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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『「カープの星飛雄馬「鈴木誠也伝説⑱」 「野村監督のアドバイスが飛躍のきっかけに」』

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今日の画像は、昨年12月妻と離婚し即18歳下の女性と結婚届を出した『橋幸夫』と『鈴木誠也』。そして世界遺産『宮島』、弥山への登山道『博打尾コース』のご案内。私は、橋幸夫の歌は全体的に嫌いだが、あの吉永小百合とデュエットした『いつでも夢を』は今だに口ずさむ。いい歌だなあ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

宮島・弥山に登るには、まずロープを使ったルート。そして全行程を歩く、大元コース、大聖院コース、紅葉谷コースと参道3コースあるが、これらは石段が続く正式な道。紹介するのは、包ガ浦自然道を伝い、途中の博打尾合戦跡の少し上からロープ駅を超し、ロープの最終駅・獅子岩駅にたどるルート。獅子岩からは参道に合流し、頂上まで整備された道です。博打尾合戦跡の少し上に、分岐の標識があります。ここで右にたどれば、獅子岩に着く。このルートがいいのは、尾根道を歩くため、包ガ浦方面や宮島の市街地などが眺望出来る点です。スタートは、紅葉谷公園のロープ乗り場を目指すと、標識があって分かります。是非、一度おためしあれ。


★★★8月初旬、自らの心の中で『最後のシーズン』と意を決していた野村監督が、ひんぱんに2軍の練習場がある岩国市由宇に足を運ぶようになった。野村は言う。『とにかく若い選手を試してみたかった。また僕が顔を出すことによって、2軍の選手達が「入れ替えがある」と思ってくれたらいい』。若手がどんどん伸びていく姿を見ることは、指導者としては至上の喜びである。

その時、監督自らが、誠也に声をかけた。『窮屈に打つな。ボールとの距離をしっかり取って、バットをぶつけるような感じで打ってみろ』。このアドバイスは効いた。誠也の打撃は、ここから飛躍的に伸びていくことになる。

野村は自署の中でこう書いている。『2014年に伸びた若手の筆頭格が誠也だった。誠也はもう1年実力をつけてから1軍に上がればいいと思っていたが、球を打つタイミングの取り方を変えたら一気にバッティングが柔らかくなった。そしてとてつもない打球を飛ばし始めた』。

当時誠也はこう言った。『あの監督のアドバイスは本当にありがたかった』。以降の誠也は、サードを守ることが多くなった。さらに、外野の一角が空けばレフトやライトを守る。そして試合の流れによっては、代走にも起用された。とにかく、首脳陣は誠也をどういう形でもいいから、実践で起用して鍛えていくという方針を貫くことになった。


2014年8月7日。誠也は、このシーズン3度目の1軍昇格を果たした。そして、ここからドラマが急展開することになった。それまでの誠也は、基本的に2軍の選手だった。しかしここから先は、基本的に1軍の選手になった。直後の誠也は、20打数7安打、打率3割5分の成績を挙げ、堂々と主力選手に伍してカープの上位争いの原動力の一つとなって行く。

その象徴となった試合が、プロ5度目の1番スタメンで出場した9月25日の神宮・ヤクルト戦だった。誠也は、先発石川雅規の初球ストレートをフルスイングした。打球はライトスタンドに着弾。この先頭バッターホームランが、誠也のプロ初ホームランとなった。この時点で、誠也は1軍のレギュラーになった訳ではないが、弱冠20歳の若さで1軍に定着した。

このシーズン、誠也の成績は、36試合に出場し、64打数、22安打、打率3割4分4厘、1本塁打、7打点だった。チームの成績は、74勝68敗2分でセ・リーグ第3位。2年連続でCS出場を果たした。(参考: 迫勝則著『4番 鈴木誠也 進化論』)


★松田耕平追想 『安芸門徒として生きられたオーナー―中山知見』
カープの立派なるリーグ3連覇。巨人以外成し遂げていないこの記録を一番喜んでおられるのは、天上の『松田耕平前オーナー』ではなかろうか。各界から寄せられたオーナー追想の記から、故人の在りし日を偲びたい。

松田耕平オーナーに初めてお会いしたのは、平成12年の7月。安芸門徒の中心道場である本願寺広島別院の輪番として赴任した小生は、別院の責任役員・筆頭総代・参与会会長をお勤めになっていたオーナーのもとに就任の挨拶に訪れた。『広島の顔』とも言うべき存在の方だけにひどく緊張したことが、昨日のように思い出される。

『若い輪番さんじゃのう。頑張りんさいや』。オーナーの開口一番に50半ばの小生はどんな顔をしてよいのやら。複雑な気分にもなったが、飾り気のない人柄が伝わってきた。この後、オーナーとは別院の会議や広島ロータリークラブの例会でしょっちゅうお会いすることになるが、すぐに気が付いたのはお話しの中に独特のユーモアと哲学が込められていることである。お寺の世界しか知らない小生にとって、オーナーの一言ひとことから多くのことを学ばせてもらった。


オーナーの日々の生きよう、さらに経営理念を貫くものが、安芸門徒の報恩感謝の心であることを知ったのも嬉しかった。父上の恒次さんも篤信な方で、別院の門徒総代を勤められていた。別院が焼失した後、長く仮本堂の時代が続き、昭和39年、広島の財界をはじめ、安芸門徒の総力を結集して現在のコンクリート・合唱造りの大本堂が完成したが、復興事業の推進役の一人として尽力下さったのが恒次さんであった。恒次さんは東洋工業傘下の企業に『私が死んだ時、香典はいらない。それを今、別院建立に寄付してほしい』と要請されたと言う。別院に対する父上の熱い思いをオーナーは生涯引き継いでくださったのである。

現在、別院の書庫にあたる会館が著しく老朽化したため、再建に向けて本格的な取り組みが始まっている。この事業の構想の段階で、全面の改修するか、もしくは再建に踏み切るかを決める委員会の設置について、オーナーに相談した時のことも忘れられない。小生と副輪番の2人でカープ球団の事務所を訪れ、オーナーに委員会設置案の概要について説明を行った。二人とも必死の思いだった。なぜなら別院の役員であるオーナーが『経済不況のさ中に、寄付をお願いしなくてはならない事業をやるべきではない』と言われた場合、一歩も進めることが出来なきからだ。

2人の説明にオーナーはうなずきながら聞き入って下さった。会館が海砂を使って建設されたため老朽化の進行が著しく、建物にたくさんのき裂やゆがみ、排水管の腐食が進行して年々ひどくなっている現状について率直に説明させてもらった。しばらく沈黙の後、『かなりひどいんじゃのう・・。いずれにしてもやらないといけない・・』とのお答えだった。その後、オーナーも委員にも就任いただき、再建委員会の設置に至った。新しい会館は安芸門徒の土徳と伝統を21世紀に伝える教化センターとなることは間違いない。


一方、オーナーはプロ野球選手の人材を幅広く発掘、育成するためドミニ共和国に『カープアカデミー』を開設されたことはよく知られている。球団運営だけに留まらず、人材の育成に関しての独自の見解と願いを持っておられることを改めて知ったのは、別院で開かれた『安芸教区基本構想策定委員会』の席上だった。委員の一人として出席されていたオーナーは、安芸教区においても人材の育成が最も大切な課題であることを熱っぽく説かれ、『これからの人材をどのように育成するかをみんなで考える前に、まず現場の声を聞かないといけない』と、各種教化団体を対象とした公聴会の開催を提案された。けだし卓見と言える。

オーナーは、別院と安芸教区にとってかけがえのない人であった。小生にとっても頼もしい父親のような存在だった。それだけにオーナーの突然のご逝去の報に接した時は、言葉もなかった。二千人を超える人たちが参集されて営まれた追悼の会の導師も務めさせていただいたが、読経しながらも初めての出会いから色々とご指導を受けたひとコマひとコマが走馬灯のごとく脳裏によみがえってきた。

安芸門徒として生きられたオーナーは今、限りない光と命の世界である阿弥陀如来の浄土にお生まれになり、み仏となってさまざまな形で娑婆の私達にかかわり続けて下さっている。お念仏申す喜びの中に、いつもオーナーがいらっしゃることがありがたい。(中山知見 前本願寺広島別院輪番・安芸教区教務所長(当時))


★<偏見強い外国人受け入れ>2008年、広島県安芸高田市長に就任した浜田一義さん(75)は、外国人の積極的な受け入れが必要だと訴え続けてきた。『このままでは日本は滅びる。外国人に頼る以外に道があるなら教えて欲しい』。その安芸高田市で今年3月、ある騒動が起きた。

『今後5年間で現住外国人の半数に定住してもらう』。安芸高田市がそんな数値目標を立てていると、NHKが全国に伝えると、市役所には、150件の電話が殺到した。『日本人への税金の投入が先だ』『生活保護受給者が増える』『治安が悪くなる』。反発がほとんどで、賛同は5件足らずだった。役所前では街宣活動も行われた。数値目標は結局、消された。

『覚悟はしていたが、偏見は根強いと痛感した』と浜田市長は唇をかむ。2008年の市長就任時から、『外国人の協力が町作りに欠かせない』と訴えてきた。人口減が著しいからだ。NHKの報道の後、浜田市長の自宅にも、抗議する電話がかかってきた。『将来あなたを介護する人はいなくなるんですよ』。そう説明すると、相手は納得してくれたと言う。

浜田市長が外国人の移住・定住を積極的に進めようとしているのは、『外国人が好きとか嫌いとかではない。生き残りに必要だ』との思いがあるからだ。平成の大合併で生まれた安芸高田市では、1990年に3万6千人いた人口が2万9千人になった。今高齢化率は39%。数年後には40%を超える見込みだ。


逆に外国人は増えている。90年には175人だったが、現在は619人。人口比では2%強で、全国平均を少し上回る。製造業と農業が主な産業。93年に政府が導入し拡大を続けてきた期限付きの『技能実習』制度を使って住むベトナムや中国からの外国人が半数以上を占める。

市は、技能実習生の滞在期間を延ばすための特区を作れないか政府に相談したこともある。街における外国人の存在感は確実に増している。朝は自転車に乗った技能実習生達が自動車大手マツダの関連工場に吸い込まれていく。夕方には『激安』と評判のスーパーに、制服姿の実習生が続々と集まって来る。市内ではもはやお馴染みの光景だ。

浜田市長は『遅かれ早かれ、他の自治体も同じように、外国人に住んでほしいと言い出すはずだ。安芸高田でも市民の理解は進んでおり、手応えを感じている』と話す。

昨年度の市によるアンケートで、外国籍の人が市内に住むことについて尋ねると『よいと思う』が48%となり、7年前に比べて18ポイント上がった。

確かに『あなたを看護する人がいなくなるのですよ』と突きつけられれば、もはや云うことはないだろう。少子高齢化のトレンドを何ら覆せなかった『自民党長期政権のなれの果て』なのだから。それなのに、今だ国民は阿倍政権を支持している。


★<橋幸夫 糟糠の妻と離婚直後に18歳下女性と再婚、潔き離婚話>歌手・橋幸夫(75)が、カンテレ(関西テレビ)で放送された『怪傑えみちゃんねる』に出演。昨年12月に47年連れ添った4歳年下の妻と離婚直後の昨年末、18歳年下の女性と再婚したことについて語った。

橋は1971年1月に結婚した前妻と、2016年11月に別居。17年12月に離婚が成立し、直後の12月末に再婚した。MCの上沼恵美子から『なぜ別れたんですか?』と追及されると、『この話は、こういう所で言っちゃいけないんで。離婚合意書交わして別れた。条文(条件)が3つぐらいあるんですよ」』と離婚合意書を交わしていたことを明かした。

離婚を切り出したのは橋。離婚直後に再婚したことについて、バッシングの声も上がったが、『すぐ再婚しなきゃいけないと思ったのは、不倫騒動を起こしてはいけない、と思ったから。まずキチッと妻と話をつけて、そしてすぐ再婚しよう、と』と説明。妻との離婚後に、別の女性の存在が公になった時、『不倫』と騒がれることを心配し、すぐに籍を入れたことを伝えた。


『僕みたいに行動起こした人を嫌だ、って言って嫌悪する人もいるでしょう』と批判も覚悟の上だとも語った。“糟糠の妻”と別れて、年下女性と再婚という道を選んだが、『僕はケジメとして、今持ってる僕の財産を全部捧げる、と慰謝料も払うしかない、と思いました』と話し、全ての財産と慰謝料の支払いに応じたとした。

まあ、離婚、結婚は個人の事情、意志だから他人があれこれ言うことはないと思う。が、立派だなあ、全財産と慰謝料を払うなんて。あの〇〇浩二の離婚事情とは千差万別の潔さだ。橋君、ガンバレよ。子供もつくれ!


★<『ブラタモリ』林田理沙アナのリアクションに『可愛い』と絶賛の声>11月24日に放送された『ブラタモリ』で、タモリとNHK林田理沙アナウンサーが北海道・旭川を訪問。旭山動物園に行くことを聞いた林田アナの大喜びする姿が、ネット上で話題となった。旭川には、40何年か前に一度来たことがあるというタモリ。『その時はこの辺一面原野ですね!』とボケるタモリに林田アナは『えっ!? えっ!? そうなんですか!?』と驚きの表情。タモリから『うそだよ!』とツッコまれ、笑顔を見せていた。

その後、旭川の歴史、北海道の歴史を学んだタモリらは、旭山動物園に行くことに。林田アナは『旭山動物園? えっ? 行けるんですか? 旭川の一番行きたいところ旭山動物園だったんです!』と思わず本音がポロり。だが旭山動物園に到着したものの、タモリの関心事は『旭山』の地形。模型を使ってその地形を眺めてばかり。すると林田アナは『あの…動物は見ないんですか?』と念のために確認してみた。


タモリは『見ます! 見ますけども、どの辺にあるのかを今確認しただけです』と優しく説得。林田アナは『すいません、待ちきれなくて。順番があるんですね』と照れ笑いを浮かべていた。ようやく『あざらし館』にやって来た一行。林田アナは『いよいよですね、あぁ、ああ、いるぅ! かわいい』とうっとりしていた。

そんな林田アナのリアクションにネット上では『旭山動物園にときめいて可愛い林田理沙アナ』『リンダちゃん目がハートマークになってる』『林田理沙さん、癒しすぎる』『「あの〜動物見ないですか」一気に林田理沙の株上がった』など、大きな盛り上がりを見せていた。

まあ、林田さん、芸大卒の異色アナウンサーだよな。しかも、『ブラタモリ』は、女性アナウンサーの出世階段の一つ。林田さんは、おっとり型でどこかのいいとこのお嬢さんってタイプ。私もファンの一人だ。


★<貴乃花が離婚>貴乃花が離婚していたことが明らかになった。部屋を解散するなど、まさに波瀾万丈の人生なり、貴乃花、だなあ。

大相撲の元貴乃花親方(元横綱)の花田光司(46)が、元フジテレビアナウンサーの妻・景子さん(54)と先月に離婚していたことが、関係者の話で分かった。2人は95年に結婚。旧貴乃花部屋が10月1日に消滅するまで、九州場所で初優勝した小結・貴景勝(22)=千賀ノ浦=ら関取を育ててきた。話し合いの末、今後は別々の道を歩むことになったという。昨年10月25日の元弟子・貴ノ岩(28)=同=への暴行事件から約1年。元貴乃花親方夫妻にとっては、大きく揺れ動いた1年となった。
元貴乃花親方は妻・景子さんと95年から連れ添ってきたが、関係者によると10月25日に離婚届を提出したという。結婚当初、横綱として角界人気を背負っていた元親方は『私は無愛想なもので、なかなか笑うことができないんですが、皆さんの前で笑えるようにさせてくれました』と話していた。長男の靴職人でタレント・優一と2女にも恵まれた夫婦生活は、23年で終止符を打つことになった。

元フジテレビアナウンサーの景子さんは、10月1日に元貴乃花親方が日本相撲協会を退職し、旧貴乃花部屋が消滅するまで女将さんとして、九州場所で初賜杯を抱いた小結・貴景勝、幕内・貴ノ岩らを陰で支えてきた。くしくも1年前の昨年10月25日には貴ノ岩が、元横綱・日馬富士関から暴行被害を受ける事件が発生。まさに激動の1年を過ごしてきたことになる。事実は小説より奇なり、だな。

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