今日の画像は、JRA女性騎手として50勝を挙げた『藤田菜七子』と白血病罹病を公表した『池江璃花子さん』。そして『バレチョコ掘戮任后C唸招、残念無念だねえ。神も無慈悲なことをなさる。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★いよいよ『2019プロ野球ペナントレース』が始まる。我が『広島東洋カープ』は、リーグ4連覇の偉業がなせるか。この強力軍団を作り上げた要はやっぱり『オーナー松田元』だろう。これほどの強力なカープを育てた、様々なエピソードを綴る。
長野が昨日の紅白戦で、初安打をジョンソンから放った。長野はベースからジョンソンに歩きより、初ヒットのボールをおねだりした。受け取ったボールを高々を上げて、観客から喝采を浴びていた。やるね、長野君。
小園君が、1軍の沖縄キャンプに滑り込んだねえ。高卒1年目としては素晴らしい。守備面ではしなやかなフィルディングで、結構やるな、という感じだねえ。打つ方もなかなか、だ。ガンバレ、ドライチ!
★★★筆者がマツダに入社した頃の話である。社内で頻繁に行われていたソフトボール大会で、常に上位にくる部署があった。そのチームには、たいてい元カープ選手がいた。なぜ自動車会社に多くの元カープ選手が在籍していたのだろうか。
実は、松田家で最初にカープ球団のオーナーになったのは、今の松田元オーナーの祖父に当たる、『松田恒次』(当時東洋工業社長)だった。彼は、他の地元企業との関係もあって、会社(東洋工業)を主体とした球団経営に乗り出すことはしなかった。しかしその一方で、積極的に元カープ選手を社内に受け入れた。選手に安定した再就職先を提供することによって、将来の不安を少なくし、より優秀な選手を集めようとしたためである。
ところが現在、この流れが『カープ→マツダ』でなくて、逆に『マツダ→カープ』になっている。その草分けになったのは、次のオーナーの『松田耕平』(当時東洋工業社長)のとき、同社の総務課長から転身した重松良典だった。彼は球団代表として、初の外国人監督『ジョー・ルーツ』を誕生させるなど、次々に手を打った。
実は、現在のカープ球団の運営を考える時、この『マツダ→カープ』の人事交流は、外せない大きなポイントとなる。今のカープ球団には、経営、経理、国際などの面で、幅広くマツダから人材が来ている。
では、今何故幅広く色々な人材が必要なのだろうか。それは広島東洋カープというのは、従業員150人前後の中規模企業だからである。従業員が千人単位の大規模企業に比べて、中規模企業と言うのは、少数精鋭であるのが望ましい。そこで注目されているのが、球団内にいる色々なタイプのマツダ出身の専門家達である。
松田元オーナー自身、6年間マツダに勤務していた。彼はマツダ時代に、経理部原価計算課、輸出本部米州課などで仕事をしていた。彼は、ある出版社のインタビューでこう話している。『自分をものすごく細かい人間にしたのは、マツダだったかも知れない。あそこで教育してもらっていなかったら、こんなことは出来ていなかったと思う』。
実は、今球団で多くのことを取り仕切っている『鈴木清明球団本部長』も、1977年にマツダに入社し、原価計算課で松田元と一緒に仕事をしていた人物である。さらには、経理部門、国際部門などに多くのマツダで育った人達が活躍している。
マツダの合理主義というのは、良い意味で、カープ球団の中にも息づいていると思うのである。(参考:迫勝則著『カープを蘇らせた男』)
★★<由紀さおり、50周年も通過点>『夜明けのスキャット』で大ヒットを放ち、歌謡界、動揺唱歌、ジャズなど歌の世界だけでなく、役者の世界でも活躍する『由紀さおり』が50周年を迎え、元旦に3枚組記念ベストCDセット『パッシング・ポイント』を発売。1月20日まで東京明治座で記念の舞台『下町のヘップバーン・新しい幕があがるとき』を公演した。
由紀は、少女時代に童謡歌手としてデビュー。下積み時代を経て1969年に、深夜ラジオのテーマ曲に『夜明けのスキャット』で鮮烈なデビューを残す。以後、歌謡界でヒットを飛ばしつつ、ニューミュージック時代に入って、姉安田祥子との童謡唱歌デュエットで注目を集める。2000年代に入ると、新時代の歌謡曲を模索し、11年、米国のバンド『ピンク・マルティーニ』とのコラボ作品『1969』で歌謡曲のジャズ化に成功し、何度目かのブームを巻き起こした。
『ベスト盤セットのタイトルは「通過点」という意味。私の50年はずっと挑戦の積み重ねで、成功も失敗も通過点でしかなかった。記念年の今も同じ気持ち』と振り返り方も前向き。『だから、過去のベスト曲だけじゃなく、アンジェラ・アキさんに書き下ろしていただいた「あなたにとって」という新曲を収録した。これまで私が歌った曲の感性をまるで異なるのが新鮮だった』と若々しく語る。
明治座の『下町のヘップバーン』は篠田三郎、渡辺正行らと共演した『昭和38年』を背景にしたコメディ。『今年は通過点とはいえ、やはり気合いが入る。昨年10月、一夜限りで開いた一人芝居を9月に能舞台で再演するつもり』と由紀の挑戦は止まりそうもない。1948年11月13日生まれ、70歳。まだまだ元気、意気軒昂だ。
★★<藤田菜七子がJRA通算50勝>節目の勝利だ。藤田菜七子騎手(21)が9日、小倉8RのワイプティアーズでJRA通算50勝目を挙げた。レースは果敢に好位につけると、4角で2番手に浮上。先に抜け出したマイネルズイーガーを直線半ばでかわして、1馬身4分の1差をつけて、先頭でゴールした。『思った位置を取れました。少しズブさがあって早めに追いだしましたが、最後までしぶとく伸びてくれました』と9番人気のパートナーを見事にエスコートして、笑顔で振り返った。
これで3週連続の勝利。コパノキッキングでJRA女性騎手として初めてG1に挑むフェブラリーS(17日・東京)に弾みをつけた。
菜七子がデビューした時、どこまで行けるかな、と心配したが、早50勝。果敢なる闘争心とたゆまぬ鍛練の賜だねえ、まさに『努力に勝る天才なし』だ。
★★<旧民主党細野豪志の『転職』、な~んだい、それって!>節操のない『細野豪志君』の話。旧民主党政権で環境相を務め、現在は無所属の細野豪志君が自民党二階派の特別会員となり、入党を望んでいる。ビジネスでは日本企業の終身雇用が崩れ、転職は珍しくはなくなった。転職支援に携わるキャリアアドバイザーからはどうみえるのか。
キャリエーラ代表取締役の藤井佐和子さんは『やりたいことができないとき、いまの会社で頑張ることと、よそで頑張ることをきちんとてんびんにかけることは大事だ』と話す。この問いに細野氏は『取り組んできた児童虐待や子どもの貧困、障害児の政策を実現し、リアルな外交・安全保障に少しでも貢献したい。自分が役に立てるようになる、できるだけ早い道を選んだ』と答えた。外交・安保や憲法といった基本理念が大きく違う現在の野党勢力には加われないと述べた。
藤井さんは『円満退社にならない場合も、お世話になった方々への義理は果たさないと』とも語った。細野氏は2017年に旧民進党を離党して旧希望の党をつくった際、野田佳彦前首相ら以前の仲間の参加を拒んで反発を招いた。
『希望の党結成は、保守二大政党への最後のチャレンジだった。しかし、有権者は立憲民主党を選んだ。その結果が出た時点で、保守二大政党をあきらめざるをえなかった』。細野君はこう明かす。
ルーセントドアーズ代表取締役、黒田真行さんの見方は『長く勤めた会社で仕事上の失敗をし、社内の人間関係も悪化、居場所がなくなり、転職せざるをえなくなったという感じでは』と厳しかった。ただ、政治家はにくしみあい、孤立しても、ひとたび利害が一致すれば笑顔で手を組む。
細野氏がかつて仕えた小沢一郎氏は1993年に自民党を分裂させ、非自民連立政権をつくった。旧自由党を率いて自民党と連立を組んだかと思えば、旧民主党に合流して政権交代の立役者にもなった。細野氏をスカウトした二階派会長、二階俊博幹事長は小沢氏と自民党を離党した一人だ。旧新生党、旧新進党、旧自由党を経て小沢氏とたもとを分かち旧保守党を結党、自公連立政権に参加した。03年に復党し、いまは政権の真ん中にいる。
二階氏は細野氏の入党について『謙虚に受け入れるだけの度量がないと駄目だ』と理解を示す。なにより重視しているのは選挙の強さだからだ。二階派の小泉龍司国際局長は郵政民営化法案の採決で反対にまわり、05年の衆院選で自民党公認を得られず落選した。そのあと4回の選挙は無所属で勝ち続けた。『先のことは考えず、地元のために尽くせ』。二階氏は復党前から小泉氏を励まし、迎え入れた。
細野君は旧民主党の落下傘候補としてゼロから地盤を築き、衆院静岡5区で連続当選してきた。過去3回の衆院選で議席を争った自民党の元職、吉川赳氏が所属する岸田派は反発していて、選挙での決着にもつれ込む可能性がある。政界では比例代表と選挙区で選ばれた議員の移籍を見る目に大きな違いがある。小沢氏も二階氏もずっと選挙区で勝ち上がってきた。
『始まりはパラシューター(落下傘候補)。選挙区を離れることはありえないが、ゼロに戻ることは怖くない。当選1回生の気持ちでやる』と細野氏。自らの政策、信条、行動に、まずは有権者の理解と信任が得られるか。表面的には似ているビジネスパーソンの転職と政治家の『転職』には違いもある。(参考:日経『風見鶏』)
しっかしなあ、一般人の『転職』と、政治家の『変節』をごちゃまぜんにしたこの日経のコラムはいただけないねえ。見識がない。政治家の変節を『節操がない』と言うんだろう。民主党で閣僚まで務めたからには自民を否とする政治哲学があったろうに。ああ、それなのに、それなのに、よりによって腹黒いっぱの『二階派』にすり寄るなど、細野君の腹の中も真っ黒なのだろうなあ。こんな政治家を選ぶ選挙民に堕落してはいけないぞえ、静岡5区の皆さん。怒り心頭だ!こんな政治家ばかりだから、日本は沈みゆくのだ!
★★<期待高まるカープ小園>カープのキャンプ。緒方監督が、厳しさの中にも『仏』の姿をのそかせている。キャンプイン前日のミーティング後にこう話した。『古傷のある選手もいれば、体の出来が90%の選手もいるだろう。それなりに厳しい目で見るが、そこは人間がやることだから』。
3連覇の余裕、というよりは厳しい戦いを凌ぎ、勝ち続けてきた中で、監督自身、どんどん大きくなっていることの証左をみるべきだろう。
勿論、首脳陣が厳しく言わなくても済むような『仕掛け』も施してある。カープの高校出の新人としては異例のキャンプ1軍スタートとなったドラフト1位、小園海斗(報徳学園)が、衝撃のテクニックを見せたのは5日のフリー打撃だった。ローテーション投手の九里亜連に対し、初球から合わせ、右に左に快打連発。1本は右中間の柵越えとなった。直球のみとは言え、どのコースも自分の間合いで振れる。モノが違う、としか言いようがない。
もう一人の新人野手、正随優弥のパンチ力もレギュラー陣にひけをとらない。『古傷が・・・』などと口にしようものなら、どうぞ2軍へ、となりかねず、中堅クラスの先輩達は必死だ。
緒方監督は『1点1点取れる野球』を掲げ、選手個々に役目を自覚するよう求めている。各人の役割は昨季限りで引退した新井貴浩さんが口にしていたように、チームの家族的な雰囲気から決まってくる。
このキャンプではその連帯が生まれる現場を見た気がした。第1クール最終日、通常の打撃練習が終わると、菊池涼介らも加わり、全員で打撃ゲージを片付けた。広くなったダイヤモンドに野手が並び、緩いトスを外野めがけて打つロングティーを始めた。トスの上げ手には監督も加わる。200球ほど入ったカゴが空になるまで25~30分。最後はみんな1球ごとにうめく。終わったら全員で球拾い。苦しみを分かち合う恒例行事が、ただのチームメートを仲間にする。
どの球団でも実戦が中心となり、そのために集まっている、という色合いが濃い昨今のキャンプだが、ここには大人があえて寝食を共にし、1つの火を囲む『合宿』の意義が残っている。(参考: 日経新聞篠山正幸筆)
★★<高給で引き抜いたのに実務能力なし…暴走した元銀行員部長の末路>中小企業の社長が信頼できそうな人を大企業からヘッドハンティング!ところが仕事をやらせたら期待外れ。『うちは中小企業だから何でもやる気概で仕事をしてほしい』と言っても、『その仕事は平社員に… 』。
1年前、社長自ら口説いて部長待遇で迎え入れた元銀行員の二見部長だが、入社してみると実務が全くできず、社長の頭痛のタネと化していた。ある時、二見部長の強引な提案でコンサルタントを雇うが、半年ほどで税理士から『コンサル料が高すぎる』との指摘を受ける。社長が契約解除を伝えると、二見部長は抵抗するが…。
I製作所、概要従業員数100名ほどの製造業。創業60年で業績は安定している。先代を継いだ2代目の社長は、時代に合わせた経営をするため会社の体制を整えたいと考えている。登場人物一瀬社長:2代目社長。大学卒業後、大手メーカーに5年ほど勤めてから父親の会社に入社し、10年前、社長に就任。現在58歳。大らかだが、物事を深く考えるのが苦手、人任せにしてしまうことがある。三上主任:管理部の主任で人事・総務を担当している31歳の男性社員。高校卒業後に入社。仕事は丁寧で真面目。二見部長:一瀬社長のゴルフ仲間だった元大手銀行員。1年前、社長に誘われて管理部長として入社。53歳男性。プライドが高く、自慢話が大好き。七瀬:システムを担当している32歳の男性社員。五味税理士:顧問税理士。一瀬が2代目社長となった際に、税務を引き受けた。気さくな性格で、顧客からの評判もいい。46歳男性。
◇自分の右腕になってほしい!元銀行員を口説き落としたが…
一瀬社長は、二見部長のことで頭を悩ませていた。1年前、銀行に勤めていた二見を『自分の右腕になってほしい』と社長自ら口説いて引き抜いてきたが、仕事が全くできないことが判明したのだ。ワードやエクセルなどの簡単なPC操作もままならず、何かを依頼しても、『それは私がやるべき仕事ではない』と言って他人に押し付けるありさま。
そこで銀行員なら、せめて数字には強いかと思って経理をやらせてみた。ところが、二見部長は仕訳が分からないし、請求書を作成させると間違う始末…。
社長が『高い給料を払っているのだし、うちは中小企業だから何でもやる気概で経理の勉強くらいしてほしい』と言っても、『そんな仕事は平社員にやらせるべきだ』と反発して聞く耳を持たない。『経営幹部になってほしい』一心で引き抜いてきた一瀬社長は、実務が全くできない二見部長を見て、引き抜きを後悔し始めていた。
その様子を見ていた三上主任は、『社長は銀行員=優秀だって決めつけるからこんなことになるんだよ』かり高く偉そうにする二見部長を疎ましく思っていた。二見部長は何かにつけて、三上主任をバカにしたような言い方をした。『三上君はどこの大学だっけ?あ、そうか。高卒だったね』『銀行員時代の部下は君と違って理解力も高かったなぁ』『私はK大学で、評論家の〇〇は同期だったよ』。三上主任はそんな二見部長の話を聞くと、『面倒くさくてかかわりたくない奴だな』と思いながら、マウンティングされた気分で不愉快だった。
◇顧問税理士がビックリ月100万のコンサル料
ある日、二見部長は『これからは、中小企業であっても内部統制が必要だ!』と社長に提言してきた。社長が思案していると、二見部長は『銀行員時代に世話になった優秀なコンサルタントがいるから、会社の未来のためにもぜひ契約をしたい』と社長に強く迫った。二見部長に強く言われた社長は、内部統制の目的や意味もよく分からないまま、二見部長の押しの強さに負けて提案を受け入れたのである。
コンサルタントと契約して、半年ほど経ったある日、社長と打ち合わせしていた顧問税理士の五味は、毎月100万円ほどの金額がコンサルティング料として記載されている点が気になった。そこで五味税理士は社長に『このコンサル費用は何ですか?』と尋ねた。『二見部長に言われ、内部統制を図るためにコンサルタントを頼んだ費用ですよ』。社長がこう答えると、五味税理士は眉をひそめた。『確かに重要ですが、御社の規模でこれほど高額なコンサル料を支払うのはいかがかと…』。五味税理士は社長に意見を述べた。その後、社長は五味税理士と一緒に、二見部長が契約しているコンサルタントと会い、コンサル内容を確認してみた。その内容は実にお粗末で、月に100万円を支払う価値がないことがわかった。
◇自分の主張を譲らない部長に三上主任が突き付けたものとは
翌週、社長は二見部長にコンサルタント料の件でこう伝えた。『先日、コンサルタントと会って話をしたが、あの程度では月に100万円も支払えない。即刻契約を解除してくれ』。すると二見部長は『違約金が発生するかもしれませんがいいんですか?』『内部統制がとれない中小企業は淘汰されますよ』と自分の主張を譲らない。そのやり取りを見ていた三上主任が突然、こう切り出した。『二見さん、コンサルタントから紹介料をもらっていますよね?』。二見部長は一瞬『エッ?』と驚いた表情を見せると、三上主任は続けて言った。
『二見さんが休んだ日、取引先からの問い合わせがあったため、七瀬さんにお願いして二見さんのメールをチェックしてもらったところ、コンサルタントから紹介料をもらう内容のメールを見つけました』。三上主任は、事前に印刷していたこの紹介料の文面を社長と二見部長に渡した。二見部長は慌てて、『勘違いだ』などと言い訳したが、社長も動かぬ証拠を確認すると、怒り心頭で、『今日限りで退職してくれ』と言い渡した。二見部長は観念したのか、おとなしく退職届を書き、会社を去った。
◇勝手に変更されていた退職金規程の内容
二見が退職して2週間ほど経った頃、社長宛てに1通の封書が届いた。開封すると二見からで、退職金200万円を要求する内容だった。驚いた社長は三上主任に書類を見せた。就業規則にある退職金規程では、勤続3年以上にならないと、退職金が支給されない。この内容を把握していた三上主任は、二見の文面を見ると、社長に冷静な口調で『二見さんはうちに3年もいなかったので退職金はありませんよ』」と言った。
そして、三上主任が確認のため、就業規則の退職金規程のページを開いたところ、『あれ?この規程、半年前に改定されている…』と驚きの声を上げて社長に渡した。『見せてくれ』と言いながら、社長は受け取ってその箇所を見た。三上主任が言う通り、退職金規程が半年前に改定されている。さらに、退職金の支給基準が勤続1年以上に変更されており、金額も増額されていることがわかった。三上主任が社長に尋ねる。『社長、退職金規程を変更されたんですか?』『規程類は人事・総務の担当だから、三上君が変えたんじゃないのかね?』『いえ、勝手に変更しませんよ。社長、ここを見てください。労基署に届けを出して、社長の代表印も押されていますけど…』。
代表印は、会社では社長しか押さない。社長は記憶を辿っていたがどうしても思い出せない。さらに、従業員代表の意見書には、二見の署名があった。三上主任は思った。『代表印をもらった二見さんが勝手に変更して自分で労基署に届け出たのでは…?』。就業規則を労基署に届け出る時には、事業主印をついた『届出書』と従業員の過半数代表者である者の『意見書』が必要となる。「従業員の過半数代表者」とは、その事業所の従業員のうち、過半数の者が認めた代表者という意味である。I製作所では二見部長が過半数代表者として選任されたことはない。恐らく勝手に退職金規程を書き換え、従業員代表者として署名し、社長に説明しないまま、他の書類に紛れさせて代表印をもらい、提出したのだろう。
三上主任は社長との連名で、『退職金規定の変更は正当な手続きを踏んでいないので、効力はない』旨を二見に告げた。その後、二見は何度か書面で『社長が印鑑を押した以上、退職金をもらう権利がある』『自分は解雇されたから、解雇予告手当を払え』などと主張してきた。ところが社長は『今後は弁護士に依頼するので、そちらに連絡してほしい』と返信すると、それ以来、二見からの連絡はパッタリと途絶えた。
今回は会社側が毅然とした態度で対応したので未然に防げたが、もし、二見が従業員代表者を正当な手続きで選任し、退職金規程を変更して届け出ていたらと思うとゾッとする。社長が深く考えずに書類に押印したり、現場に一任したりするといった体制にも問題があった。社内のチェック体制を徹底しておくことはとても重要である。
◇「大企業」出身に圧倒され破格の条件で迎えていいのか
本事例は悪質だが、中小企業が大企業出身の人材を採用した結果、お互いの文化を受け入れられず、ミスマッチに終わるという話をよく耳にする。今回も二見を迎え入れるにあたって、社長には2つの問題があった。1つは『右腕になってほしい』というだけで、具体的にどのような役割を求めているのかを明確にしていなかったことである。
また、内部統制の目的や進め方について、よく分からないまま銀行出身の二見部長を過大評価し、丸投げした社長の姿勢も問題がある。このような事態を苦々しく思っている現場の社員も少なくないのではないだろうか。他にも、大企業出身者を破格の高給で迎え入れたが、プライドが高く指示に従わない、大企業のルールを押し付けるので周囲と軋轢が生じているなど、トラブルになるケースは少なくない。
中途採用者を受け入れる際に気をつけるべきは、どんなに有名会社であれ、大企業であれ、自社では実績がない人を受け入れるからには、お互いに業務内容やスキル、福利厚生も含めた環境などを事前にしっかり確認し合うことはいうまでもないだろう。さらに、本事例のようにその人を厚遇で迎え入れた場合、他の社員とのギスギスした雰囲気にならないかどうか。もし、幹部候補として考えている場合でも、どのポジションからスタートすべきか、社員の構成、意見なども踏まえて考えなくてはならない。採用担当の独断で進めてしまえば、会社の雰囲気が悪くなる恐れがあるからだ。慎重に検討してほしいと思う。(参考: 週刊ダイヤモンド)
★★<大坂なおみがコーチと突然の契約解消>テニスの全豪オープン女子シングルスで四大大会2連勝の偉業を果たした世界ランキング1位の大坂なおみが、サーシャ・バイン・コーチとの契約解消を自身のツイッターで明らかにした。『これからはサーシャとは一緒に仕事をしない。彼には感謝しているし、今後の成功を祈っている』と記した。
バイン・コーチもその後、『ありがとう、なおみ。何て素晴らしい道のりだったんだ。ベストを尽くすことを祈っている。私をこの一員にしてくれて本当にありがとう』とツイートした。ドイツ人のバイン・コーチが“チーム大坂”に加わったのは2018年シーズンから。それまでバイン・コーチはセリーナ・ウイリアムズ(米国)、ビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)、キャロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)らトッププロに師事されてきた。バイン・コーチは女子ツアーを統括するWTAの18年年間最優秀コーチ賞に輝いている。
17年までの大坂は成績に安定感がなく、世界ランキングは60位前後で今ひとつ伸びを欠いていた。バイン・コーチの厳しい指導がその後の急成長を結びついた。同年3月には、WTAツアーで、四大大会に次ぐ大会規模のBNPパリバ・オープンで初優勝を飾った。8月には全米オープンでセリーナに決勝でストレート勝ちし、日本勢初の四大大会で頂点に立った。今年1月の全豪でも優勝し、世界ランキングで日本勢初の1位に上り詰めた。大坂の躍進はバイン・コーチの力なくしてはあり得ないものだった。4月の全仏、7月のウィンブルドンと、グランドスラム達成に向けて、大事な時期に入っていた。
大坂とバイン・コーチの契約解消は驚きを持って報じられた。AP通信は『2つ目の四大大会のタイトル奪取からわずか2週間で大坂はコーチと別離した』と一報。『大坂のエージェントは取材に対し、バイン・コーチとはこれ以上仕事をしないと答えたが、それ以上のコメントは出していない』としている。
何があったのか、当人だけにしか分からないなあ。でも、これからも大坂には活躍してもらいたい。新しい、いいコーチに恵まれますように。
★★<池江選手の苦難、白血病公表>世界のメディアも衝撃。『日本の天才水泳少女が…』『東京五輪の顔』。競泳女子の池江璃花子(18)が12日、ツイッターで白血病と診断されたことを公表した。池江はツイッターで書面をアップし『体調不良としてオーストラリアから緊急帰国し検査を受けた結果、「白血病」という診断が出ました』と記し『私自身、未だに信じられず、混乱している状況です』ともつぶやいた。池江は100m自由形、100mなど、長水路では5つの日本記録保持者。昨年のアジア大会では6冠を達成し、MVPを獲得するなど、東京五輪でのメダル獲得が期待されている。
“東京五輪のヒロイン”の衝撃的な発表は、世界でも驚きを持って報じられた。AP通信は『日本の水泳選手、池江璃花子が白血病と診断された』と速報し、『18歳の池江はアジア大会で6つの金メダルを獲得し、母国での2020年オリンピックの顔として注目されている』と紹介した。池江が直前まで合宿を行っていた豪州の『7スポーツ』には『日本の10代の水泳の星にショッキングな診断』と題し、『東京五輪で本物の金メダル候補だった池江璃花子が白血病と診断された。衝撃的な発表は彼女のツイッターを介して世界中に届いた』と、驚きをもって報じられた。
また中国の新華社通信は見出しの冒頭に『痛!』を付け、『日本の天才水泳少女が白血病と診断』。そして『18歳の池江はアジア大会で最も輝いた星だった』とし、『アジア大会で金メダルを獲得した後、彼女は驚くべきことに「肉体の限界は感じていない。75パーセント」と話した』と、その将来性を示すエピソードを紹介していた。
五輪出場にどれだけリスクがあるのか不明なれど、静養のため休むだけでも大きな痛手であろう。しかししっかり養生し、是非五輪には勝負は別として、出場して欲しい選手ではある。が、無理だろうなあ。神も無慈悲なことをなさる。残念。