがて、気を取り直したボクは、浮田に理由を問いただした。『実は、・・申し訳ないのですが、社長に無断であるボーカルグループにカネを貸したのが、こげついてしまって・・』。落ち着いて話しを聞いてみると、400万円のカネをあるボーカルグループに貸して、それが動かなくなってしまったと言うのだ。その他に多くの未払いがあって、明日中に1千万円のカネがないと、にっちもさっちもいかないと言う。
経理を調べてみて驚いた。非常にズサンな経理で、調べれば調べるほど、いろいろなボロが出てくるのだ。専務が私用で使っていたものもある。実は、ボクは人間を信用しやすい『甘ちゃん』である。今までも何度も裏切られ、信用し、と言った失敗を繰り返している。浮田を信用していただけに、ショックは大きかったが、彼には多額の退職金を払って会社から去ってもらった。
そして次の日から本格的に、芸術家と社長業の二本立ての毎日が始まった。何か月かの間、会社の再建と負債返済のために、ガムシャラに働いた。会社の経営陣も一新して、一生鶏鳴、全員で頑張った。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)
★<書道家武田双雲>僕は書道家として活動している。熊本で生まれ、大学卒業後はNTTに就職し、一生この会社で働くと思っていた。人生とは不思議なもので、まさか会社を辞めて書道家になるなんて、僕も、師匠である母も考えたこともなかった。
母が書道の先生をしていたこともあり、僕は3歳から筆を持っていた。褒めることはあまりないけど、いつも肯定して見守ってくれていたので、反抗期もないまま42歳になってしまった。しかし、書道だけは違った。1mm単位で直される。冗談まじりに明るく言うので、直されて落ち込んだとしても、根っこから腐ることはなかった。小学1年生になる頃には、僕はすでに大人のような整った字を書いていたので、担任の先生が感動を伝えてくれたのを今でも覚えている。
そして東京理科大に合格し、初めて熊本を出て一人暮らしをした。あまりに家事や料理が出来なくて、母のありがたさに気づいた。就職し、会社員としてうだつが上がらない中、メモ書きの字がうまいということが周りに評判となり、社内やプライベートで筆文字を頼まれるようになった。
ある同僚の女性の名前を筆文字で書いたら、涙を流して喜んでくれた。それがきっかけで、僕は興奮し、その勢いで独立。母は、僕が会社を辞めることは心配したはずだが、一切否定せず、強力なバックアップをしてくれた。今の『武田双雲』があるのは母のお陰だ。母とは書道を通じて、日々交流が出来ている。書道が親子の絆を強くしてくれた。感謝の気持ちでいっぱいだ。(参考:武田双雲筆『おふくろ』)
★<アルゼンチン金利30.25%>アルゼンチン中央銀行は、予定外に金融政策決定を行い、政策金利を30.25%に引き上げた。通貨ペソの下落に歯止めをかけるのが狙い。金融当局者らの間では、ペソの下落が急速に進み制御不能になるとの懸念が強まっており、下落に歯止めをかけるため大規模な介入を実施した。
破綻国家アルゼンチンのなれの果て、だな。第一次世界大戦では、欧州の穀物が軒並み生産が破壊され、その合間を縫って、アルゼンチンは小麦の輸出で大儲けをした。そのお金で、首都ブエノスアイレスはパリと同じ仕立ての都市に模様替えした。が、第二次世界大戦後はアメリカ小麦が台頭し、アルゼンチンは競争激化で低落し、代替えの産業も育っておらず、メキシコの破綻に続いてアルゼンチンも破綻した。メキシコ経済はその後再興されたが、アルゼンチンは相変わらず低空飛行。金利30%もかかるような弱い通貨は国民も見放して、ドルが国内でも主要通貨になっているのではないだろうか。日本にとっては、あの麻生財務省にとっては、まさに対岸の火事である。
★<拉致問題>朝鮮南北首脳会談で、『日本人拉致問題』について文大統領から金委員長に提起されたと、阿倍首相が電話会談で連絡を受けたことが明らかになった。また問題解決については日朝首脳会談も必要と話した。拉致問題、一歩前進ととらえていいのかな。実現まではまだ北朝鮮は信じてはいけないような気がする。なにか特別なおねだりでもあるのではないかとも。破綻で撤収された朝鮮総連のビルを元にもどせ、とか。
★<出雲ナポリタン、誕生>島根県出雲市で新たな当地グルメ『出雲ナポリタン』が誕生する。農産物加工の『ひかわ食品加工』など食品関連の3社が得意分野を生かし、地元食材を使って共同開発した。全国的に有名な『出雲そば』に続く名物料理として育て、出雲への観光集客や産業振興に一役買う。
開発したのは、ひかわ食品加工のほか、『玉木製麺』『新日本食品』。玉川製麺のうどんに、ひかわ食品加工のトマトケチャップを加えてナポリタン風にし、新日本食品の厚切りベーコンを載せた。うどんは『文吉うどん』と呼ばれる地元のオリジナル製品。江戸時代末期に地元の製麺業者に酔って作り出された手延べ製法を、玉木製麺が復刻した。油を一切使わず、卵黄と小麦粉と塩のみで練って製造するため、つるつるとした食感が特徴だ。
出雲市は若い女性の間での『縁結びブーム』により、出雲大社を中心に多くの観光客が訪れる。ただ、そば以外の名物料理は、甘味である『出雲ぜんざい』などに限られる。開発に携わった人々は、『なぜ出雲でナポリタン?』と興味を持ってもらい、地元のオンリーワン商品、リピート食品に育てたいと意気込んでいる。面白いね、出雲とナポリ、どうして結びついたのか、と。
★<エリトリア国民に課すナショナルサービス>アフリカの小国、エリトリアの国民には『ナショナルサービス』と呼ばれる義務が課せられている。事実上無期限で公務員や兵士として低賃金で働く。『自立した国家のため』とされるが、国民は隷属を強いられているとの批判がつきまとう。これを嫌い国外に出る人も絶えない。
エリトリアはエチオピアと30年に及ぶ闘争を経て、1993年に独立を果たした国。その間、ソ連などが肩入れしたエチオピアとは対照的に、外国の支援は限られた。ほぼ自力で独立を勝ち取ったことは人々の誇りだ。『自立』は建国後も国是となり、95年にそれを支える政策としてナショナルサービスが導入された。
高校3年生の1年間、寄宿舎に入り軍事訓練を受け、『自立した国家の防衛は一人ひとりに課せられた義務』とたたき込まれる。共通テストの成績上位者は大学を経て官庁などに配属。そうでない者は高校卒業後、兵士や公務員に。職種や任地の希望がかなうことはほとんどない。
賃金は低い。大卒で官庁勤務の40代男性は、月額1万9千円と打ち明け、『賃金じゃない。ポケットマネーだ』とぼやいた。1人当たりのGDPが680ドルという世界最貧国の一つ。医療費や教育費は原則無料、食料の多くも配給されるとはいえ、結婚して家族を養うには到底足りないと言う。
何かのドキュメントで読んだが、エジプトのカイロに、シリアなどから脱出してきた難民の中に『エリトリア』からの逃れてきた若いカップルが登場した。とにかく若い人が住むには希望がない国と書かれていた。独立はしたけれど、独自に国を富ますにはまだまだ力が必要なんだねえ。
記録を探すとあった。『リチャード・エンゲル著・中東の絶望、そのリアル』だ。スタンフォード大を出て、カイロに渡り、独学でアラビア語を学び、イラク侵攻後も現地に止まり、シリア内戦をつぶさに追った。凄まじき物語だ。私の読書録には以下を期している。少し長いが、ご参考に。
『ブッシュ大統領のイラク侵攻という誤った軍事行動と、オバマ大統領の一貫性のない中東への混乱した対応は、わずか15年の短い期間でこの地域の旧体制を破壊してしまった。そして、地域を混沌状態に陥れ、長い間自分達の中に抱え込んできた腐敗を明るみに出してしまったのである。ブッシュ政権とオバマ政権は、相互に矛盾した行動の結果、相乗効果を生み出した。その結果、中東の腐った家々は倒され、内部の腐敗が噴出する中で、それぞれの国家の再建は難しくなって行った。私は1990年代の末、アラブの独裁者達が権力のピークにある時に、ジャーナリストとしての活動を始めた。そして、イスラエルとパレスチナの和平交渉の破綻によって地域が一変するのを見た。イラクが安定から混沌へと変わるのを見た。そしてシリアの止めどもないシリアの内戦が続いた。『アラブの春』の希望と怒り、そしてオバマ政権の場当たり的政策と、その後にやってきた狂気を目にすることになった。中東において次は何が起きるだろうか。(参考:リチャード・エンゲル著『中東の絶望、そのリアル』)』
★<注目の先発松坂>今日のプロ野球で、中日が松坂の先発を決めた。今季3度目の先発となる。前回の登板は自分のエラーから自滅したが、自責点は2と健闘した。カープの先発は、これも注目かな、藪田だ。先日リリーフでは3者連続四球であえなく交代されられた。9連戦故、カープも無理に投げさす感じでもある。
★<元Jリーガー俳優の伯母はあの俳優>元U20日本代表で、J2徳島などで活躍し、俳優に転身した『青山隼(30)』が、29日『明石家さんまの転職DE天職』に出演した。徳島の熱烈なサポーターだった故大杉漣さんにあこがれ、俳優の道に進んだ青山。青山は『大杉漣さんみたいに脇役で活躍する役者に』と夢を語った。
また、『うちの伯母がさんまさんに・・』と切り出し、作家・伊集院静と結婚し、芸能界を引退した『女優・篠ひろ子』が伯母であることを告白。今回の番組出演を伝えたところ、篠は、明石家さんまとドラマで共演した際の思い出を回顧。『さんまさんが絡んでくれなかった。すごい寂しい思いをした。シャイボーイなのかな』と話していたことを伝え、さんまを赤面させていた。
青山の同世代は、香川真司、内田篤人、槙野智章ら。現在はサッカーのコーチのアルバイトをして生活費を稼ぎながら俳優業をしている。とても面白い転身だなあ、成功しろよ、青山。応援しているよ!
★<お子様にご注意>洋菓子でもおなじみの銀座『ウエスト』は、1947年(昭22)に創業。喫茶室のコーヒーが一杯972円という高給な店だ、味といい落ち着いた雰囲気といい、そこで過ごす時間の贅沢さを考えるとむしろ安いと言える。その『ウエスト』の銀座本店の公式アカウントが、先頃こんな『お願い』とツイートした。
『小さなお子様をお連れの喫茶室ご利用のお客様にお願い:炎上覚悟で申し上げます。大きな声を出したり、走り回るなどお子様の行為が周囲のお客様へ多大な迷惑となっている場合がございますので、くれぐれもご注意の程お願い申し上げます』。
このツイートは29日現在で2万を超える『いいね』を集め、1万4千のリツイートがあり、255のコメントが寄せられている。幸いにして、ツイートは炎上していない。『決して間違っていない』『よくぞ言った!!!』という賛同の声が大量に寄せられている。また年齢制限を設けてもいい、などなど。
年齢制限については、『就学前とおぼしきお子様がアイスクリームの器を前にきちんと足を揃え、少し緊張してお座りになっているのは微笑ましいものです。こんな素敵なお客様を締め出すことは出来ません』と、お客を大切に思っている姿勢を伝えた。また服装についても『銀座に相応しくない服装のお客様は来店して欲しくない、という意味にとられることは本意ではありません。先代より、服装や身なりでお客様を判断してはいけない、ときつく言われておりました。他のお客様のご迷惑にならない限りどんなカジュアルな服装でご来店いただいても構いません』と語っている。まさに銀座物語だねえ。
先般、NHK・BSで裕次郎と浅丘ルリ子の『銀座の恋の物語』を見たが、銀座も表通りだけではないからなあ。でも『銀恋』が今だ、カラオケベスト10に入るくらいだから、『銀座』のプライオリティーは健在と言うところだろうな。拙者は未だ、銀座ウエストなる喫茶店に入った事がない。今度銀座に行ったら覗いてみよう、話のタネに。