今日の画像は、『春霞のかかる広島市』、広島でも普通にみられるようになった超高級車『ベントレー』。そして、『世界遺産ベスト70 次戮任后36 タージ・マハル インド、37 マッコーリー島 オーストラリア、38 ビャウォヴィエジャの森 ベラルーシ・ポーランド、39 ラージャスターンの丘陵城塞群 インド、40 ナンダ・デヴィ国立公園と花の谷国立公園 インド、です。
ベントレーは、イギリスの車ですが、今はVWの傘下に入っており、エンジンなどはVWから供給を受けています。あの『ミニ』もイギリスで生産されていますが、会社自体はBMW傘下です。イギリス資本の量産自動車メーカーはすっかり姿を消しましたねえ。これでいいのでしょうねえ、イギリスは。右下をクリックすると、大きな画が見られます。
★★NHKの朝ドラ『まんぷく』。チキンラーメンの生みの親『安藤百福さんの妻仁子さん』を主人公にしたドラマ。フィクションの部分もだいぶある。百福さんが台湾生まれで、織物の商売で独り立ちされたこと、終戦時には不動産に手を染め、その関係で信用組合の理事長に祭り上げられたことなど、経済人、財界人としての横顔が落ちている。ここに百福さんの『私の履歴書』を参考に、『チキンラーメン、即席ラーメン、百福さん』の歴史を綴る。
★★★カップヌードルの開発は山を越えたかと思ったが、さらに大きな山が控えていた。上が広く、底の方が狭い容器にめんを収めるのが大変難しかった。めんを容器より小さくするとストンと中に落ちる。これでは輸送中にめんが壊れてしまう。そこで出会ったのが『宙づり』のアイディアだった。めんの直系を容器の底部より大きくして、容器の中間に固定する方法である。
ところが、めんの平らな部分を水平にするのが難しい。いびつになったり、ひっくり返ったりして、上に乗せた具材もばらばらになって底に落ちてしまう。ある夜、布団に横たわって考えていると、突然天井がぐるっと回った。天と地がひっくり返ったような感覚だった。その時ひらめいたのである。そうか、容器にめんを入れようとするからだめなのだ。めんを伏せておき、上から容器をかぶせればいい。逆転の発想だった。
やってみると、めんは容器の中にしっかりと固定され、びくとも動かなかった。これが後に、カップめんにおける『中間保持』の技術として実用新案登録されたもので、素晴らしい副次的な効果をいくつも持っていた。例えば、めんが中間に固定されているため、かすがいの役割を果たしカップの強度を高めた。輸送中、少々乱暴に扱われても、めんは壊れない。めんの上の空間に具材を盛ることが出来るので、蓋を開けた瞬間に色とりどりの具材が目に入って、食欲をそそった。
エビ、豚肉、卵、野菜など具材の乾燥にはフリードライFDの製法を採用した。お湯を加えた時の戻りが良く、食感、うまみ、形が損なわれない理想的な乾燥法だった。ただ、当時の日本の技術水準は低く、供給量も足りなかった。私は容器を開発した時と同様『日清エフ・ディ食品』を設立し、技術の内製化を図った。
開発を進めるうちに、ひょっとしたら今までにない商品が出来上がるのかも知れないぞ、とかすかな興奮を覚えた。カップは即席めんの包装素材である。ところが、お湯を注いで蒸らす時は調理器具となる。フォークで食べる時、それは食器になる。一つで三役をこなすような容器が、かつて市場に出たことがあるだろうか。仕上げのデザインは大高猛さんに依頼して、ついに『カップヌードル』が完成した。
時間に追い立てられるように、私は茨城県取手市に3万3千屬旅場用地を買った。新製品のサンプルも出来上がっていない時期に工事を始め、5ヵ月で試運転に入った。私は細心大胆をモットーにしているが、この時ほど大胆だったことはない。日清食品関東工場は、カップヌードル専用工場として誕生した。私は61歳を迎えていた。普通の人なら定年になっている年齢だが、私は自分が生んだ商品を育てることに夢中だった。
1971年(昭46)5月、東京の経団連会館で発表会を開いた。試食した人はその場でみな美味しいと言ってくれた。だが、後の表情が冴えない。以外にも反応は悪かった。マスコミは屋外レジャーに便利な際物商品という評価だった。問屋は『袋めんが25円で安売りされている時代に100円は高い』と言う。揚げ句は『日本には昔から家族で食卓を囲み、いただきます、ごちそうさまと言う行儀のいい習慣があるのに、立ったまま食べるとは良風美俗に反する』と言う意見まで出た。
結局、商品を後押ししてくれる問屋はなく、注文も来なかった。正規の販売ルートを閉ざされて、仕方なく新しい流通経路を開拓せざると得なくなった。(参考: 2001年9月・日経新聞『私の履歴書』。07年没、享年96歳)
★★いよいよ『平成』も終わる。『昭和』はどんどん遠くなる。その昭和の歌謡界で、是非ともアップしておきたい人、『西条八十さん』。西条さんは、早稲田大の仏文の教授でありながら、童謡や校歌、歌謡曲の作詞も行って、同僚らから『堕落だ』と厳しく攻められた。なら、大衆のためだと、教授職を投げ打つ。そして作詞と仏文の研究を貫きとおし、幾多の名曲を生み出した。(「紫陽花」「うしろ姿」「乳母車」「おくれ時計」「お月さん」)
『西條八十㉑ 1番弟子・佐伯孝夫「有楽町で逢いましょう」で大ヒット』
昭和32年から33年にかけてコロンビアの女性歌手が出したレコードのヒットソングは、ひばりの『港町13番地』、島倉千代子の『東京だよおっ母さん』と『からたち日記』、それとコロンビア・ローズの『東京のバスガール』である。この歌の作詞は丘灯至夫トシオで、八十の門下生の一人だ。古関と組んだ『高原列車は行く』、『憧れの郵便馬車』をヒットさせ、順調に伸びている。流行歌の作詞としては西條門下の3番弟子になる。
1番弟子の佐伯孝夫も負けてはいない。『東京の屋根の下』に続いて、『銀座カンカン娘』、『高原の駅よさようなら』、『三味線ブギ』、『サンフランシスコのチャイナタウン』、『アルプスの牧場』と立て続けにヒットを放ち、今やビクターの4番打者と言っていい。そして今、『有楽町で逢いましょう』が話題をさらっている。
昭和32年5月、有楽町駅前にそごうデパートが開店した。デパートの宣伝のためビクターと提携して作られたのが『有楽町で逢いましょう』で、佐伯が作詞、作曲は吉田正、ジャズ出身のフランク永井が歌い、今年に入ってヒットした。フランク永井の低音は一世を風靡する。コロンビアにも神戸一郎という低音が売り物の専属歌手がいて、八十作詞の『別れたっていいじゃないか』と言う歌をヒットさせたが、フランクには到底及ばない。そこに浪曲師から歌謡界に転向した村田英雄が、『無法松の一生』でデビューした。浪曲出身は、テイチクの三波春夫が一足先に『チャンチキおけさ』をヒットさせている。
『低音で凄いのは、何と言っても裕次郎だよ』。八十は佐伯に言った。日活映画の新星、石原裕次郎主演の正月映画、『嵐を呼ぶ男』は、長年トップを走っていた東映時代劇2本立てを打ち破り、3億5千万円の興業収入を記録した。映画の中で歌った同名の主題歌は大ヒットし、裕次郎が所属するテイチクは近頃景気がいい。
2月に日劇で開かれた『第1回ウエスタン・カーニバル』では、ロックンロールとカントリー&ウエスタンのヒルビリーを合わせたロカビリーが人気を呼んだ。平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎の『ロカビリー3人男』がギターを抱えて歌い出すと、若い女性客が黄色い悲鳴のような歓声を上げ、紙テープを投げる。中には踊り出す者もいれば、ステージに駆け寄って抱き着く者までいる。それはまさに狂乱状態だ。戦国時代が終わって、人心が安定した慶長年間、出雲の阿国の『念仏踊り』が流行り、若者達は足を鳴らして踊り狂った、と分析する社会学者もいた。『お互いに裕次郎やロカビリーに負けないよう頑張ろうじゃないか。健闘を祈るよ』。八十は愛弟子にエールを送った。 (参考: 吉川潮著『流行歌・西條八十物語』)
★★<芸術の国フランス便り>フランスでは、毎月決まった回数の仕事がない芸術家や映画、テレビなどで働く人達が安心して生活できるよう、国が経済的に援助してくれる。ヨーロッパでもフランスにしかない制度で、1936年に出来た。公務員として『コンセルバトワール公立の音楽院』で教師をしている私でさえ、月に4回ほどコンサートをしていればこの枠に入れてもらえる。毎月ほとんど同じ回数のコンサートがあるにも関わらず、月10万円くらい補助金が下りるのだ。初めは申し訳ない気持になった。外国人の私にさえこんな暖かい受け入れ態勢。国籍は問われない。フランスはやっぱり芸術の国だ。
昔、フランスに住むベトナム人の医師から言われたことがある。君ピアニスト? それって職業じゃないよね? そうかも知れない。芸術家が職業になれる社会とは、豊で芸術を愛好する貴族や僧侶の階級が力を持ち、芸術家を雇っている社会。芸術家を助けてくれるのは? そこで誕生したのが国からの援助だ。歌劇『ラ・ボエーム』に描かれたような苦しい生活。でも好きな分野で何かをクリエートし、表現する仕事はやめられない。次の出し物について熱く語る目に疲れなど見えない。そんな連中はいくらでもいる。
パリにいると、昔から芸術家を支えてきた古いブルジョワ階級に出くわすことが多い。何代も前から芸術が生活の一部になのだ。芸術家を助けることは彼らにとって当たり前で、それが誇りなのだ。すり減って上り下りにこつを要する石の階段。上り詰めると男主人が出て来て『君がいい音を出せるようきちんと調律しといたよ』と家の中に招き入れてくれる。
古い絵達が、そこにあるのが当たり前のように、きれいに塗り直された石造りの壁に堂々と飾られている。中世に作られた格子戸風の窓から見る景色はいつから存在したのだろう? 丁寧に磨かれたスタインウエイのピアノが全開にされ、優しく私に微笑みかける。楽しくて嬉しい時間の始まりだ。(パリ在住、廿日市市出身ピアニスト 新田美保筆)
★★<インドネシアで『動画ビジネス』起業>経済伸長の著しいインドネシア。その成長の波に乗り、動画配信サービスを起業、成功させた青年がいる。日本発の女性向け動画メディア『C Channel』のインドネシア法人、CEOの『笹川大和さん(29)』だ。
日本人として海外に生きる。こんな思いが10代から芽生え、神奈川大学在学中には米国留学をしたり、インターンで歩いた企業は11社。その中から、一番楽しく感じたのがIT企業だった。はて、どの国でやるべきか。米国や中国は巨大だが、割り込むのには壁が高い。そこで東南アジアに目を向け、最大の人口を抱え、平均年齢も29歳と若いインドネシアに目をつけた。『この国に出れば、東南アジア全体に賭けているのと同じ』と話す。
2013年、現地企業と共に美容系ネットメディアを立ち上げた。その後、日本で女性向け動画配信で業績を伸ばしている『C Channnel』と意気投合。この会社のインドネシア進出の先兵を買って出た。現在、美容と食をテーマに、毎月100本の1分間動画コンテンツをインドネシアで制作。日本や韓国で作られたコンテンツと併せて配信している。
この国では、経済成長と仕事の手応えがダイレクトに繋がる。日本食レストランが増え、カロリー表示への関心も高まっている。化粧品の需要が増えれば、次はスキンケアの市場が盛り上がって来る。そんな人々の欲望に応えるコンテンツを出して行けば、着実に業績に結びつく。従業員は40人に増え、動画配信の登録者数は370万人に達した。
だが、安穏としてはいられない。成長市場には強力なライバルも現れる。インドネシアの富裕層の子供の多くは米国で教育を受けて育ち、ハーバード大やスタンフォード大のような一流大学を出て母国に帰り、続々と起業している。勿論、負けるつもりはない。世界を舞台にした、成功者の1人になりたい。
人口が減り、若者が夢を見られない国、日本。『このままだと10~20年後の日本は韓国人や中国人が退職後に移り住むリゾート国になるのではないか』と、外から見て思う。
『勝手に言ってるんですけど、黒船が来て若者が立ち上がり、外から人を受け入れて這い上がったのが「開国1.0」だとすれば、今は若者が自ら出て行かないと変わらない「開国2.0」の時代何じゃないでしょうか』。笹川さんの理論は明快である。
★★<対韓国、関税引き上げ検討=徴用工訴訟で対抗措置>政府は、韓国人元徴用工訴訟の原告側が差し押さえ済みの日本企業の資産を売却した場合、企業に実害が生じたと見なし、対抗措置を発動する方針を固めた。韓国経済に同等の損失を与える措置とする考えで、韓国産の一部物品に対する関税の引き上げを軸に検討している。
複数の日本政府関係者が明らかにした。政府は日韓請求権協定に基づく協議をぎりぎりまで呼び掛ける方針だが、韓国政府が応じる兆しはない。対抗措置が発動されれば、日韓関係の一層の悪化は必至だ。
関係者によると、日本政府は対抗措置として既に100前後の選択肢をリストアップ。関税引き上げに加え、一部日本製品の供給停止や、ビザの発給制限も浮上している。世界貿易機関WTO協定との整合性や日本経済への影響も考慮し、措置の内容を決める。
日本政府はまた、日本企業の資産が現金化されれば韓国政府への協議要請に見切りをつけ、請求権協定に基づき、第三国委員を交えた仲裁委員会設置の要求に切り替える。
もっともな成り行き、対応ではある。これでサムスンのスマホが値上げになるなあ。まあ、韓国製品のボイコットは静かに日本国中蔓延しつつあるがなあ。
★★<ニート、屋根に上って卒業>2017年の夏、東京都あきる野市。俊太郎(27)は建築中の2階建て住宅の屋根に上って立った。目線は地上8m。深く息を吸い込んで見上げると、快晴の青空が広がっていた。『やっぱり空って青かったんだ』。みんなは僕らをニートと呼んだ。けれども僕らは変われた。屋根の上で汗だくになり、青空を見上げる快感を知ってしまった。もう後には戻らない。
高校までの成績は悪くなかった。でも大学で目標を見失ってしまった。就職活動の時期を迎えても何かをする気になれず、卒業後は友人とも連絡を絶った。大学を卒業してからの3年間、俊太郎にとっての空は闇夜だった。川崎市の自宅の部屋に閉じこもり、本やマンガを読んだり、寝ていたり、窮屈な思いはあったが、外で他人と顔を合わせるのはもっと嫌だった。夜になると、1人で散歩に出た。近所の河原のベンチ、時には墓地に腰かけて星空や月を眺めた。
ニート生活が2年余り続いたところで、両親から川崎市の『地域若者サポートステーション』を紹介された。ニートの自立支援を促すための組織だ。そこで、戸建て住宅の屋根づくりを手掛ける『南富士(三島市)』の土井知恵さん(32)と出会った。土井さんは、南富士の杉山会長の意向を受け、サポステに人材探しにやって来ていた。
首都圏を中心に毎月千棟の屋根作りを手掛ける南富士。500人の屋根職人を擁するが、慢性的な人手不足と高齢化に悩まされていた。建設業界では、人手不足を補うため外国人の技能実習生を採用する企業が増えていた。だが杉山さんは、ふと思った。『日本の若い人材は尽きてしまったのだろうか?』。今は引きこもっていても、本当は仕事を欲している若者もいるのではないか―。
社内には否定的意見もあったが、杉山さんはそれを押し切った。南富士は『ニート採用』の1期生として、俊太郎ら3人をまず見習いとして受け入れることにした。17年7月、俊太郎は3ヵ月の見習い期間を経て、正社員になった。雑な仕事をすれば後で雨漏りの原因になる。責任は重大だ。でも、励まし合う仲間がいた。同時期に採用された雅弘(36)と秀(23)だ。
雅弘は大学時代の就活で失敗し、近所の目が気になって外に出られなくなった。誰かに後ろ指を指されている気がして10年以上も引きこもった。でも南富士で初任給をもらい、やっとスタート台に立てた実感が湧いた。『屋根の仕事、そして会社に僕は救われました』。
秀は人付き合いや早起きが苦手だった。でも屋根の仕事をして、仕事のない週末の方がつらいと感じるようになった。遠出なんて考えもしなかったのに、昨春の連休には広島にひとり旅に出た。『もう後戻りはない。早くいい屋根を作れるようになりたい』。ずっと3人を指導してきた鈴木さん(47)は、『もう一人前の若手職人。ほかの同僚も彼らとなら一緒にやっていける』と話す。
南富士はこれまでに7人の若者を正社員として採用し、10人が研修中。将来は100人まで採用を増やしたい考えだという。若者の自立を手助けしながら、業界の深刻な人手不足に対処する。そんあ『ウィンウィン』の関係が出来てはじめている。
今、仕事を求めても、希望する職種がないとして、ニートまがいの人が360万人いる。おおむね、事務系の仕事を希望しているそうだ。私は、この『事務系の仕事』とは一体どんな仕事をイメージしているのだろうかと思う。ITの発達で、昔ながらの事務作業はほとんどなくなっているのだ。事務系の仕事のハイライトは営業職なんだよね。仕事がない、仕事がない、とずるずると還暦を迎えたら、この人の一生、何だったんだと思うね。
漁業、農業、林業・・・。手を直に仕事に染め、活躍する場はたくさんある。私がいつも思うのは、積極的に仕事、キャリアを考えていないことが問題なのだ。例えば、東北のリンゴ農家の後継者が少なく、困っていると聞く。また、瀬戸内のみかん園も同様だとか。なら、弘前の市役所を訪れ、後継者を捜しているりんご園を紹介してもらい、弟子入りするという方法がある。リンゴ育成も、手間暇がかかり大変だが、今や日本のリンゴは東南アジアでの売れ筋だ。さらに、瀬戸内のみかん園はやや伸び悩んでいる。そこで、みかんに替えて新しい柑橘類、高付加価値の柑橘類を栽培したらどうだろうか。若い人だと、植え付けから5~10年後の刈り取りの時間は待機できる時間だと思うねえ。折角、人の世に生まれてきたんだから、なんらか工夫をして、元気で有意義な人生を送ってもらいたいと思うよ、拙者は。
★★<崖っぷちの『社民党』>『驕る平家久しからず』を想起させるのは、『社民党の現状』だ。1996年に『日本社会党』が改称し、以降党勢は下り坂を転げ落ちており、現在衆参両院に各2議席、計4議席と滅亡寸前の状態。国政の政党要件は『国会議員が5人以上所属するか、直近の国政選挙で2%以上の得票がること』なのだ。
従って、社民党は国会議員が4名だから、失格。すれすれ得票が2%を上回っていることから、かろうじて政党扱いを受けている。
もしこの夏の参院選で得票率2%を割ったら、どうなるか。政党ではなく、烏合の衆になる。なぜもこのような凋落になったのか。
1989年の参院選では、今と異なる熱気だった。社会党の『土井たか子委員長』が遊説先で消費税導入を『ダメなものはダメ』と批判すると、各地で女性を中心に聴衆で人垣が出来た。『マドンナ旋風』などで、改選46議席を獲得。自民党を初の過半数割れに追い込んだ土井さんは『山が動いた』と語った。
その後、さしたる増勢は見られなかったが、『村山富市委員長』時代、党が違憲と訴えてきた自衛隊を合憲と認め、日米安保条約を堅持すると認めた。そして自民、新党さきがけとの連立政権に踏み出した。この長年のライバル自民党と手を組んだことが支持者離れのきっかけとなり、以降現状のみるも無惨な状態にある。
私は、当時、北朝鮮による日本人拉致が取り沙汰されていたが、北朝鮮は事実を否定した。それを受けて土井たか子さんは『北朝鮮はウソをつかない』と表明。この人の頭脳、正気かえ、古びたなあ、と感じた。以降私は、この党の言うこと、示すことは一切受け付けない。あんの定、北朝鮮は日本人を多く拉致している。韓国など千人近くが拉致されている。
消えて、なくなるしかない『社民党』。止むをえないなあ、自ら天に向かってツバを吐いたのだからな。
★★<ペロシ米下院議長、トランプ氏の弾劾支持せず>米民主党の『ペロシ下院議長』は、米国がどれほど分断されるかということを踏まえると、やむを得ない超党派の理由がない限りトランプ大統領を弾劾すべきではないとの見解を示した。11日付の米紙ワシントン・ポストに掲載されたインタビューで語った。
ペロシ下院議長は、先週行われた同インタビューで『弾劾を支持しない。弾劾は米国にかなりのあつれきを招くことから、やむを得ない超党派の何かがない限り、進むべき道ではないと考える。弾劾は米国を分断する』とし、『トランプ氏はそれに値しない』と述べた。
米大統領選へのロシア介入疑惑を捜査するモラー特別検察官は近く、バー司法長官に捜査報告書を提出する。モラー氏は、米大統領選でトランプ大統領陣営がロシアと共謀したかどうか、トランプ氏が違法な司法妨害を行ったかどうかについて捜査を進めてきた。不正の証拠が示された場合、議会は大統領に対して行動を起こす可能性がある。
ペロシ下院議長は、トランプ氏の弾劾に動くのは過度な対立を招くとして消極姿勢を示したものの、トランプ氏は大統領にふさわしくないとの見解を示した。『トランプ氏が米国の大統領に適しているとは思わない。倫理的にも知能的にも、好奇心の面でもふさわしくない』と指摘した。
この発言は、ある種、政治的フェイントの発言だろうなあ。民主党の良識を共和党と重ね合わせ、国民に一定のアピールをしたことになるだろう。が、弾劾は既定路線。その弾劾理由もすでに相当数挙げられていて、一説によると80件にものぼると。これだけ『大統領にふさわしくない人物、トランプの実証』がある限り、民主党は弾劾に進み、時期大統領選で共和党へのダメージを決定づけるだろうなあ。見ものだ。
★★<大坂なおみ今は『テニスを楽しんでいる』連覇に前進>世界1位の大坂なおみが、また1歩、2連覇と世界1位堅持に前進だ。同25位のダニエル・コリンズ(米国)に6-4、6-2のストレートで勝ち16強入りを果たした。4回戦では同23位のベンチッチ(スイス)と対戦する。
大会はコーチ交代もあったり、世界1位の立場に自分を見失うこともあった。それでも『いろいろと考えてやっぱり自分にはテニスしかない』と感じたという。今は『テニスを楽しんでいる』と続けた。その心の持ちようは、積極的なプレーにも表れた。
今大会は初戦の2回戦で、2月23日閉幕のドバイ選手権の初戦で敗れたムラデノビッチ(フランス)に雪辱。波に乗った。コリンズは安定したストロークが武器だが、フットワークにやや難がある。大坂は、左右に振り回すだけでなく、逆をついたり、得意のパワーで打ち勝った。
見事なり、大坂なおみさん、だなあ。国民的に期待大なり、だ。