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『いずみたく物語㉒ 無愛想な女の子、いしだあゆみ誕生 そして東芝柳瀬WH問題』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、宇都宮市古賀志の小学校運動所のまん中に鎮座する枝垂れの『孝子桜』、そして私のホームコース『牛田山縦走路の緑機戮任后若葉から濃い緑の世界へ、季節は駆け足で駆け抜けます。

毎週1回、この牛田山をピストン縦走します。夏のアルプストレッキングに備えて。今夏は、スイスアルプス、アイガーのある『ベルナーオーバーランド』で2週間の避暑とトレッキング三昧に。フライトは、福岡発チューリッヒまでの往復を『キャセイパシフィック』で、オープンジョーとストップオーバーを入れ、72,800円。香港のキャリアで、ひさしぶりに香港にストップオーバーし、香港の山歩きにもトライ、です。

『孝子桜』は樹齢450年と言われ、この地の子供達に、『孝子桜』伝説が伝えらえて来た。『孝子桜』の花を咲かせるため、子供が神様にお願いし、自分達が桜の面倒を見て咲かせることが出来たというシナリオ。現在は、『孝子桜まつり』が例年行われ、子供代表がこの伝説をさらに下の子供達に伝える儀式を執り行っています付近には、枝垂れの大木があちこちにある地域。その代表、素晴らしき『孝子桜』です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★石田良子という一人の平凡な少女がボクの家に寄宿していた。寄宿、つまり居候だ。歌が少しばかりうまくて可愛いのだが、人間嫌いで、不愛想な女の子だった。15歳の時に家に来て、学校に通いながら、あちこちのバンドでジャズを歌わせてもらっていた。東宝の松岡社長と、ボクの電通の友人の紹介でボクの家で勉強を始めて、事務所にも出入りして、歌を習っていた。

ある電機メーカーで可愛いCMガールを募集していると聞いて、そのオーディションに連れて行った。ところが、話をしているうちにこの娘は面白そうだというので、テレビの1時間ドラマの役がついて出演することになってしまった。森繁久弥サン主演の『七人の孫』というドラマの、一番小さい孫をその娘に演じさせようと言うのだ。

名付け親を永六輔に頼んで、急いで勉強を始めさせた。『いしだあゆみ』が誕生した。ドラマが始まると、『あゆみ』の放埒ホウラツな演技はベテラン森繁をはじめ、他の演技者を食って評判になり、一躍テレビのアイドルになってしまった。レコードも発売され、17歳の彼女は、スター街道をばく進しだしたように思えた。しかし、彼女自身好きな歌が、いっこう思うように歌えず、もうちょっとというところで足踏みしている感じだった。『あゆみ、歌なんていうものは人間次第だよ。19か20になって、人間が出来上がると同時に、いい歌がきっと歌えるよ』。ボクは何回となく彼女を励まし、慰めた。


プロ根性のある娘で、苦しい辛い仕事も、決してイヤと言わない娘だ。『先生、あたしは忙しいのが好きなんです。暇だとじっとしていられないんです』。そして頑張り通した彼女は、ボクが予言した通り、20歳の春に『ブルーライト ヨコハマ』で大ヒットを飛ばした。そして正月に家に遊びに来た彼女は、『あたしやっぱり歌が好きだから、一生歌っていたい。先生よろしくね』と可愛い顔で笑っていた。

15歳の頃の無愛想な少女の面影は全くなく、デビュー当時新聞週刊誌、テレビの記者達の間で、『あんなんに無愛想で、オレ達の質問にまともに答えないスターは初めてだ』と噂された『あゆみ』はいなかった。とてもステキに、一人前の女になった『いしだあゆみ』を感じて、ボクは嬉しかった。そして現在、彼女は歌よりもドラマで大活躍している。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<ジャパネットたかた・自社ビルを建てる>ラジオ通販事業の拡大と共に、膨大な注文や配送などのさばき方が深刻な問題になってきた。1本だけだった臨時回線を2本、4本と増やし、12本、24本にしても電話は鳴りっぱなしだった。なにしろ、普通のカメラ店がいきなり市場の大きい通販の会社になったものだから、専用倉庫もなく、店のあちこちに商品が山のように積み上げられ、足の踏み場もなかった。

もはや限界、近代的な社屋がないとどうにもならない。すぐ私は動いて、幹線道路に近く配送にも便利な土地を見つけた。だが、社屋を建てるとなると土地代を含めて数億円はかかる。まだラジオ通販を始めたばかりのちっぽけな店が、数億円の融資をどうやったら受けられるのか。そればっかりを思案していた。佐世保市内のなじみのスナックで弟の武にそのことを話していると、ママがカウンターから身を乗り出して、『明ちゃん、お隣にちょうど銀行の支店長さんがいらっしゃるわよ』と囁いた。

驚いて首を巡らせると、穏やかそうな男性が座っていた。名刺には『十八銀行佐世保駅前支店長』とあった。仕事の話をしながら、『支店長、5億円くらい融資をしてもらえませんか』とお願いした。初対面で5億円の融資依頼とは、支店長もさぞビックリされたことだろう。私は翌朝、支店長を訪ねてみた。すると酒の上の話ではなくて、本当に5億円を融資してくれた。それを資金に1994年(平6)5月に完成したのが、大塔第一ビルだ。


もう一つの悩みは会社のブランドだった。放送エリアが広がる度に『通販九州』『通販中国』など地域名を付けていたが、煩わしいことこの上ない。『もう限界だ。全国通しの名前を考えよう』。93年、福岡のグラフィックデザイナー、平松さんを訪ねた。平松さんは『それならジャパンネットはどうですか』と提案してきた。『ジャパンネット。いいじゃないですか。ついでにジャパネットにしましょうか』。そして後にたかたを付けて『ジャパネットたかた』が誕生した。これがその後社名になる。

事業展開を視覚的に表すため、日本列島をモチーフにしたロゴマークも作ってもらった。歌もあったほうがいい。作曲家の恒見コウヘイさんにお願いした。90年にラジオ通販を始める前の年商は3億円に届かなかった。新社屋が出来た年にちょうどラジオ通販の全国放送網が完成し、43億円に増えた私の頭の中で『テレビショッピング』という文字がちらつき始めた。(参考:『私の履歴書・高田明』)


★<北朝鮮に核を放棄する意思はない>4月20日を境に、一部では北朝鮮が本当に核を放棄するのではないかとの期待、憶測も出始めている。この点は、今後の展開を注視しなければならず、断定的なことは言えない。

ただ、歴史的に見ても、北朝鮮が核兵器の開発や攻撃能力の保有を完全に放棄することは想定しづらい。なぜなら、金独裁政権にとって核兵器の保有こそが体制維持のための必須手段に他ならないからだ。

金日成、正日の時代も北朝鮮は非核化を宣言した。しかし、いずれも国際社会との協約が順守されることはなく、秘密裏に北朝鮮は核攻撃能力を開発してきた。その延長線上に、今日の金正恩委員長があるわけだ。リビアのカダフィ政権は不可逆的に放棄したが、それは内戦に欧米が軍事介入を行う余地を作った。もしリビアが核を保有し続けていれば、状況はかなり違った殿見方も出来る。


北朝鮮が同じ轍を踏むことはないだろう。地下や山中に場所を移して、核兵器の開発が続けられる可能性はある。一部では、すでに北朝鮮が運用可能なミサイル発射技術を確立したとの指摘もある。そう考えると、対話は体制を立て直す時間かせぎに過ぎないと言える。

今後、米国の役割が一段と重要になる。米朝の首脳会談で北朝鮮が最終的かつ不可逆的な核放棄の意思を示さなかった場合、トランプ大統領が会談の席を立つことも想定される。それは、交渉を一段と困難にし、朝鮮半島情勢の緊迫化を高めるだろう。中間選挙を控える中でトランプ大統領は強硬姿勢を示すことで有権者の支持を得たいのだ。(参考:真壁昭夫法政大学院教授筆『北朝鮮が豹変した理由』)


★<柳瀬唯夫のWHのトラウマ>『東芝がウエスティングハウスWHを買収した2006年は日本のエネルギー政策が大きく変わった節目となった。政官民が結びつきを強めた「2006年体制」とでも呼ぶべき、新しい原子力ルネサンス体制が構築されたのであった。WHを高値づかみした東芝を原子力産業の救世主に見立てたのが当時、経産省資源エネルギー庁で原子力政策課長の要職にあった「柳瀬唯夫」だった。東芝も、そして特に三菱重工は律儀なほどにエネ庁のもとにWHの買収交渉の経過報告を欠かさなかった。

「経産省は、日本勢で買え、買え」とうるさかった(東芝の担当役員)、「エネ庁はGEに持って行かれるのを恐れていて「絶対にせり落とせ」という感じだった(三菱重工の関係者)。両者の背後にはエネ庁の存在があった。実は柳瀬が経済産業政策局の政策企画官から04年6月に原子力政策課長に着任したとき、経産省の電力政策、とりわけ原子力政策は大揺れだった。そのトラウマが、本来は温厚で飄々とした彼をして極端な原発礼賛派に変えてしまったと見られる。

柳瀬が原子力政策課長に着任した当時、経産省の事務方トップである村田成二事務次官は、潤沢な資金によって政治家やマスコミ篭絡し、欧州で特に進んだ電力自由化の日本への導入に徹底的に抵抗するなどエネルギー政策を歪める電力業界を苦々しく思っていた。東電からすると村田はいつも喧嘩腰だった。そんな時に米GEに勤務していた技術者が、東電の福島第一原発の機器にひび割れがあったにも拘わらず、それがないように意図的に編集したビデオを作らされた旨、内部告発したのだった。これに端を発し、東電の原発データ改ざん問題が判明。村田は東電に厳しい姿勢を示し、南直哉社長から経団連会長を務めた平岩外四相談役まで歴代4首脳を退陣に追い込んだ。東電からすると「村田さんにやられた。行き着くところまで行ってしまった」という全面降伏であり、組織内に村田への怨念が残った。


村田の前任の広瀬勝貞次官は、02年5月、荒木会長や南社長、勝俣副社長と極秘会談し、六ヶ所村の再処理工場の撤退についておおむね合意しており、後任の村田はこれに取り組もうとしたが、荒木や南が引責辞任した後とあって東電の態度は硬化していた。正攻法が封じられる中、村田が選んだのは、「裏技」だった。エネ庁の電力市場整備課や原子力政策課で核燃への問題意識を育んだ若手6人が遊撃隊として核燃凍結を求めて決起した。再処理工場が稼働すると、原発とは比べものにならないほどの高濃度に汚染された放射性廃棄物が発生する上、建設費や運営費に19兆円以上のコストがかさむことを指摘した「19兆円の請求書」と題した資料を作成。

これを「品のよい怪文書」として与野党の議員やマスコミに持ちこみ、世論を喚起することによって核燃凍結の関心を高めることを試みた。が、「くれぐれも内密に」と説明した経済紙の論説委員が電事連に内通したと見られ、エネ庁は自民党電力族や電力業界、立地県の青森県などから猛烈な反撃に遭い、結局、彼ら遊撃隊の多くは任務をハズされ、閑職に追いやられ、経産省を去った者もいた。この時村田は、前線に送り込んだ彼ら少年兵を助けなかった。以来村田はこの時のことをあまり語りたがらない。電力業界にスキャンダルを握られ、沈黙を強いられているとも噂される。

その一部始終を担当課長として目撃した柳瀬は、電力業界の政治的パワーの強烈さにおののき、電力業界との協調、原子力村との平和共存路線に舵を切る。そして東芝のWH買収の半年後の06年8月に出来上がったのが「原子力立国計画」だった。この「計画」の中で原発メーカーの海外進出方針が明記され、政府としての支援、公的金融の活用、二国間協定の締結など原発輸出の枠組みが固められた。アンチ東電・核燃料凍結という村田時代の「電力左派」の政策が、思い切り右旋回した内容となったのである。


柳瀬からすると、WHを買収してくれた東芝は愛ウい会社である。それに対して三菱重工は「競り負けて、一体何をやっているんだ」となる。こうして経産省が主導して東芝と東電の二人三脚による原発輸出政策が進められて行くことになった。この路線は、柳瀬の副官とも呼ぶべき香山弘文、さらに柳瀬の後に原子力政策課長に就いた高橋泰三達によってさらに強固なものとされて行く。

そして、福島原発事故後。かつて原子力政策課長だった柳瀬唯夫が「原子力立国計画」を掲げ、民主党政権下で一気に拍車がかかった原発輸出は、東電の福島原発爆発によって一転して先行きが危ぶまれるようになった。なすすべもなく原発を相次いで爆発させてしまった東電が、原発の運転や安全管理を指導するというのもブラックジョークとしか受け取られないだろう。

原発推進に舵を切っていたドイツのメルケル政権は一転して脱原発法を制定し、こうした動きが先進国に広がりそうだった。独シーメンスは原発事業撤退を表明し、東芝の本家に当たるGEも「原発を経済的に正当化するのは非常に難しい」と発言。2012年10月には、WHに20%出資してくれているショー・グループがWH株の買い取りを東芝に請求し、東芝は1,250億円を払い込まざるを得なかった。ショーも、もはや原発の時代は去ったと認識し、WHから逃げたのである』。(参考:大鹿靖明著『東芝の悲劇』)

そうか、『東芝の悲劇』を演出、助演したのは『柳瀬唯夫』だったのか。後に首相補佐官となる。そして加計学園獣医学部問題では『記憶の限りでは、愛媛県や今治市の方にお会いしたことはありません』と断言し、政局を炎上させた張本人だ。柳瀬が、この東芝のWH買収にお手伝い、推進役を果たしていたのだ。『加計問題』でも、当然主役、助演を演じていたのだろう。阿倍首相の『柳瀬氏は国会に呼ばれれば、しっかりと誠実にお答えする。知っているすべて明らかにしてもらいたい』との国会答弁を受け、やっと国会証人喚問に応ずることになった。野党は、しっかり勉強して、佐川元理財局長の喚問のような、無様な格好だけは避けて欲しい。東芝事件関与前科1犯の柳瀬を許すな、よ。


★<カープ登録選手>カープ藪田が2軍落ち、一緒に磯村も。そして上がってきたのが、投手の長井、捕手の坂倉。長井が上がったことで、16年ドラフトは全員1軍を経験したことになる。中村祐の冷静な力投が見せる中、16ドラ連中の台頭が期待されるねえ。一歩先に出ているアドゥワと並び、投手陣の柱に育って欲しい。


★<サンフレ2-0清水>昨夜のJ1、サンフレは清水に2-0と完勝。得点はパトリックと柏。いずれも技ありのシュートだった。サンフレはこれで10勝1分1敗、勝点31と、2位FC東京に8点差の堂々の首位。今回サンフレは開幕12戦目で10勝を挙げたが、これはJ1の最速新記録、96年の横浜Fの最速タイ記録に並ぶものだそうだ。

W杯の関係で、相変らず週2試合消化のスケジュールが続く。次節は、6日(日)、ホームで神戸を迎える。神戸は現在16位だが、今節FC東京と0-0のドローといい試合をしている。油断ならぬ相手だ。

『いずみたく物語㉓ 倍賞千恵子と青山をマラソン』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、突然引退声明を出した『イチロー』とピーナツの機内提供を廃止した『シンガポール航空』、そして私のトレッキング・ホームコース『牛田山縦走路の緑供戮任后F輿海琉狎写澄驚きです。オリックスに帰り、1年でもプレーしてくれると日本人ファンは喜ぶんだがなあ。


★★★昭和41年。この年はオールスタッフ・プロ制作の春秋2回のミュージカルで明け暮れた。春のュージカルは『結末のない童話』で、八木冬一郎作、松浦竹夫演出、いすみたく作曲、関矢幸雄振り付け、今井直次照明で、紀伊国屋ホールで上演された。主演は尾藤イサオと天地総子。秋のミュージカルも、やはり紀伊国屋ホールで上演された。赤字ミュージカルもこのくらい多く上演してくると、むしろ赤字を出さない方がおかしくて、赤字を出すことに生理的快感さえ生まれてくる。秋の赤字ミュージカルは、『手紙』と『ふうてん』の二本立てである。

二つのミュージカルとも主演は倍賞千恵子であった。倍賞クンとのつきあいは、レコードを通じてであるが、その後彼女のリサイタルを手伝ったりして、大変に仲が良かった。倍賞クンの熱演で、ミュージカルは成功した。ボクは単なるスターでない芸術家としての倍賞クンを見出して、心から祝福した。

一晩、倍賞クンと飲み明かしたことがある。その日は彼女も心からうち解けて、ミュージカルに成功した快い気持も手伝ってか、ボク達は青山のある小さなバーで、ブランデーのグラスを重ねた。みんなかなり酔っぱらって、バーから表に出た時は、朝の明るい日差しが目に痛かった。


突然、彼女は、早朝の人が一人もいない青山の道路を走りだした。ボクは、彼女にケガでもあっては大変と追いかけた。走る、走る、走る。

夜明けの鬼ごっこではないが、数百メートルも走っただろうか。やっと息をはずませながら走る彼女に追いついた時、一緒に追いかけた仲間は一人も見えなくなっていた。

息切れと酔いのため倒れそうになっった彼女を抱き止めた時、ボクは彼女の目に、朝日がキラリと光った一粒の涙を見た。『チコちゃん』『・・・』。ボクはその涙を拭いてあげながら、フトその涙の意味を考えたが、それ以上何も聞きたくなく、知りたくもなく、ただ黙って二人とも見つめ合っていた。青山の夜明けのマラソンは、今でもボクの大事な思い出である。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<ヤマト大幅増益予想>人手不足を背景に、宅配料金の値上げを実施したヤマトHDは、今期営業利益が62%増の580億円を見込んでいる。なんだ、運転手などの給料、待遇改善のために値上げすると言ったその口が乾かぬうちに、大幅増益だと。値上げの理屈が汚いね、ヤマトは。その点、郵便は正直だ。ゆうパックだけは値上げしたが、その率は12%と。料金はヤマトより6%も低い水準を維持している。他の郵便物の値上げはない。ヤマトは個人のレターパックを取りやめたよね。これからは良心的なゆうパックをずっと使おう。


★<シンガポール航空、ピーナツ廃止>シンガポール航空は、機内でのピーナツ提供を中止した。男児に重度のアレルギー反応が現れたことなどを受けた措置。シンガポール航空は昨年、メルボルン行きの航空機に両親と登場していた男児(3)に、他の乗客がピーナツの袋を開けた後、アナフィラキシーの症状がみられたため、調査を行っていた。シンガポール航空の他に、カンタス、ニュージーランド、ブリティッシュ・エアウェイズが機内でピーナツの提供を取りやめている。アナフィラキシーの症状とは、じんましんなどの皮膚症状やくちびるの腫れなどの粘膜の症状とくしゃみ、息切れなどを示す症状を言う。この措置、驚きではある。


★<息子のパチンコ中毒>『あの苦しみは言葉では言い表せない』。統合型リゾート施設IRの導入に伴い、『ギャンブル依存症』への歯止めなど論議がかしましい。これまでも、競輪、競馬、パチンコと公認ギャンブルは野放し開放されている。兵庫県にすむ夫婦の息子は現在、専門の回復施設に入所していると言う。

異変に気づいたのは、1人暮らしをしていた大学3年生の夏。『友達にお金を返すから送ってほしい』。そんな電話がかかるようになってきた。週1度が2度になり、要求額も2、3万円が5万円に増えた。数ヶ月続いたある日、母親が本当の使い道を問いただしたところ、返ってきた答は『パチンコ』。きっかけは友人と行った時の『ビギナーズラック』だった。


大学には自宅から通わせるようになったが、パチンコ通いは止まらなかった。新聞代を入れていた封筒はなくなり、不意の出費に置いていた現金は、タンスや冷蔵庫の中など隠し場所を何度変えても消えた。やがて息子は消費者金融に頼り、5社からの借金があっという間に200万円に膨れあがった。生活は荒れ、通常の仕事は出来なくなった。両親も根が尽き、依存症をヘルプする施設へ入所させた。

政府の調査では、ギャンブル依存症経験が疑われる人は推計で320万人。うち8割はパチンコ・パチスロ。私は、この『ビギナーズラック』に会わなかったお陰で、依存症にならずに済んでいる。ありがたいことだ。


★<イチロー引退>イチローが突然の引退声明を出し、球界のプレーから姿を消す。日米通算4,367安打、メジャー通算3,089安打を放ったイチロー。球団の特別アドバイザーに就任し、選手としては今季残りの試合に出場しないと。ベンチ入りの25人枠から外れるが、球団と生涯契約を結んでチームに同行し、練習しながら選手をサポートする。来季以降は試合出場も可能と言う。

特別アドバイザーとは、『会長付特別補佐』。今季最後のプレーとなった2日(日本時間3日)のアスレチック戦は『9番ライト』で先発出場し、3打数無安打、1四球1得点だった。節目の試合でしか観戦しない弓子夫人が、クラブハウスの外でイチローを待っていた。2人は歩み寄って抱擁。笑顔の夫と対照的に、孤高の天才を支え続けて来た妻の目は充血していた。


あまたの偉業をなしたレジェントが、最も愛着のあるチームを再建するために人肌脱ぐ。当初は故障したレギュラー選手の代役として、6年ぶりに思い出深いシアトルに戻って来たが、キャンプ途中の合流や右ふくらはぎ故障、実践での調整不足などが影響し、数字は振るわなかった。しかし、豊富な経験やムードメーカー的な言動で若いチームメートらを支え、これまで17勝12敗とチームの好スタートに貢献。首脳陣や選手間での存在感はフロント陣の期待以上だったと言う。かつての球団の象徴、将来の米国野球殿堂入りが確実な功労者という意味も併せ、生涯マリナーズの一員として働いてほしいという声が球団内で強まっていた。私個人は、日本に帰り、生まれ故郷、古里オリックスで1年プレーをしてほしかったね。


★<弱投カープ、巨人を制する>今回のカープの巨人戦は、雨のため1試合流れ、2試合となった。壊投までいかないものの、カープの投手陣は不安定で、菅野を擁する巨人には大きな差があると思われていた。ところが蓋を開けてみると、カープの投手陣がよく粘り、なんと2連勝をもたらせた。各紙の戦評では、岡田をベタ褒め。キャンプ時代から大きく前進し、開眼した岡田、と褒めている。

1戦目はドラ5から力を出してきた『中村裕太』が、3失点ながら力投し、白星を。2戦目は『岡田明丈』が8回2失点の粘投を見せ、逆転勝ちで4勝目をゲット。予想を上回る戦績で、カープは2位との差を4に広げた。当面の壁は、交流戦。これを昨季並の成績でクリアすれば、また3連覇の光が見えてくるだろう。それには、ファームにいる若手投手陣から1人でも、2人でも働ける力の登場が期待される。特に加藤などが上がれが面白い。

『いずみたく物語㉔ 居候、今陽子現る』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、クリムトの『黄金のアデーレ』と、ウィーン美術史博物館、その入り口に描かれた『クリムトの壁画とロビーの風景』、『牛田山連山の緑掘戮任后

2015年制作の映画『黄金のアデーレ-名画の帰還』は、クリムトがウィーンに住んでいたユダヤ人女性をモデルに描いたもの。この画は大戦中ナチに没収され、その後ウィーンの美術館で保存されていた。が、この主役の女性、アデーレの姪に当たる『マリア・アルトマン』が、叔母の遺言に齟齬があり、所有権は自分に属すると主張。甥の青年弁護士と共にオーストリア政府を相手取り訴訟を起こす。最後はマリアの主張が認められ、画はかえってきた。が、個人が所蔵するにはあまりにもの名画のため、NYの美術館に売却。その資金をマリアは、孤児院などのボランティア活動に使うという、まさに現代の夢物語のもの。ヘレン・ミレンが抜群の演技を見せています。私は、この映画を封切りで観て、またこの度スカパー!で見直したという次第。とても感動的ないい映画です。この美術博物館は、12年前私がウィーンに行った際、見学した美術館です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★14歳の大柄な可愛い少女が、事務所のソファで、ボクの帰りを待っていた。今津陽子という名前である。『いずみ先生、あたしの歌をぜひ聞いて下さい。あたし自身のピアノの伴奏です』。下手なピアノ伴奏で歌っているテープを、自己紹介の代わりに聞かせた。『先生!あたしを歌手にして下さい』。歌手志望の少年少女にいつも言う言葉だが、『君は5年間、ただ歌ったり踊ったり、毎日毎日勉強出来るかい?それが辛抱出来ないくらいじゃ、歌手は諦めた方がいいよ』『先生、頑張ります!』。ほとんどの少年少女は、異口同音にこう答えるが、実行出来た試しは今だにないのである。少なくとも、歌手として越路吹雪や岸洋子のレベルに達するには、10年、あるいは20年のキャリアが必要なのだ。

その少女は大きな目をクリクリさせて、『絶対、あたしは頑張りますから、先生の家に下宿させて下さい』。どうやら居候志願者が、また一人増えたらしい。ボクはその人一倍大柄な彼女を見ながら、なぜかピンとくる琴線に触れるものがあった。

なんともはや、背が高く、体は大きく、女子プロレス級の女の子で、ボクももて余し気味であった。しかし、歌の基礎や、バレエの基本を教えてみると、なんともカンの良いのには驚いた。『もしかしらた?』。少女は半年間、一生懸命勉強した。そしてその後、時々CMソングなどを録音したり、テレビドラマに出演しながら、勉強を続けた。そして1年半後に、自分の出演しているテレビ映画の主題曲を吹き込んだレコードを発売した。芸名を『今陽子』という名前に改めた。それから1年半後に、名前も『ピンキー』と改め、『恋の季節』を200万枚売る歌手になると、その時誰が考えただろう。デビュー曲のレコードは、全く売れないに等しい、無惨な状況だった。彼女は毎日毎日を、学校と歌、踊りのレッスンに過ごしていた。


今陽子が居候を始めた年、昭和41年、『にほんのうた』が、レコード大賞企画賞を受賞した。ボク達の地味な仕事の成果が、他人に認められて、永六輔もボクもとても嬉しかった。ただ半分の24曲を完成したところで受賞してしまったので、あと残りの24曲を、どのように仕事を進めていくかという大問題が残ってしまった。

ボク達の悩みは、果てしなく大きかったが、『とにかく足で全国を歩いて、作詩作曲を続けよう』。永六輔とボクは固い握手を交わした。

CMソングの作曲も、作品が1千曲を超え、事務所の経営もなんとか先が見えてきた。社員も20人を超える所帯に増え、皆で頑張って働いてきたお陰で、何とかボーナスも払える状況になって来た。丁度その頃、全日本CM協議会が主催する『CMフェスティバル』でCMソング部門の『グランプリ』を受賞した。グランプリを受賞したのは初めてだったので、とても嬉しかった。『にほんのうた』の受賞と重なったので、12月とはいえ、事務所の中は正月と盆が一緒に来たような喜びのウズに巻き込まれていた。

以前にも増して、毎日が忙しくなってきた。睡眠時間は平均5時間という日が半年以上も続いた。食事をする時間もままならず、打ち合わせ中に簡単な食事をとる始末。『たくチャン、どうしてそんなに働くの?』。大勢の人に感心されたり、皮肉られたり、ボク自身は複雑な気持ちであった。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<初心・高田明>最近の嬉しい話。『ファーレン長崎』はJ1に昇格したものの、残留は難しいと大方の予想の中でシーズンへの幕が開いた。第6節まで勝ちがない厳しい戦いが続いたが、7、8、9節で3連勝した。J1昇格チームで3連勝以上したのは長崎を含めて6チーム。過去の5チームはその年のJ1残留を果たしている。

10試合を消化した時点で4勝4敗2分で9位。強豪ぞろいのJ1の大舞台に選手がなじんできたら、もう一度『長崎の奇跡』が起きるかもしれない。シーズン終了まで初心を忘れず、勝利を信じて頑張ってほしい。そして広島と共に、世界で唯一の被爆国になるクラブとして『サッカーを通じ、世界へ平和の尊さを発信して行けたら』と思う。

私も今年で古希を迎えるが、これからの人生が本番と心得ている。内外を旅して世界遺産を見たり、カジノを楽しんだり、下手なゴルフに挑戦したり。願わくば2~3年、海外にホームステイして英語を学び直したい。情熱を持って生きている限り、人は年を取らない。


私の座右の銘は『夢持ち続け日々精進』だ。この言葉が大好きで、何千回となく口にした。夢は『持っていたのに』と過去形ではなく、持ち続けるものだ。その夢に近づくために『昔は頑張った』と振り返るのではなく、『今を頑張っている』ことこそ大事だと思う。もう時間ですね。明はこれからも一生懸命、行きますよ。皆さんもお元気で!(参考:高田明筆『私の履歴書』)

まさに、毎日夢を持ち続ける精神こそ、年を取らない秘訣であろう。サムエル・ウルマンも『青春』でこう言っている(抄)。
青春とは人生のある期間ではなく心の様相を言うのだ
優れた想像力、逞しき意志、燃ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増やすが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし
皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば、その時にこそ
人生は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。

私も毎年『夏のアルプス』を目指し、広島の里山歩きに精進している。この『アルプス歩き』の目標があるから、真夏も真冬も里山歩きが続けられる。今年は2度目のスイスアルプスに挑戦だ。アイガー・ユングフラウの『ベルナーオーバーランド』の谷間の村『ラウターブルネン』に2週間滞在し、毎日トレッキング三昧を楽しむ。これぞ至福の幸せだ。


★<金賢姫、横田めぐみさんは国家機密に触れたと思われる>30年前、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(55)が、拉致被害者『横田めぐみさん』に対し、その思いを語った。

『この30年間はつらいことばかりだった。自分が「革命戦士」だと信じていた。祖国を統一するため、テロの正当性を疑ったことはなかった。しかし実際は、無辜ムコ(=無実)の人々の命を奪ってしまった。あの事件は一生背負って行かなければならない十字架だと思っている。

韓国に来て、罪の告白をした。最大の理由は、韓国が、北で教えられていた国と全く違ったこと。北では、「南朝鮮の人々は酷い生活をしている」と頭に叩き込まれていた。ところが、韓国の人々は生活が豊で言論や思想の自由が保証されていた。見るものがすべて新しかった。そして、確信した。金日成の教育はウソだと。


私は工作員として訓練を受けていた1981年から1年間、李恩恵先生こと「田口八重子さん」と2人で生活をしていた。日本人としての立ち振る舞いは、すべて田口さんから学んだ。思い出もたくさんある。「津軽海峡冬景色」も一緒に歌った。

実は、私は1984年頃、「横田めぐみさん」にも会っている。金淑姫という同年代の工作員仲間の「日本人化教育」の先生が横田めぐみさんだった。田口さんも横田さんも、2人とも生きていると思う。北は、金日成一族の秘密を知っている人は帰国させたくないと考えている。田口さんも横田さんも招待所で工作員の教員をやっていた。横田さんは金一族に日本語を教えていたと聞いたことがある。国家の秘密を握った人だと認定されているのだ。

私は、死刑判決を受けて、赦免され、大韓民国の国民になった。北の金賢姫は一度死に、テロを世界からなくすため、北の蛮行を明らかにするため、私は「生き証人」として生き返った。私は、この手でKAL機を墜落させた北の工作員だ。その真実は変わることはない。これからも、身が引き裂かれそうに苦しいことがあっても、私は十字架を背負って行き続け、北と闘い抜かねばいけない。それが、命ある限り、自分に課せられた役割だと思っている』。


★<長崎と天草の世界遺産>長崎、熊本の『キリシタン関連遺産』が世界遺産になったと。これは嬉しいことなんだろうねえ。あの宗像の神宿る島も世界遺産。広島の宮島も世界遺産。各々理屈があり歴史があり、だろう。京都はまさに世界遺産だらけ。どこへ行っても右も左も世界遺産。そして驚くのは、観覧料金を値上げしていること。この京都の世界遺産の傍若ぶりだけは、ちょっと気に入らんな。

かつて京都市が観光税を新設し、観光環境を整えようとした時、これらの観光施設、寺社はストライキを構えて反対した。今、大変な外人観光客で京都市民が大迷惑を被っている。バスなどの施設整備に、市は宿泊客へ1泊100円の税金を掛ける。その次ぎ、観光寺社の収入に対し、増税が出来るか、また収めるか。なにやら守銭奴まがいな思考に陥っている京都の寺社・施設、何が世界遺産だ、え。と拙者は思うね。


★<外国人観光客、医療費不払い>訪日外人観光客が日本でかかった高額な治療費を払わない事例が増えている。政府はこれに対し、総合的な対策に乗り出す。医療費を払わなかった履歴のある人が再来日した際、支払能力などの審査を厳しくし、入国を拒否出来るようにする方針だ。さらに全ての訪日外国人に対し、旅行保険への加入を空港やインターネット上などで強く呼びかける。また、地方の病院などが現金しか扱わず、訪日客が支払に困ることもあるため、キャッシュレス決済の環境整備も検討する。ふらちなのは、入院し、完治目前で病院を抜け出す輩がいること。まあモラルも何もあったもんではないなあ。審査を厳しくするのは当然のことであろう。


★<ヤクルト青木の偉業>3日、ヤクルトは延長10回、7-6で中日にサヨナラ勝ちをした。この試合、7回に青木が同点となる中前打を放ち、通算打率の規定打席となる4,000打席に到達。通算打率を.327とし、トップだったレロン・リー(ロッテ)の.320を上回った。通算打率3位の若松は、『素晴らしいこと。休日にも球場を訪れてバットを振り込む姿を、多くの選手が見習っている。今後は故障だけはしないように気を付けてもらいたい。次ぎは6,000打席を目指して、私の通算打率.319を超えてもらいたい』とエールを送った。まさか、青木の年齢では6,000打席到達は夢のまた夢ではあろうが。 


★<スルガ銀行大幅欠損>女性専用シェアハウス『かぼちゃの馬車』を巡る投資トラブルで、スルガ銀行は2018年3月期の決算で大幅な損失を計上する見込みだ。大半の所有者に合計で1,000億円超の建設資金を融資。運営会社の破綻で約束された賃料を得られない所有者が続出し、貸し倒れのリスクが高まったもの。

所有者の返済能力に応じ、貸付金利や毎月の返済額を軽減する措置を取りつつ、将来の焦げ付きリスクを1件毎に精査している。金融庁による緊急の立ち入り検査も受けている。計上する損失は数百億円の規模になると見られる。この融資では、申請書の書き換えや、ウソの申告内容が銀行側の了承のもとに行われたとの疑惑があり、スルガ銀行の社会的責任を非難する声も高まっている。

『いずみたく物語㉕ サガラナオミ、世界は二人のために』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、出現した指宿市の『知林ケ島につながる砂の道(砂州)』と、社員達が仮面をかぶって『ナッツ姫の一家の暴行を非難する韓国の社員達』、広島市で開かれた『フラワーフェスティバル』の出場前のスナップです。フラワーフェスティバルは、1975年の『カープ初優勝パレード』を記念し、春の市民パレードに引き継がれたものです。

初日5月3日の人出は『主催者発表』と断りながらも『66万人超』と、地元中国新聞は報道したが、これはあまりに暴言・誤報だ。66万人と言えば、広島市民の半数に当たる数字。まさかそれほどのものでもあるもまい。ここは警察調べとして、正直に40万人程度と言うのが正解であろう。主催者の中心が中国新聞であるだけに、上滑りした数字を出すのは、二流新聞のやり手なのだねえ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★昭和42年の春。ボクの事務所に、ヒョッコリと、男の子のような変な女の子が現れた。知人のディレクターを通じて、『大変歌のうまい娘だから、なんとかレコード会社に紹介してくれ』と言うのである。『名前は?』『佐良直美』『え?』『サガラナオミ』『はて?』。ボクはじっと彼女を見つめながら、一生懸命何かを思い出そうと努力した。『そうだ!』。数ヶ月前、ボクがレギュラーで放送しているフォークソング番組の、公開録音に出演していた娘だ。『この娘はうまいねえ。なんという名前?』と放送局のディレクターにたずねたことを、その時、急に思い出した。

『わかった。すぐ君の歌のレコード化のことを相談するから待っててくれたまえ』。次の瞬間、ボクの言葉が飛び出し、その次の瞬間にはボクは受話器を取っていた。『モシモシ、ビクターの小沢クン。実は、ボクの目の前に、大変な歌手の卵がいるんだけど、ビクターで吹き込ませてくれない?ウン。だけどボク自身は、まだナマの声を聞いたことがないんだけど・・・』。実にランボウな話である。

小沢ディレクターも豪の者である。『佐良直美、ああ、実はたくサン、ボクもその娘はいいというウワサは聞いていたんだ。声は聞かなくて結構です。すぐレコーディングをやりましょう』。ボクと佐良直美が出会ってから1ヵ月後、レコーディングが行われた。

『世界は二人のために』。こんな長いタイトルの歌は今までにない、とか、こんな歌は流行らないとか、レコード会社の中で議論はあったらしい。が、ボク達は、佐良直美の中にある、何かを信じていた。発売されてから、ボクもプロダクションも、あらゆる機会を通じてPRに努力した。1ヵ月、2ヵ月、3ヵ月。『たくサン、少しずつレコードが動いているよ』、小沢ディレクターのはずんだ声が、電話を通じて彼の気持ちを伝えてきた。やがて秋になり、結婚シーズンが来た。レコードは爆発的に売れ出し、日本中の人が彼と彼女の幸せのために、この歌を歌い出した。

5ヵ月目の成功だ。やがて、レコードはミリオンセラーになり、結婚式という結婚式でこの歌が歌われ、丁度祝婚歌の役目を果たし始めた。ある結婚式に出席した時、メインテーブルに座っていた代議士が挨拶を始めた。『こんなけしからん歌はない。結婚は家と家との結びつきであって・・・』。『あの―。実は私が、その下らない歌を作曲した張本人でして・・・』。ボクは大爆笑に包まれた会場の中で、ボクの祝福したい友人のために、静かに、ピアノを弾き始めた。いつの間にか、会場のお客達のハミングが、ボクの背中に聞こえ始めた。


佐良直美はその年の『新人賞』を受賞し、一躍スターになった。直美ほど世の中に変な女はいない。つまり、世の中の普通の女のような感覚も、普通のスターのような感覚も持っていないのである。最初は一つのスタイルかと思ったが、全くそうではない。地である。

彼女は大金持ちであり、そしてすさまじいほどのカーマニアであり、熱狂的な動物好きであり、そして大変神経質な迷信家である。気に入った車があると、後のことを考えずアッという間に買ってしまって、月賦が払えなくなったり、夜中に拾ってきた犬の具合が悪くなったと言って、獣医をたたき起こしたり、今日は日が悪いと言って、目的地に大回りで行くとかする。

『いいじゃないの 幸せならば』がヒットすると、彼女はすぐ『いいじゃないの 今が良けりゃ』と言う歌詞を自分で変えて、『いいじゃないの 社長が良けりゃ』などと、ボクの前で鼻歌で歌ったりするひょうきんなところがある。とにかく、日一日と大型歌手に成長している彼女が、とても楽しみだった。

『世界は二人のために』の歌を通して、ボクの大切な友人が結婚をした。この歌を作詞した、山上路夫である。山上クンは、自分のラブレターの中で、この詩のフレーズを作ったという伝説があるが、彼の詩の初めてのヒットと、彼のロマンスが同時進行して、結婚にゴールインすることになる。彼にとって、一番思いで多き曲である。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<今年のノーベル文学賞ナシ>ノーベル文学賞の選考を行う『スウェーデン・アカデミー』は、今年の文学賞の公表を見送ると発表した。アカデミーの会員を妻に持つ写真家にセクハラ疑惑が浮上したことを発端に内部対立が激化し、会員が相次いで辞任するなど混乱が続いていた。

アカデミーは声明で、今年の発表見送りについて『アカデミーへの信頼が失墜したことを考慮した。時間をかけた信頼回復が必要だ』と表明した。アカデミーを巡る疑惑は昨年11月、スウェーデン紙の報道で発覚。女性会員の夫でフランス人写真家の男性からセクハラや性的暴行と受けたとする18人の女性の告発を伝えた。またこの男性は、文学賞の受賞者名を発表前に外部に漏らしていた疑惑も浮上している。下半身問題はどの国でもあるんだなあ。スウェーデンだからって、清潔ではないんだ。


★<7カ国語を操るGK川島>日本のサッカー選手が世界中で活躍する時代、外国語の1つや2つは話せないとプレーにならないだろう。が、なんと7カ国語も操る『GK川島永嗣』と。川島は7カ国語を習得しており、プレーでもそれらを操り、選手達に適格な指示を与えていると言う。

川島が話す外国語は、英語、イタリア語、フランス語、スペイン語については、日常会話は勿論、報道陣からの質問にも普通に答えられる。加えて、ポルトガル語とオランダ語でもピッチ上の味方に指示を出して動かせるレベルにある。日本人GKとして初めて欧州5大リーグの1つだるフランスの1部リーグの『メス』で守護神の座を獲得したのは、その国やチームにあった言語で的確な指示を出す能力があったからだ。槙野智章君、サッカー技術だけでは欧州では通用しないんだよ、せめてドイツ語くらいは話せないとな。


★<スマホ悪影響51%の親>スマホや携帯を利用している東京都内の小学生から高校生の保護者の51%が、子供に睡眠不足や集中力の低下などの『悪影響がある』と感じていることが分かった。昨年の調査より10ポイントも増えている。

家庭内のルールについては、作っているとの回答が71%だったが、作っていない家庭も28%に上り、問題を感じさせる。有害サイトへの接続を遮断するフィルタリングサービスについては35%が利用していないと答えている。スマホを与える側にも反省の余地がありそうだ。


★<消える都市で人口減加速>民間の有識者らで作る『日本創生会議』が、『2040年に消滅する可能性がある』と指摘した全国の896の市町村のうち、8割の自治体で人口減がより加速することが、分析の結果分かった。想定以上の速さで行政サービスなどの維持が困難な自治体が現れる可能性が高まっており、対策の必要性が求められている。

会議の分析の結果、北海道や東北、九州など過疎地域の713自治体で、40年時点の人口予想が減少していた。反面、東京など3大都市圏を中心に181自治体で逆に増加した。最も減少率の大きかったのは、奈良県北山村の49%で、市では北海道歌志内市の33%となっている。消えゆく町々、村々になるのかねえ、日本国は。悲しい。


★<日本、エルサレムに大使館を移転しない>パレスチナを訪問中の阿倍首相は、米国のエルサレムへの大使館移転決定にパレスチナが反発していることを踏まえ、『日本は大使館をエルサレムに移すつもりはない』と述べた。アッバス議長は、『中東和平の実現に向けた日本の役割に期待する』と述べつつ、『非常に厳しい状況だ』との認識を示した。中東の根源的紛争の問題は、第一次世界大戦後オスマントルコを解体し、戦後の国境を定規で引いた英仏が巻き起こしたのだから、両国が誠心誠意コトを収める努力をまずすべきだ。が、なんら彼らの行動が報道されないな。無責任国家だ。


★<ナッツ姫パワハラ糾弾>韓国の大韓航空を傘下に収める財閥『韓進グループ』の趙会長一家のパワハラを糾弾する集会がソウルであった。社員達は会社に個人が特定されないよう『仮面』をかぶって集まり、市民らも合流し100人以上が『会長は退陣しろ』『基本的な人権を保障しろ』などと訴えた。

一家を巡っては、長女の趙顕娥(チョヒョナ)・前KALホテルネットワーク社長が2014年、NY空港でナッツの出し方に激怒。搭乗機を引き替えさせたとして有罪になった。妻の李明姫(イミョンヒ)にも、系列ホテルの増築工事現場で作業員に暴行した疑惑が浮上。関税庁は、一家が税関に申告せず国内に高級ブランド品を持ちこんだ関税法違反の疑いで捜査を進めている。

まあ、言ってみれば、『これが韓国だ』という見本のような現象だねえ。三流国家の実態が露わになっている。


★<警官が強盗>群馬県嬬恋村の酒店で今月初め、現金1万円などが奪われる事件があった。県警は刑事部に所属する30歳代警部補の男が関与した疑いが強まったとして、強盗容疑で逮捕状を取った。警部補は行方不明になっており、県警は指名手配して行方を追っている。

警部補は今月初め深夜、酒店に侵入し現金のほかビール券を盗んだ後、駆けつけた警察官に体当たりをして逃走した疑いが持たれている。近くに警部補の車が乗り捨てられていたことなどから、事件に関わっている疑いがあると判断。警部補は近くで盗んだ自動車で逃走を続けていると見られ、行方を追っている。世も末だなあ、警部補という一応警察官の中核を占める立場の人間が強盗とは。おそらく余罪があるのだろうなあ。初犯ではあるまい、この警部補は。


★<ホテル屋上で小ガモ誕生>札幌グランドホテル4階の屋上庭園の池で、野性のマガモのヒナが誕生した。従業員が見つけた。ヒナの誕生は11年連続と言うからすごい。例年、ヒナは大型連休の前後に生まれ、夏には巣立って行くと。愛らしい様子を一目見ようと、毎年、庭園に隣接した日本料理レストランには予約が殺到すると言う。いい話だねえ、夢のある。まさにメルヘン。

何十年か前、拙者は札幌駅近くのこのグランドホテルに泊まった記憶があるねえ。それにしても可愛い出来事だ。


★<トンチキな麻生大臣>麻生大臣はセクハラの認定については『セクハラ罪っていう罪はない』『殺人と強制わいせつとは違う』などと発言。『福田前次官が否定している以上は裁判になったり、話し合いになったりと言うことになる。これから先は本人の話だ』とした。

なんたる不見識。大臣の資格がないねえ。今時セクハラについてこの程度のことしか言えないなんて。即刻退陣すべき、または罷免すべきだよ、阿倍君。まあ3選には麻生派の票が必要なんだろうけど、もう3選の線が無くなった今、麻生太郎に何の遠慮もいらないんだから。


★<不思議な韓朝会談>文大統領と金委員長がにこやかに微笑み、握手を交わす。南北の課題すべてが氷解したような笑みである。日本国民は『拉致問題』を日朝間の重要問題として認識している。韓国で北朝鮮に拉致された人は、公式に認められただけで450人を上回る。これについて、文・金からは何も発信がない。一体文大統領は自国の人民が大量に拉致れ、その家族、関係者にどう説明しているのだろうか。不思議発見ではある。

『いずみたく物語㉖ 世界は二人のために―実は元CMソング』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、連休中残雪が豊かな4月30日の北アルプス涸沢カールに出現した『240のテント村』と広島市のフラワーフェスティバル『プロムナードの風景』。残雪が5~6mある涸沢、今年も連休中に4千人程度の登山者でにぎわうとフュッテでは言う。すごいんねえ、こんな雪の中。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★実は『世界は二人のために』は、ボクと山上クンの作詩・作曲によるCMソングであった。M製菓のCMフィルムのために、演出家やボクや山上クンや、何人かで考え出した『愛―君と二人、花―君と二人』というフレーズを、彼が発展させ、作り直した曲である。すでに放送されているCM音楽を、『ガミさん、この曲をボクはとても気に入っているんだ。暇な時にちゃんとした歌に作詞しておいてよ』。1、2週間して、ボクの机の上に、ポンと置かれた譜面には、『世界は二人のために』というタイトルがつけられていた。

当時、ボクの事務所には、ブレーンとして協力をしている永六輔サンや、岩谷時子サンや、藤田敏雄サンのほかに、専属の作詞家が二人いた。山上路夫クンと尾中美千絵サンである。尾中美千絵サンは、永六輔の紹介でボクの事務所に来た美人作詞家である。語学が達者で、生け花に秀でていて、従って外人達に英語で生け花を教えているという特技を持つお嬢さんである。

ある時、プロダクション全員で海に遊びに行ったことがある。海辺のプールのそばで、みんなで悪ふざけをしているうちに、社員の血気ばやりの若い者が、2、3人で、洋服を着たままの彼女を抱きかかえて、プールに投げ込んでしまった。『キャッ』と言った時にはもう後の祭り。どうやら彼女は泳げなかったらしい。わーわーと泣きながら、アップアップしてしまった。すぐ救い出したのはいいけれど、そのまま彼女は泣きながらどこかへ行ってしまった。


夕暮れになって、バスで全員が帰ろうかと集合してみると、どうも2人足りない。調べてみると、山上路夫と尾中美千絵の二人が行方不明である。30人ほどの人間が、1時間ほど捜してもなかなか見付からなかった。すると、近くの木陰から、ヒョッコリ、手をつないだ一組のカップルが現れた。彼と彼女である。彼女は、さっき大声で泣いたのもどこへやら、いとも楽しげにボク達の前に現れて、『もう帰るの』と宣うた。二の句もつげないボク達を乗せて、バスは出発した。二人のロマンスが進行して、やがて曲のヒットを追いかけるように、結婚してしまった。

『いずみサン、グアム島で新婚旅行中に、彼女は泣くんですよ。こんなに寂しいところはいやよ、早く帰りたいと言ってね。でも、飛行機は毎日飛んでるわけじゃないし、困っちゃってね』。生真面目な山上クンの手放しなノロケに当てられて、ボクも、しばし言葉が返せなかった。『こう二人の詩が似てきては、会社は商売にならないよ。何しろ、二つの個性が一つになってしまったんだから・・・』。ボクは嬉しい冗談で彼らをからかったが、今でも仲良く二人とも作詞家として仕事をしている珍しい夫婦である。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<サンフレ11勝目>昨日、神戸と対戦したサンフレ、激しい雨の中、心配したが、2-0で快勝。
ポゼッションなど無視し、堅牢な守備から攻めを作る城福戦術がはまった。今季3PKを与えたDF佐々
木が、今度は2度目のPKを奪取。青山が見事蹴り込んで1点目。そしてロスタイムには、前掛かり
になった神戸を後目に、ティーラシンとパトリックのアベックカウンターで追加点を取って首位を堅
持。2位FC東京との勝点差を8点を守った。

昨季J2降格すれすれの15位のサンフレ、それに近い13位だったFC東京、共に監督を入れ替え、
今季は1位、2位を快走する。監督を交代させただけで、これほど劇的に変わったチームは歴史上な
いのではないか、と思う。特に長谷川監督、パトリックを解任したガンバが低位で苦しんでいるのを
みると、ガンバのこの決定をした経営者の責任は大きい。


PKを決めた青山は、ベンチの指示だった。城福監督は『試合前にPKの練習をやり、蹴る候補は何
人かいる。ただあそこは重いシチュエーションで青山に蹴らすべきと。その判断に迷いはなかった』
と言う。その期待に応えた青山は『信頼されて蹴られて、決められて良かった。どんな形でも点を取
ることはうれしい』。首位快走にも油断なく『状況に応じてやるべきことが出来ている。これをどれだ
け伸ばせるか』とさらに表情を引き締めた。見事なり、青山、そして城福監督だ。


★<再び憲法改正論>今年も5月3日が過ぎた。『日本国憲法』、改憲、非改憲論がかしましい。私は以前から、日本人の手によらないこの憲法は改憲の必要があると主張している。憲法学者もいないGHQの輩がたった1週間で草案を作り、これを下敷きに、一字一句チェックされた日本国憲法。されには国民投票を受けていない憲法、これでいいのか『日本国憲法』だ。これから、私は全国の新聞にこの趣旨で投稿をしていく考えだ。


現在の日本国憲法は、まぎれもなくGHQの監視下、指導のもとに成立した憲法であり、また国会で帝国憲法の改正手続きにより生まれたもの。即ち、国民投票を受けていない憲法であり、その憲法が改正条項として国民投票を義務づけているのは法理論として越権であり、問題があると、私はかねてからこのブログで主張してきた。その『GHQの監視下、指導の日本国憲法』について、学術的に駒澤大学西修名誉教授が明らかにしている。以下。

日本国憲法が昭和22年5月3日に施行されてからもなお、『極東委員会FEC』により、2年間の『保護観察下』におかれていた事実は、ほとんど知られていない。FECは21年2月26日に発足し、米国、英国、仏国、ソ連、中国など11カ国で構成された。同委員会は、日本の占領管理に関する最高の政策決定機関であり、その政策決定には、連合国軍総司令部=GHQ最高司令官マッカーサー元帥も従わなければならなかった。特に明治憲法の改正については、必ず同委員会の承認を求めることが必要とされていた。

FECは、憲法改正がGHQ主導で進められていくことを快く思っていなかった。そこで、日本国憲法が公布される直前の21年10月11日、同憲法が本当に『日本国民の自由な意思』(ポツダム宣言第12項)によって作成されたものであることを確認するため、日本国民に対して再検討するよう求めるとともに、自らも再審査する旨の『政策決定』を下した。


日本国憲法の作成が、GHQによって提示されたマッカーサー草案を下敷きにして始められたことは、明白なる周知の事実である。作成の過程において、一字一句に至るまでGHQの了解を得、またFECの定めた基本原則に従うことが必須条件とされた。作業が進行するに伴い、両社の間でしばしば意見の対立が生じ、FECの放った一矢が2年間の『保護期間』だったのである。こんな風に、日本国憲法の作成は、最初から最後まで外部勢力の監視と関与のもとにあった。日本国憲法に主体者たるべき日本国民の意思がどこまで反映されたのか。帝国議会で自律的な審議が行われたのか。そんな疑問を払拭することは出来なかった。FECでは、24年5月5日、憲法に外国人の権利保有条項を入れるなど若干の注文をつけた文書をマッカーサーに送付した。これに対し、マッカーサーは何の行動も取らなかった。これがFECの幕引きだった。

日本国政府は、23年8月に衆参両院議長に対して、GHQからの要請であることを伝え、各院で再審査するよう求めたが、政局の激変は、それを許さなかった。同年6月に生じた昭和電工疑獄事件をきっかけに、芦田内閣総辞職(10月)、衆議院解散(12月)、第3次吉田内閣成立(24年2月)、民主党の内部分裂、社会党の内部対立激化などが相次ぎ、国会で憲法を再審査することなく、2年が過ぎ去った。


『日本国憲法が日本国民の自由な意思の表現であるかどうかを決定する』ための国民投票も、実施されなかった。ちなみにFECの政策決定が新聞で公表されたのは、施行を1ヵ月後に控えた22年3月30日のことである。各紙の1面は、次の見出しを掲げている。
 『日本憲法の再検討 実施後2年以内に国民投票』(産経)
 『新憲法 国民投票に問う』(読売)
 『新憲法を再検討 国民投票の実施も考慮』(朝日)
 『新憲法の批判 実施の後に国民投票』(毎日)
各紙は、国民投票の実施の可能性に言及していたのである。

それから70年余を経た。日本国民の意思を問うための機会が全く作られないままの70年間であった。国会も国民も『宿題』を果たしていない。具体的な改正条項をどう絞り込むのか。国会は、日本国憲法の『自立性』の導入に向けた審議を深める責務を負っている。もはや不作為は許されない。

これだけの歴史的な事実があるのに、NHKも朝日新聞もこの事実を報道しないばかりか、朝日に至っては『憲法改悪』『改正反対』の烽火ばかりを上げているのである。70年前、自分達の先輩が報道した内容をもう一度真摯に確認して欲しい。特にNHKは国民から視聴料を徴収し、政府と中立を守ることを課せられているメディアである。純粋に真実の報道を国民にする責任が一番重いメディアだ。しっかりして欲しい、日本のメディアではある。

『いずみたく物語㉗ 大役者・小沢昭一サンに、大歌手・熊倉一雄サン』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、昨日DAZN配信で観戦したスペインリーグの『レアル・マドリードのロナウドと、FCバルセロナのメッシ』、バルサの本拠地『収容人員9万9,345人の「カンプ・ノウ」』。そして『広島フラワーフェスティバル・スナップ供戮任后初めて、マドリードとバルサの試合を観ました。歯ごたえ十分。100年先、サンフレも世界一を争うクラブになってほしいですね。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★小沢昭一サンの家では、奥サンが、小沢サンのことを『旦那サマ』と呼ぶそうである。『旦那サマ、お電話です』『旦那サマ、お食事です』『旦那サマ、お風呂です』。本当かウソか知らないが、旦那サマたるものうらやましい限りである。小沢昭一サンと対談する機会があった時、そのことを率直に訪ねてみた。彼は、ただ笑ったまま、否定も肯定もしなかった。

小沢サンは、あちこちの新聞や雑誌で、多くの対談をしたり、インタビューをしている。『俳優として、小沢サンは毎日忙しいのに、その上、対談やインタビューでは大変ですね』。同情して発したボクの言葉に対して、小沢サンは、『いえね。違うんですよ。こんな恵まれたことはないんで・・。実は短時間のうちに多くの人間に会って、対談やインタビューをすると言うのは、人間観察が出来るので、俳優としては本当に勉強になるのです。役者として材料をいただいた上に、ゼニまでもらって、本当にボクは申し訳ないと思っています』と。この一言にボクは、小沢昭一の人間の全てを見た。本当に印象深かった役者の一言であった。


同じ役者でボクの大好きな人がもう一人いる。『熊チャン』こと、熊倉一雄サンである。熊倉サンには多くのCMソングを歌ってもらった。彼は大変うまい。オペラやミュージカルをやらせたら、彼の右に出る人はいないだろう。彼の声優としての評判も抜群で、彼くらいアテレコで忙しい役者も少ないだろう。『ヒチコック』の日本版の声は彼の声である。あの独特のイントネーションと、低音のしゃべりは彼だけのものであり、他人の追随を許さない。

ちょうどその頃、ボクの作曲した『ケロヨン』以外の、もう一つのヘンな歌が流行した。『ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ』。『ゲゲゲの鬼太郎』というマンガの主題歌である。この歌は、子供のテレビマンガのために作曲したのだが、この歌をブルースのテクニックで作曲した。この歌は、子供達の間で大ヒットしたばかりでなく、大人達がバーや酒場で愛唱し、深夜放送のリクエストにまで、その反応が現れ始めた。この大ヒットソングを歌った、隠れた大歌手こそわが愛する『熊倉一雄サン』である。

『たくサン、生まれて初めて、役者のくせにヒット賞なんかもらって・・・』。我が愛する大歌手は、レコード会社のヒット賞受賞の後で、恥ずかしそうにボソボソとボクにその心境を語った。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<米失業率3%台へ>米国の4月の雇用統計で、失業率が前月から0.2ポイント低下して3.9%となり、17年4ヵ月ぶりに3%台へと改善した。平均時給は26.8ドルとお前年同月比2.6%増に止まっている。しかし、この水準では、米国内の賃金コストが経営を圧迫し、海外へのビジネス流出の機運は高まりことそすれ、収まることはないだろう。共和党も内部不協和音が立てこもるだろうなあ。国の経済で言えば、インフレが進行し、消費者が不満を持つ構図になるのである。


★<勢いが止まらないサンフレ>嬉しいサンフレの躍進。嬉しさあふれるながながだが、試合の詳報を借用でご紹介。13節終了。2017年の13節時点の成績は、『2勝7敗4分、勝点8』という惨状だった。今年の再下位・名古屋でも現在勝点9なのである。そしてさらに4試合、17節まで負け続けたのであった。その昨年が夢のような、今年の快進撃ではある。

6日の神戸戦二試合連続の雨となってしまったが、今のサンフレッチェはそんなのお構いなしだったね。これで三試合連続となる2-0での勝利。試合終盤はずいぶんと押し込まれてヒヤヒヤしっぱなしだったが、守護神のスーパーセーブとストライカーのダメ押し点に救われた。

この勝利でサンフレッチェ広島は昨シーズンの勝ち点33を超え、勝ち点34に乗せた。昨シーズンの今頃は、ほんと死んだ目でサッカーを見ていたので、嬉しい事この上ないね。さらにW杯中断期間までリーグ戦は残り2試合という事で、その時点での首位通過が決定。さらにさらに、13節にして無失点試合が10試合と、我らがサンフレッチェ広島の勢いが止まらない。


ヴィッセル神戸について思った事は、後半のような試合が1試合通じて出来るようになると本当に恐ろしい相手だなぁと。前半はサイドからのクロスが多く、そのクロス自体も触れずに流れていくケースが多かったが、後半は中央を使った攻撃もあってかなり厄介だったと思う。というか、そもそも交代で出てくる顔ぶれが凄すぎる・・・。あと、チョンウヨン選手はいい選手だと思った。

試合終了後のポゼッション率、神戸64%広島36%からも分かる通り、前後半を通じて今日はヴィッセル神戸が多くボールを支配した。広島は奪ってからのカウンターがメインの対照的なサッカーのぶつかり合い。そんな試合を決定づけたのは、攻守のエースの存在だった。

前半始まってからすぐに神戸のペース。ボールをサイドに動かしながら長く持ち、ポゼッション率を少しずつ高めていく。広島はことごとくセカンドボールを拾われ、攻撃自体に移れないでいた。だが、前半の神戸のボール回しは、それほど脅威ではなかった。何故ならば、そのほとんどが広島が組んだブロックの外であり、広島からすれば『ボールを回させている』状態。ピッチの中央は経由するだけで一向に使わず、苦し紛れに上げたサイドからのクロスは誰も触らぬままラインの外へ流れて行った。


対する広島は守備からチャンスを作っていった。相手のバックラインからのビルドアップに積極的にプレスをかけ、ボールを引っかけにいく。柏、渡、パトリックの献身的なプレスに神戸DFが焦って前に大きく蹴り出すシーンが増えた。

雨脚が強まった30分ごろからは、ようやくいつもの広島の攻めもちらほら見え始め、前半終了間際、ハーフスペースからインナーラップのような形で抜け出した佐々木選手にパスが通ると、たまらず神戸の佐々木選手がファール。位置はどちらともとれるような場所だったが、近くで見ていた審判は迷わずペナルティスポットを指差し、広島はPKを獲得した。(佐々木が倒れた瞬間の右足がPA内だった)

キッカーはキャプテンの青山選手。一瞬ふかしたかな?と思ったが、ゴール右上のこれ以上ない右上の隅に蹴り入れ、PK成功。嬉しい嬉しい今シーズン初ゴール、しかも青山選手自身キャリア初となるPKによる得点(リーグ戦において)となった。あの場所はGK読んでいても取れないだろう。ちなみにPKのキッカーは前日の練習で候補が何人か決まるらしい(城福監督談)。『あそこは重いシチュエーションで青山に蹴らせるべきと。その判断に迷いはなかった』。なんとも信頼を感じるお言葉。それに答えた青山選手も素晴らしい。そして前半終了。


後半が始まると、さらに雨脚が強くなる。選手たちはダッシュからのブレーキがかけづらくなり、次第にイージーなボールタッチのミスも増えていった。前半はある意味で広島の思い通りの展開。神戸の前線をある程度コントロール出来ている状態だったのだが、後半になるとその支配が少しずつ薄れ始める。そのきっかけとなったのは、後半9分に入ってきたウェリントン選手だった。

ブロックの外からの単純なクロス。前半であれば難なくはじき返すか、そもそもクロスがFWの頭を越えていってしまうシーンばかりだったのに、彼が入ることによってそれすら神戸の武器に変わってしまったのだ。垂直ジャンプからの打点の高いヘディング。広島DF陣は隙を見せていないにも関わらず、その上からゴール奪おうと襲い掛かってくる。広島もなんとか交代を使って次の1点を取りに行こうとするが、なかなかその1点が遠い。後半30分ごろからは神戸がずっと広島陣地に押し込んでいる状態となり、雨は豪雨に変わっていた。

なんとか神戸の猛攻をしのいでいた広島だったが、試合も終盤にさしかかったところで予期せぬミスが産まれる。何人かに跳ね返ったボールが水本選手の方へ。だが、水本選手はそれに反応出来ず、股の下をボールが通り、そこに走り込んだレアンドロ選手がGKとほぼ1対1のような状態でシュートを放った。だがそのシュートを守のエースが止めた。素晴らしい反応からのセービング。恐らくこの1点が入っていれば、この試合は1-1のドローで終わっていただろう。つまり、この林選手のプレーは、後のパトリック選手の1得点とサンフレッチェ広島の勝ち点2を救ったことになるのではないか。


つい先走って言ってしまったが、そのすぐ後、青山選手のスルーパスから抜け出したティーラシン選手がパトリック選手に完璧なグラウンダーのクロスを届ける。そのボールを攻のエースが落ち着いて神戸ゴールに沈めた。そして試合は終了。サンフレッチェ広島は、雨の中を訪れた1万人以上の観客に勝利を届けたのだった。

というわけで、広島は見事昨シーズン全体の勝ち点より1多い、勝ち点34を積み上げた。やったー!J1残留決定だ―!(笑)

・・・ま、それはいいとして、これで三試合連続の2-0勝利だ。サッカー界では、『2-0は危険なスコア』なんてな事を言うが、サンフレッチェの場合は後ろが盤石過ぎて全然そんなの感じさせない。で、次の試合はミッドウィークにガンバ大阪とカップ戦だ。またホーム。移動が楽でよろしい。
リーグ戦は土曜日の4時から。相手は仙台だ。仙台にはレンタルの野津田選手がいる。サンフレ戦には出場しないという協定だ。私はまだ野津田選手を諦めていません。(参考:『紫芋熊太郎のサンフレ雑話』)


ながながになったが、このサンフレの偉業は、Jリーグ史上でも稀なこと。広島人は多いに誇ってよいと思う。願わくば、『100年先、レアル・マドリードと世界一を戦うサンフレを育てるため、早くサカスタを作ろうよ』と、基町高校卒の広島市長松井君が宣言してくれれば言うことなし、だが、ダメみたいねえ、スポーツ音痴の松井君では。市民に夢を与えるという役割を失っている市長。単に官僚として行政をシコシコとたんねんにこなしているだけに見える、ダメ市長だ。故浜井名市長を見習ってほしいな。

昨季のJ2日本人得点王者、渡君が爆発寸前の活躍をしている。この試合でももう一歩ゴールが届かなかったが、その香りはする。サンフレの次期ストライカー、頑張ってほしい。それに、この試合ではGK林の活躍が目立った。まあ、いつも活躍しているが。他の試合を見ていて、失点した時、林なら失点はしないな、とつい林びいきになってしまう。素晴らしい守護神に育った林ではある。


★<安曇野のワサビ>ワサビと言えば安曇野。静岡と生産地では二分される産地。静岡と違うのは、階段式流水ワサビ畑の静岡に比べ、安曇野は北アルプスの伏流水が湧き出る水を使っていること。静岡に比べ気温・水温が低いことから、生育は1年半から2年かかると言うが、風味は絶対安曇野産のものだと、自信を示す。3,000坪のワサビ畑を持つ生産者は、優しく、神経を細やかにしてやらないと良いワサビはできないと経営の秘訣を話す。根性つめて育てるワサビ、まさに安曇野の名産品だ。


★<御岳山迷い子>一昨日、レンゲショウマの群生で有名な青梅市『御嶽山ミタケサン』で10歳の子供が、父親が靴の紐を結びなおしている隙に、一人でどんどん進み行方が分からなくなった。が、今日、現場から1.4km離れた沢で見つかったそうだ。そんなに高い山ではないが、広さはあって子供だと不幸な結果も予想されたが、無事に保護されて良かった。子供はとにかく大人より先に行きたがり、走る。まあ、これが子供の特性でもあり、これを無くすと子供ではなくなるので、仕方ないとは言えるが。


★<レアル・マドリード2-2FCバルセロナ>初めて観た。レアル・マドリード―FCバルセロナ。DAZNの見逃し配信で。試合は6日行われ、ロナウド、メッシ共々1得点。ロナウドは接触があって、後半はベンチに下がった。拙者は先年スペインを放浪した際、マドリードでは、レアルのスタジアム、『エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ』のスタジアムツアー見学に参加し、バルセロナでは、クラブのスタジアム、『カンプ・ノウ』の近くに5泊した。とても親近感を覚える両チームであり、欧州を代表するクラブである。両者ともスタジアム収容人員は8万人趙と、まあ日本のスタジアムとは比較にならない。


と、なんとバルサの胸スポンサーは『Rakuten楽天』と。そういえば、楽天がバルサの胸スポンサーになったと言う話があったなあ。何故楽天?三木谷社長は『楽天はスペインで「Wuaki.tv」という動画サービスを提供しており、その会社のCEOがバルサトップと親しかった因縁だ』と答えている。そしてバルサのサポーターの支援を楽天にももらえると。しかし4年で257億円の価値が本当にあるとみこんだのだろうなあ。それにしてもすごい。

ロナウドは従来の顔かたちは大きく変わっていない。変わったのはメッシ。長い髭を生やし放題で、かつてのイケメンのイメージはなし。スペイン男がやっているような大髭はメッシには似合わないと思うのだけどなあ。

『いずみたく物語㉘ ピンキラが大ブレーク』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、役目を終え引退した『山口線C56蒸気機関車』、存亡の危機の中、ストライキを受け辞任した『エールフランスKLMのジャイナックCEO』、J1神戸に移籍を報道されたバルサの『イニエスタ(33)』。そして『フラワーフェスティバル・スナップ掘戮任后

イニエスタが出場した、バルサ対レアルの試合を、一昨日DAZN視聴したばかりなので、大変驚いた。イニエスタはバルサを今季限りで退団するとは言われているが、年俸32億円余りのハイランクプレーヤーをどう遇するのか、神戸の対応が見物だ。と、スペインの他紙が行き先は日本ではなく、豪州だと報じてる。最後まで分からない移籍先だな。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

★★★昭和43年の春、待望の『オールスタッフ音楽出版KK』を発足させた。この音楽出版とは、一般的な印刷の出版ではない。『ミュージック・パブリッシャー』、つまり、曲の作詩・作曲の著作権を管理し、PRし、プロモートする会社である。

『何とか、レコードを自主制作したい。自分の自信のある曲を、自分の手で売ってみたい』。今までのレコード会社では許されなかった仕事に対して、大きな希望に燃えて、初めて原盤レコード制作に乗り出した。第一作目は現在は解散してしまったグループ、『ジャニーズ』が吹き込んだ、『太陽のあいつ』である。幸運にも、初めての制作したレコードがヒットして、30万枚のレコードが売れた。音楽出版社にとっては、信じられないほどラッキーなことだった。

昭和43年の春。一人の大柄な娘と、4人の奇妙な顔つきをした男達が、一つの誓いを立てていた。『本当に君たちは、どんなに辛いことがあっても頑張れるかい』『ハイ』『どんなに忙しくても、不平は言わない?』『ハイ』『グループのチームワークを守るため、話し合いを原則にすること、そして個人の意見は捨てること』『ハイ』『ボクの意見に反対の者は、今のうちに辞めて下さい』『イイエ、頑張ります』。全員でたくさんの約束をした。乾杯をした。そして『ピンキーとキラーズ』が結成された。

集まったメンバーの中で、2人の男は生まれながらのヒゲを生やしていたので、残った二人の男にもヒゲを生やすことを命じた。『どうしてもヒゲを生やすんですか』『そう、命令です』『どうしても、この帽子をかぶるのですか?』『そう、命令です』。


『ピンキーとキラーズ』という名前にした由来はいろいろあるが、ピンキーという語感は、とても愛敬があって可愛いので、この名前も、昔からのアイディアであった。さて、ピンキーである。ピンキーなる女の子には、今陽子を選んだ。ボクのところで勉強中の若い女の子を何人か考えたのだが、ボクは今陽子の愛らしさと素直さがピンキーにぴったりだと信じた。

『陽子、実は、今度ピンキーとキラーズというグループを作るのだが、君にピンキーとしてソロを歌ってもらいたい』『先生、私は一人では成功しないのですか。コーラスの一員になるのですか』。当時16歳のピンキーはポロポロと大粒の涙を流した。ボクは、可愛い16歳の少女に、ゆっくりと、そのグループの性格や内容を説明した。じっと下を向いてうつむきながら聞いていたピンキーは、やがて『先生、分かりました。やってみます』。もう彼女は泣いていなかった。

ところが、男のグループの中から苦情が出た。『先生、あんな大きな娘がピンキーですか』『もう少し、小さくて可愛いのがいいなあ』『ちょっと太りすぎていますよ』『年が若すぎるのじゃないか』。4人の男たちが無遠慮に好きなことを言い出した。ボクは、今陽子の声の良さ、音程の良さ、リズム感を、彼らに話して納得させた。ボクの頭の中には、今陽子がいかに大きくても、太っていても、男4人の中では決して目立たないし、かえって、彼女の声が必ず生きるであろうという計算があった。


彼らは、コーラスの経験者であるジョージをリーダーに決め、いよいよ練習に入った。課題曲は『恋の五月』(改題『恋の季節』)、『オー、マイパパ』の2曲である。何回やっても駄目である。とんでもない声を出しているのはパンチョらしい。仕方ないので2週間の合宿をすることに決め、猛特訓に入った。2週間の特訓で、30曲のレパートリーを練習した。

結成1カ月後、テレビに初出演して、『恋の五月』を歌った。ダービー・ハットをかぶり、ピンキーの体をカバーするパンタロンという当時、モダンで珍妙なスタイルいで出演した。パンタロンも当時日本では珍しいスタイルだった。これは素人ながら、ボクの妻が一生懸命考えてくれた。彼らの持っている楽器、アンプの類も、2、300万円という日本では極めて高額な、ゼイタクなものを揃えていた。

練習中に仲の良いキングレコードの本吉ディレクターに連絡した。その練習を聴いた本吉ディレクターが、『たくサン、面白いですよ。一つシングル盤で勝負してみましょう。「恋の五月」という歌は面白いですよ』。本吉ディレクターは、布施明や寺内タケシなどを売り出した名ディレクターで、カンで勝負する人である。ボクは彼のカンを唯一の頼りに、グループを固めていった。

『恋の五月』は岩谷時子さんの作詩であり、彼女自身の手で『恋の季節』と書き改められた。レコードは7月に発売され、レコード会社と、ボクの会社の共同作戦による、大キャンペーンが始まった。曲の面白さと、スタイルの珍妙さと、耳新しいユニークなサウンドのためか、1ヵ月もすると、レコードがジャンジャン売れ出した。信じられないような反響が巻き起こった。


ピンキーの明るさは、全国の老若男女に愛され、1歳や2歳の赤ん坊までが『コーイノキセツヨー』と、まわらない舌で歌い、『夜明けのコーヒー』という歌詞が、一つの社会的流行までになった。ボクと本吉ディレクターも、ある程度の計算はしていたが、これほどの大反響は予想も出来ず、とうとうレコードは200万枚以上も売れてしまった。うれしい悲鳴である。

ところが、グループの中では、もう一つ大きな事件が持ち上がっていた。彼らがあまりに急に有名になってしまったので、グループ結成以前の彼らへの借金取りが、彼らが歌っているテレビ局やステージの現場に、一斉に押しかけて来たのだ。ある日、借金で逃げ回っている全員を集めて、問いただしてみた。なんと、全員の借金の合計は300万円を上回っていた。『よし、ボクが払ってやろう』。2/3以上がバーの借金であったが、それを全部ボクが肩代わりして払ってやった。

その1年間に、『恋の季節』『涙の季節』『七色のしあわせ』『星空のロマンス』と、レコードは次々にヒットしたし、彼らは『恋の季節』によって、グループ新人歌唱賞を受賞し、ボクは二度目の作曲賞を受賞することが出来た。デビュー後1年目、初めて『ピンキーとキラーズ・リサイタル』を東京、大阪、名古屋で開いた。単なる『歌謡ショー』ではない、外国にも通用する本格的なリサイタルとして取り組ませた。外国の一流歌手のリサイタルに負けないように、1ヵ月のリハーサルを行った。そのリサイタルを客席で見て、ボクは涙が流れて、流れて、止めることが出来なかった。1年間で成長した彼ら。歌も満足に歌えなかった彼ら。衣装も着こなせなかった彼らは、今素晴らしく成長していた、光り輝くピンキラがあった。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<オリンパス、中国の工場操業停止>オリンパスは、デジタルカメラや交換レンズを生産する中国深圳の工場の操業を停止した。スマホの普及によるデジタルカメラ市場の縮小で、稼働率が低下していた。工場の今後の活用方法は未定だが、従業員1,700人は解雇される見通し。オリンパスは中国とベトナムでデジタルカメラを生産しており、17年3月期の出荷台数は83万台。今後はベトナムに集約する。この工場を巡っては、地元税関当局への収賄の疑いが一部で報道されていたが、会社側は、法令違反は認められなかった、としている。カシオのデジタルカメラ撤退に続く衝撃的な現象だ。キャノン、ニコンと言えども無傷ではないはずだねえ。

先にカシオがデジタルカメラかた撤退したが、スマホの威力はカメラ市場を極端に縮小させたのだねえ。もっとも、あの使い手の良さを考えると、もうカメラなんて持ちたくないとは想うが。私は、カメラ派で、超広角や超望遠や、マクロなどはスマホでは出来ない芸当だから山行きにもデジイチをさげていくのだ。


★<存亡の危機、エールフランス>従業員による大規模なストライキが続く仏航空大手エールフランスの親会社『エールフランスKLMのジャイナックCEO』が辞任したことを受け、フランスのルメール経済相は、エールフランスは瀬戸際の状態にあると発言した。

エールフランスの業績がここ数年続いた損失から再編によって回復しつつある中、組合に加入する従業員らは5.1%の賃金引上げを求めてスト突入し、すでに2週間を経過している。ジャイナックCEOは、従業員らに対し、向こう4年で7%の賃上げを示したが、従業員側がこれを拒否。CEOは辞任した。

こうした事態を受け、ルメール経済相は『不当な賃上げを要求している乗務員、地上職員、パイロットら全員に責任がある。エールフランスの存亡は瀬戸際の状況にある』と発言。エールフランスは今年1Qの業績で350億円の純損失を報告している一方、従業員らのストライキにもかかわらず、80%以上のフライトの運航は継続出来ると発表している。なんやら、JALの経営危機と同じような様相なのかな、親方日の丸、ではなかった親方三色旗のフランスではある。


★<ゴールデンウイーク中は大忙しのカギ屋さん>最大9連休となった今年のゴールデンウイーク。そんな連休中でも『カギ屋さん』は大忙し。休む暇もない。

1日50件ほどの依頼が舞い込む新宿のカギ店。その多くは合い鍵などの製作だが、ゴールデンウイークともなると、色合いが異なって来る。『旅先にカギを忘れてきたとか、荷物と一緒にカギを送った、そういったものが増えるのがこの時期、あとはスーツケースの関係』と話す。話しているうちにも、スーツケースのカギをなくしたので開けて欲しいとの依頼が。

そして午後には、出張依頼が。依頼されたのはバイクのカギ。友達と飲みに行った帰り道でカギをなくしてしまったと。休み中に使う予定があるので、カギの複製を。カギの種類を確認後、作業車へ。その中でカギを作り直し、20分で作業は終了。料金は、出張費・工賃・商品代込みで、1万7,280円也。


不動産会社からは、金庫を開けて欲しいと。金庫は、0~99の数字を合わせてから、カギを使って開けるタイプ。社長がダイヤルを合わせた状態で長年、カギだけで開けていたが、手が当たってズレて開かなくなったそう。社長は不在のため困り果てての末。そこに社長から電話があり、ヒントになるメモが指示され、結局50分で解錠出来た。料金は3万450円也。

私もそのような経験がある。再就職した会社の社長室に鎮座する金庫を、ダイヤルは合わせたままで、カギだけで開閉していた。社長がたまたまダイヤルに手が触れ、金庫が開かなくなった。私はイエローページを繰って、近くの鍵屋さんを呼び解錠した。その時の料金は確か2万円だった。広島だから安かったのか、もう10年前だから安かったのか。

不幸だったのは、もう30年前にもなるが、ある団体で海外視察旅行に出かけた時。団長は某国内トップの自動車メーカーの人。なんと、クアラルンプールへ着いた夜、翌日の公式訪問用の背広をスーツケースから出そうとして、ダイヤル番号を聞き忘れていたことを思い出し、日本にケースを借りた人へ電話を入れるが不在。夜中中ダイヤルと格闘し、明け方に開いたそうだ。この時は本当にそのご苦労に同情、感謝したねえ。たかがカギ、と言えども、されどカギ、なんだなあ。ご注意あれ。


★<非核化は前提、文大統領>韓国の文大統領は今日の来日を前に、日本人記者とのインタビューに応じ、南北関係の改善は米朝による北朝鮮の『非核化』交渉の進展が前提との方針を明確にし、米朝首脳会談での非核化をめぐる合意成立に強い期待感を表明した。北朝鮮による日本人拉致問題の解決に向け、日本と協力して行く方針も示した。また文大統領は、米国のトランプ大統領と正恩委員長による米朝首脳会談について、『完全な非核化の実現に向けた思い切った合意と具体策をまとめることが重要だ』と強調した。はたして、行方や如何に。


★<落書き消し『プロドローン』>道路や橋脚に描かれた独特なデザインの文字と絵。景観を損なう落書きを消すには多額の費用がかかる。その作業に『ドローン』を使うアイディアが米カリフォルニア州サンノゼで称賛された。開発したのは機体の設計から制御、製造まで手掛ける名古屋市の『プロドローン』だ。

落書き消しの武器は上部と側面についたプロペラがついたL字型のドローン。側面のプロペラが空気を吸い込んで柱に張り付き、車輪を動かして上下に移動する。上部のプロペラが空気を吸い込めば、柱の橋の裏側にも張り付ける。目指す場所までドローンが移動して落書きを消せるため、大規模な設備や人出が要らない。


『プロドローン』は17年、シリコンバレーに現地法人を設立した。ドローン向けのソフト開発を手掛ける現地企業などと組み、機能向上や新たな設計の可能性を探っている。米国では農薬散布や商品の運搬・配送でドローン市場の拡大が見込める。河野社長は、『ドローンの利用では米国が日本より数段進んでいる。シリコンバレーで最先端の動向を知り、設計や開発に生かしたい』と語る。

そして『産業用ドローンという新たなパラダイムシフトで世界一を目指す』と意気込む。その心意気やよし、だ。調査や測量、災害救助といった様々な場面で活躍する機体が、世界中で飛び回る日も近い。


★<生徒全員に装着型端末>来年4月に開校する、広島県大崎上島町の全寮制、中高一貫校『県立広島叡智学園』は、生徒全員に『ウエアラブル端末』を身につけさせる。心拍数や血圧、歩数などのデータを測り、寮で暮らす生徒の健康管理に生かすのが狙い。食事の回数なども把握し、保護者が安心して子供を預けられる環境を整える。

情報の一部は教職員や保護者がネットで確かめられる仕組みを取り入れる。生徒に異変がある場合には、養護教諭達に自動で情報が伝わる。構内で自由に使えるよう、県立学校で初めて全敷地で無線LAN環境を整える。生徒はノートPCやタブレットを持ち、教諭との教材の共有や宿題のやり取りに活用する。システム全体の事業費として、18年からの6年間で3億円を見込む。

見事なり、『叡智学園』だ。就任する校長先生は確か女性の方だったと記憶している。麻生大臣が女性蔑視の発言を続ける中、世の中はどんどん進んでいる。いいことだ。私に子供がいたら、真っ先に入学させたいと思う学校である。


★<さいたま市で2千万円の強盗>7日夜、さいたま市の店舗兼住宅に住む自営業の50代の男性が、『室内に入って来た男にお金を盗まれた』と110番通報があった。テープで緊縛され、2千万円が持ち去られたと言う。男性宅に侵入した強盗は、男性4人連れ。ナイフのようなものを見せて『金を出せ』などと脅迫。男性を含む家族全員をテープで縛り、家にあった現金2千万円を奪って逃走したと。家の中に現金があることを知っての犯行だろうから、顔見知りの犯人だろうねえ。オソマツだ、家に現金を、しかも2千万円も置いておくなんて、大失態だろう。またそれを他人に自慢したのではなかろうか、この店主は。

『いずみたく物語㉙ 安田章子、由紀さおりで再デビューが大当たり』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、マルクス生誕200年を記念して生誕地ドイツ・トリーアの観光局が発行した『0マルク紙幣』、プロ入り初ホームランを打ち、新人連続安打を『7』に伸ばした『日本ハム清宮幸太郎選手』、京都『インクラインの桜もよう』、そしてミツバツツジ、サイフリボクが咲き乱れる『牛田山縦走路』です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★『ピンキーとキラーズ』がヒットしている間、ボクは安田章子と会っていた。彼女は今までボクのCMソングを何曲歌っただろう。おそらく200曲もあるかも知れない。安田章子は、10歳の頃から姉さんの安田祥子と童謡を歌い、初見のうまい彼女は非常に器用で、よくCMソングを歌っていた。ある時、彼女にスキャットでCMを歌わせていて、フト、ボクの心の琴線に何かが触れた。

『彼女のスキャットには、ステキな色気がある』。ボクは彼女に会って話した。『どう?レコードを吹き込んでみない』『・・・2、3日考えさせて下さい』。しばらく考えていた彼女はためらいながら答えた。彼女は、あるレコード会社の専属だったが、大したヒットもなくその会社を辞めていた。そしてもう一つ。『先生、私は来年3月に結婚することになっています。だからレコードは・・・』。ボクは腹が立った。『安田サン、歌手には結婚している、していないは、全く関係はない。いい歌、うまい歌が必要なのであって、そうぞ好きな方と結婚して下さい。しかし、レコードは出したい』。ボクは彼女を説き伏せた。彼女は、彼に相談した上で、レコード歌手としての再デビューを承知し、全てをボクに預けてくれた。


安田章子は『由紀さおり』と芸名を改め、『夜明けのスキャット』を吹き込んだ。この曲は、2、3年前から、CMの世界で彼女に歌わせていたスキャットの集大成である。ボク達にとってスキャットの仕事は決して新しいものではない。

そしてこの曲は、レコード発売以前に、深夜放送に流した途端、またまた『恋の季節』のような大反響を起こした。彼女の甘い声と、スキャットの新鮮さが、ラジオに向いていたのであろう。その反響はレコードの発売を早め、発売日にはすぐレコードは売り切れの状態になった。

そして、その大ヒットの中で、彼女は予定通り愛する彼と結婚して、新婚旅行に旅立って行った。彼女の『夜明けのスキャット』は、150万枚という驚異的な枚数を記録して、ボクの手元から3人目のスターが飛び出して行ったのだ。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<泥沼か、スルガ銀行>シェアハウス融資問題で揺れる『スルガ銀行』が、また一段と厳しい状況を迎えている。この融資を受けてシェアハウスを購入した150人を支援する弁護団は、記者会見で、契約者がスルガ銀行に提出した銀行の取引履歴などで弁護団が入手している13人分が全て改ざんされていたと指摘。スルガ銀行員と不動産販売会社の会話とされる録音に偽造業者を紹介する内容が含まれていたことなどを明らかにした。弁護団は音声を金融庁に提出するとしている。

さあ、スルガ銀行の行員が、犯罪行為に手を染めていたことになると、まさに『スルガ噴火』になりかねない。本当、健全財務、お金持ちスルガ銀行と思っていたのに、とんだ所に落とし穴があったのだ。


★<日本ハム新球場は北広島市に>『日本ハムファイターズ』の新球場本拠地が北海道北広島市の『きたひろしま総合運動公園』予定地に決まった。日本ハムは札幌ドームから出るだけでなく、札幌市が提案していた候補地も蹴り、札幌を去る。背景には『10年戦争』と揶揄される球団と札幌市の因縁、確執があった。

今季、米大リーグに羽ばたいた『大谷翔平選手』。日本ハムが育てた二刀流で快進撃を見せている。その日本ハムも球場を核に商業施設やホテルなどを備えた大リーグ流の『ボールパーク』建設に向け、第1歩を歩み出した。

札幌市の隣ながら、人口は6万人。JRで札幌駅から快速で15分だが、便数は限られる。札幌市が屈辱的な『ジャイアントキリング・大物食い』を許した底流には、地元で公然となっている球団と札幌市の不仲がある。球団が04年に本拠地を東京ドームから札幌ドームに移した当初、両者の関係は『相思相愛』だったのに。


札幌ドームは02年のサッカーW杯を見据え札幌市が537億円で建設した。世界でも珍しい野球とサッカーのグラウンドを兼ね備えた構造で、年間の管理費は20億円。年間70試合を消化するプロ野球チームの誘致は不可欠だった。当時の日本ハムは巨人と東京ドームを併用し、年間20億円前後の使用料を払っていたとされる。日本ハムが札幌ドームに払う使用料は移転当初、10億円に満たなかったと見られ、札幌に移転する大きな動機となった。

閑古鳥が啼いていた札幌ドームは日本ハムが新庄剛志らスター選手を擁して06年に日本一を勝ち取り、観客動員数が急増。球場を運営する市の第三セクターも黒字経営を続け、公設球場の成功例と持ち上げられた。ところが球団の人気が高まるにつれ、皮肉にも相思相愛がきしみ始める。

カープが現実に球場経営自体に手を染め、DeNAが実行、実現したように、球場を自由に運営し周辺事業からも収益を得たい日本ハムは、球団人気をバックに使用料の引き下げや長期のフランチャイズ契約を札幌市に迫った。しかし市側は、Jリーグの『北海道コンサドーレ』など他の使用者にも配慮し、『料金や契約は条例で決まっている』と突っぱね続けた。先進的な球団経営を標榜する日本ハムと、公平性に配慮する札幌市。主張は平行線をたどり、亀裂は深まって行くばかりだった。


16年5月、球団が新球場構想を打ち出したことで溝は決定的になった。さらに札幌市は球団側の空気を読み誤り、消費増税を理由にドーム使用料の4%値上げを通告。『これじゃあ、市民体育館を借りているのと同じだよ』。球団幹部は吐き捨てた。民間企業に球場など造れないと高をくくっていた札幌市はすぐに誤算を悟ることになる。球団が自治体に提案を競わせる米国流のコンペ方式を持ち出してきたからだ。

すかさず手を挙げたのが、北広島市。市内には70年代から構想が浮かんでは消えた『総合運動公園』の予定地がある。北広島市長は『球団誘致は究極の地方創生になる』と、土地の無償貸与や税減免など優遇策を提示した。人気球団の流出は避けたい札幌市は渋々、17年4月に北海道大学構内など複数の候補地を示した。今年3月には道立真駒内公園を提案したが、自然豊な公園は周辺住民から反対意見が噴出。札幌ドーム残留交渉など序盤戦で時間を空費した札幌市にはサヨナラホームランは望めなかった。

日本ハムは結局、札幌ドームだけでなく、札幌市からも出て行くことになり、『10年戦争』は終わった。市には市民に税負担を強いずに札幌ドームをどう運営するかと言う重い課題が残る。日本ハムも北広島での集客という難題が待ち受ける。決別は正しかったのか。両者は長い時間をかけ、この問いに向き合うことになる。


★<広島人が切り開いた北広島市>広島県人の北海道への移住で特筆されるのは、旧沼田郡段原村(現南区段原町)出身の『和田郁次郎』であろう。和田が初めて渡道したのは明治15年である。この時は、道南各地を見て回ったものの、適当な土地が見付からなかったため、ひとまず帰郷した。そして、翌16年春、再び単身で北海道に赴き、札幌市のすぐ隣にある現在の北広島市内に入植を定めたのである。一度広島に戻った和田は、2ヵ月後、谷川杢左衛門、村上孫兵衛、細江一らを伴ってその地には入り、移住の準備を済ませた。さらに翌17年、総数25戸が入植し、当初開墾した田畑は16ヘクタールだったと言う。


勿論、最初の年は苦労の連続である。9月には大霜に襲われ、作物が全く実らなかったし、谷川は馬から落ちて死亡、細江は広島に戻ってしまうということもあった。だが、和田らはそれらにくじけることもなく、翌年18年には、31ヘクタールほどを開墾、初めて米の収穫に成功した。その後は他県からの入植者も受け入れ、同22年には合計64戸に増えていた。この成功が大きな足ががかりとなり、以後多くの広島県人が北海道に移住し始めた。

北海道庁が開設された明治19年(1886)から、移住のピークを過ぎた大正11年(1922)までの間に、広島県から移住した人はおよそ8,500人を数える。和田達の入植以来110年余を経た平成8年(1996)9月1日、広島町が市に昇格し、『北広島市』となった。現在、北広島市は札幌のベッドタウンとして発展しており、人口も6万人を超えている。ちなみに、札幌農学校の初代教頭『ウィリアム・クラーク』が、その任を終えて帰国する際、見送りに来た学生や職員達に『Boys be ambitious!―少年よ大志を抱け』という言葉を残したのは、市内にある旧島松駅逓所である。ただ、現在同市は総面積の1割以上がゴルフ場になっている事に象徴されるように、広島人のスピリットが今なお息づいているかとなると、果たしてどうだろうか。 (参考:岩中祥史著『広島学』)


★<名画廃棄、東大生協謝罪>東京大学安田講堂前の地下食堂に飾られていた著名画家の大作が、施設改修で行方不明になっていた問題で、食堂を管理する東大生協が、正式に廃棄を認めた。HPに『貴重な文化資産である作品を失うことの重大さに思いが至らなかったことを深く反省する』とお詫びを掲載した。廃棄された作品は、故宇佐美圭司さんの4m角の作品『きずな』。生協によると、76年に生協創立30周年記念事業として制作を依頼したと言う。まあ、大チョンボだね。


★<アルゼンチン破綻>自国通貨ペソの下落が止まらず政策金利を『30%』に切り上げたばかりのアルゼンチン。ついに国家財政が破綻し、IMFに3兆円超の融資について協議を始めた。しかし、アルゼンチンは2001年にIMFによる緊縮路線の末、デフォルト債務不履行に至った経験から、懐疑的な見方も多く、行く末は混沌としている。IMFが貸さなかったらどうなるんだろうねえ、アルゼンチンは。まさか国を相手の高利貸しもいないだろうし。


アルゼンチンの通貨ペソは、年初から対ドルで2割下落している。インフレ率の上昇や経常赤字の拡大などでアルゼンチン経済自体が脆弱になっている中、米国の長期金利が上昇し資本流出が続いているためだ。中央銀行は政策金利を4日、30%から40%に引き上げた。クレイジー国家アルゼンチンなのだ。

日本の財政赤字体質もアルゼンチンと似ている。が、違っているのは国債を海外ではなく国内資金で処理し、海外金融の影響を受けない形になっているからだ。これが、国内でさばけなくなり、海外資金に頼るようになると、アルゼンチンの二の舞が日本に襲いかかる。いつになったら財政健全化が実現できるのだえ、麻生財務大臣殿。また、財政再建に向けどんな努力をしているのだえ、麻生大臣殿。大臣や官僚の給料はカットしているのかえ、麻生大臣殿。政府が行っている節約制作を教えておくれ麻生大臣殿。なんやら、不安国家日本になりつつあるなあ、麻生大臣殿。


★<サンマ加工品138万匹分、産地偽装>サンマの開きなどサンマ加工品138万匹分の産地を偽って表示し、販売したとして、農水省は福島県いわき市の水産加工会社『伴助バンスケ』を食品表示法に基づいて改善を指示し、公表した。

伴助は、サンマの丸干し、開き、みりん干しの3商品のサンマの原産地について、実際は台湾や韓国産、岩手産、宮城産だったのに、『北海道産』と表示して販売した。伴助はもともと北海道産のサンマを仕入れて加工していたが、在庫不足になり、ほかの産地のサンマを仕入れ始めたと説明している。まあ、当然だろうねえ、こんなにサンマが捕れないと。しかし産地を偽るのは良くないねえ、伴助君よ。


★<バルサ、イニエスタ神戸移籍>スペイン・バルサのイニエスタが神戸に移籍するという報道、またそれは違って豪州行きだという報道。かしましい。が、イニエスタの胸スポンサーを見て、はて、楽天がバルサと神戸のスポンサーを兼ねている故、彼の神戸移籍は夢物語ではないな、と感じた。Jリーグにも欧州で活躍した有名選手へのオファーが出来る時代になったと感じたね。本当に実現すれば素晴らしいことだ。

報道によれば、年俸は32~39億円の間で詰めており、完全獲得へ秒読みだと。移籍が成立すればJリーグ史上最高年俸の助っ人が誕生することになる。が、球団側はこの報道を否定している。まあ、この年俸はまさにクレージーだからねえ。


★<西武全員三振の巻>2位ソフトバンクに5ゲームの差をつけ首位を走る西武。その西武打線が8日、対ソフトバンク戦で、千賀の前に珍しく沈黙。今季ワースト16三振、スタメン9人全員三振の記録を作って敗れた。球団史上3度目の全員三振だそうだ。野球はやってみないと分からないねえ、本当に。


★<怪物・清宮幸太郎>日本ハム・清宮幸太郎内野手がプロ初本塁打を放った。デビュー戦からの毎試合連続安打も『7』とし、プロ野球記録を更新した。『5番・1塁』で先発出場し、両軍無得点の2回、先頭打者として立った第1打席で、オリックス・ディクソン投手の初球の変化球を右中間へと運んだ。出場7試合目、24打席目で待望の一発。打った瞬間、それと分かる当たりだった。これまでの記録は6試合で、ドラフト制以降では1981年原辰徳(巨人)、2001年佐藤友亮(西武)、2016年吉田正尚(オリックス)の大卒3選手が記録していた。まさに怪物『清宮幸太郎』なり、である。


★<米銀行リストラ急ピッチ>米国の大手銀行4行がそろって、急ピッチで店舗の大リストラを進めている。4月中旬、『JPモルガン・チェース』『ウェルズ・ファーゴ』『シティグループ』『バンク・オブ・アメリカ』の1Qの決算が出そろった。その多くは、法人税減税や市場取引の活発化などの恩典を受けて、当期利益が大幅増益を記録。一方、その陰で経営効率アップのために大幅な店舗削減を続ける姿も浮き彫りになった。17年12月からの3ヵ月だけでも4行合計で133の店舗が消失。この1年で655にも上る。

国内3メガバンクの店舗数は、最王手である三菱UFJが685、三井住友が440、みずほが419。つまり三菱UFJ1行分、みずほに至っては1.5行分の店舗が消えた計算になる。米銀のリストラのスピードは、日本の銀行を大きく上回り、かつ大規模である。巨大でも速さを求める経営が身上なのだな、米銀行に限らず、米国企業は。

『いずみたく物語㉚ 波乱万丈、S君の半生記』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、『天皇陛下と懇談する李首相』、三菱重工子会社・三菱航空機が開発する『MRJ三菱リージョナルジェット』。この会社は開発遅れが響き、なんと18年3月末で1千億円の債務超過に陥っているそうだ。親会社の三菱重工は、18年度中に債務超過を解消するとは言ってるが、また持株、資産の切り売りをするんだろうなあ。開発遅れはもう何年にもなり、指折り数えても、指が足らないくらいだ。そして、1本の木から、白とピンクの花が咲く『源氏梅』と『枝垂れ桜』、『散る桜』です。この源氏梅、誠に不思議な梅の木ですが、満開の姿はまた格別に格好いいです。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★六本木にあるボクの会社の4階に、『スタッフ・ルーム』という名前の部屋がある。スタッフ達、つまり芸術家達が仕事をする部屋である。なんのヘンテツもない汚い部屋だが、いつもその部屋は満員である。と言うのは、オールスタッフ・プロダクションに所属する5人の若い作曲家と数人の写譜屋さん達の誰かが必ず、昼も夜も仕事をしているのである。つまり、ボクの事務所は不夜城のごとく、いつも生き生きと活動している。

その中の一人『Sクン』は、現在50歳になる名アレンジャーである。彼は毎月10から15曲のCMフィルムの音楽を作曲し、テレビ音楽番組の編曲をし、佐良直美や、由紀さおり、ピンキラのための編曲もしてきた。1ヵ月で100曲近い作曲、編曲をしている売れっ子の一人である。

Sクンとボクとの出会いは、今から40年以上前に遡る。ボクが演劇から離れて、音楽を勉強し始めた頃、初めてピアノを手に入れた時のことである。『たくチャン、名もない小さなバレエ団だけど、子供達のためにバレエの曲を作曲するかい』。ボクの演劇時代の友達が仕事を紹介してくれた。ボクは喜んで引き受け、1時間の長いバレエ組曲を作曲して、さて録音することになった。友達のバイオリン、フルート、アコーディオン、ピアノの4人で演奏することにしたが、ピアノが見付からない。『たくチャン、まだ子供だけど天才的なやつを一人知ってるよ』と連れてきたのが、当時15歳だった紅顔の美少年、芸大の附属高校に在学中のSクンだった。一緒に演奏してみて驚いた。15歳のくせに、素晴らしくピアノがうまかった。


さあ、お疲れ、と皆一杯やり始め、Sクンもビールを1、2杯飲んで。次の日は本番である。Sクンはスタジオに現れない。仕方なく、ボク自身で下手なピアノを弾かざるを得なくなった。録音が終わった頃、Sクンは頭をかきかき、消え入りたいような顔で現れた。『あのー、すいません。昨夜酔っぱらって今日のコトを忘れて・・』。やはり15歳の少年だった。

それから4年経った。ボクが作曲家として生活し始めた頃、Sクンとバッタリ出会った。『どうしてる、元気?』『ええ、今芸大の作曲科にいます』。19歳の彼は、大変大人びた口調で答えた。『ボクは今大変忙しいんだが、手伝わないかい』『是非お願いします』。Sクンは芸大に通いながら、ボクの家に来た。そして、いつの間にかボクの家の押し入れに万年床を敷いて、住み着いてしまった。

『いずみサン、ジャズは素晴らしいですよ』。ジャズの虜になっていた彼に、ボクはジャズの基本を教えてもらった。早速彼と相談しながら、当時新進のジャズプレーヤーを集めて、いろいろ仕事を手伝ってもらった。ドラムの猪俣猛、ギターの沢田駿悟、トロンボーンのキジ・西村、サックスの西条孝之介たちである。彼らのサウンドの新鮮さにビックリしたボクは、自分の仕事の演奏は、全部ジャズメンを起用した。Sクンは、ボクの家に居候しながら、ジャズメン達に混じって、自分はジャズピアノを弾き出した。とうとうある時、『いずみサン、作曲を勉強したけど、ピアノのプレイが諦め切れません。ジャズピアノに専念します。お世話になりました』。新進ジャズピアニストSの名前が、新聞、雑誌に載り始めたのは、それから1年後だった。


2、3年後にボクの前に現れたSクンは、強度の睡眠薬中毒患者だった。『Sクン、君はジャズの演奏を続けている限り、その中毒は治らないよ。死んじゃうよ。もう一回、ボクのところで仕事をしなさい』。彼は再びボクの家に居候を始めた。が、睡眠薬は治らなかった。『クスリを飲むといいプレイが出来るんだ』と言うSクンを、『そんなのは錯覚だ』と、ボクは怒鳴るより早く、Sをはり倒していた。『出て行け!ボクの前に二度と現れるな!』。その後、彼が精神病院に入院したという噂を聞いた。

そしてそれから3ヵ月。丸々と太った健康優良児のSクンが、相変わらず人のよい笑みをうかながら現れた。そして更に3ヵ月入院。すっかり全快した彼がボクの家へ来た。『どうする、仕事を始めるかい』『ええ、だんだんとやります』。ボクは佐良直美のレコードや、ピンキーとキラーズのレコード編曲も彼にまかせた。もともと才能のある彼は、徐々に自分のペースを取り戻して行った。『Sが仕事に戻った』『Sが元気になった』。彼の才能はますます冴え、オールスタッフ・プロに、名アレンジャーSあり、と評判になった。『夜明けのスキャット』における彼の編曲は、ジャーナリズムにも非常に評価された。

そして彼は、昔と同じようにジーパン姿にセーター、ボサボサの頭を抱えながら山とある仕事を抱え、事務所のスタッフ・ルームに居候している。そして、ボク達にうそぶくのである。『この分じゃ、次期社長はオレだよな』。いやはや、なんとも憎めない男である。現在は結婚もして、元気に仕事を続けている。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<初任給年間501万円以上>4月から社会人になった吉田君(24)は、大学でコンピューターサイエンスを学んだ。何社からか声がかかり、選んだのが今東京新宿の本社に通う『LINE』。『自分の技術を適切に評価してもらえる』と言うのが、入社する決め手になったこと。

終活中の2016年12月。18年春入社が内定した吉田君は、会議室で採用担当者と向き合った。『これが吉田さんの初任給です』。福利厚生など労働条件を一通り説明した担当者はおもむろにホワイトボードに数字を書いた。

LIMEのエンジニアの初任給は最低でも年間501万6千円。選考過程の成績に応じて高くなる。吉田君は通常の正社員だが、成果に応じて毎年の給与が決まる年俸制。成績優秀者の初任給が100万円以上高い『スペシャリスト選考』枠に選ばれたのだ。

調査によると、日本のIT人材の20代の平均給与は年間413万円。米国の1,023万円に比べると少ないが、世界規模での人材争奪を意識する日本企業も徐々に引き上げている。初任給を見直す動きも目を引く。売り手市場という理由だけではない。能力や意欲があり結果を出す人材に厚く配分する仕組みが初任給にまで行き着いた。LINEの担当執行役員は、『個々人が納得する年俸を提示しなければならない』と言う。


日本企業の人事担当の間で昨夏から『ファーウェイ・ショック』が囁かれている。中国通信機器大手の『華為技術ファーウェイ』の日本法人が理工系専攻者を対象に、いくつかの職種で大卒予定者の初任給が40万1千円、修士終了で43万円を提示していた。『欧米企業にやっと肩を並べたレベルで、珍しくはない』と言うのがファーウェイの公式回答だ。業界ごとに横並びが多かった日本企業に、初任給から能力に見合った待遇を用意しなければ人材を獲得できなくなるとの危機感が急速に高まった。

初任給だけではない。ファーウェイは時に年収3千万円とも言われる条件で日本の電機大手から社員を引き抜いている。待遇を上げなければ、人材を採ることも、流出を防ぐことも出来なくなる時代が来た。

今春、ソニーはベース給を15年ぶりに引き上げた。一時金を含めた年収ベースで5%増となる。ベース給引き上げは長期間にわたりコストへの影響が大きいが、ソニーというブランドで採用を有利に進めた過去と今は異なる。ソニーの人事企画統括部長は『電機業界全体が埋没するという危機感があった』と振り返る。年功序列や業界横並びの賃金制度、そして終身雇用が音を立てて崩れて行く。


★<2,000円札の悲哀>2000年に発行された『2,000円紙幣』。18年も経っているにも拘わらず、その姿を見る機会は極端に少ない。しかし、ごくまれに自分の手元に回って来ることがある。財布に入っているからには会計で使おうと思うのだが、そんな時不安になる。これ、紙幣としてちゃんと使えるのか、と。

数日前のこと。レジで4,000円のお釣りを受け取ったら、財布にしまう際、紙幣が3枚しかないことに気付いた。むむ、店員のミスか、すぐさま声を掛けようとして、手に握られている3枚の紙幣を見てハッとした。なんとそのお釣りは、1,000円札が2枚、そして2,000円札が1枚と言う組み合わせだったのだ。


よく少額の会計を5,000円札や1万円札で支払おうとして、『すみません、大きいのしかなくて』と、軽く謝りながら出す人は多いと思う。しかし2,000円札の場合、会計がいくらであろうと『なんか、すいませんっした・・・』と、全面的に自分が悪いです的な気持になってしまうのだ。まさに完全敗北。生きていてごめんなさい状態である。

また、レジによっては2,000円札の居場所がなかったりもする。そんな扱いだから、お釣りとして使われる機会など皆無。翌日、売上金として入金されるのを待つだけである。シフトの度『2,000円札入ってます』『2,000円って(笑)』とバイトにいじられまくる2,000円札の姿からは、家族にないがしろにされる中年サラリーマンのような深い哀愁を感じてしまう。しかし、それでも積極的にいらないのが2,000円札なのだ。いや、2,000円札だけはなくてもいいだろう、と思ってしまうのは私だけだろうか?悲哀の2,000円札ではある。


★<米イラン核合意から離脱>米トランプ大統領は8日(日本時間9日)、米国が『イラン核合意』から離脱し、対イラン制裁を再開すると発表した。大統領は演説で『イラン合意にはその中核に欠陥がある』と指摘し、『私は今日、米国がイラン核合意から離脱すると発表する』と表明。また、イランを世界屈指のテロ支援国家と断じ、イランが中東に及ぼす影響を非難。核合意は『悲惨な』内容であり、米国にとっての恥辱だと表明し、イランがウソをついた『証拠である』と主張した。

イラン問題緊迫化を受け、国際石油価格は2年ぶりに『70ドル』を超える高値になっている。大使館をエルサレムに移設するなど、全身狂犬病のようなトランプは中東和平を覆し、何を企んでいるのか。とにかく中間選挙に向け、目立つこと、票の獲得になるなら何でもやるといった体たらく、困ったものだ。


★<海外移住する中国ビジネスマン>NHKのニュース報道である。そこらの週刊誌ネタと違い、事実をきちっと報じるNHK報道故、ちょっと興味が湧いた。『中国から逃避するビジネスマン増加』。一党独裁、習政権にほころびが見えるのか、と。

映像は、中国で行われている『海外移住セミナー』。会場は満員の大盛況で、その時のテーマは『オランダへの移住』。講師は、『全員無事にオランダに移住しよう』と声をかけて。移住の理由は、『共産党一党独裁』に不安を抱いてということらしい。習主席は共産党大会で『東西南北、軍、民間、学問全てを指導する』と声を張り上げ、国民の不安を引き立てている。方針に従わない企業を国の管理下に置き、経営者は身柄を拘束される。


台湾に逃れIT企業を経営する陳平さんは、かつての習さんと深い交流があった。しかし『主席の在任年限を撤廃した習政権』に不安を感じ、台湾に移住した。IT企業のような自由闊達な経営環境が必要な企業経営者にとっては、現在の中国では不自由きわまりないのであろう。

少し前までは、中国本土の経済成長、不動産ブーム(さらには収賄)で大金を掴んだ中国人が、故国を捨て、アメリカやカナダへ移住する姿が多くみられたが、今はビジネスマンが逃避する。『アリの一穴』ではないが、このような風潮が全国に蔓延すれば、『共産党一党独裁』への反発は大きなエネルギーとなる可能性がある。変貌するか、中国『習王朝』だな。


★<プリンターインク補充>一昨年末、使っていたHPのプリンターがダウン。PCからの情報が入らなくなった。スキャナーは使える。なら、プリント機能だけのプリンターをと。ネットで探すと、キャノンのPIXUS2700と言うのがあった。価格はアマゾンで2,745円。補充インクカートリッジが、黒2,740円、カラー2,900円。補充インクの価格より本体価格が安い。以前から非純正の補充インクを使用していたので、ついでに購入。黒973円、カラー1,220円。

あれから1年半。インク補充のサインがしばしば出る。昨日やっと補充作業をした。ネットで調べて、補充作業の画像、動画を参考にした。黒は補充瓶の1/3程度、カラーは1/5入った。これでまた2年は大丈夫だろう。コストは、568円で済んだ。これは超コスパだな。プリンタービジネスは、本体を安くして売り、純正インクで儲けるという仕組みだ。拙者は画像のプリントは、ネット店現像で行う。2Lで20円、6つ切りワイドで250円。安い。時に2割引きサービスもあり、これを適用すると6つ切りワイドで200円と、プリンターを使うよりとてもきれいで、安く上がる。
  (ご参考ネットプリント店)イメージングゲート  https://www.ig3.jp/


★<銀行、平日も休む>金融庁は、銀行の支店業務について、平日でも休めるよう規制を緩和した。インターネットを使った金融サービスの普及で来店客が減り、人口減も重なって支店の維持コストが負担となっている現状に対応する。

銀行の支店は、銀行法令施行令などで土日と祝日、年末年始を除いて営業するよう義務づけられている。この取り決めを見直し、同じ銀行の支店が近隣にあるなど顧客の利便性を損なわない限り、平日に休業することを認める。

日本の産業界を、『お金』という鎖で縛り付けてきた銀行業界にも秋風が吹くようだ。人口減、ネットバンクの活用などで、支店、窓口業務が減ってくるのだ。『驕る平家久しからず』、と言えば銀行は怒るかな。


★<責任逃れが一流の柳瀬唯夫>昨日行われた『柳瀬唯夫元秘書官』の国会参考人招致での答弁について、自民党石破元幹事長は、違和感があると語った。

『加計学園だけが特別扱いされたのでは、との疑問が完全に払拭されたかと言うと、そういう思いはしない。疑念を完全に払拭するとの阿倍総理の指示は、完全には達せられなかったんじゃないか。

非常に違和感を持ったのは、希望があれば誰でも会うと言われたが、総理秘書官が誰にでも会ってくれる話ではなかった。結果として、会ったのは加計さんだけ。誰にでも会うと強調していたので、すごく違和感を持った。何故加計さんだけだったのか。石破4条件を随分強調していたが、閣議決定だから阿部内閣の決定であり、その点もかなり違和感を持った。

総理秘書官が首相に報告しないことは普通考えられない。秘書官は個人でなく、総理の分身として会っていて、誰に会ったか報告するのが普通だ。全く報告していないことにも違和感は持ったし、政府の中で働いたことがある人達はそう思ったのではないか。


愛媛県と柳瀬さんの言い分が違っているのが今の状況で、その場でメモをとられた愛媛県の関係の方々も国会のお呼びすべきなのかも知れない』

この記者団に語った石破発言は、相当の重みを持っている。野党議員ならいざしらず、元幹事長だった自民党中枢が語った内容だから。まさに、柳瀬発言のウィークポイントをよく突いている。本当、総理に何も報告しない秘書官なんて、秘書官ではないよなあ。

立憲民主の長妻議員は、『首相秘書官経験者に私が話を聞いた限り、首相に報告しないなんて、そんなことはあり得ない』と言っている。信用できない、と話した。

この発言には与党議員からも驚きの声があがった。自民党の閣僚経験者は、秘書官がメモを取らないなんてありえない。こんなのウソに決まっているじゃないか、と憤る。また、中村愛媛県知事は『愛媛県の信頼を損ねるような発言があったのは非常に残念だ。応答には、真実でないレベルのものもいくつかあった。誠心誠意全ての真実を語らないと言うのが印象だ』と語った。

これでは、今後国会で加計問題はさらなる火種を残すことになった。自民閣僚経験者は、『天下国家のために働く官僚達が、なぜ安倍さんの友達の私的な利益のためにウソをつかなければならないのか。自浄能力を失った組織は崩壊するしかない』と吐き捨てた。まさに、それ以外にない。

以前にも書いたが、この柳瀬唯夫、経産省原子力政策課長時代、東芝にEHを買え、買えと督励し、三菱にも買うよう奨励したことで知られている。前科何犯なんだろうか。


★<天皇陛下、李首相に会見>天皇陛下は昨日午前、来日中の李克強と皇居で懇談された。陛下が通国の首相と会われるのは平成22年6月の温家宝首相以来、8年ぶり。李首相は9日、安倍首相、韓国李大統領と迎賓館で日中韓首脳会談に臨んだ。陛下は4年10月、皇后さまと共に、歴代天皇として初めて中国を訪問された。

中国の歴史は、日本と全く異なり、王朝が覆ると旧王朝関係者は何千人、何万人と殺戮される。王朝が新しく起きる毎に、多くの死人が出て、王朝の血筋を引き継ぐ歴史はない。よって、日本のような天皇家は存在しないし、言って見れば今が『共産党・習王朝』の時代なのだねえ。変遷の激しい国だ。

『いずみたく物語㉛ ギリシャの大会で由紀さおりが歌唱賞を受賞』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、我が国で初の実測日本地図を作った『伊能忠敬像』と忠孝の肖像。没後200年に当たり、北海道内の測量をスタートさせた地点である福島町に、偉業を称える銅像と記念公園が完成した。

伊能忠敬は、55歳を迎えてから、日本全土の地図作成にとりかかり、73歳まで活動を続けました。寿命の短かった当時としてはまさに異例中の長命。私は、広島県立図書館で、この『日本地図=伊能図』の複製を借りて見ましたが、本当に寸分も違わない日本の地図が江戸時代に、しかも足を全土に運び作ったという、その情熱と意欲、そして技術の確かさに驚きを感じました。人間は暦の年齢だけではないのだねえ、気持次第で73歳の青年が存在したのだから。ついでながら、50歳まで忠敬は、養子先の伊能家の家計復興に力を注ぎ、それを成し遂げて、地図の作成に取りかかったそうです。

そして、『ハナカイドウ』『ハナズオウ』『ベニバナ・トキワマンサク』『リキュバイ』の可愛い花々です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★昭和44年6月、ギリシャのアテネで『シャンソン・ド・オリンピック』が開催された。作曲家としてのボクと、歌手としての由紀さおりが招待された。そして、審査員として作曲家の服部良一サンと、ジャーナリスト代表として、阿倍寧さんが随行してくれた。

世界各国、四十数人の代表歌手が、80人のオーケストラをバックに、10万人の聴衆の前で、その芸術を競う。由紀さおりは、自分の出番が近付くにつれて、顔色がさえず沈んで行くのでハラハラした。結果が発表された。3位、2位、1位。ボクもさおりも泣きたいような口惜しさを覚えた。突然、10万人の拍手がボク達に向けられた。司会者がギリシャ語なので、チンプンカンプン。ボク達2人は壇上に乗せられ、由紀さおりは主催者や司会者にキス攻めされ、ボクは握手攻めだ。『最優秀歌唱賞』。四十数人の歌手の中で、ただ一人受賞する賞であった。ボクもさおりも、服部サンも、阿倍サンも、皆涙でホオをぬらしながら喜んだ。


彼女の歌『天使のスキャット』はヨーロッパ各国で発売されることになった。『いすみサン、良かったね。ボクも日本に帰って、もう一度、若い人達と一緒に仕事をやり直すつもりだ。いすみサン、やりましょう』。服部良一サンの顔もクシャクシャだった。ボクは何とも言えず、服部サンの言葉に感動した。

『何をおっしゃるんです、服部サンのような大先輩が。ボク達は皆、服部良一サンを手本に勉強して来たのですよ。今更そんな、若い人達と一緒にやり直すなんて―』と言いたかったが、ボクは止めてしまった。芸術家としての服部良一サンの気持がよく分かるのだ。芸術家はいつまでも若く、いつもスタートラインに立っていなければ、良い仕事が出来ないのだ。その服部良一サンが、昭和44年の紫綬褒章を受章された。ボクは心からオメデトウと申し上げたい。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<復活盆踊り、荻野目洋子>昨年は忘れられない不思議な出来事が、次々を自分の身に起こった。人生は想定外なことが起きるものだと実感した年だった。私が32年前に歌った『ダンシング・ヒーロー』が、再注目されたのだ。ある楽曲が、別の歌手のカバーでなく、再び注目されるのは本当に珍しいことだ。

そのきっかけは、お笑い芸人の平野ノラさんや、大阪府の登美丘高校ダンス部の皆さんと言われている。でも実は、それ以前から『ダンシング・ヒーロー』は、東海地方を中心に盆踊りでよく使われていたそうだ。私がその事を知ったのは、2001年だった。岐阜県の商工会議所の方から『毎年大変な盛り上がりようです。荻野目さんにも是非見ていただき、生歌を披露していただけないでしょうか』というお手紙をいただいた。あの曲が盆踊りに、最初は私もスタッフも半信半疑だった。しかし、実際に岐阜に行って、大トリでダンシングを歌って、ただならぬ興奮を覚え、アンコールに応え3回も歌ってしまった。

実は奇しくも、私が人前で初めて歌を歌ったのは、小学2年生の時の近所の『盆踊り大会』だった。そこで開催されたのど自慢大会に大人に混じって出場し、準優勝。この盆踊りから、私の歌手人生が始まったのだ。そこで私をスカウトしてくれた事務所に入り、小学生でグループでのデビューをした。が、学校に通いたくて、脱退し、中学校も無事卒業した後、高校生でソロデビューした。


大人になり、人生の良きパートナーと、3人の子宝に恵まれ、数年間の休業状態に入った。そして、子育てが少し落ち着き、デビュー30周年を迎える2014年の少し前から、本格的に活動を再開した。現在も私が歌えているのは、主人の力強い支えがあったからだ。元プロテニス選手の夫は『ミュージシャンはすごいよ。テニスはそこにコートがなければ出来ないけど、歌はその場で感動を与えることが出来るんだから』と私の仕事をリスペクトしてくれた。

事務所の社長も大切な存在だ。小学生でグループを脱退した時も、平社長だけは常に『信じられる大人』だった。もう出会ってから40年近くの歳月が経つが、信頼感は全く変わらず、何でも相談出来る。私の歌手活動は、多くの人達と繋がり、支えられ、同じ熱量を持ちながらスパークし合い、現在に至る。昨年もそうだった。平野ノラさん、登美丘高校ダンス部の皆さんの活躍を知った時、『この人達、すごいなぁ!』と言う客観的な気持が先に来た。

知らない人達の情熱が形になっていく。まさに、岐阜の盆踊りで感じた想いと同じだった。この他にも、ここでは語り尽くせないほど色々なご縁がある。ドラマチックな人生を楽しく歩ませてもらっていることに、感謝の思いでいっぱいだ。(参考:荻野目洋子筆『ダンシング・ヒーローと盆踊り』)


★<大笑い>NYメッツは、9日のシンシナティ・レッズとの試合で誤った順番で打者が打席に上がったとしてアウトとなり、このミスが響いてか試合も1--2でサヨナラ負けした。

問題の場面は初回、フローレスが2番として打席に入ったところから始まった。審判団に渡されていた打順では、カブレラが2番、フローレスは3番とされていたからだ。そのまま打席に立ったフローレスは三振。続くカブレラは2塁打。が、ここでレッズは球審に正式な打順との不一致を指摘。球審はカブレラの打席を無効とした上で、次打者のブルースをアウトとし、このイニングを終了した。

これが響いたのか、メッツは10回裏、サヨナラ本塁打を被弾し、白星を逃がした。あまりに哀れ、幼稚である。打順を間違えるなんて、未だ日本では聞いたことがないが、昔はあったかも、だな。


★<乱交パーティー開く>インターネット上で参加者を募り、自宅で男子高校生らに『乱交パーティー』をさせたとして、神奈川県警は『児童福祉法違反・淫行させる行為容疑』で30歳の男を逮捕した。男は『身に覚えがない』と容疑を否認している。

県警によると、男は短文投稿サイト『ツイッター』で『オトコの中高生の乱パやるよ』などと書き込み、男子生徒らが『参加したい』などと反応。男はわいせつな行為をしている様子をスマホで撮影していたと言う。参加した当時20歳の男性が、別の児童買春事件で昨年秋逮捕され、県警が押収したスマホから男子生徒らがわいせつな行為をしている画像が見つかり、事件が発覚した。お粗末さま。


★<W杯悲劇、オウンゴールで射殺>W杯の歴史的な悲しい事件は、1994年米大会で起きた。1次リーグ、コロンビアは地元の米国と対戦。0-0の前半35分のプレーが悲劇の始まりとなった。DFエスコバルは、右サイドから上がった相手のクロスのクリアを試みた。だが、伸ばした右足に当たったボールは不運にも真っ直ぐ自軍のゴールへと沈んだ。この1点が最後まで大きく響き、コロンビアは1-2で黒星。MFバルデラマらを擁し、南米予選A組をアルゼンチンと並ぶ首位で通過した優勝候補は、あえなく1次リーグで姿を消し、国民は涙に暮れた。

OGの余波は、決して許されない事件へと発展する。米国戦から10日後の7月2日未明、帰国していたエスコバルは、メデジン市内のナイトクラブへと足を運んだ。カウンターで友人と歓談して店外に出た時だった。突然、近づいてきたマフィアの男が『オウンゴールありがとう』との言葉と同時に発砲。無数の銃弾に身体を貫かれ、未来あるサッカー選手は27歳で生涯を終えた。なんとも曰く言い難い事件ではある。


★<凄い大谷、5号ホームラン>大谷翔平の大リーグでの活躍が目覚ましい。投げては勝ち、打ってはホームランと。10日(日本11日)、ツインズの試合に『5番指名打者』として出場。5号ソロを含む、4打数2安打2打点。チームは2連勝。ア・リーグの首位に立った。

大谷のメジャープレーについて、あれこれ言う人がいる。特に元プロ野球選手で評論家を気取ってる人達が、何か大谷に厳しく当たっている。なにか遺恨でもあるかのように。素直に日本人選手の活躍を、日本人として喜べば、そして応援すればいいのに。ないやら神経に障る、プロ野球評論家達だ。『ベーブルースの記録』をも上回るペースの大谷。世界に喜びと希望を与えてくれ。


★<カープ珍記録、1試合で2度の連続アーチ>プロ野球、カープも負けじと頑張っている。阪神を迎えての3連戦の緒戦。菊池とバティスタが珍しい快記録を達成した。『1試合に2度の2者連続アーチ』を。先ずは、菊池が初回1死でソロを放つと、バティスタは左翼席最前列へ続いた。さらに7回にはこの日2度目となる菊池7号3ラン、バティスタソロの2者連続アーチが飛び出した。試合はカープが今季最多得点、14-1で快勝。首位街道をまっしぐらに走る。丸が帰ってくるまでは『キクバティ』となるか、な。阪神能見は初回に6失点するなど4回9失点と精彩を欠いた。


★<愛媛県知事、柳瀬の名刺を公開>『愛媛県の人達にはあった記憶がない』と、国会参考人招致でも言い張った柳瀬唯夫。『会ったのは、加計学園の人で、愛媛県の人達はその後にいたのではないか』と。これに激昂した中村県知事、『愛媛県の職員達は、メインテーブルに坐って話をした。そしてちゃんと名刺交換もしている』と、柳瀬の名刺に当日会ったという記録の年月日が推されたものを報道陣に公開した。そして、『会った、会わないの議論に終止符を打ちたい』と。そして『嘘は他人を巻き込むことになる』と言い放った。しかり、当然のことではある。柳瀬は、報道陣に申し訳ないと頭は下げたようだが、不信、不遜な人物だ。


まあ、柳瀬の経歴を見ると、信用出来る人物には見えない。彼が経産省原子力政策課長の時代、大赤字を隠し、倒産した『ウエスティングハウスWH』を買え買え、と東芝にたたきつけた。そしてそれでも足りないと見て、三菱重工にも買え買えと。三菱重工の経営陣に、EHが子会社としているシカゴの会社があり、この会社がうさんくさいと感じて、買い取りを断った。東芝はそんなことにも気付かず、買い取り、7千億円の赤字を出した。その張本人が、この『柳瀬唯夫』なんだよな。今回この報道はされてないが、大鹿靖明著『東芝の悲劇』を読めば歴然としている。首相秘書官など務まる人物ではなかったのだよ、阿倍首相殿。


★<サンフレ>J1サンフレッチェは、今日適地仙台で対戦する。仙台のエース石原はかつてのサンフレ優勝時のメンバー。野津田をレンタルで出しているが、協定により、今日の試合には出場できない。普通に戦えば勝てる相手、と見くびると足元をすくわれる。あくまで堅守、速攻のスタイルを堅持し、パトリックの技とパワーで勝ち進んでほしい。2位FC東京は、3位札幌と星のつぶし合いに。2位との勝点差8を維持してほしいねえ。ガンバレ、サンフレ!

『いずみたく物語㉜ 新しいレーベル・フォンテーヌ』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、島耕作35周年テレビドラマで主演を演ずる『りょう』、奥秩父の『瑞牆山ミズガキヤマ2230m』の美しき岩場と、妙齢なる『イワカガミ』、そして、『広島市役所の枝垂桜』です。小ぶりな枝垂れですが、太陽光線を受けて光輝く桜はまた見事で好きです。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★昭和44年春。『フォンテーヌ・レコード』を設立した。外国の作曲家が自分自身のレコード会社を持ち、自分のレーベルを持つのは、ビートルズのアップルレコードをはじめ非常に多い。シナトラ親分などは、いくつもレーベルを持っていて、レコード界の隠然たるボスである。ボクはオールスタッフ音楽出版を設立した時から、レコード会社設立のプランを持っていた。

『たくチャン、一緒に仕事をしようよ。レコードとカセットテープの制作を始めたいんだ』。ボクの15年来の親友の、文化放送の制作部長であるSという男が飛び込んできた。話は急にまとまって、文化放送とオールスタッフの共同合資会社が出来上がって、その名も『フォンテーヌ・レコード』と名付けられた。

『よーし。直に制作開始だ!』。ボクの会社の有能なディレクター達が、活動を開始した。第一番目のテープは早くも7月に発売され、続いて第二番目、第三番目と、ピンキラや由紀さおり、そしてプロの新人達のテープが発売され、好成績を収めた。

レコード会社と言っても、販売部門は持たない。企画制作専門の会社である。いろいろな新しい企画が、検討され、制作されて行く。レーベルも、フォンテーヌ一つだけでなく、いろいろなレーベルを作るつもりだ。


ボクは昔からの春歌、そして現在の春歌のシリーズを作りたくて、その制作を開始した。レーベル名は『ガーリック・レーベル』というふざけた名前をつけた。特に意味がある訳ではない。ボクが大変に、ガーリックが好きなだけで、ボクの誇るプロのスタッフ達が、ボクを皮肉ってつけたレーベルである。きっとこのレーベルも、世の中を騒がせ、日本中を『ガーリック』の臭いでいっぱいにしてしまうのではないだろうか。

フォンテーヌの方は、無事一流レコード会社が販売を取り扱うことになったので、ガーリックのようなアングラ的な行き方ではない制作が始まった。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<島耕作35周年>弘兼憲史さんのメイン作品『島耕作』。今年が誕生35周年に当たるそうだ。そこで日本テレビ系で7月にスペシャルドラマとして『部長風花凛子の恋・会長島耕作特別編』が放映されることになった。配役は7年ぶりに主演を努める女優の『りょう』。

彼女は、島耕作が会長を務める大手電機メーカー『テコット』の女性部長・風花凛子。彼女がセクハラ、パワハラ、働き方革命、社内不倫など、同時代的な問題に直面しながらも、仕事と恋に奮闘する、まさに『女性版島耕作』のような物語を描いて行く。ドラマは深夜帯『プラチナナイト』枠で2週連続放送予定。

驚いたなあ、島耕作が35周年だって。もっともこの作品は、弘兼憲史さんの同年齢・同時代の物語が続いて、係長から課長、と出世していく物語の間に事件や恋や挫折があると言う物。たまたま私は、広島市立まんが図書館から、部長島耕作から再読を初め、現在社長島耕作#10までたどりついている。単行本発行分を全部読み切る予定だが、時代をうまく背景・物語に織り込んでいる素晴らしい連続マンガだ。弘兼さんのブレーン、スタッフの優秀さの賜であろう。テレビドラマが待ち遠しい。


★<JA秋田おばこの赤字処理>コメの販売高で62億円の累積赤字を出した(既報)。この問題でJAおばこの臨時総代会が開かれ、歴代の役員ら40人に対して、赤字を膨らませた責任を問い、賠償を求める緊急動議が賛成多数で可決された。

総代会で特に問題視されたのは、2011、12年産米の販売。この2年分だけで赤字が27億円膨らんだことから、両年産のコメが売り切れた昨年3月までの間に理事や監事を務めた歴代役員らに、損害賠償を求めることが決まった。

総代会は非公開で行われ、組合長ら役員40人と、組合員農家の代表ら450人が出席。役員報酬や職員給与カット、組合員に求める『負担金』などを盛り込んだ経営改善方針も示された。野放図なコメの販売に、経理処理がついていけなかったのが最大の原因と言われてはいるが、なんとも情けなく無責任な経営のなれの果てではある。


★<メジロ飼育は違法>違法にメジロとホオジロを4羽飼っていたとして、東京都の77歳の男性が『鳥獣保護法違反』で書類送検された。別事件で通りかかった警察署員がメジロの鳴き声に気付き、違法飼育が判明したと言う。男はメジロの好物のミカンをカゴの中に入れて1羽を捕獲。その1羽の鳴き声でさらに仲間のメジロをおびき寄せる手法で、1990年から20羽以上を飼っていたと。

野鳥をペットとして飼うことは、戦前は広く行われていたが、好ましくないので種類を限って許可するとして1950年(昭25)に7種類のみが指定され、1967年(昭32)の審議会の答申で、『本来は捕獲を禁止すべきものであるが、(中略)最小規模においてこれを許可するようにすべき』とされた。1978年(昭53)の自然環境保全審議会の答申は『鳥獣は本来自然のままに保護すべきであるという理念にもとるのみならず、鳥獣の乱獲を助長することとなる恐れがあるので、廃止すること』として、以後、対象種を減らしてきている。そして2007年(平19)に、許可を得て、メジロ1種、1所帯1羽のみ認めるという法規制が決まった。


知らなかったねえ、メジロを普通に飼育すると法違反になるんだ。許可を得て、1羽だけ飼うことができるのだ。その他の小鳥は飼育が出来ないんだね。2007年までには、メジロとホオジロが、1980年までは加えて、ウソ、マヒワが許可されていたんだ。最初に規制された時点の7種は、この4種に加えて、ヒバリ、ヤマガラ、ウグイスが入っていたんだ。本当に知らなかった、小鳥の飼育の法規制は。


★<お好み焼き、中国進出>お好み焼き店『千房』などを展開する『千房HD(大阪市)』が、中国に初めて進出する。この度中国福建省福州市に1号店をオープン。大坂を訪れる訪日外国人客の増加で、お好み焼きの知名度が上がっており、中国出店でさらなるファン拡大を目指す。

千房は国内市場縮小などを受けて近年、海外展開を加速。フィリピンやタイなどで5店舗を運営している。来年度中には上海や香港、台湾などの中華圏でさらに5店舗を出店する予定と言う。出店先では、冷凍お好み焼きを販売する食品事業も展開し、相乗効果を狙う。日本独特の『お好み焼き』、海を渡るの図だな。嬉しいいことだ。


★<希少動物密輸発覚>絶滅の恐れがある希少種などの動物を密輸入しようとしたとして、千葉県警は、61歳の男を関税法違反の疑いで逮捕し、千葉地検に送検した。男は、昨年4月、インドコキンメフクロウなど」3種の鳥類15羽と、ピンとロングなど3種類の哺乳類9匹をタイから国内に持ち込もうとした疑い。スーツケースから聞こえる鳴き声に不審を持った税関の職員が、ケージ8個に入っていた動物を見つけ、差し押さえた。

男はその後出頭要請に応じず、行方が分からなくなっていたが、今年に入って所在が確認された。男は調べに対し、黙秘していると言う。


★<日本郵便躍進>宅配便市場の勢力図に変調の兆しが。最大手のヤマト運輸が採算性改善へ荷受けを2%減らしたのに対し、法人向けの値上げ幅が小さかった日本郵便は26%増と大幅に伸ばした。ネット通販の急増に伴う人手不足への対応策が、宅配シェアを左右している。ヤマトは、『人手不足に対処するため、待遇改善のため』と値上げをしたが、決算発表では今季大幅な増益の見込み。値上げしたのは待遇改善ではなく、単に利益のための値上げだったのだ、な。こずるい値上げをしたヤマトは暗い会社だ。日本郵便よガンバレ。


★<バレンティン好調は愛娘のお蔭>11日、ヤクルトはDeNAに7-3で快勝した。バレンティンが1回二死1塁から、左越えの場外に推定150mの特大12号2ランを放った。『感触も、飛距離も、完璧だった。自分がスイングできるボールを待って、思い切って振った結果だ』と。打球は左翼スタンドをはるかに超えて、外周の植え込みに着弾した。

最近11試合で8発。好調の裏には来日中の愛娘・ミアちゃんへの思いがある。6歳となった娘は小学校に入学するため、6月上旬に渡米の予定。周囲には『寂しくなるよ』と漏らすが、働くパパの背中を見せようと集中力が増している。

それにしても、いつも不思議に思うのは、バレンティンの出身地。赤道直下オランダ領キュラソー生まれ。人口はたった14万人程度なのに、メジャーを含めてプロ野球選手を多く輩出している。前回のW杯、オランダチームの半分はキュラソーの出身者ではなかっただろうか。本当に不思議な『キュラソー』ではある。


★<舞鶴は肉じゃがの発祥地>舞鶴が肉じゃがの発祥地だそうだ。その昔、英国海軍研修から帰った東郷平八郎が、舞鶴で勤務中、イギリスで好きになった『シチュー』を作ろうとトライ。その結果が『肉じゃが』だと。なにやら本当らしき伝説ではあるなあ。


★<サンフレ、3-1で仙台を下す>連勝街道を走るサンフレ。こうなると、何時、どこに、どのような形で黒星をつけるのか、と心配になる。昨日の仙台戦も、堅守仙台故、ちらっとその思いが頭をかすめて。あにはからんや、早々に失点。しかも守備で3人が囲んでいたのにシュートされて。そして、前半はパスワークも悪く、挽回の兆しさえ見えなかった。が、終了間際、パトリックが柴崎のFKに頭で会わせて同点。後半は前半を忘れさせてくれるような良い状態に。結果、柏の豪快なミドルと、パトリックのカウンターによる2点目で逆転勝ちと。

ただ、ここ数年、サンフレのFKからの得点シーンを見ていない。他の試合を見ると、中村俊輔だけではなく、若手でもFKでゴールを取る選手が多く見られる。サンフレには欠けているFKに強い選手の獲得、またはチーム内で育成が期待される。とても今の川辺では通用しないから。


サンフレは、Jリーグ『史上最速』ペースの記録更新も続けている。開幕から14試合での『勝点37』という数字は、現行の勝点制度(延長戦廃止以降)での最多記録を更新した。過去には浦和が04年と16年の2ndステージで勝点34を獲得したのが最多だった。特に驚異的なのは、14試合でわずか『失点6』という守備の堅さだ。今節は4試合ぶりの失点を喫したとは言え、14試合のうち10試合を完封。優勝勝点を昨年と同じ『72』とすると、すでにその半分を通過していることになる。しかも72点は比較的高い優勝勝点だ。

特筆すべきは、GK林のスーパープレーの数々。何度チームの危機を救ったか。他の試合を見ていると、林だったらセーブしてるな、というゴールが多くある。守護神林は西川を抜いている、な。


高木・長崎が名古屋に3-0で完勝、嬉しい。GKとの直接対決を3本外したから、もうちょっと取っても良かったかも。長崎の高田明(前ジャパネット社長)社長は、先般長崎が3連勝した時、J2から昇格して3連勝したチームは6つある、そのうち5チームはJ1に残留している。よって、長崎も残留の可能性が高いと声高らかに語っている。J2、J1を往来する福岡とは一味違う戦いを続ける長崎。是非J1に残って活躍してほしい。名門国見高校のある長崎でもあるから。

『いずみたく物語㉝ 命をかけるリサイタル』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、青森県佐井村の牛滝漁港で獲れた地元で『オヨ』と呼ばれる巨魚。正式名『オオクチイシナギ』と呼ばれ、大人の体長ほどある約129キロの巨大魚で、近頃では獲れることが珍しいそうだ。そして佐賀県武雄市で開かれた『秋田竿燈祭り』。さらには『Syun Otaさん』が撮った、スイスアルプスの絶景達です。今夏、私はこの絶景を歩くため、2週間スイスに滞在する予定です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★昭和44年は、佐良直美、ピンキラ、由紀さおりのリサイタルで、彼らをトコトンまで勉強させた。ボクの考えるリサイタルは、歌手達のお祭りではない。後援会のファンのための催しでもない。全員、2週刊から1ヵ月の稽古を取った。ワンマン・リサイタルである。稽古は特訓に次ぐ特訓であって、一人の歌手がそのステージで全力を出し切って、初めて成功するものである。

5分、10分という長いバラードや、ドラマチックな歌を歌わせた。ピンキーや由紀さおりは、稽古中何回も泣き出してしまった。ボク達の教育の厳しさ、激しさもあったろう。歌の難しさ、リサイタルへの怖さもあったろう。そしてまた一つの悲しいドラマチックな歌を、涙を流しながら、ピンキーなどは『ワァーワァー』大声を出して泣きながら、練習する毎日が続いた。

『先生、毎日毎日、こんなに泣いたんじゃ、顔がはれてテレビに出られません』『じゃ、泣かなければいいじゃない』『でも―、涙が出ちゃうんです』。ピンキーも由紀さおりも、真剣にリサイタルに取り組んだ。佐良直美は、リサイタル当日の開演前、自分の楽屋の中を狂人のように駆け回り、飛び上がりながら、大声で怒鳴っていた。『いやだ、いやだ。もうリサイタルなんかやめちゃえ。バカヤロー。ワァー。もう死んじゃえ』。ボクには彼女らの気持ちが手に取るようにわかった。


ボクのためにリサイタルをやるのではない。彼女達は、彼女たち自身のためにリサイタルを行うのである。それは一つの大きな試練である。リサイタルは成功した。幕が何回も上がったり、下がったりした。彼女たちのほおは、みな、感激の涙で濡れていた。

そして、その涙も乾かないうちに、異口同音に言うのである。『先生、お陰様で立派なリサイタルが出来、ありがとうございました。また、来年1年勉強して頑張りますから、来年の秋には、またきっとリサイタルをやらせて下さい』。ボクは可愛い娘のような彼女らを見ながら、2年後、3年後、あるいは10年後に、なんとか世界に通用するエンタテイナーになるように、心から祈った。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<スマホ出荷実績割れ>世界のスマホの出荷台数が初めて前年の実績を下回った。スマホは、携帯電話の常識を覆し、それまでになかった需要を生み出した歴史上の大イノベーションだった。そのイノベーションに陰りが見え始め、次のイノベーションとは一体何だろうか。

米国のIDC社の調査によると、2017年のスマホの世界の出荷台数は、前年比0.5%減の14億6千万台だった。2007年にアップルが『iPhone』を発売して以降、スマホ市場は成長を続けてきた。前年実績を下回るのは今回が初めて。

昨年発売したアップルの新機種『iPhone X』については、2018年中にも生産が停止されるとの観測もある。年初来、そうした見方を反映して、アップルの株価は伸び悩んでいる。スマホの市場全体についても需要は後退するとの見方が多い。それが現実になれば、スマホ需要を取り込んで成長してきた国内企業にも影響は出るだろう。

スマホの登場は多様な『イノベーション』を生むきっかけとなった。スマホで写真や動画を撮影し、SNSで友人とシェアすることは、今では当たり前のことだが、これはスマホ以前ではほとんど考えられなかったことだ。リーマンショック後の世界経済は、こうしたIT企業のイノベーションに支えられてきた。その基盤を生み出したのが、アップルの創業者『スティーブ・ジョブズ』の情熱だ。


ジョブズが社長に復帰した1997年、アップルは経営破綻寸前だった。一時アップルを追われたジョブズは、復帰後『iPod』を世に送り出し、ソニーから携帯音楽プレーヤーのシェアを奪った。その後
『iPhone』『iPad』と多くの人を魅了する画期的な商品を発売し、新しい需要を生み出した。アップルは現在時価総額で世界で最大の企業になっている。ソニーの復活も、そうした変化を象徴している。ソニーはモバイル機器向けイメージセンサーの需要拡大などのヒットで生き返った。言い換えれば世界のスマホメーカーの下請部品メーカーとして成長したとも言える。シャープを救った台湾の鴻海もしかりである。

スマホへの需要が減少し始めたと言うことは、こうした世界的規模での成長のトレンドが維持しづらくなっていることを示唆する。iPhoneの新機種が発売されても、人々が長蛇の列を作ることは少なくなった。これはスマホの『コモディティー化』であり、デザインや機能面での差別化が難しくなり、低価格化が進むサインだろう。要はスマホが商品として成熟化したのだ。さて、次ぎの時代は『EV』競争だと言われる。異業種からもどんどん新規参入者が増えており、その規模、開発ルーチンはスマホの比較ではない。どこの誰が覇者となるのか、また次の世界的技術革新が始まる。


★<大相撲初日>横綱稀勢の里、大関高安を休場で迎えた大相撲夏場所。白鵬が帰ったものの、やや寂しさを感じるが、そこは埋め合わせがドーンと。関脇『栃ノ心』だ。大関を目指し、初日は松鳳山との対戦。がっぷり組み合って、力相撲になったが、そこは大力持ち栃ノ心、松鳳山をつり上げ気味にして寄り切り。力の差では松鳳山はどうしようもなかった。ふと思い出したね、あのちばてつや作の『のたり松太郎』。あの主人公のような相撲ではあった。今場所で大関を手の内に入れる気持だろうな、栃ノ心は。


★<愛と誠の原画400万円で落札>1970年代の人気漫画梶原一騎原作の『愛と誠』のカラー生原稿がネットオークションに出品され、400万円で落札されていたことが分かった。この漫画は少年マガジンに4年ほど連載され、生原稿15枚が紛失しており、落札されたのはその中の1枚と見られる。オークションを主催し、この原稿を出品した『まんだらけ』によると、原稿はまだらけが第三者から買い取ったものだと言う。『作家代理人にも問い合わせしたが、今回の原稿が紛失したものかどうか特定出来ていない。法律に乗っ取って営業しており、問題になることはないと考える』と言っている。はてさて、難しい問題だねえ。これが紛失したものだと言う証拠、紛失、盗難届が成されているかどうか。そこら当たりがポイントだろうねえ。少年マガジンが、オークション出品品を警察に告発しなかった理由は何だろうか。


★<佐賀県で秋田竿燈まつり>戊辰戦争で佐賀藩武雄隊が秋田藩を支援した縁にちなみ、明治維新150年に合わせて、武雄市で『秋田竿燈まつり』が25年ぶりに披露された。戊辰戦争で秋田藩は東北諸藩との同盟から脱退、攻め込まれたが、武雄隊などの援軍で盛り返した。1986年に秋田市で佐賀藩士の墓が見付かったのを機に武雄市との交流が始まり、維新150年記念で武雄市が竿燈妙技の披露を依頼したという訳。また、150年前の因縁がすごいことになったねえ。

戊辰戦争で、官軍に敵対した地方は、新しい県制度での名称を、県庁所在地と懸名を違える措置を受けた。仙台は『宮城県』に、盛岡は『岩手県』に、宇都宮は『栃木県』に、津は『三重県』にという具合。名古屋も『愛知県』だから官軍に抵抗したのかな。


★<何を今頃セクハラ研修会、自民党>前財務事務官のセクハラ問題などを受け、自民党有志は近く、党所属の国会議員を対象に『セクハラ研修会』を開催するよう二階堂幹事長に申し入れる。浜田元防衛相や馳浩元文科相ら議員5名が賛同者を募っている。賛同を呼びかける文書では『女性が活躍する社会の実現を阿倍政権が掲げている以上、自民党内でセクハラに冠する研修会は必須』としている。が、本末転倒だねえ、自民党は。今頃セクハラの勉強だと。麻生ぼっちゃんはちゃんと勉強しているだろうねえ、あんな暴言を吐くくらいだから。野党もつまらんが、与党の議員もたいしたことないんじゃないかしらね。


★<92歳、マハティール首相就任>マレーシアでは、92歳になるマハティール元首相が新首相に就任した。『Look east!』を合言葉に、日本の見習ってマレーシアの近代化に努めた人。92歳の首相は世界でも珍しい高齢だと言うことだ。健康上問題なければいいがねえ。親日的で、とても穏やかな人と聞いている。


★<これも理屈ではある、愛媛県知事喚問>立憲の枝野代表は、加戸前愛媛県知事を自民党が呼んでおいて、職員と柳瀬秘書官が面会した当時の知事でもあり、現在の中村知事に来てもらうのを拒否するのは、全く理屈に合わない、と主張している。そしてこのことは『加計隠し』以外の何物でもない、と批判した。さらには、前あるいは元の理財局長の当時のことを、現太田理財局長が答えることを無理やり押し込んでおきながら、知事に関する理屈とは全く二枚舌と言える、と。まあそうだろう。自民党内でも加計隠しだと承知している議員は多いはずだ。次の総裁選で何が噴き出るか、だな。


★<カープ2桁貯金>カープは12日、阪神に勝ち、35試合目にして貯金を二ケタ10とした。優勝した過去2年、貯金二ケタ達成は、2016年は70試合目、17年は49試合目との記録だから、今年は相当早いピッチで貯金をため込んでいる。貯金は貯めるもので、吐き出すものではないので、くれぐれもご注意あれ。ポイントは投手陣だな。

『いずみたく物語㉞ 佐良直美、レコード大賞受賞』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、J2・レノファ山口を2位に躍進させている原動力背番号19『オナイウ阿道(23)』、三重県竜ヶ岳の純白の『シオヤシロツツジ』、そして、行く春を惜しみ再度掲載する広島市佐伯区の『神原の枝垂桜』です。この枝垂れは樹齢300年超と言われており、平地で咲く枝垂れとしては、国内で最南端になるそうです。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★昭和44年12月31日。この日をボクは一生忘れることは出来ないだろう。場所は帝国劇場。レコード大賞決定の日。決定する30分前くらいから、『たくサン、おめでとう』『たくサンと直美に決まったよ』『良かったね』。帝国劇場の客席の中で、大勢の人がボクに握手を求めて来た。

しかしその人達の表情には、『本当だろうか』という疑いの気持を隠せなかった。佐良直美にショックを与えてはいけないと、『直美、正式な発表があるまで、信じるなよ。信じちゃいけないよ』と戒め続けた。さすがの直美も『先生、入学試験みたいで死にそうだわ』と弱音を吐いていた。

ステージの上での正式発表の瞬間。フラッシュがたかれ、ライトが明るくなり、ボクは初めてその事実を信じ、直美に握手してそっと抱いた。思えば『世界は二人のために』でデビューして、その後大きなヒットもなかったのに頑張ってきた直美。そしてリサイタルで苦しみながらも、大きく成長して来た直美。朗らかで、気が強い、ヤンチャ娘のようで、本当は人見知りする神経質な直美。


ボクはこの年は、心から直美の年にしてやりたかった。ボク自身も、7年前初めて作曲賞を受賞してから、毎年毎年必ず賞を貰ってきたが、レコード大賞だけはもらっていなかった。

欲ではないが、そこに大賞がある限り、7年目に大賞が欲しかったことは、本当に偽らざる気持ちである。ボクはレコード大賞を直美と一緒に貰ったことが心から嬉しかった。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<島耕作35周年特別企画>女優の『りょう』が、日本テレビ系で7月に放送されるスペシャルドラマ『島耕作』シリーズ35周年記念企画『部長 風花凛子の恋・会長島耕特別編』で、主演することがわかった。今年連載35周年を迎えた、弘兼憲史の人気コミック『島耕作シリーズ』の最新スピンオフを実写化する。大手電機メーカー『テコット』の女性部長『風花凛子』、セクハラ・パワハラ、働き方革命、社内不倫など、同時代的な問題に直面しながらも、仕事と恋に奮闘する。まさに『女性版 島耕作』のような物語だ。

私は、今春ふとこの『島耕作』を思い出し、『部長島耕作』から再読を始めた。広島市立まんが図書館の蔵書を借りて。現在『社長島耕作#12』まで読破。最後、会長まで行く予定だ。社会性と企業論理、倫理、ビジネスなどをミックスさせた物語だが、この味付けは著者弘兼憲史のブレーン達が知恵を出し合ったと言う。おそらく弘兼が在籍していたパナソニックの人達ではあろう。


★<早耳、サンフレ優勝の確率>気のはやいファンがおられて、サンフレの今年の優勝について、過去のデータとの比較をしていた。すごいです。頭が下がる。(@_@)

過去の14節終了時点で首位だったチームのその時点の勝点と最終順位を調べてみた。

2017年 30 柏(4位)     2016年 31 川崎(2位)
2015年 34 浦和(2位)     2014年 29 浦和(2位)
2013年 33 大宮(14位)    2012年 30 仙台(2位)
2011年 29 G大阪(3位)     2010年 30 鹿島(4位)
2009年 35 鹿島(優勝・最終66)  2008年 26 名古屋・浦和(3位・7位)
2007年 31 G大阪(3位)     2006年 32 G大阪(3位)
2005年 32 鹿島(3位)


驚きの結果だ。年間最多勝ち点の概念で動いている2005年シーズン以降13シーズンで、そのまま優勝したチームは1チーム、鹿島のみ。

ここまで、14節までの勝点のデータは凄い。が、年間を通じて勢いを維持するのはどんなに難しい事か。でも勝ち点35以上で考えると、2009年鹿島の1チームのみで、サンフレはそれを上回る37、優勝確率100%か!

私の記憶にあるのは、12年の仙台。夏の入り口くらいまで、仙台がトップ、それをサンフレが追っていたが、10月頃に振り切ってサンフレが初優勝した。13年の大宮も記憶に残っている。猛烈なダッシュをしたが盆過ぎから落ちて行ったな。とにかく1年トップクラスを維持するのは難しい。でも、過去の14節終了時の勝点で、新記録を立てたサンフレ。よもや14位に落ちた大宮の轍だけは踏んでくれるなよ。


★<電気自動車リーフの売れ行き>メディアも日産も、明日にでもガソリン、DEは死滅し、電気自動車の時代が来るとかしましい。どれほど売れてんだ、と自販連の実績をチェックした。先月、4月の実績、『日産リーフ=874台』、『三菱EV=50位以内にいない』。

結論から言えば、売れてないんだよねEVは。価格自体の問題もあろうが、使い勝手が今一歩分かりずらい。充電はガソリンを入れるより面倒な様子。英国が40年にガソリン車の販売を中止すると言う。本当に出来るのか。全部の車がEVになると、電力不足で発電所が不足するのだね。マンション住人には今の現状ではとても使えない。またテスラが生産でてこずっており、赤字に転落と。EVはコモディティー化するから、誰でも自動車が作れる時代になると言ったのはどこのメディアか。


一番のネックは、自動車評論家の国沢さんが指摘するように、下取り価格があってないようなものだと。新車を買う時は、エンジン車より高いのに、下取りはもう捨て値になると。EVは技術革新が早く、古い車は超安値での下取りになるそうだ。初期のリーフなぞ哀れなものだと。

やはり新しい時代の新しい製品が社会になじむには時間があかるんだねえ。EVが悪いとは言わないが、全世界EVだけになったら、リチウムイオン電池を作るための原材料は枯渇するだろうな。


★<呉市の空き家対策>人口30万人規模の都市で、全国有数の高齢化都市でもある広島県『呉市』。その結果、空き家が多数存在し、13年度の時点ですでに22%にも達しているそうだ。全国的には、13.5%だったが、33年には30%を超すと予測するシンクタンクもある。住宅の3分の1が空き家ともなれば、もう行政だけでは対応が困難な状態になる。早手回しに呉市は対策を練る。

空き家対策先進地域がある。京都市東山区の六原地区。ここは祇園や清水寺が近く、町屋が並ぶ昔ながらの街並みが残る。それでも空き家率は15%ほど。地域的には30%を超す町内もあると言う。そこで六原地区では、地域住民や行政の他、不動産業界や司法書士など専門家も集まる『六原まちづくり委員会』を作り、活動を続けてきた。

京都駅に近く、小中一貫校もある六原地区に居住を希望する人は多いが、一方で空き家が賃貸しされるなどの流通率は5%に止まっている。その背景や理由について、『建物改修にかかる費用や相続の問題など、空き家の所有者が抱える不安がある』と。この不安を解消するために委員会は、空き家の室内をメンバーで片付けたり、借り手と交渉して得た1年分の前家賃を改修費用に充てたりして賃貸しにつなげている。その取り組みを『空き家の手帖』という冊子にまとめて住民に配っているほか、市販もしているそうだ。

呉市の沖にある江田島市では、移住促進策として運用している『空き家バンク』や、呉市が空き家を利用して実施している『学生シェアハウス支援事業』などが紹介されている。

中核都市で、高齢化率が高い呉市には『空き家対策』と同時に、『シャッター街対策』も喫緊の課題として浮上している。昔の市内中央部にある商店街が、シャッター通りになっており、閉店する店が多いのだ。駅前のそごう百貨店も閉店したまますでに10年を経ている。


呉市は、戦前海軍基地として発展し、戦後はそれを受け継いで、造船、鉄鋼など重厚長大産業が発展した。が、これらに頼った市の産業政策により、軽薄短小の時代になって若い人達が市外に職を求め、市内は若い人達の空洞化現象が顕著になった。一方で、広島大学を誘致した、呉市の北にある東広島市は、8万人程度だった人口は倍増し、その多くは若年者の住民が増えた。呉市と対照的な動きになっている東広島市だが、それにはそれ相応の努力を傾けてきた。

倉橋島など島嶼部を抱える呉市が持つ『空き家対策』の将来は厳しく、つらい作業が待っているとも言えるが、全国に先駆けてその課題に挑戦する姿は、またたのもしくもある。『大和ミュージアム』など成功例も出て来ている。軍港呉市の面影が強く残る街、『呉市』の復活が期待される。


★<J2山口現在2位>J2レノファ山口が現在2位と健闘している。前節、東京Vと対戦し、速報を見ると一時0-2で負けていたのに、終わってみれば4-3の白星。DAZNで見逃し配信のダイジェストを見た。なんと、見事に逆転勝ち。その中で目立ったFWがいた。背番号19『オナイウ阿道(23)』が2得点。

ナイジェリア人の父と日本人の母を持つハーフ。埼玉県の正智深谷高校で活躍し、14年に千葉に入りU22に選出された。そこから16年に浦和に。今季浦和から期限付き移籍で山口に。前回のオリンピックでは、鈴木武蔵が補欠からメンバーに入ったため、その穴で補欠に入ったらしい。今季すでに9得点を挙げJ2トップを走り、山口躍進の原動力になっている。昨季活躍し、徳島からサンフレに移籍したサンフレ渡の弟分のような感じだ。フットワーク、シュート力ともに申し分なし。次世代の浦和を背負うだろうな。やるやる、レノファ山口だ。山口か岡山がJ1に昇格すると、サンフレとの中国ダービーが成立し、ファンも沸くだろうがなあ。

ジャマイカ人の父親と日本人の母親を持つ、長崎の鈴木武蔵もハーフ。ナナイウ阿道とよく似た出生ではある。サンフレから仙台に期限付移籍をしている野津田と同世代。共の明日の日本代表に躍り出てほしい逸材ではある。


★<元阪神榎田が好投4勝目>13日行われた、西武-ロッテ戦で、西武は元阪神の榎田が先発し、7回106球を投げ、散発4安打、無失点に押さえた。試合は6-0で西武の勝利。榎田は今季無敗で4勝目。阪神時代、昨季まで低空飛行で、榎田の先発と聞けば、カープファンはまた勝てると喜んだものである。新天地で心機一転新しい道を歩む榎田の活躍に拍手ではある。


★<麻生太郎君謝罪>麻生太郎財務相は、14日午前の衆院予算委員会で、福田前次官のセクハラ問題についての発言で、被害女性に『お詫び申し上げる』と謝罪した。至極当然なこと。麻生ぼっちゃんの常識は世間の非常識、と言うことが明確になった。こんな人物を代議士、大臣に選んだのはどこのドイツだ。


★<鴨川のヒジキ漁>千葉県外房の鴨川市。太平洋に面した岩礁に、ヒジキが生息する。春になるとこの取り入いれ漁で集落は大忙し。15歳以上は参加資格があり、売上の配当金も受け取れる。集落総出の200人が大きな竹ザルを背負い、岩場でヒジキを狩り、運搬船まで運ぶ。一かご10kg。15歳にはやや重荷だが、男女とも頑張る。売上金の配当がもらえるのだ。人口が減る集落故、まさに猫の手も借りたい繁忙期だ。相当の量が東京に出荷されていく。外房の春だ。


★<新潟市小学生殺害事件>まったく世の中も末だねえ。7歳の小学生を殺すなんて。事件の発生から1週間。世間はこの鬼のような犯人の逮捕を待ちに待っていた。なんと、小学生の住居から100mしか離れていないところに住んでいた23歳の小林遼が犯人と断定され、昨日逮捕された。決め手は付近を走っていた車を録画した防犯カメラから割り出したものらしい。ランドセルに家族以外の指紋が付着しており、これが犯人の者とみられ捜査が進んでいた。

小林容疑者は、電気工事会社に勤めるサラリーマン。事件当日は会社を休んでいたそうだ。何の目的をもって小学生を殺害したのか。こんな殺人マニアのような人間が日常付近に住んでいたと思うと、この付近の人達も寝起きがよくないだろうなあ。でも、尾道市で刑務所逃亡犯を長期にわたり逮捕出来なかったのに比べ、1週間という短期間で事件を解決した新潟の警察の捜査努力に賛辞ではある。

『いずみたく物語㉟ 鳴りやまない拍手に感謝、ボクのリサイタル』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、都大路を練り歩いた王朝絵巻『京都・葵祭』、老朽化が進み取り壊されて新しいビルに建て替えられる『九段会館』、そして『シャガ』『オオイヌノフグリ』『池の落花』です。春から初夏へ。暑くなりそうですねえ、今年も。右下をクリックすると、大きな画が見られます。

この『葵祭』の行列、3割は学生アルバイトだそうな。9時間拘束で6,500円だとか。先日のNHK新日本列島で『京都大・吉田寮』が出て来た際、京大生のアルバイトの一つとして、そのように解説された。


★★★明けて昭和45年。大阪で『いずみたくリサイタル』が上演された。大阪フィルハーモニー交響楽団。古谷允とザ・フレッシュメン。ジャズブラス。ドラムは猪股猛。以上で100名のオーケストラである。リサイタルは、まったくクラシックコンサート形式で進行した。歌手は、佐良直美、ピンキラ、由紀さおり、デュークエイセス。単なるボクのヒット曲の羅列ではない。優れた、計算された構成演出で、今までの日本にないポピュラーコンサートが出来上がった。

演奏時間3時間という長いコンサートであったが、公演した5日間とも、お客は最後まで熱心に聞いてくれた。のみならず、何十回というアンコールに20分、30分も拍手が続いた。そしてその拍手は、手拍子、足拍子に変わり、ボク自身、予想もしなかった反響にビックリしてしまった。『たくチャン、リサイタルの成功、不成功は、アンコールの数、拍手の長さで判断するものだよ』。藤田敏雄が言った言葉が現実に目の前で起こっていた。演奏会場の大阪フェスティバルホールの裏方達は、『いずみサン、こんな拍手やアンコールはここ10年来初めてですよ』、と皆でボクに握手してくれた。歌手達は、『あーあ、こんな拍手を聞いてしまうと、俺たちのリサイタルは怖くなってしまうよ』とそれぞれ感想を洩らした。


ボクはそれまでの15年間、自分自身のリサイタルをやったことはなかった。なぜやらなかったかと言うと、自分が作曲したミュージカルは自分のリサイタルであり、佐良やピンキラや由紀のリサイタルは、全部ボクの歌を歌っている以上、ボク自身のリサイタルであると思いこんでいた。ボクら作曲家は裏方であって、表面に出ることはとても照れくさかった。

ところが思いがけず、自分自身のリサイタルをやらなくてはいけない羽目になってしまったので、ボクは、ボク自身に一つの課題を授けた。『ボクはシンフォニーを作るのだ。ボクは交響詩を作曲しなくてはいけないのだ』。今の日本の現状を、交響詩という形式を借りて音楽的に表現したかった。そして、昭和44年の暮れに、何回か疲労で倒れながら、交響詩の一部を完成した。演奏時間18分という大曲になってしまったが、その中でボクは、『日本中の災害、得に洪水による災害は天災ではなく人災である。今の日本の国を緑で埋めない限り、洪水は続き、人間達の悲しみ、苦しみは大きくなって行く』というテーマで歌い上げた。

この交響詩初演を、大衆は大きな拍手で迎えてくれた。自信を持ったボクは、『昭和45年に、交通問題を扱った第二部を完成させ、昭和46年の春に、日本がいかに安保問題と対決したかを見た上で、日本に対してレクイエム(鎮魂歌)を第三部にしたい』と新聞の談話で発表した。ボクは1年がかりで、1時間に及ぶ交響詩を完成させようと決心した。ところが―。


ある日、ボクの家に一通の分厚い封書が舞い込んだ。ある有名な音楽大学の教授の手紙である。『お前は下らない歌謡曲書きではないか。交響詩を作曲するとは何事か。お前はベートーベンやフォーレのレクイエムを知ってるか。お前のような下らない技術で、それを作曲することは出来ない』、というような意味のことを、便せんに十数枚書いて送って来た。そして最後に、『歌謡曲作りの名人殿』と記されてあった。ボクは余りの下らなさに、腹も立たなかったが、そんなにボクが作曲することで、頭に来るなら、ボクよりいいレクイエムを自分で作曲すればいいじゃないか。このお節介焼きのせいで、ボクは自分自身の交響詩に対して愛情を、もっともっと深めることが出来た。

5日間のリサイタルは、ボク自身にいろんなことを教えてくれた。ボクは何人かの友人と雑談をしていた。『ボクは42歳できっと死ぬと思うよ』『どうして―』『どうしてという理由もないんだが、どういう訳か、小さい頃からそう思いこんでいるんだ』『そんな馬鹿な―』。『先生!』。隅の方で黙ってボク達のやり取りを聞いていたピンキーが突然叫んだ。座布団の上に、ピョンと座ったピンキーは、『先生、それは困ります。あたしのことを忘れちゃ困るんです。わたしはこれから、芸術祭の作品や、レコード大賞に挑戦しようと張り切っているのに、先生が42歳で死んでは、何も出来ません。死なないで下さい。困ります』。ボクは目頭が熱くなった。

とにかくボクのリサイタルは、どうやらボクの作曲生活に大きな革命を起こさせたらしい。改めてボクの周りの大勢の友人達に頭を下げた。そしてまだ一度も会ったこともなく、今後も会えないであろうが、ボクの曲を支持してくれている多くのファンの方々に。ボクは、今までの生活で人間関係を一番大事にしてきた。今後もきっと、人間関係を一番大事にして行くだろう。ボクは人間が一番好きであり、人間を一番尊敬している。もっともっと友人が欲しい。もっともっと仲間が欲しい。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<サントリー、ウイスキー販売休止>サントリーは、国産ウイスキーの主力商品『白州12年』と『響17年』を6月以降に販売休止すると発表した。休止の理由は、国内でウイスキーの人気が高まったのに伴い、両商品の需要が想定を超えて拡大してしまったため。

『白州12年』は最低12年以上、『響17年』は最低17年以上寝かせた原酒を使用する商品だが、見込んでいた生産数量と実際の需要がかみ合わなくなったそうだ。熟成させた原酒が不足して製造が困難になってしまったと。

そう言えば、NHK朝ドラ『マッサン』で、ニッカウヰスキーが評判となって、一時販売を休止したことがあったねえ。日本のウイスキーも世界に名だたる名品・高級品が生まれ、それに需要がついて行っているところにまた凄味を感じる。あのサントリーウヰスキー『山崎50年』が香港のオークションで、3,250万円で落札されたのにはおどろいた。この白州、響もひょっとして、埋蔵ウイスキーになるのではないだろうか。


★<スポーツ賭博解禁のアメリカ>米連邦最高裁判所は、野球やバスケット、アメフトなどスポーツの賭博の解禁を認める判断を示した。米国ではすでに年16兆円を超える規模の非合法のスポーツ賭博市場があるとされ、最高裁の判断を受けて数社が早速参入を表明した。

米国では1992年、スポーツ賭博がビジネスとして成立していたネバダ、デラウエア、モンタナ、オレゴンの4州を除く全ての州で、プロスポーツと大学スポーツを対象とした賭博が連邦法で違法とされていた。これに対し、ニュージャージー州は長年にわたり、スポーツ賭博を行う権利を求める活動を展開。最高裁は、判事9人のうち賛成6人、反対3人で、スポーツ賭博を禁じるのは違法と判断した。しかしすごい、16兆円を超える市場がすでにあるとは。熱を帯びれば100兆円産業にまで発展するのではないかね。


★<水族館の『2020年問題』>1980年、90年代に相次いで新設・改修された全国各地の水族館が、30年とされる施設の寿命を迎え、建て替えなどの必要に迫られている。『水族館の2020年問題』と言われる。

建て替え、改修には巨額の費用がかかり、改築方針を白紙にしたり、事業継続を断念したりするケースも出ている。東京都の『葛西臨海水族館』。新国立競技場の整備問題、築地市場の移転が延期されたりと、高コストの公共事業を巡る問題が続発。老朽化した水族館の浄化装置を交換するには、建物ごと改築する必要があり、慎重意見が強まった。

都の幹部は、水族館の建て替えや改修は100億円以上かかる大事業、時間とお金がかかるだけに、計画を十分練り上げる、と説明する。はたして、100億円かける価値のある水族館になるか、どうか見物だ。


★<BC栃木『村田効果』に沸く>昨秋巨人を去った『村田修一(37)』が加入した、独立リーグの『BC栃木』が『村田効果』に沸いている。観客動員数はリーグ1位を記録し、スポンサーも増加。『ホームタウン』を置く、小山市の支援も受け、ブームに終わらないよう仕掛けている。

村田が古巣の巨人3軍と初対戦した3連戦では、『男・村田祭り』と名付けて行われ、小山運動公園野球場には大勢の観客が詰めかけた。初日はナイターだったが、1,574人に留まったが、休日デーゲームの12日には3,145人、13日は2,306人を記録。リーグ加入1年目だった昨季、栃木の観客動員数は1試合平均875人、リーグ10球団を合わせた平均が610人だったから、ずば抜けた集客力だった。

右太ももを痛めている村田は、フル出場は出来なかったが、12日は9回に代打で出場し、試合を決める逆転2ランを放った。まだまだ、『男・村田』の力量は衰えていないようだ。

『いずみたく物語㊱ 尾藤イサオの悔し涙』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、モナコのオークションで『9,300万円で落札された、教皇ランボツギーニのウラカン』と、『霧島・新燃岳』の噴火。そして『煌びやかなハナミズキ』と、華麗なる『シャクナゲ石楠花』です。日本がワシントンに桜を贈ったことから、その返礼としてハナミズキが贈られたと聞いています。桜とハナミズキ、咲く時期が近い、とても可愛いらしい花です。(#^.^#)右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★ボクは20歳の時から作曲を志したが、プロの作曲家になるつもりはまったくなく、働きながら独学で作曲と管弦楽法を勉強した。自動車の運転手をしながら、シンフォニーを作曲することと、オペラを作曲することのみに夢を見ていた。仕事が終わると毎日毎日ピアノの練習と、エチュードを作ることがボクの日課だった。それ以外の楽しみも遊びも知らず、勉強の連続であった。

27歳の秋に、あるラジオ局のコンクールに応募して、それがグランプリを受賞したのを機に、食えないことを覚悟してプロの道に入った。そして、三木トリロー、永六輔、野坂昭如、岩谷時子らと知り合い十数年。CMソング、ラジオ、テレビ、映画の劇音楽、歌謡曲、ミュージカルと、作りに作りまくった。40歳になるまで13年間、休みは1日もなく、毎日睡眠時間は多い時で5、6時間だった。しかし、ミュージカルのために作った歌がヒットして、処女作の『見上げてごらん夜の星を』で、レコード大賞作曲賞を昭和38年に受賞して以来、昭和46年まで、レコード大賞の各賞に関係してきた。
  昭和38年 作曲賞 見上てごらん夜の星を  39年 歌唱賞 夜明けのうた
  40年 作詞賞 おしゃべりな真珠  41年 企画賞 にほんのうた
  42年 新人賞 世界は二人のために  43年 作曲賞 恋の季節
  43年 新人賞 恋の季節  44年 大賞 いいじゃないの幸せならば
  44年 特別賞 にほんのうた 歌唱賞 夜明けのスキャット
  45年 芸術祭賞 十二人の女  46年 企画賞 昔一人の歌い手がいた


これらの賞は、ボクが好き勝手に、わがままに作曲し、ミュージカルを作ってきた結果であって、賞を取ろうとしたり、売れるレコードを作ろうと思ったことは一度もない。ただ一つ心がけたことは、人まねをしない、今までになかった新しい作品を作ろうとしたことである。しかし、その時―。ボクには20歳の時に志した時の想いが、再び甦って来た。

尾藤イサオという、個性のあるヘンな役者がいる。彼は10代の頃ジャングラー(曲芸師)だった。12、3歳のころはナイフを持ってアメリカ巡業までやったらしい。ボクが彼を知ったのは、水原弘の前座歌手であった時だが、やがて当時のロカビリーブームに乗って、アニマルズが歌った『悲しき願い』で、人気を得、ウエスタンカーニバルなどで若者を熱狂させていた。ロカビリーの中での彼のヒット曲は『悲しき願い』1曲で、その後、ぱっとしない数年が続いた。

そして昭和39年。『夜明けのうた』というオリジナル・ミュージカルに初めて彼を起用した。続いて昭和41年『結末のない童話』、そして昭和43年『聖セイントスブやん』と1年おきにミュージカル俳優として起用した。『聖セイントスブやん』で西村晃を共演した時、彼は初めての本読みの時は必ず、『ベンケイガナー、ギナタヲモッテサ』と言ったような、テニオハがわからないしゃべり方をするのだが、西村サンがボクに囁いた。『たくサン、あの子大丈夫?』。まあ初対面の彼としては心配するのも当たり前である。しかし稽古を続けるうちに西村サンの杞憂は消えて、『たくサン、なかなかやるじゃない』に変わっていた。


そして昭和46年、彼はいくつかのプロダクションを移った挙げ句、ボクの会社に入社することになった。『少し回り道をしすぎたんじゃない』。ボクは少し皮肉を込めて彼に言った。やがて、ボクのプラン通り、彼の役者としての活動が始まった。TVに映画に彼はどんどん仕事の幅を広げていった。そして彼は、個性ある役者として評価されるようになった。

昭和50年も少し過ぎた頃、彼がロカビリー歌手の時ヒットさせた『悲しき願い』が、装いも新たにニューアレンジで海の向こうからやってきた。『よし、今だ!』。決心したボクは、ニューアレンジでその日本語版を彼に歌わせ、久し振りにレコーディングをした。タイミングとは面白いもので、そのレコードはアッという間に30万枚も売れてしまった。尾藤は再び役者と歌手の二股街道をばく進して行った。昭和55年に、彼は東宝で上演したブロードウエイ・ミュージカルの演技を買われて、菊田一夫演劇賞を受賞した。それ以前にも、彼は何回かミュージカルに出演したのだが、ボクは彼を酷評していた。『ワン・パターンの芝居だ。演技は引き出しだけじゃダメなんだよ』。昔芝居をやり、役者をやっていたボクにとって、その頃の尾藤の芝居は鼻持ちならなくて我慢が出来なかった。しかし、受賞した。そのミュージカルの演技は、彼としては初めて開拓した芝居であった。表面に出ず、渋く裏で主役の女優を支える芝居を見て、ボクは言った。『今度の芝居は本物だ。よく頑張ったな』。その日二人はしたたか酒を飲んだ。

受賞パーティの日。ボクは、森繁サンはじめ、多くのスタッフや先輩俳優に彼を紹介して回った。愛想良くお世辞を言う人達もいたが、ほとんどの人は、会釈を返しただけで彼は全く無視された。無視した人達は、口には出さないが顔で語っていた。『フン、歌手風情が、タレント風情が賞?我々舞台人は、お前さん方と違うよ』。その夜、また二人はしたたか酒を飲んだ。『畜生、いつか奴らを見返してやるぞ!』。尾藤は叫びながら、泣いていた。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<前川喜平語る>衆院予算委員会は14日午前、阿倍首相が出席し、集中審議を行った。『加計学園獣医学部新設』を巡り、柳瀬唯夫元首相秘書官が2015年に学園関係者と計3回も官邸で面会したことについて、首相は『国家の重大事でもない限り途中段階で説明を受けることはほとんどない』と主張し、かつ関与を否定した。野党側は柳瀬答弁に対して、『事実と異なる』と訴えた愛媛県知事、加計孝太郎理事長、柳瀬元秘書官らの国会招致を引き続き求めている。加計疑惑の渦中にいた前川前文科省次官が『絶対に嘘』と、阿倍、柳瀬発言の茶番を斬る。

『柳瀬氏の答弁は、ごまかしに満ちている。初めから加計ありきという阿倍首相の方針は明確にあったはずだし、二人の間ではそうした明らかなやり取りが絶対にあったに違いない。秘書官は首相の側にいるのが仕事で、一緒にメシを食い、直接のやり取りが交わされる。そんな間柄であるはずなのに、首相の盟友に絡む話を、首相自身の耳に入れていないなど、絶対に嘘だ。虚偽答弁も甚だしい事態だ。

愛媛県の文書の中には、「加計学園から、先日阿部総理と同学園理事長が会食した際に、下村文科大臣が加計学園は課題への回答もなくけしからんという発言があった」「対応策について意見を求めたところ、今後、策定する国家戦略特区の提案書と併せて課題への取組状況を整理して、文科省に説明するのが良いとの助言があった」との記述もある。首相と下村大臣との間で明確なやり取りが交わされていることの証拠であるし、首相の一連の答弁が虚偽だという証だ。首相が記述内容を否定したところで愛媛県側が事実をねじ曲げる理由など一つもない。


官邸側は、国家戦略特区の前例に当たる千葉県成田市の医学部新設と同じ理屈で行けば、加計学園の獣医学部新設も通るだろうと踏んでいたのだろう。こうしたことを考えた黒幕は(加計学園問題を巡って、当時文科省次官だった私に、総理は自分の口からは言えないから、私が代わって言う、と迫った)「和泉洋人首相補佐官」だと思う。彼は特区の制度を作った張本人で、この制度の隅から隅までを知っている人物。彼は理屈が作れることが分かった上で知恵を出したのではないか。

国民の視点で言えば、阿倍政権は即刻辞めるべき。これだけ動かぬ証拠がそろっているのだから、嘘を認めろと強く思う。退陣に追い込むには支持率を下げるしかないが、20~30代の若い男性を中心に「阿倍信者」がいるから厄介だ。この流れはファシズム的で、全体主義に傾斜している。こうした権力者の嘘を見破れない若者について考えると、翻って教育に問題があったのかも知れないと、今、非常に危機感を抱いている』。前川前次官は、官邸の言うことを聞かない輩であり、官邸色一色に染まった官僚の中では異質中の異質。権力におもねる気持はさらさらない、信念の人である。



★<好調ロボット産業>日本ロボット工業界は、2018年のロボット生産額が2年連続で過去最高を更新し、初めて1兆円に達すると見通しを発表した。人手不足への対応や製品の品質向上を目指す中国の旺盛な需要を原動力にして、ロボットの普及は今年も続く。

工業界の稲葉会長(ファナック会長)は、18年ロボット産業界に懸念材料はない、好調が続くと自信を示す。『牽引役は間違いなく自動車。物流や食品、医薬品、化粧品の分野もロボット化が始まる。2兆円も通過点だろう』と力強く話す。

地域別では日米欧の先進各国も好調だが、伸びしろが大きいのは中国市場。国際ロボット連盟によると、中国における16年の産業用ロボットの販売台数は前年比27%増の8万7千台だった。世界全体の増加率・16%を上回り、販売台数で3割を占めた。世界全体に占める中国での販売比率は20年までに40%にまで高まる見込みだ。中国企業には、今後圧倒的に人手が足りなくなるという悲壮感があると指摘する。またロボット導入で生産性の向上を目指す気持が日本よりも強く感じるとも。


中国でロボットの買い手として存在感を高めているのがスマホやサーバー関連機器などを製作する電子機器の受託製造サービスEMSだ。大量の人員を割いて人手で製品を製造してきたEMSが人手不足への対応や品質の安定を狙いロボットを導入する。組立や研磨といった作業がロボットに代わって行く。『すぐに百数十台を持ってきてくれ、といきなり言われる』と。

旺盛なロボット需要に応えようと、世界のロボット大手は増産を急ぐ。中国家電大手、美的集団(広東省)傘下の『独クーカ』は中国で2工場を新設し、19年末までに中国の生産能力を現在の4倍に拡大する。ファナックは茨城県築西市に630億円をかけロボット工場建設中で、完成すれば月産能力は現在の1.5倍以上に増える見込みだ。年間1兆円規模を射程に産業用ロボット市場は新たな段階に入ったと言える。日本でも『変なホテル』など、製造業以外にもロボットを活用しようとする機運が充ちている。


★<大正製薬希望退職募集>製薬会社のリストラが続く。競争力強化のためか、人件費節約なのか、大正製薬も40歳以上の早期退職希望者を募る。対象は3千人。募集目標、優遇退職金総額は非公開。『今の段階から持続的な成長を図るため、早期退職の募集に踏み切った』と言う。養毛剤『リアップ』だけでは力不足かなあ。

一方では、武田薬品が世界的競争を勝ち抜くため、アイルランドの製薬会社を4兆円規模で買収する。と言うことは、中堅どころの大正製薬は、専門医薬に絞り込み、利益率を上げていくしか生き残る道がないのかも知れないなあ。製薬会社、戦国時代。そしてメガバンクも戦国時代。平和な産業は、ないのかしら。JRもJTもJALも戦国時代だ。おっと、あったねえ、平和安定企業が、『NHK』だ。食いはぐれは絶対にない。それとも『国家公務員』かな、ウソをついてもクビにならないから。しかし、NHKは、政治家や有名経営者の子弟が優先入社すると噂されているから、学力不足、親不足の人には向かないかもね。


★<教皇ランボルギーニ、9千万円で落札>昨秋、ローマ・バチカンのフランシスコ教皇に寄贈された『ランボルギーニ・ウラカン』が、モナコ、ササビーズが開催したオークションで新車価格の4倍に当たる9,380万円で落札された。

このウラカンは、ランボルギーニのカスタマイズ部門が、教皇のために特別製作した『ワンオフモデル』。バチカン国旗に敬意を表し、白いボディカラーをベースに、イエローゴールドのストライプを配するなどのカスタマイズが行われている。フランシスコ教皇は売上の全額を、主にアフリカで女性や子供を支援する活動を行っているイタリアの2つの団体などに全額寄贈する、としている。いい車だねえ、ランボルギーニ・ウラカンは。


★<本田圭佑の本心>サッカー日本代表の『本田圭佑』が、昨年夏、イタリアの名門ACミランから、メキシコのパチューカに移籍した。まさにメキシコの田舎町のクラブに『都落ち』をしたとの印象を与え、事実そのような報道が多かった。この度NHK『プロフェショナル』に出演し、移籍の本心を語った。『敵は自分の中にある。自分と妥協してはプレー出来ない。ここ2,400mの空気が薄い高地で、体力をつけ、自分を叩き直し、決定力を高めた』と。すでに本田は今季限りでパチューカを去る。次はどこか。興味が持たれる本田の移籍先ではある。昨日の報道では、日本だけはない、と言明しているが。


★<荒れた甲子園ボウル>東の日大対西の関学の『甲子園ボウル』。日大の選手が理不尽なタックルを3度したとして、退場処分を受け、さらに関学から日大に対し質問書が出された。ところが、このラフプレーをした選手は退部の意向であることが判明。さらには、関係者の言としてこのタックルは監督の指示であったことが分かった。まあ、アメフトは、ラフで乱暴なスポーツとしては知られている。だから、ヘルメットをかぶり、面をつけ、肩パットに胸パットをつけるのだ。アメフトをやる人は、その辺りは心得ていると思うが、何もしていない選手を後ろから激突するのはやっぱりなあ。アメフトをやってると、就職に有利、との機運があるが、果たしてどうかしら。


★<新日鉄住金、社名変更>新日鉄住金は、来年4月から新社名『日本製鉄』とすると発表。もっともだねえ、長ったらしい新日鉄住金は、もう一般的にはおさらばだ。


★<麻生太郎>もう麻生太郎は老害だね。都内で開かれた自民党議員のパーティでの発言。『北朝鮮の見てくれの悪い飛行機がシンガポールまで無事に飛んでくれることを期待するが、途中で落っこちちゃったら話にならん』と。何と不見識な、品位のない発言だろうか。これが日本国の副総理だと思うと泣けてくる。セクハラ発言、財務省モリカケ問題、国会でのヤジ・・。もう老害麻生は辞めてほしい。おそらく自民は次の選挙で相当の苦戦をするだろう。その原因の一つは麻生太郎である。まあ、野党が今のままですめば楽々だろうが、野党もバカばかりではないからな。

『いずみたく物語㊲ 妻との傷口が大きくなりすぎた』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、58人もの死者を出した『パレスチナのデモ』と、東京日比谷に誕生した『東京ミッドタウン日比谷』。そして、ソメイヨシノよりピックがかった『元安川岸の桜』、黄色が鮮やかな『雲南黄梅』、ブルーが綺麗な『ムスカリ』です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★昭和56年にボクは、プロダクションの歌手、役者、マネージャーを全部整理した。その理由はボク自身がミュージカルに挑戦するためであった。尾藤も役者に専念するために、ボクの会社を去って行った。ところでボクは、昭和43年にY子と結婚して、女の子も生まれ、新居も出来て仕事も乗り切っていたが、どうも夫婦仲がうまくいかず、冷えていくばかりだった。いろいろ話し合って努力してみたが、二人の性格の食い違いは、危機をはらんでいた。

その頃、N子に出会った。どうやらボクは、知り合って好きになった女性と、すぐ結婚してしまう傾向があるようだ。ボクの場合、愛してしまった女とは、必ず結婚しなくてはいけないと思いこんでしまう。良く言えば一途なのだろうが、悪く言えば幼稚であり、バカだと親友共は言う。

ボクは昭和43年にファッションモデル出身のY子と結婚した。彼女は多少感情の起伏は激しいが、どちらかと言うと良妻と言うより賢妻であった。ボクは男と女の間は、とにかく何回でも、何十回でも話し合って接点を見つけて行くと言うもので、争いやケンカは大嫌いだった。しかし、気性の激しいY子との話し合いは、いつも惨めにも罵り合いの結果になってしまった。その挙げ句、ボクが黙ってしまう。原因はいろいろあったが、その多くはボクの家族との争い、そして生活に対しての考え方の違いであった。


『あたしがいないと、いずみたくは仕事が出来ない』。まあ、妻としてそれくらいのことを考えるのは、考えないよりましであるが、だんだんと仕事の内容にまで口出しするように変わってきた。口出しと言っても、何気なくサラリと参考意見を言う程度なら可愛げもあるが、堂々と反対意見を言い、しかも口論にまで発展するとなると、忙しくて睡眠時間も短いのに、家で安らぐ暇もない。

『たくサン、あの社員は不愉快ね。あたしに挨拶もしないのよ』。まして話がこうなってくると、社長夫人としての人格さえ問題になってくる。その上、とうとう、パーティなどで、ちょっとボクが友人を紹介し損なうと、『あたしを無視した』と帰ってしまったり、部屋に閉じこもってしまう。ボクは毎日毎日精神的に疲れていった。当時、ボクは8千万円の予算で新居を作った。

ボクはどちらかというと、便利な一部屋で手を伸ばせば何でもあり、四、五歩歩けばどこにでも行けるような合理的な家が好きだが、貴族趣味的な彼女は、三階建ての白亜の家を作ってしまった。彼女に全部まかせていたボクも悪いのだが、出来上がってボクはびっくりしてしまった。そして7千万円のローンが残った。いくら当時、忙しい作曲家であっても、たかが個人の作曲家で7千万円の借金は気が重たかった。一口、言葉を出せば弁舌鮮やかな彼女と口論になるので、ボクは避け続けていたかったし、一つひとつ話し合っていたら、当時の膨大な量の仕事は消化出来なかった。


ちょうどその頃、シャンソン・コンクールで優勝したN子に出会った。彼女は19歳から成人になる途中だった。彼女もまた、感情の起伏の激しい女だったが、ボクは彼女の甘い歌声が好きで、二人は急速に親しくなった。これがまた、事件をますます拡大させてしまう。ボクは新居が出来て2年もしないうちに、赤坂のホテルへ逃避し、ホテル住まいを始めた。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<常識を変えるスポーツ観戦>4月に広島市で開かれたアーバンスポーツの世界大会『エクストリーム・スポーツ国際フェスティバルFISE』。2020年の登用五輪で新たに実施される自転車のBMXやスケートボード、スポーツクライミングなど国内ではなじみの薄い種目ばかりだったが、2日間で7万人超の観客を集めた。

FISEは、1997年に始まった世界を転戦する大会で、欧州では50万人以上が集まる。日本初上陸となった広島では、自由で雑多な雰囲気が溢れていた。『基本的に立ち見で無料』が観戦スタイル。5つのステージで同時進行する各種目の間を、自由に動き回ってOK。楽しむのは超人的なパフォーマンスだ。結果は二の次。必ずしも試合を最後まで見届けない。大型モニターの前には、お酒や肉料理を楽しむ人達も。子供が遊べる体験コーナーには行列が出来、夜にはライブも開かれた。


『これが次の時代のスポーツのあり方』とは仕掛け人の渡辺守成・日本アーバンスポーツ支援協議会会長。『日本のスポーツは江戸時代。このままでは生き残れない。FISEは黒船として、ドアを開けろ、と言っている』。東京五輪では臨海部の青海で3人制バスケとクライミング。有明でBMXとスケボーを行い『アーバンスポーツ会場』とする計画だ。

真夏の強烈な日差し、数万人が集まったセキュリティー。課題は少なくない。それでも、従来とは違う新たな五輪スタイルを見てみたい。


★<三菱地所を責める三井不動産>今年3月、東京・日比谷に新たな都心のシンボルとして『東京ミッドタウン日比谷』が誕生した。手掛けたのは三井不動産。東の日本橋を牙城とする三井不動産と、西の丸の内を牙城とする三菱地所は、昔から都市開発で凌ぎを削ってきた。この施設が出来たことで、三井が三菱の牙城の本丸に攻め入る橋頭堡となりそうだ。

そんな攻める三井不動産の関連会社の『三井不動産レジデンシャル』が、渋谷区において水面下で勧めている計画がある。昨年12月、英国系製薬会社『グラクソ・スミスクライン』の日本法人本社があった『GSKビル』の信託受益権を、三井レが日本ビルファンドから170億円で買い取った。そして今年4月、そのビルの解体工事を行うことが住民説明会で明らかにされた。

地域住民の間では、『地上30階の高層マンションが建つとの噂だ』とか。一見、どこにでもありそうな再開発計画だが、これが三井不にとって今後大きな意味を持つ可能性がある。というのも、この場所は東京オリンピック・パラリンピックが開催される新国立競技場へ、新宿方面から訪れる際の入口部分に当たり、三井不の存在感を示すポテンシャルを秘めているからだ。


さらには、競技場の北側にあるスケートリンクの隣接地には、三井不が明治神宮と組んで『神宮外苑ホテル』を建設する。また南側の『外苑ハウス』は、三井不の手によって高さ80mの高層マンションに生まれ変わる。さらに、現在『秩父宮ラグビー場』がある区域も何らかの再開発が見込まれており、三井不が所有する大型オフィスビル『青山OM-SQUARE』の周辺開発も注目されている。日本橋に次ぐ牙城、とは言い過ぎかも知れないが、だが新国立競技場周辺が、三井不の新たな拠点になる日が近づいている。

今、渋谷駅周辺は大工事中である。たしか、7つのビルを複合化させるような大工事で、JRから東急に乗り継ぐにも大変な迷路を歩かされる。

三菱地所が多く保有する丸の内は、岩崎弥太郎が明治政府に練兵場の一部を買い下げさせたもので、まあ、弥太郎の我欲の末のものである。維新当時、政商として暴れ回った弥太郎には、国や公共性などの意識はなく、とにかく三菱が儲かればいいという精神であった。その証拠は、あの西南戦争の戦費の3分の1を弥太郎は政府からもぎ取るような悪辣な商売をしているのだ。その意味で、私は三菱は暗い血筋の財閥であり、好きになれない。


★<また始まった、北朝鮮の瀬戸際外交>北朝鮮は、米韓空軍が開始した航空機訓練を『軍事的挑発』だと非難し、16日に予定していた韓国との閣僚級会談を中止した。また米国に対しても、朝米首脳会談の運命について熟考しなければならない、と警告。また始まった、北朝鮮の『瀬戸際外交』ではある。この調子が永久に続くのだろうなあ、可哀想だが、ダメ北朝鮮だ。本当に信用がおけない、ゴロツキ国家ではある。


★<パレスチナデモ、58人死亡>米政府が在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移設したことを受けて、パレスチナ自治区でパレスチナのデモ隊とイスラエル軍が衝突し、少なくとも58人が死亡。衝突でこれほどの死者が出たのは2014年以来のこと。

トランプ大統領は、今中間選挙に向け、選挙の票になることは事の善悪に関係なく突進している。まさに『狂犬トランプ』だ。もともと、イスラエルの建国には、英国がお墨付きを与え、ユダヤの金持ちから軍費の寄進を受けたことから始まっている。2千年に渡り、アラブの人達が住んだ土地を、いきなり奪ったのだ。そしてアメリカに住む400万人ともいわれるイスラエル系国民の票目当てに、歴代の大統領もイスラエルよりの政策を展開してきた。

アメリカ本土で、戦争があったのは、もう200年も前のこと。戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさはアメリカ人には予想できないのだろう。その上で、金と軍事力にまかせて中東の混乱を起こす。まったく困った国ではある、アメリカという国は。


★<80度のかけ湯で女性死亡>大阪市阿倍野区にある障害施設で、知的障害のある入所者の女性が入浴中に熱湯を浴び、全身やけどで死亡した。給湯温度が85度になっているのに、施設職員が確認していなかったと言う。警察は業務上過失致死容疑で捜査している。

施設は、社会福祉法人『日本ヘレンケラー財団』が運営する『グループホーム ティンク』。12日午後4時半頃、施設職員が叫び声を聞いて浴室に駆けつけたところ、一人で入浴中の52歳の女性の肌が真っ赤になっていた。女性は救急搬送されたが、やけどは体の6割に及び、15日夜に亡くなった。蛇口からの給湯温度は最高の85度に設定され、浴槽の湯は80度前後あったとみられる。警察は、女性が浴槽につかる前にかけ湯をしたとみている。

おかしな事件だ。給湯温度が85度に設定されていたこと自体、変なことだ。誰が、一体何のために、温度を最高に変更したのか。普通これほどの温度に設定することはないから、いたずらだろうが、死亡事件だから、重大な過失ではある。


★<食材ドロ御用>福島市中心部の飲食店『ふくしま屋台村 こらんしょ横丁』の居酒屋の店舗外にあった冷蔵庫からコーラなど3点を盗んだとして、福島署は65歳の男性を逮捕した。逮捕のきっかけは、被害に遭った女性店主の執念だった。

屋台村の居酒屋『あねさの小法師』の店主、60歳の女性は3月頃、冷蔵庫内のジュースや食材の肉が度々消えていることに気付いた。冷蔵庫の鍵は店内に隠していたが、いつの間にかなくなっていた。店主は、『震災後に頑張って来た屋台村に悪評が立っては』と、今月から深夜の張り込みを始めた。そして16日、午前4時頃、監視カメラのモニターに、パーカ姿の男が冷蔵庫の鍵を開けて物色する姿が映った。すぐに110番して男を追跡。そして駆けつけた警察官に逮捕した。懸念の盗人を排除した店主は、『これからも安心して屋台村に足を運んでほしい』と話している。豪傑、女性店主に、ブラボー。


★<キャノンiP2700製造中止>格安プリンターで人気のあった『キャノンiP2700』が製造中止になるらしい。最安価格が6,700円と高騰している。一昨年私のHPのプリンターがトラブって、最少年賀はがきがプリントできればいいと、この機種をたしか『2,750円』で買った。スキャンの機能はなかったが、HPのスキャン機能が健在だったので、スキャンはこれを継続使用と。同時に非純正の詰め替えインクを購入。価格は2,200円。

最近、プリンターからインク補充のメッセージが出るようになったので、充填を実施。HPのものより簡単で、10分でカラー、黒の充填を終わり。補充インクは4~6回使用できるとあるから、まあ1回の詰め替えコストは400円程度だ。超コスパなり、だ。感謝だね、キャノンの2700は。


★<世界初、iPSで心臓治療>大阪大学がiPS細胞を使って重い心臓病の患者を治療する臨床研究が、国の審議会によって了承された。世界初となる。今年度中にも1例目を実施する計画だ。

大阪大学の澤芳教授らのグループは、体の様々な組織になるiPS細胞から作った心臓の筋肉の細胞をシート状にして重い心臓病の患者の心臓に直接張り付ける手術を行い、機能の回復を目指す臨床研究を国に申請していた。

グループは、今年度中にも患者の臨床試験を始めて安全性などを確認し、これまで治療が難しかった重い心臓病の新たな治療法として確立することを目指している。合わせて3人の患者に移植する計画だ。いよいよiPSの臨床実用化が始まったねえ。人類にとって画期的なことだ。生まれてくる人の中には、通常の身体条件が満たしていない状態の人もある確率で必ず生まれる。このような人達が、生涯にわたり健康な身体に回復出来るということは、本当に人類にとって画期的であり、幸せなことだ。


★<中国でオーストラリア産粉ミルク高値で転売>オーストラリアの大手スーパー『コールズ』は、乳児用粉ミルクが買い占められ、さらに中国のネット上で2倍以上の価格で転売されている事態を受け、いくつかの店では粉ミルクを商品棚に陳列せず、販売を制限する措置を取る。

報道によると、高くても2,900円で購入された1キロ缶が、8,200円前後で中国人に転売されていると。オーストラリアの母親達から供給を巡る不安の声が寄せられ、これを受けてこのスーパーでは粉ミルクを商品棚に陳列しなという決定を下した。あの、京都高島屋で『ドール人形』を買い占め、ネットで高値で売り出した方法と同じだねえ。はしかいい、と言うか、なりふりかまわない中国人達だ。


★<西城秀樹死去、63歳>『傷だらけのローラ』『YOUNG MAN』などのヒットでスターに。16日午後12時前に急性心不全で亡くなった。63歳だった。広島市出身。確か、当時『広島電波工業高校(現広島工業大学付属高校)』を卒業し、歌手の道を志したと覚えている。

小学5年生で兄とバンドを組み、高校時代にジャズ喫茶で演奏していた際にスカウトされ、家族の反対を押し切って状況。1972年(昭47)に『恋する季節』でデビューした。郷ひろみ、野口五郎と共に『新御三家』と呼ばれトップアイドルとなった。03年に韓国でのディナーショーの後、脳梗塞を発症。その後リハビリで復帰したが、11年に再発した。ご冥福をお祈りします。  合掌


★<マツダ米でDE販売>広島の自動車メーカー『マツダ』が、米国でDE車の販売認可を取得した。環境規制が厳しい米国で、乗用車でDEの認可を受けた日本メーカーは初めてと言う。燃費の良いクリーンDEで、最重要と位置付ける米国の市場を開拓する。

主力の『SUV・CX-5』で認可を取得した。EPAに加えて、厳格な排ガス規制で知られるカリフォルニア州の認可も得た。発売時期や販売目標は明らかにしていない。マツダは、2012年に日本国内で『CX-5』のクリーンDE車を発売し、欧州にも広げた。米国でも当初中型車アテンザの投入を目指していた。しかし、15年にVWによる規制逃れの不正が発覚し、イメージが悪化した。世界的なEVシフトも加速し、各国でDEの市場は縮小傾向にある。


マツダは現地で21年に予定する新工場の稼働に向け、ガソリン車を含む米国販売を現在より3割多い、年40万台とする方針。米国事業を最重要課題としており、強みがあるDE車の投入で販売の底上げを図る。マツダは『日本と同様、北米でも新たな市場の創造を目指す』としている。自動車の排ガスのクリーン化は、EVだけではなく、究極の内燃エンジンでも可能とする。EVも、火力発電から電池の製作過程などで輩出される排ガストータルでみると、完全クリーンなエネルギーではない、と考えている。それに勝る内燃エンジンを開発すると意気込む。ユニーク、積極果敢なトライをするマツダではある。

『いずみたく物語㊳ ミュージカル・死神の祟り』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、神戸に移籍が決まったバルサの『イニエスタ』、6号を放った『大谷翔平』、将棋竜王戦に勝利し『最年少7段』の記録を61年ぶりに更新した『藤井新7段』、そして『芝桜』『マリーゴールド』『チューリップ』の花々です。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


『イニエスタ』が神戸に移籍すると、その効果は絶大だろうなあ。よくやった三木谷さん、だ。大谷、なんと昨日6号のホームランを打った。すごいことだ。松井秀喜が最高年間31本を打っているが、イチローは最高15本、福留でも13本、新庄も10本、青木も10本、川崎は通算1本、西岡に至っては通算ゼロである。評論家某氏が辛口批評しているが、自分が大リーグでどれだけ打てる実力だったか冷静に破断すると、大谷の凄さが分かるはずだね。大谷の活躍がどこまで続くか分かんないが、いいじゃなの、ベーブルース以来の偉大な選手が活躍した、と歴史に刻まれるのだから、な。


★★★ミュージカル『死神』は、昭和47年5月の末、やっと大阪厚生年金会館で初日が開いた。思い出せば、企画や準備の段階でいろいろ不思議なことが起こったが、舞台稽古の最中にも思いがけない事件が続発し、また落語家の桂米朝サンからも、落語界の中で起きたいろいろの祟りの話を聞いて、スタッフもキャストも真っ青―。早速舞台の上に神主さんを呼び、ボク達の仕事には異例のことだが、お祓いの儀式をしてもらった。

ところがその後、不思議なことは次々に起こった。西村晃サンが原因不明の病気にかかった。肺に水が溜まる病気だったが、1、2週間するとケロリと治ってしまった。次にオルガニストが事故で手首を骨折したり、ギター奏者の車が故障して、滅多にないことだが、エンジンが焼き付いてしまったり。ダンサーの一人が、ホテルの出入り口のガラスのドアに正面衝突して顔を大けがしてしまったり―。その挙げ句、公演も50回と半分を過ぎた頃、主演していたピンキーが声帯を痛めてしまって、入院した。楠木トシエサンも夜中に霊を見たと。


とにかくほうほうの態で、なんとか100回の長期公演は終了したが、いろいろな事故続出にも拘わらず、『死神』は大好評だった。1分間に1度は爆笑するという作品だったので、翌年48年にも再び全国60ヵ所で再演され、毎日ステージでは、拍手とアンコールが5分以上続いたが、祟りの最後は、結局ボクの所に回って来た。

通算2年間、全国で180回の公演を終えた。最後に再び大阪で、凱旋公演をすることになって、ボクは指揮をするために大阪に向かった。その途中で、ボクの眼の『角膜剥離』が2年ぶりに再発。大阪に着いて、市内の病院で治療を受けたが、バンドの指揮をしなければならないので、両眼に眼帯をしたまま、舞台監督に付き添われながら、指揮をした。東京公演の時、歌詞を忘れて、心配そうにしているボクを見て、『心配しんさんな。そのうち思い出す』と即興の言葉をつけて歌った西村晃サンも『痛々しくて見ていられないよ』と心配してくれたが、ボクの心は眼が見えなくても、ミュージカルの成功に心は弾んでいた。

昭和57年6月、この『死神』を作り直して再演することになった。その後も、二度公演したが、また何が起きることやら―。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<田坂教授のAIが変える社会>『田坂広志多摩大学大学院教授』。社会人、職業人として求められる能力とは。\鎖静な集中力と持続力である『基礎的能力』が高いこと、∀斥思考力と知識習得力である『学歴的能力』が高いこと、D彰冦枠獣任斑療想像力である『職業的能力』が高いこと、ぅ灰潺絅縫院璽轡腑麥呂肇曠好團織螢謄N呂任△襦愨仗妖能力』が高いこと、ゥ泪優献瓮鵐販呂肇蝓璽澄璽轡奪徇呂任△襦愾反ヅ能力』が高いこと、に尽きると。近年東大卒業者でも最初の2つは備えていても、あとの3つが欠けている学生が増えている、と。つまり受験競争の結果、人的理解の側面が欠けてきていると。

先年、東京税理士協会から講演の依頼があったそうだ。そのテーマの内容を聞いて驚いた。依頼者は真面目な顔で、こう言ったと。『これからやってくる人口知能革命AIによって、我々の業界の仕事は、10年以内に半分になると思っている。その時に備え、今我々税理士がどのような能力を身に着けておかなければならないか、教えていただきたい』と。これほど切実感の強い講演依頼は初めてだった。

確かにこれから10年以内に、税理士や会計士の仕事の半分は、AIに置き換わっていくだろう。弁護士や司法書士を含め『士職業』の半分は、不要になる。そしてこの『士職業の危機』は、そのまま『東大卒の危機』を意味している。


AIの強み。
第一が、『圧倒的な集中力と持続力』だ。どれほど時間がかかっても、全く疲れを知らず、処理することが出来る。
第二が、『超高速の論理的思考力』だ。すでに、チェスで人間がAIに負ける時代。将棋や碁もAIに負けている。
第三が、『膨大な記憶力と検索力』だ。膨大なデータや知識ナレッジを記憶しておき、それを瞬時に取り出すという点では、人間がかなわない圧倒的な能力を持っている。

このように、情報革命が進むことによって生まれて来る『知識社会』は、実は『知識が重要になる社会』ではなく、『知識が価値を失う社会』に他ならない。そのため、これからは『専門知識を憶えている』と言うことが大きな人材価値にならない時代になっていく。


つまり、こうした流れの中で、人工知能はさらに高度な能力を発揮するようになる。『曖昧検索』『類推検索』『関連検索』など、『勘の良い秘書』のような能力だ。知識偏重ではなく、それらを重ね合わせた思考力の高さが求められる時代になる。東大型が失職の憂き目にあう時代になるのだ。

今、日本で静に進行している動き。それは小学生から、海外の学校に留学させ、国際的なセンスを身に着けさせるという『富裕層の子弟』である。欧米を中心に、エスタブリッシュメントの子弟はこのようにして育てられている。それをまさにAIの時代を見越し、子弟の教育を行う人達が日本にも多くなってきているのだ。時代は変わる。確かにAIには、センス、はなさそうだかならなあ。


★<またテスラ幹部退社>米テスラのエネルギー部門で主要幹部2人が退社したことが分かった。テスラを去る主要幹部が相次いでいる。米当局との連絡窓口だったシュオール氏は自動運転開発会社に転職するため退社。自動運転支援システムの責任者だったケラー氏はインテルに転職。金融担当の最高幹部2人も3月にテスラを辞めた。販売責任者のマックニール氏も2月に退社した。マスクCEOは、社内向けメールで、コミュニケーション向上に向け経営組織を『フラット化する』と従業員に伝えている。

彗星のごとく現れたテスラだが、ここのところ内部の苦境がはなはだしい。幹部の転職と、新機種の立ち上がりの不手際などなど。テスラはEV専門でやっていけるか。私は無理だと思うね。ベンツやBMW、アウディ、トヨタがEVを発売すれば、一般的にテスラの車より品質、アフターサービス面で数段優ぐれるから、テスラから客足は遠のくだろう、と思うがどうか。来年あたりにその答が出て来る。


★<昭恵を出せと言うなら、自分が止める―阿倍首相>くすぶり続けるモリカケ問題。自民党内のみならず、総裁派閥・細田派でも昭恵夫人の『蟄居』を求める声も強まっているが、阿倍首相は一貫してかばい続けている。『昭恵さんが4月、ボロボロと泣きながら、「私の問題で皆さんにご迷惑をかけて申し訳ない。どんなに批判されても矢面に立つ私が直接、誤りたい」と申し出た所、阿倍さんは「自分謝るので、そんなことしなくてもいい」と断ったそうだ。阿倍さんは昭恵さんの国会招致だけは絶対させたくない。もし二階幹事長が国会へ「差し出せ」と言うのならば、「自分が辞める」と周囲に漏らしている。それくらいの覚悟なので二階幹事長も絶対に言い出せない状況だ』と側近筋。

濱岡元山口新聞東京支局長は、『昭恵さん、ああ見えてもゴルフはシングルです。晋三さんの母、洋子さんは気が強く、怒ると大変。昭恵さんの軽率な行動を怒ったら、自宅に寄りつかなくなり、晋三さんが間に入ってなだめたそうです』。自民党にとって『昭恵案件』はアンタッチャブルなようだ。


★<日大アメフト、予定オープン試合全滅>日大と関学の試合で、日大の悪質タックルを受け負傷した問題が波紋を広げている。結果、日大の春のオープン戦は全滅状態だ。

関東学生アメフト連盟は、6月16日に予定されていた日大-成蹊大の中止を発表。27日に予定されていた明大との試合も、明大からの申し入れで中止。20日に予定していた法大、6月9日に対戦を予定していた東大と、10日の立教大の3校も、『安全性が担保されていない』ことを理由に中止。中止試合は5試合となり、6月3日の非公開・近大戦、17日の桜美林大戦が予定されているが、全滅の危機に瀕している。日大の対応の遅さとお粗末さが原因と言われる。まあ、あの試合を観ていたら当然の帰結かも知れない。おっと、桜美林大も断りを入れたとの報道だ。


★<地銀6割が減益か赤字>東京証券取引所に上場する地方銀行80社の決算発表が出そろった。日銀の大規模な金融緩和による低金利政策の長期化で儲けが縮小し、全体の6割強に当たる49社が減益か赤字となった。純損益の合計は2年連続で1兆円を下回った。低金利環境はしばらく続く可能性が高く、地銀経営は正念場を迎えている。


★<イニエスタ神戸へ>移籍情報がかしましくあちこちで報道されたバルサの『イニエスタ』。ついにJ1神戸への移籍が決まった。三木谷会長自らのトップ交渉だったらしい。神戸の球団職員は一切経緯を知らされていないようだ。今季32億円の年俸。34歳とは言え、現役のパリパリ。外国人プレーヤーの年俸最高記録になるのでは、と思うねえ。話題騒然。神戸にとっても、対戦する相手にとっても吉報ではある。正真正銘、世界最高峰のMFだから、期待したいねえ。

『いずみたく物語㊴ Y子による大悲劇』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、『英ヘンリー王子とマークルさんのロイヤルウエディング』、『ロシアW杯の全日本に復帰したサンフレの青山敏弘』、『8回を無失点で投げ3勝目を挙げたマエケン』、『4月のツツジ』、『牛田山山頂のリンゴの花などなど』、です。まっこと、開かれた英王室の面目躍如のロイヤルウエディングでした。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★昭和48年に入っても忙しい日々が続いた。
 ミュージカル『死神』第二回全国公演
 いずみたくシンガーズ全国公演
 ミュージカル『泥の中のルビー』再々演

その頃、ボクの事務所のビルは、大借金をして建てたビルだったが、所詮は大企業ならぬ個人業。たった33坪の、三角形の5階建て。ビルというにはちょっと恥ずかしいビル。そのビルに150人からの社員、スタッフ、歌手、コーラスグループが溢れているのを見て、ボクは決心した。それは、ボク自身のミュージカルを上演する、ミュージカルのための小劇場を建設することである。

ある晩、行きつけのスナックで飲んでいると、そこのママが『たくサン、ビルを探しているんだって?』と尋ねてきた。『一ノ橋の高速道路沿いに安くていい土地があるそうよ』。早速紹介してもらい、その土地に行ってみた。『地主はどこか遠くの方にいるそうですよ』。ダメモトで、当たって砕けろと地主を探し、十何人目に巡り会え、土地の売却を受けた。が、今度は日照権で地元ともめ、それこれするうちにオイルショックが発生。建設費はとてものことのないほど高騰したが、3割値上げして工事をしてもらった。昭和48年12月、『フォンテーヌ・ビル』が完成した。


ボクがビル建設に四苦八苦している頃、ある晩2人の親友に呼び出された。一人は藤田敏雄、一人は雑誌の編集長のY氏。『たくサン、あなたも人が良すぎるよ。人間は皆、性善と信じていて、周りの人間を皆信用しているようだが、女房だって信じない方がいいよ』。ボクは一瞬何を言われているのか分からなかったのでキョトンとしていると、『この間、たくサンを恐喝した奴だがね、全部喋ったそうだよ。一番の元凶はたくサンの奥さんだそうだよ』『嘘だ!彼女は何もしていないって、かえってボクは怒られたよ』『たくサンはね、甘すぎるよ。なぜ彼女をかばうんだい。女房だからかい』『いや、彼女は嘘をつく人間じゃない。彼女が違うと言ってるんだから信用している』『明後日の週刊誌に出るよ』。

2人はボクに週刊誌のゲラ刷りを渡した。ボクはそれを読み始めて背筋に戦慄を感じた。その記事によると、妻のY子は、家のお手伝いサンに命じて、ボクの寝ている間に、ボクの鍵束を取り出して、その中のN子のアパートのキーを抜き出して、近所の鍵屋でそのキーの複製を作らせたらしい。そして新宿にある、ある興信所に依頼して、毎晩ボクの行動を調査し、N子の部屋の中にまで忍び込んだ挙げ句、盗聴器を2度も仕掛けたと言う。そして毎晩のように興信所の彼らは盗聴し、テープに録音したらしい。そのテープが彼らの仲間の愚連隊の手に渡り、ボクを恐喝しに来たと言う。すでに恐喝者はボクの目前で逮捕され、彼の自供によって、興信所の人間も逮捕され、Y子は警察に任意出頭して供述したと言う。


知らぬは亭主ばかりなりけり、ボクは怒りと言うより、恐ろしさの余りガタガタ震え出し、しばらくは口もきけなかった。『申し訳ありません。どうぞお好きなようになさって下さい』『離婚の話を始めよう』。が、話し合いは難航した。なんと彼女が2億円という高額の慰謝料を請求してきたのである。ボクは出来る限りのことをするとは話してはいたが、彼女は豹変し、その上に話し合いの進まないうちに、ボクの自宅を仮処分してしまった。実は、フォンテーヌ・ビルを建てるため自宅を抵当にして銀行から資金を借りていたが、それを仮処分されては二進も三進もいかない。ビルの返済金も会社の資金繰りも出来ず、再三交渉したが埒があかず、年が明けて昭和49年。真っ青になった会社の経理の責任者から、今月末までに500万円のカネがないと支払不能になる、と聞かされた。ボクはハタと困った。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<ゼロックス、身売り撤回>ゼロックスは、富士フィルムと締結していた、身売り契約を破棄した。そして新しい経営陣のもと、公開入札を行うと。売却価値を高めたい意向らしい。が、ゼロックスって斜陽企業ではないのだろうか。あのリコーが米子会社での複写機の販売不振で1千億円レベルの赤字を出している。とすると、アメリカ市場を中心としているゼロックスの業績にも大きな影響がありそうな気がする。一旦は拒んだ統合も、ゼロックスにとっては後悔が残ることにもなるかな。富士フィルムとしては、富士ゼロックスと統合させることで、世界市場をコントロールできると踏んだのだろうが、かつての成功体験の記憶が捨てきれない、ゼロックスの経営陣のため統合が迷走するのだろう。まあ、舞台は第2幕に移る。観客は黙ってみていればいい。


★<米性的虐待事件、大学が550億円支払う>米国体操協会の元チームドクター『ラリー・ナサー被告』が女子選手らに治療を装って性的虐待を繰り返していた問題で、被告が勤めていたミシガン州立大が300人の被害者との間で和解を成立させた。発表によると、大学が550億円支払う。米大学の性的虐待問題で最大の和解金になる見込み。

被害を訴えた選手には、女子代表として共に12年のロンドン、16年のリオ五輪で金メダルを獲得したアレクサンドラ・レイズマン選手、ギャビー・ダグラス選手が含まれている。被告はこの問題で、禁錮40~175年の判決の他、児童ポルノ所持罪でも禁錮60年の判決を受けている。一生、ムショ暮らしと言うわけだね。自業自得。それにしても、この和解金、1人当たりにすると、1億8千万円にもなる。すごいことだねえ、麻生君。


★<ボルトン補佐官強硬発言>ボルトン米大統領補佐官は、FOXニュースのラジオ番組で『北朝鮮に非核化の意思がないのであれば、我々は見返りを求める北朝鮮と限りない協議に陥るという過去の失敗を繰り返さない』と述べ、北朝鮮に主導権を握らせない考えを強調した。

またABCテレビのインタビューでは『恒久的な非核化は見返りが与えられる前に行わなければならない』と強調。核の他に『弾道ミサイル』と『生物・化学兵器』についても、交渉の余地がないものとして廃棄要求を突き付けた。


これに対し北朝鮮は、金外務次官の談話という形でボルトンを名指しで批判し、米国との首脳会談に応じるか『再考』すると表明するなど、いらだちをあらわにした。

さあ、米朝首脳会談を前の前哨戦。とっちがどうなるか、だな。まあ、ここまできて北朝鮮があがらっても、もう終着点は見えているから、無理難題な話だろう。


★<渡辺謙、南果歩離婚>まあ人間だから、夫婦だから、俳優でも離婚はあるはなあ。が、やっぱ旦那の不倫が火元とすると、またこれは別。だが、芸能界には誘惑が多いからなあ。スターレットという俳優の卵が、男を踏み台にのし上がろうとする。離婚発表が間近と噂されていた、渡辺謙など格好のターゲットになるわなあ。まあ、二人とも新しい、自分の人生を歩んでおくれな。


★<驚きもしない米銃乱射事件乱発>もうアメリカで銃の乱射事件が起きても、驚かないよな。防止対策が全然なさてないんだから。銃を持つことが憲法で認められていると言うが、時代は変わった。時代に即した憲法改正をするアメリカにしては珍しい。500万人のライフル協会の票が欲しんだな、トランプは。情けない社会だ。

今度はテキサス州サンタフェの高校で乱射が。男(高校生らしい)が銃を乱射し、生徒9人と教師1人の計10人が死亡、10人が負傷したと。男は、父親が許可を得て所持していた散弾銃と回転銃を犯行に使用。現場周辺では爆発物を、また自宅や車などで火炎瓶や爆発物の製造に使用される装置などを押収したと。もうブームだな、アメリカの銃乱射は。気に入らないことがあれば、銃を乱射して腹の虫を収めるのか。続々と続くであろう再発事件はとても防げまい、銃所持禁止措置を取るまでは。不幸な社会だ。


★<自民、授業料『出世払い』提言>自民党の『教育再生実行本部』は、党本部で会合を開き、大学など高等教育授業料について、政府が進める低所得者に限定した高等教育無償化ではなく、幅広い所得所帯を対象とした出世払い制度の導入を求める提言を求めた。政府は受け入れ困難との立場だ。『安倍1強』と言われて来た中で、党内から政府への反発が出るとは異例と言えそうだ。

実行本部は『私達にとって無償化は降って湧いたような負担軽減策だ。教育の議論をして筋の通った政治論を出すべきではないか』などと訴えている。拙者は、これを聞いて、本当、最近の日本の『甘、甘社会では人間が育たん』と思っていただけに、拍手だ。

それにつけても、思い出すのは、苦学をして兄弟全員が世の中のリーダーになった、『永野6兄弟』の話だ。3男は若くて病没している。
 長男 永野護   運輸大臣
 次男 永野重雄  新日鉄初代社長、日本商工会議所会頭
 四男 永野俊雄  五洋建設会長
 五男 永野輝雄  日本航空会長
 六男 永野鎮雄  浄土真宗本願寺派正局長、参議院議員
 七男 永野治   石川播磨重工副社長


さらに、長男護の息子達。
 長男 永野厳雄  広島県知事、参議院議員
 次男 永野健   三菱マテリアル会長、日経連会長
 三男 永野正   東洋パルプ副社長

父親法城は、広島県呉市下蒲刈島の『弘願寺グガンジ』に生まれた、永野法城は、寺を継ぐのがいやで、裁判官となり、中国地方を転々とした。

長男、護が東大に入学後、父親が亡くなった。(私が聞いているのは)幸いも同級生に東急の五島慶太の息子がいて、一緒に勉強し、家庭教師役を務めることで月50円の俸給をもらった。護は半分の25円を実家に送り、弟たちの生活費に充てたそうだ。その後、弟たちも東大などを出て、いずれも世に出た。私は、上蒲刈島にある自家の墓所へ墓参するたびに、この下蒲刈島の弘願寺の側を通り、このいにしえの物語を思い出す。経済的に恵まれてなく、必死で勉強し、努力した6兄弟の姿が瞼に浮かぶのである。甘い、甘い、甘やかされた環境では、人材は育たない。獅子は子供を谷に落としてはい上がる努力をさせると言う。自民党の案に大賛成の所以である。


★<自家用ジェットでオスロへ>『フォートラベル』なる投稿トラベルサイトを閲覧している。珍しい旅行アップがあると覗いて。ツアーだったが、ガーナに旅した人のアップは面白かった。野口英世がこれほどあがめられているとは。と、ビジネスだが、自家用ジェットでアメリカからオスロに飛んだアップがあった。個人経営の企業に勤める日本人。自家用ジェットを3機も保有していると。社長で、COOが自ら操縦すると。興味がある方、覗いてみて。
  https://4travel.jp/travelogue/11359824?lid=mmnew_os_travelogue


★<野間、ブキャナンに満塁打>今日は何と言っても野間くんじゃろ!試合前から『今日はブキャナンか…』って、諦めムードとまでは行かんけど、苦戦か負けても仕方ないわ~みたいな雰囲気が漂ってて、大瀬良くんの調子も今一つで先制点取られて『あ~やっぱり~』って空気やったけど。まさかって言ったら怒られるけど、でもまさかよねルーキーイヤー以来3年ぶりのホームランしかも満塁よ!ここ最近、バッティングの調子もいいけタイムリーはあると思ったけど、ブキャナンから一発!

シーズンは開幕直後から誠也くんが離脱して、復帰後も様子を見ながらの出場&丸くんの長期離脱で、空いたセンターのポジションを堂林くん大樹くん下水流さんと争いながら出とったんじゃけど。やっぱり守備走塁では野間くんが頭一つ抜けとるけ、どうしても野間くんがスタメン出る機会が多くて、それをまたおっさんブロガーどもが『また野間か』『隙あらば野間』みたいに采配批判のネタにしてから。でも例年と違って、今年は猛打賞の日もあったり打席での内容が随分よくなって「もしかして野間覚醒しょうる?」って、チラホラ声も上がりだしてた今日このごろ…


とうとう出たね『ここで欲しい』って場面での貴重な一打、プレッシャーのないどうでもええ場面で打つのはプロ選手なら難しくないんよ、ピンチで一流投手が『絶対打たせんぞ』って必死に投げてくるボールを打つんがレギュラーなんよ。ほんま今日のホームランは最高やったわ、次の打席でもスリーベース打って5点目のホームインしたし、守備でも前回ナゴヤの反省を生かしてバレンティン2進を見事に防いでくれたし、こりゃ丸くんが帰ってきてもセンター明け渡さんかもじゃね。丸くんは足の怪我じゃけ、復帰してもしばらくは負担の少ないレフト守って貰うのもありじゃろ。

もう一人のヒーロは、ハーラートップの6勝目を挙げた大瀬良くん!今日は調子がイマイチだったみたいで初回3回と1点づつ入れられて、また制球も定まらんかったせいで球数もいっぱい投げさせられて、いけん時の大瀬良くんじゃわ…って心配しとったけど、野間くんの一発が出た後は落ち着いたね。

ヒロインでも言ってたけど悪かったけど悪かったなりに試合作れたって、ほんまそうじゃわ、去年は調子悪いと逃げて逃げてフォアボール出して、手痛い一打食らうパターン多かったけね。日は2回に満塁で打席回ってきて、前回登板の時も満塁のチャンスでタイムリー打ってくれたけ、今日も一発頼むで!って思ったけど、そうそう上手くはいかんね…やっぱり赤子の手を捻るようにゲッツーやったわ、まあこれが本来のピッチャーの打撃よねw


あとは今日もリリーフの三人がしっかり0点で繋いでくれたね、ちょっとくらいランナー出した所で、ギア上げたら三振取れるんじゃけ、点さえ取られんかったら何の問題もないじゃろ。3点差もあるのに一人ランナー出たくらいで、胃が痛いじゃ何じゃ言う人は野球観戦向いてないわ…健康害してまで野球見る必要ないじゃろw今日は昼間もちょっと寒かったけ、ヒロインで氷水掛けられて野間くん風邪なんかひいてないじゃろか?靴脱いでたんは、大事な商売道具じゃけ濡らしたくなかったんかな?今頃美味しい旨酒でも飲んでるんじゃろね。

明日もデーゲームじゃけ、あんまり飲み過ぎんと、しっかり九里くんの初勝利サポートして欲しいわ。私は夜更かししよっと。そんじゃ、また明日ね~(参考:『ゆとり世代のカープ女子』)

これでカープは2位巨人に3.5差、貯金を再び10としたね。弱投ながら、粘り強く勝ち進む今年のカープに拍手と応援だね!サンフレも首位。今日勝つと、本当に優勝が見えてくる感じだ。(#^.^#)

『いずみたく物語㊵ 地獄で仏様の、田辺茂一サン』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、6月2日日テレ特番で民放初登場となる『ツーブルを歩く有働由美子アナ』、ついに上陸した中国で人気の料理『蘭州ラーメン』と、6月30日から1日1往復新大阪と博多を往復する『ハローキティ新幹線』、そして超可愛い花『ビオラ』です。今時、満開で、パンジーとその美しさを競っていますが、私は可愛らしさからビオラが好きです。


★★★昭和49年1月、真っ青になった経理の責任者から、今月末までに500万円のカネがないと支払不能になると聞かされたボクは、ハタと困った。何しろ自宅を仮処分されているから、銀行からは借りられず、何億という借金をしているのに500万円のカネに困るのも皮肉な話だが、とにかく資金というヤツはやっかいな代物で、千円でも倒産することはあり得る。色々悩んだ末、ボクはある人に相談することにした。田辺茂一さんである。実はボクは田辺茂一さんに面識はなかったが、強引に面会を申し込んだ。当時、紀伊国屋書店の社長だった田辺サンは快くボクに会ってくれた。かつて、何回か紀伊国屋ホールを借りてミュージカルを上演したことのあるボクは、演劇に理解のある田辺サンを他人と思えず、甘えたい気持で現在の資金繰りの状況を相談するつもりでいた。

ボクが初対面の挨拶を終え、ビルを作った経緯、そしてミュージカル小劇場を作った経緯、そして現在の経理状況を話し、初対面の失礼もわきまえず、助けてほしいとお願いすると、『いくらあればいいの』と顔に似合わない優しい笑顔で聞いてくれた。『500万円、半年後には必ずお返しします』。電話で経理部長を呼び出した田辺サンは、『いずみサンの銀行にすぐ500万円振り込んで保証してあげなさい。もう大丈夫ですよ、いずみサン』。ボクはしばらく顔が上げられなかった。そう言えば、ボクは個人的に借金をしたのは生まれて初めてだった。まさに地獄で仏とは田辺サンのことだ。


借金は半年後に返したが、そのようなきっかけで田辺サンと仲良くなり、何回か銀座を飲み歩いた。一軒の店に5分か10分ぐらいしか腰を落ち着けず、いつもジョークを飛ばして女の子達を喜ばせていた田辺サン。その後、紀伊国屋演劇賞のパーティーで久し振りにお目にかかった。『たくサン、飲みに行こうよ』『すみません、ちょっと仕事があって・・・』『イヤー、売れっ子だねえ。ボクは、ちっとも売れていないんだよ、ハハハハ』。その田辺サンも昭和56年の暮れに亡くなってしまった。いつかボクの作品で紀伊国屋演劇賞を受賞することが出来たら、誰も知らないボクの借金の話をして、そのお礼を皆の前でもう一度言いたかったのに―。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<キタムラ、CCCが買収>カメラの『キタムラ』が、TSUTAYAを展開する『CCCカルチュア・コンビニエンス・クラブ』にTOBで買収される。買収価格は、1株当たり1,230円と、市場価格より2割高のもの。キタムラは上場廃止になる。

すでにCCCはキタムラ株式の30%を保有する筆頭株主。キタムラの事業領域である、デジタルカメラ、スマホ、写真プリントはそれぞれ縮小しており、今後も厳しい事業環境が続く見通し。資本・経営の一体化で提携を強化し、新たな収益源の開発などを進める。まあ、自然の成り行きだねえ。


★<訃報相次ぐ>若すぎる『西城秀樹』の死。また『星由里子』、『朝丘雪路』と立て続けに、往年の名女優達が仏界へ入ってしまった。生あるものは、必ず命が絶えるとは言え、不憫ではある。平均寿命を全うできなかった場合、特にその思いが強くなる。晩節を汚すなかれ、と言う言葉もあるが、一定年齢になったら身の回りはきちっと整理しておく必要があるんだねえ。再確認だ。

朝丘さんは、『アルツハイマー型認知症』と津川さんも語っており、兄長門裕之さんの妻だった『南田洋子さん』も同じ病気だったと言う。兄弟そろって、伴侶が同じ病気になるとは、また因縁だろうか。ご冥福をお祈りします。   合掌


★<ベトナムで駆逐された中国製バイク>ベトナムではバイクがないと生活が成り立たない。そのため一家に1台、いや1人に1台という高いバイク保有率である。そのバイク市場から、中国製バイクが駆逐され、日本ブランドのバイクばかりが走る。一体どういう訳か。

理由は品質にあった。一時は価格の安さから中国製バイクは市場を席巻し、大流行した。が、『安かろう、悪かろう』の典型で、故障はするわ、アフターサービスは悪いわ、で人気が凋落。今では中国製バイクは見向きもされない。結果、日本ブランドの台頭を助けた形になったと。今、中国ではその失敗の轍を踏まないよう、警鐘を鳴らしているが、どこまで性根が入るか。国内市場が豊かな中国では、輸出に向けての努力はそれほど熱が入らない。アメリカの自動車が国内需要だけで十分儲かるので、輸出への努力が見られないと指摘されるのと同じレベルかな。


★<始まった北朝鮮の三枚舌外交>始まったねえ、北朝鮮の三枚舌外交が。北朝鮮が、核実験場の閉鎖をするに伴い、メディアを招聘すると。ただし、韓国、日本のメディアは呼ばないそうだ。そして入国ビザ代として100万円程度を支払えと。クルーを派遣すると3、400万円になる。なぜこんなことをするのか理解できないが、経済重視に舵を切った金正恩の姿を見て、北朝鮮人民は金の亡者にでもなったのだろうか。ゆめゆめ油断なさるなよ、トランプ大統領は。どこで足をすくおうかと、手ぐすね引いているかも知れない、北朝鮮だから。


★<孝行息子、カープ九里亜蓮>弱投、そしてジョンソンが妻の出産で一時帰国と、カープの投手陣は火がついたような状況になっている。こういう時に、孝行息子が出て来るチームが強いチーム。出たねえ、カープの孝行息子。『九里亜蓮』。昨日のヤクルト戦で投げて、なんと8回、112球、被安打5、四球1、三振5、無失点の大好投。見ていて、従来なら5回ぐらいで崩れるのが、崩れない。しかも7回の攻撃で打席に立って、ファンを驚かせたね。結果、1-0でヤクルトを下し、黒星の巨人とのゲーム差が4.5と開いた。まだまだ優勝などの話は早いが、着実に白星を重ねていくカープに大声援だ。


★<新天ぷら店チェーン>揚げたての天ぷら料理を主力とする松山の『さくや』を運営する『ディック』は、四国を軸に店舗展開に乗り出す。今般高知市内に2号店を出し、今秋松山市内に3号店を開く予定。中四国や九州で今後2年間に15~20店舗体制を構築する。各店舗で地元産の食材を積極的に活用し、地域の農水産業の活性化につなげていく計画。

同社は、ホームセンターの雄、松山市の『DCMダイキ』の会長で創業者の大亀孝裕さんが2016年に設立した。地元農水産業の活性化につながる事業展開を目指し、揚げたての天ぷら料理を比較的低価格で提供し、消費拡大につなげようとしている。また、天ぷら店の立地は、ダイキが出店するホームセンターの近くとし、来店客はセンターの駐車場を利用できる形にする。

ホームセンターが天ぷら料理店とは、また面白い発想だねえ。このダイキは広島市にも私が知るだけで5店舗もある。おそらく10店舗くらいある可能性もあるな。面白い発想で、みんなが元気になればそれは大変な功徳ではある。


★<ブログのアクセス数1,300>いつもこのブログにアクセスいただきお礼申し上げます。が、昨日は一体何ごとが起きたのかと。このブログの昨日のアクセス数がなんと『1,300件』と。アクセス数はブログブライターの画面には掲示されるもの。普段、1日100アクセス前後で推移しているのだが、一体何が起こったのだろうか。随分前に同じようにアクセス数が1,000件を超えたことがある。どうやらカウンターの故障らしいが。でも、このアクセス数が多ければ、ヤフーはブログのアクセス件数が多いものには、ポイントを付与している。カウンターが故障していれば、出費がかさむがなあ。他人事ながら心配だ。

『いずみたく物語㊶ 旧知の部下に裏切られ、借金だらけで八方ふさがり』

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《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》

★今日の画像は、復元が進む『熊本城小天守』、神戸祭りで踊る『サンバの女性』、神戸電鉄『1960年代の復刻車両』、そして好きな花『ビオラ供戮任后2屬辰橡榲砲いい任垢佑─7本城の小天守、復元の模様はすごいですねえ。さすが日本の建築技術だ。右下をクリックすると、大きな画が見られます。


★★★ミュージカルの赤字で四苦八苦し、紀伊国屋の田辺茂一さんに借金までしている状況の中で、ボクの知らない間に、タレントプロダクションの会社が、なんと6、7千万円の赤字を背負っていた。しかも、社長のSはその後始末もせずに会社を辞め、別のプロダクションに鞍替えしてしまった。ボクは、ボク自身も協力するから、なんとか少しでも後始末をするように頼んだのだが、それを振り切るように突然いなくなった。ボクは本当に番頭サンに恵まれない。20年ほど前にも、専務に何百万円と使い込みをされたことがある。人間を簡単に信用し過ぎるのだろうか。Sはボクの古い友人で、23歳のうたごえ運動の中で作曲をしていた頃、彼は文学青年でよくボクとコンビを組んで作詩、作曲をしたものだった。

ボクがプロの作曲家として仕事をしている時、Sはヒョッコリボクの前に姿を現した。その頃の彼は、フリーのジャーナリストとして、当時週刊誌ブームに乗ってトップ屋として活躍していた。ボクの事務所に所属するタレントのスキャンダルなどを聞き込んできて、知らせてくれたりする便利な男だった。しかし今から考えると、彼自身が書いたものも多かったのではないかと思う。それから4、5年付き合っている間に、ボクは彼を深く信用してしまった。当時、佐良直美、ピンキラ、由紀さおり、篠ひろ子らを抱え、タレントプロダクションは急激に膨張していたが、それを管理する適当な人がいなかった。何人か担当するが、やり手のマネージャー達を管理しきれない。このような人種を管理するには、よほどの実力がなければならない。ボクはSを過大評価していた。ボクは彼に専務の椅子を与え、徐々にプロダクション業務を教え込んだ。会社の発展と同時にSの成長も早かった。


会社の発展と共に最高に膨れあがったオールスター・プロダクションを、CM、ムービー、音楽出版、タレントプロと分割した時、Sをタレントプロの社長に据えた。社長になったSは豹変した。『今まで作った歌手はいずみたくの作ったスターである。佐良直美、ピンキラ、由紀さおり以外のスターを自分の手で作りたい』。新社長の方針としては立派であるし、そのくらいの積極性がなくては、ボクも社長を任せられない。しかし、音楽は才能であって、いかにその天分を見抜くか、その天分にふさわしい企画を作るかが勝負である。音楽も知らず、歌手の天分も見抜けずにそれが出来るわけがない。やがてSは、当時ボクの会社で勉強中の若い歌手達、売れない歌手達を宣伝力のみで売りだそうとした。

Sは20人ほどの在籍していた若い歌手達に、1人300万円から500万円の宣伝費をかけて売り始めた。その歌手が売れればいい。しかし売れないために、アッという間に、3千万円から4千万円の赤字を出していた。それに気がついたボクはストップをかけた。が、一度回った歯車はなかなか止められなかった。赤字はアッという間に6千万円に膨れ上がった。『もう一度ボクが社長に戻る。君は専務としてボクに助力して欲しい』。ボクはSに頼み込んだが、ボクの申し出は遅かったらしい。Sはボクの会社を捨てて、当時一番発展していた音楽業界のHプロダクションに移籍していた。ボクはすぐHプロダクションの社長に面会した。


『これはルール違反です。もしSのことをお宅が欲しかったのなら、同じ業界の中、正式にトレードをなさるべきです。Sはボクの好意も無視し、責任も後始末も引き継ぎすらせず、敵前逃亡に等しいと思います』『いずみサンのおっしゃることは良く分かります。私はSクンが円満に退職したと言うので引き取りました。これは彼から頼んできたことです。そのような事情があれば、すぐ退社させます』。話の分かるHプロ社長は、すぐその場で決断して処置してくれた。その後Sは、CFのプロダクションなどを転々とした挙げ句、今は何をしているか分からない。

ミュージカルの赤字、会社の借財、その上にボク個人の離婚問題、まして自宅まで仮処分されて、本当に八方ふさがりの状態であった。ボクは半分暗殺剣の時期だと半分諦め、こういう時期はジッとしていようと腹を決めていた。でも、捨てる神あれば拾う神ありとは、良く言ったものである。TVの青春番組の主題歌『帰らざる日のために』をいすみたくシンガーズが歌ってヒットしたが、その同じ番組のドラマの中で中村雅俊がギター一本で何気なく歌った歌があった。『ふれあい』。山川圭介作詞、いずみたく作曲のこの歌が大評判になり、TVの中でたった1回歌っただけなのに、レコードを発売したら大ヒットになってしまった。なんと120万枚。しかもこの歌はスタンダードナンバーとなり多くの歌手が歌い、現在でも多くの人が口ずさんでくれている。人間というものは本当に分からない。ボクは一体運がいいのか悪いのか。ボクの信念としては、ただ環境、状況に煩わされず懸命に前を見つめて仕事をし続けること。その仕事がまた幸運をもたらすのかも知れない。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)


★<銀行に『不良資産問題』 店舗に減損リスク>銀行が持つ1万3千を超える店舗やシステムが経営を揺るがしかねない存在になってきた。収益性が下がって価値が目減りした資産の減損処理を迫られ、赤字に転落する銀行が出て来たからだ。低金利や人口減で収益基盤が細っている上、金融とITを融合した『フィンテック』の台頭で、設備が陳腐化するリスクも高まってきたことが背景にある。全国で10兆円に上る銀行の固定資産の『不良債権化』に金融庁も監視を強めている。

『将来の収益を慎重に見積もり、もうかっていない店舗を減損した』。前期7期ぶりの赤字に転落した福島銀行。12支店の土地・建物の価値が、収益力に照らして査定し直すと4億円減ったと言うのだ。東北の2地銀が踏み切った会計処理に各行は衝撃を受けた。今後の銀行業を揺るがしかねない会計基準の問題が浮き彫りになったためだ。

2006年3月期に強制適用された固定資産の減損処理。店舗などを収益性の観点で評価。価値が下がり回復の見込みのない場合、売却した場合の時価に関係なく失った価値を損失計上するルールだ。島根銀行も、福島銀行同様10支店の土地・建物を減損処理した。最終黒字は確保したものの、『要因は一過性でない』との金融庁の指摘を認めざるを得なかった。


17年9月末の地銀・第二地銀の有形固定資産は計3兆4千億円。06年3月期には上場939社が1兆6千億円の損失を計上している。メガバンクも人ごとではない。三菱は前期末で不採算店舗を430億円分減損処理した。三菱自動車など問題企業を再建する際に負の遺産の前倒し処理を求めてきた。『メーカーさんのリストラに習おう』と首脳が指示したと言う。

1990年代の不良債権問題で銀行が損失処分したのは100兆円規模。それに比べれば不良資産の規模は小さいものの、フィンテックの台頭など金融環境が激変する中で店舗網に依存した経営モデルが限界に達しつつあることを示している。


★<少年LINEで万引き、500件>無料アプリ『LINE』で連絡を取りながら、万引きを繰り返したとして川口市に住む私大生2年の19歳の少年2人が警視庁に逮捕された。2人は高校の同級生で、1人は、昨春以降500回やったと供述している。

少年2人は、2月大阪市中央区の服飾店で、それぞれジャンパー1着を盗んだ疑い。少年のうち1人は、昨春から万引きを繰り返し、昨年10月には仲間と4人でLINEのグループを作った。『デパートにやりに行くけど、行く人いる』などと誘い合って、東京都内や埼玉県内でも万引きを繰り返していた。

安倍首相殿、大学生って30%くらいはこんな連中だよ。教育費無償化の声はいいが、中味をちゃんと見てほしいねえ。大学へ行く資格、能力もないのに、世の三流私大は経営のため、入学させるのだから。分数の問題も解けないような大学生がたーんといるんだよ。教育の質の劣化もあるだろうが、学ぼうと言う姿勢が安倍さんの時代とは違って、緩いんだよね。なにか、この問題を聞くと『私立大学延命互助会』かと思うくらい、緩い内容だ。そこんところ、きちっと押さえてほしいなあ。


★<九里初勝利、田中攻守に活躍>今日は九里くんのナイスピッチングが光ったね。前回もヤクルト戦に、気迫を全面に押し出して7回1失点のナイスピッチング、次の先発機会が楽しみやったけど、2回も雨で流して心身ともに調整が難しかろうって心配しとったんよね。

スライドじゃなくて一回完全に飛ぶわけじゃけね…やっぱり登板機会が減るのはいい気分じゃないじゃろうし、その日に向けて準備してたのがリセットされる訳じゃけね、しかも金曜日が飛んで日曜日って微妙な気がしたんよね。そう思いながら試合見始めたら、1回表にいきなり先頭の山田くんにヒット打たれて進塁打で2塁に進められて、3番の青木さんレフトに大きいの打たれた時は『ああ、いけん時の九里くんじゃ』って頭抱えたけど、松山さんがまさかのファインプレーよ!


それ以降は、時折得点圏にランナー進めても、低めにボール集めて危なげないピッチング、ピンチ凌いだ時にはガッツポーズで気迫見せてくれて、カープの攻撃中はベンチ前で気合入った表情でキャッチボールして続投アピールしてから。2回に一点入れて以降、チャンスにあと一本が出んと援護点に恵まれんかったけど、チャンス逃した後も気落ちせんと、むしろ気合入れなおして気持ち入ったボールで8回を無失点!完封行くか?って期待したけど、8回裏にチャンスで打席回ってきて、もう112球投げとったし、明日は試合ないし、9回は3番の青木さんからの打順じゃしで、交代したけど、九里くんの完封よりチームの勝利を優先するんは当然の作戦じゃろ。

去年はシーズン初め先発でそれなりに結果残してたのに、チーム事情で便利屋みたいな使われ方して、今年もオープン戦でもあんまり試されんまま、開幕ローテから外れて都合よく扱われてけど、ようはぶてんとモチベーション保ってたわ。ジョンソン抜けて、薮田くんもノムスケくんも微妙な状態じゃし、しばらくは九里くん先発で行くじゃろうから、しっかりローテで回って、ずっと先発で頑張ってほしいわ。とにかく今日は100点満点のナイスピッチングやったね。カープのピッチャーはクールな性格の人が多いけ、九里くんみたいなガッツを全面に出す人がおるんはええ事じゃ。にしても九里くんファンのカープ女子はギャルっぽい娘が多いね、やっぱ元ヤンじゃけ、そのタイプの娘を惹きつけるんじゃろかw


野手のヒーローは広輔くんじゃね。ここしばらくヒットが出んだけじゃなく四球も選べなくなって、塁に出ること自体ができなくて、やっぱフルイニングにこだわり過ぎで疲れとんかね?って心配しとったんじゃけど。今日は4打数3安打1四球と全打席出塁と、唯一の得点となるタイムリー打って、ようやく右に左に長打も打てる広輔くんらしいバッティングが戻ってきたね。初回のフォアボールも8球粘ってじゃけ、立ち上がりに嫌な打者じゃろなw守る方でも、9回ランナー1,2塁から大引さんのレフト前に抜けそうなゴロを横っ飛びで抑えてから、あの緩い打球が抜けとったら2塁ランナーは代走の上田さんじゃけ、一気にホーム還って同点で、また九里くんの初勝利が消えとった所よ。

九里くんの初勝利と言えば、最終回に投げた中崎くんもしんどかったろうな…前回最後の最後に打たれて九里くんの初勝利消して、最後にはサヨナラ負けした訳じゃけ、今日のマウンドは相当なプレッシャーやったろうね。1-0で最後に出てくるのって、ほんま大変じゃろうって思うわ、でフォアボール出そうもんなら球場全体が溜息付いたりヤジ飛んで来たりとか、そりゃ円形脱毛になるのも仕方ないレベルのストレスよね…最後なんとか0で抑えて、ほっとしたような笑顔かわいかったねw 守護神は過程はどうでも試合が終わって勝ってたらええんよ。今年は救援失敗まだ一回だけなんじゃけ(前回の九里くんの時)今のところ12球団ナンバー1クローザーよ!


あとはやっぱり野間くんよね!昨日の大活躍がまぐれじゃなくて、もう完全に実力じゃろって信じたくなるような打席の内容じゃわ、2安打に1四球、特に4回のフォアボールなんて11球粘ってじゃけね。足速いけ絶対に塁に出したくない、でもパンチ力もあるけ甘い所にも投げられん、きわどい所はファールで逃げられるって、ほんま相手ピッチャーはお手上げじゃろ!まるで丸くんよねw 身体能力では丸くんよりも、むしろカープで1,2を争うくらいなんじゃけ、ほんまに覚醒したらどえらい選手になるで、試合前の打撃練習じゃ、誰よりも物凄い打球飛ばしょうるもんね。打者も離脱してる人や本調子じゃない人が多い中、こうやって新たに頭角を現す選手が出てきて、ほんま今のカープは見てて楽しいわ~

今日も快勝で、明日からの一週間がんばれそうじゃ!そんじゃあ、みなさん来週からもよろしくね~おやすみなさい!(参考:『ゆとり世代のカープ女子』)


★<ベネズエラ大統領現職勝利>ベネズエラの大統領選挙は、現職のマドゥロ大統領が勝利した。負けた対立候補は、選挙に不正があったと選挙のやり直しを求めている。インフレ率1000%を上回るハイパーインフレのもと行われた大統領選挙で『現職が勝ち』とはちょっと信じられない。食糧も医薬品も手に入らない生活を強いている現政権にブラボーを叫ぶバカもいまいに。どうも不正選挙の匂いがするが、これを解明する手立ては国民にはない。大統領が起死回生を狙った『仮想通貨』の発行も、アメリカの津潰しに合って成功しない。八方ふさがりを切り裂くには、従来とは違った政策、政権が必要だと国民は分かっているだろうが、秘密警察を使った独裁政権はなおも政権にしがみついている。こんな国の政権を担当したところでうま味はるまいになあ。それでも石油利権で一儲けするつもりか。可哀想なベネズエラ国民ではある。


★<また出た安倍文書27通>国会が愛媛県に対し、加計学園問題で新たな文書の提出を依頼していたが、調査の結果27頁ものあらたな文書が発見され、国会事務局に送られた。

その中で、安倍首相が加計学園獣医学部について、新設問題を知ったのは『2017年1月20日だった』と何度も答弁した内容。さらには『彼が私の地位や立場を利用して何かを成し遂げようとすることは一度もなかった』と答弁していた。しかし新たな文書によると『2015年2月25日に加計理事長が獣医学部新新設計画を安倍首相に説明した』とあり、首相が『新しい獣医大学の考えはいいね』とコメントしたとされる。安倍首相の答弁との食い違いが鮮明になった。また、当時官房副長官だった加藤厚生労働相が15年2月に学園関係者と会談したとの記述も注目される。当初、官邸を挙げた画策があった可能性を示している。


立憲蓮舫参院幹事長は、『いつも記録と記憶が残っているのは愛媛県だ。愛媛県がウソをつく理由は何もない』と述べた。国民民衆党の玉木共同代表は『仮に総理答弁がウソだったら紛れもなく、内閣総辞職に値する』と。

政府への説明責任への言及は与党内部からも相次いだ。自民の二階堂幹事長は『皆さんに疑念を生じさせないような誠実で、しっかりした説明を強く求めたい』と説明。公明党の石田政調会長も『愛媛県文書と首相とのどちらかがウソをついている、という話になっている。国民に納得してもらう答弁を総理にお願いしたい』と述べた。

まあそうだろうなあ、これまでの推移からして安倍君の命短し、だ。麻生君も一蓮托生だな。安倍首相は、メディアから事実の確認を求める声を黙殺し、首相官邸を後にした。中村愛媛県知事の参考人招致、加計理事長、さらには柳瀬元首相秘書官の国会証人喚問は避けられないだろう。
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