《演劇を目指してキャリアをスタート。途中でミュージカルに興味を持ち、ピアノもほとんど弾けないのに作曲家を志望。芥川也寸志、三木トリローなどに師事。野坂昭如と組んでラジオCM曲を500曲も作曲。永六輔との出会いが活躍の舞台を大きく広げた。さがらなおみ、ピンキーとキラーズ、由紀さおり、いしだあゆみなどを育てた。初ミュージカル『見上げてごらん空の星を』は有名。好きになった女性とは結婚しなければならないと信じ、3回離婚、4回も結婚する。日本のミュージカルの興隆に寄与し、活躍した。総作曲数1万5千曲とも言われる、大作曲家。62歳の若さで没した。》
★今日の画像は、万引き家族でカンヌ映画最高賞を得た『是枝裕和監督』、昨日日本記者クラブで会見した『日大アメフト宮川泰介君』、港に続き空港も中国の手に落ちそうな『スリランカ国際空港』。そして『セイヨウサクラソウ』、『ダッチアイリス』、『シロヤマブキ』、満開の『ツツジ』、『名称不明の花』です。
★★★昭和43年にY子と結婚して、3年後には性格の違いから別居したボクだったが、離婚の話し合いがつかず、ミュージカルの制作も忙しく、小劇場や事務所のビルの建築の最中に彼女はボクの自宅を仮処分してしまった。あらゆる資金のために自宅を抵当にして銀行から金を借りていたのだから、本当に二進も三進もいかない状態が何年も続いた。ボクが彼女と別居して6年、やっと裁判所の調停によって解決のメドがついてきた。彼女の要求する2億円という馬鹿げている慰謝料請求に対して、裁判官がそれは無理である、もっとよく話し合うべきだと説得して、現在の住居を売り払って折半すべきだと調停したのである。裁判所はボクに『大変ですねえ』と同情さえしてくれる始末であった。とにもかくにも別居してから7年、自宅を仮処分されてから5年目に離婚は成立した。自宅を売って、税金を払って、残った金を二等分して、それぞれ5千万円ほど残った。
ボクの方は、劇場や事務所の建設資金や、ミュージカルの赤字が1億円以上もあって焼け石に水。ジュッという音を立てて5千万円はすぐ消えた。一方、Y子の方はそのお金でマンションを購入。娘を預かって生活を始めたが、そのひとり娘にも毎月10万円の教育費、生活費を仕送りしているのにどうも様子がおかしい。1年後には娘がいつも『お金がない、お金がない。うちはいつも貧乏』と嘆くので、いろいろ問いただしたら、バカバカしいことが発覚した。
Y子は受け取った5千万円を全部自分の離婚訴訟を扱った弁護士に預けてしまったそうである。その弁護士がまた悪いヤツで、その金を全部ある会社に注ぎ込んでしまった。もともと投機性のあるY子は、5千万円をある会社に投資すれば、毎月何十万という利息が支払われるということを信じてしまったらしい。投資して1ヵ月目にはその約束の金は支払われた。しかし2ヵ月目に、その会社は計画倒産をした。弁護士を含めての詐欺である。しかし、1ヵ月目の配当を受け取ってしまった以上、犯罪にはならないという世の中の不可思議はどう考えたらいいのか。別れて行った女房の馬鹿さと言えば、何も気に掛ける必要もないが、娘がいるとなると、やはり相当気になる話である。
Y子と別居中に親しくなっていた、かつてのシャンソン歌手であり、いずみたくシンガーズのメンバーであり、当時ボクが紹介して劇団『四季』に入団していたN子。彼女はボクと結婚するつもりであり、ボクもそのつもりであったが、浮気な彼女は事件を起こしてしまった。N子は別の男とベタベタしているから止めなさい、という忠告も受けたが、全く気にしていなかった。ところが、N子の劇団の旅先のホテルに電話を入れた時に、彼女がいなくて、彼女のいるところを探ると、それは特異なキャラクターのKという劇団の俳優の部屋だった。偶然かも知れないが、部屋の中ではムーディな音楽が流れ、男女の忍び笑いが聞こえた。さすがにボクの電話にN子は驚いたらいしが、ボクはすぐ電話を切った。帰京後、彼女は謝りに来たが、言葉を交わさなかった。ボクはすぐ彼女と別れたが、その後彼女は結婚したらしい。Kは今では『四季』を辞め、ミュージカル『レ・ミゼラブル』に出演し、テレビ、映画のスターとして活躍している。(参考: いずみたく著『新ドレミファ交友録』)
★<銭湯、バン・ドゥーシュ物語>東京都千代田区には4軒の銭湯が営業している。その中で一番小さな銭湯『バン・ドゥーシュ』。皇居の西半蔵門から200mの距離にあり、皇居から一番近い銭湯と言われる。この場所は昔大きな風呂屋さんがあった土地で、そこにマンションが建つことになった。銭湯がなくなったら困るから、と、ある女性が銭湯の建設に立ち上がった。丁度住民からも区役所に嘆願書が提出されていたこともあり、例外的に浴槽が小さい銭湯の設置が認められた。そして、今、マンションビルの半地下で営業を続けている。
しかし、建設当時は家屋がビルに変わる時代で、客足が落ち続けたと。流れが変わったのは、2007年東京マラソンが開催されてから。皇居の周囲を走るマラソンナー達がどっと増えて。選手達はまず『バン・ドゥーシュ』に入場し、ランニングスタイルに着替え、ロッカーキーを預けてランニングに出かける。
中には、クラブを作り、バン・ドゥーシュに集合して着替え、ロッカーに荷を置きランニングを始める人達もあらわれた。土日には結構込み合う繁盛する銭湯に様変わり。時代の変わり目って、本当に分からないもんだねえ。半蔵門近くに銭湯があって、それが今繁盛していると言うんだから、世の中は分からない。
『バン・ドゥーシュ』とは、bain=浴室、douche=シャワー、というフランス語を組み合わせた銭湯の名前。しゃれている名前だなあ。お見事だ。
★<スリランカ、中国からの借金で債務危機>スリランカ財務省は、前政権が進めた巨額プロジェクトのために、債務返済額が過去最高の水準に膨らんでいると述べ、債務危機に向かっているとの認識を示した。前政権は中国からの融資でインフラ開発を進めたが、多額の借金と重い金利としてそのツケが回っている。
今年の元利の支払額は3,150億円、来年は危機がさらに悪化し支払額は4,750億円に膨れ上がると。スリランカ中央銀行の外貨準備高は1兆1千億円と、返済額に対して脆弱に見える。
前政権は、10年に及んだ最後の年に、1,600億円ほどの高金利のローンを2件組んだそうだ。大型プロジェクトの資金を中国に頼ったが、経済規模が9兆円余のスリランカにとっては重い負担になった。結果、赤字を垂れ流していた南部の『ハンバントンタ港』の運営権を中国企業に譲渡せざるを得なかった。また前大統領の名前を冠した空港も、収入不足で職員の給与も払えなくなっており、港と同じ運命をたどるしかないそうだ。手足をもぎ取られるスリランカだねえ。この手で、中国はアジア、アフリカ、中南米の小国から利権を略奪する方式をあちこちでやっている。まさに貸し込み高利貸し守銭奴の類であろうな、中国政府とは。
★<ヤフー停滞>ヤフーは『プラットフォーマー』と呼ばれる米巨大ITとLINEなど国内の新興勢力の挟み撃ちにされている。しかし、今の苦境はヤフー自らが作り出したものだ。
フェイスブックのザッカーバーグCEOがヤフーの親会社であるソフトBに接触してきたのは2008年。日本語ユーザーが思うように伸びていなかったフェイスブックはソフトBに合弁を持ちかけた。ソフトBはグループ内からヤフーをパートナーに指名。実現すればヤフーはSNSという強力な武器を手にしていたが、出資比率を巡って折り合わず時間ばかりが過ぎる。業を煮やしたフェイスブックはヤフー側の交渉担当者を引き抜き、単独進出に切り替えた。この人事が奏功しフェイスブックは日本でも爆発的に成長した。
フェイスブックに続いて台頭したのが『LINE』だ。ヤフーは対抗策として韓国企業とSNS『カカオトーク』を立ち上げるが、遅きに失した。SNS戦争に敗れたヤフーはさらなるライバルの登場を許す。
12年のある日、ヤフーでモバイル事業を統括していた村上臣さんは、後にメルカリを創業する山田進太郎さんにメッセージを送った。『進太郎さん、明日は何をやるんですか?』。山田さんが世界一周の放浪の旅に出ていたころだ。山田さんは、旅の中でフリーマーケットサイト事業を、気心の知れた村上さんに打ち明けた。『それってヤフオクのライバルじゃん』。それでも帰国した山田さんは13年に『メルカリ』を創業し、フリマのプラットフォームへと成長していった。
ヤフーにとってフリマは通信事業のオークションのさらに一部でしかない。大企業となったヤフーに染みついていた縦割り体質に、フリマという『局地戦』の脅威を見逃した原因があった。メルカリの脅威はネット通販に止まらない。アマゾンや楽天とは違い、フリマにはユーザー同士の会話が発生する。会話がチャットとして発展すれば人が集まる『場』になる。巨大な場はスマホで最初に使われるアプリとなる。その座を取ればユーザーを他のサービスに誘導しやすい。
ヤフーにはプラットフォーマーになる好機も巡ってきた。ライセンス使用権を握る本家・米ヤフーは日米合弁を持ちかけてきた。実現すればビジネスは一気に世界に開ける。だがヤフーが提案した対等合併は受け入れられずにお蔵入り。直後に画策した台湾進出も失敗した。ヤフーが逃したプラットフォーマーへの道。『データの会社への転換』は容易ではない。
ヤフーはすでにオールドビジネスモデルになっているんだねえ。長いこと成功体験を積んだと思っていたが、なに、柔軟性に欠けた組織に成り下がっていたという話か。残念。
★<皇居周遊>先週のNHK『新日本風土記』で、アナウンサーの伊藤敏恵さんが、皇居のお堀端を一周し、案内する放送があった。一度皇居の中の公開に観覧したことはあるが、外周は歩いていない。今度上京する便があれば、一周してみたい。距離は7キロ程度。道々、なかなか変化に富んでいる。皇居と言えば、日比谷側からの姿、また二重橋からの景色しか記憶にない。しかしよくもこのような大きなお城を残したもんだねえGHQも。本来なら一部を残し、残りは解放すべき筋のものではあろうが。東京の中心をこれほど占めている理由は何だろうかなあ。歴史史跡か、天皇家の住居ということか。天皇家の住居はもともともっと狭い京都の御所なんだから、これは理屈にはなるまいなあ。
★<世界に爆売れ『万引き家族』>カンヌ映画祭で最高賞『パルムドール賞』を受賞した、是枝裕和監督の『万引き家族』が世界112カ国へ販売されることが明らかになった。販売先は韓国、香港、フランス、スペイン、ブラジル、北米、オセアニアなど。各国からは『温かく感動的な物語なのに、力強いメッセージ性がある。先進国でどれほど経済が発展しても、多くの取り残された人々が今もまだいるということを突き付けられる』などと称賛の声が届いている。
配給元によると、受賞決定から問い合わせが多くなっているため、販売地域はまだ増える見込み。13年カンヌ映画祭で審査委員賞を受賞した是枝監督の『そして父になる』を上回る勢いと言う。
映画の内容、物語はあまり詳しくは知らないが、カンヌ映画祭で最高の賞を取ったこと自体、素晴らしいことと称賛出来る。しかも世界各国からも同様の声が高いと。日本の映画の実力も相当高いレベルにあるんだと再認識。おめでとう、是枝監督。
★<日大タックル事件の宮川泰介君会見>『甲子園ボウル』で、相手関西学院大の選手に無秩序なタックルをしかけ、退場処分を受けた『宮川泰介君』が、日本記者クラブで記者会見に臨んだ。代理人が『顔を出さない謝罪はないと会見を決意した』とし、『反則行為の指示があったことを明らかにするのが会見の趣旨』だと説明した。
冒頭本人が供述書の形で書き上げたメッセージを読み上げた。この会見後供述書を当局に提出するとのこと。その中で、『ファールは指示されたが、実行した自分が悪かった』と謝り、『今後の人生でアメフトの競技はしない』と語った。監督、コーチへの思いなどの質問もあったが、直接監督と接する機会もないので、自分からは言える内容はない、と。怪我を負わさせた関西学院大の選手には謝罪のことばをかけていた。
この会見については、日本大学へは通知してあると代理人が回答。宮川君は都内の日大豊山高校から進学した学生で、U19の日本代表にも選ばれ逸材だった。会見の様子から、ファールをした自分を責めていて可哀想な雰囲気が漂った。おそらくアメフトを辞めたら、日大も辞めるという形になるだろう。これからの針路が気になるが、この会見を開くについては両親とも話しているはずで、父親が頼りになりそうな人だと推測できる。日本代表で将来を嘱望された選手だったんだがねえ。新しい道を、力強く切り拓いて行ってほしい。受け答えから、直な好青年の印象を受けた。
★<巨人のボードから日大が消えた>巨人山口が完投完封を飾った22日夜、プロ野球巨人軍のヒーローインタビュー用の背景ボードから『日本大学』の文字が姿を消した。日本大学は2016年から巨人のオフィシャルスポンサーを務めていたが、球団関係者によるとこの日までに、日大から申し入れがあったそうだ。やっぱりこの事件、日大にはやましい気持ちがあるんだねえ。
また、宮川君の証言に対し日大は、宮川君が証言した『相手のQBを潰せ』という言葉は、怪我をさせろという意味ではなく『最初のプレーで思い切って当たれ』という意味だと弁解ファックスをメディアに流した。はてさて結末はどうなるか、な。