昭和28年1953『少年漫画』の紹介で、僕は練馬にある『トキワ荘』というボロ長屋=アパートに移った。このアパートは手を抜いた建築の代表的なものだった。一番はずれの部屋に吹き込んだ風が、そのまま次の部屋から部屋へと隙間をぬって吹き抜け、一番反対側の部屋まで通り抜けようというようなオソマツなものだった。
昭和29年に、僕は年間所得額が画家の部でトップになったとかで、週刊誌の記者がトキワ荘にインタビューに来た。記者は、部屋へ入った途端顔をしかめ、次にあっけにとられたように、キョロキョロと部屋中を見回し、信じられないというような表情で座った。彼の書いた記事によると『この百万長者の部屋は、ガタピシしたアパートの、机に本棚だけといってもよい六畳間』と書かれてあった。さすがの僕も多少ひっかかって、何か金目のものを置いておくに限るとさとった。
僕がトキワ荘に入ってから1年後、僕の向かいの部屋に、やはり漫画少年の紹介で『寺田ヒロオ』という新潟から出てきて間のない漫画家が入った。野球の腕前がすごく、ピッチャーをやらせたらプロも舌を巻く腕前であった。それだけに彼の少年漫画にかける情熱はすさまじく、高邁な信念をもって作品を描き、『スポーツマン金太郎』や『背番号0』など名作を出した。
昭和29年1954に高岡市から、足塚不二雄(後の藤子不二雄)のひとりである『安孫子素雄』が上京して、トキワ荘を訪れ、寺田氏の部屋へころがり込んだ。寺田氏の部屋へ次に訪れた新人は、もう一人の足塚不二雄、つまり『藤本弘』。いよいよ安孫子と共に上京して漫画家になるのだと寺田に打ち明けた。二人は両国にたった二畳の部屋を借り、道具類は廊下に出し、1畳づつ二人で分けてどうにか寝た。
石森章太郎が、トキワ荘へ僕を訪ねて来たとき、前から文通していた寺田と初対面した。石森章太郎は、これまたリード・オフ・マンで、いろいろな新人達とつきあいがあった。彼の紹介で、いろんな人間がぞろぞろとトキワ荘へやってきた。赤塚不二夫、長谷川邦夫、水野英子といった連中である。みんな寺田の高邁な理想や人格に惚れ込み、テラさん、テラさんと慕い、兄貴分として尊敬していた。
そしてテラさんがリーダーに押され、売れっ子漫画家達に不満を持つ『新漫画党』が結成された。メンバーは、寺田ヒロオを筆頭に、藤子不二雄、永田竹丸、森安なおや、石森章太郎、鈴木伸一、坂本三郎で、あとで赤塚不二夫、つのだじろう、が加わり、すっと後になって園山俊二が入党した。
月1回の自己批判会を催して、漫画の現状に悲憤憤慨したり、しゃれた会誌を出したり、旅行会をやったりした。やがて、藤子は両国の二畳から引っ越して、トキワ荘へ移って来た。石森もトキワ荘へ移って来たのだけど、その頃には僕はもうトキワ荘にいなかった。
トキワ荘は、まるで若手漫画家の梁山泊みたいな様相を呈し、僕がたまに訪れると、あっちからもこっちからも、おなじみの顔が首を出した。こんな具合だから『漫画荘』という別名まで出来、さらに後輩漫画家達にとって、ここは漫画のメッカとなった。ずいぶんオンボロなメッカだが、エルサレムだって大そう汚いところだから、これはこれでいいのかもしれない。
(参考: 手塚治虫著『手塚治虫 僕は漫画家』 1999年日本図書センター刊)
★自動車を輸出する船便の貨物運賃を巡り、価格カルテルを結んでいたとして、公取委が海運大手4社に220億円の課徴金を課しました。自動車輸出船は大手海運業者に限られているため、改めて企業のコンプライアンスが問われそうです。課徴金額は、ごみ焼却炉工事を巡る談合で5社に命じた269億円に次いで2番目。欧米の捜査当局も、このカルテルを調査する模様で、もしカルテルが発覚すれば、巨大な課徴金が課せられる可能性があります。
★広島のマツダスタジアムの西にある空き地の整備計画がまとまり、広島市の認可のもと、整備がすすみます。早速建築されるのが、カープの屋内練習場。市内から遠い、大野町にある練習場に代えて新装の予定。その他、イベント棟やマンションも。
このマツダスタジアムの建設にあたっては、私が好きな人物ではありませんが、秋葉元市長が旧市民球場跡への建設の声が多い中、リーダーシップを発揮し、現在地に建設しました。今、サッカー専用球場の建設地について、検討が進められていますが、松井市長は、難しい、の声ばかり。たまには、リーダーシップを発揮し、後世に残す素晴らしいスタジアムを建設して欲しいですねえ、全く松井市長殿。しかし、サンフレの生みの苦しみを知らない松井市長に期待する方が無理ですかねえ。
★川崎で地検から逃亡した犯人、杉本容疑者が逮捕されました。動員された警官4、000人。逃走47時間。大騒ぎですねえ、迷惑な話。が、逮捕された杉本容疑者は20歳。何が彼をこのような犯罪人に陥れたのか、に疑問が湧きました。もちろん第一に本人の気構え、正悪の判断の甘さ、自分本位の思考と行動、両親、友人達の影響などが考えられます。逮捕されたとき本人は『疲れました』と漏らしたそうです。ふと考えたのが、彼が逃亡中、何人かの友人達に連絡をとっていました。その人達、誰一人として彼に『自首』を勧めなかったのでしょうか。逃亡出来るはずもないのに、そんな社会的な正悪を見定めた『ちゃんとした忠告』をする友人が一人もいなかったとは、とても寂しい限りではあります。(>θ<)
■今日の画像は、『川崎で地検から逃走後、再逮捕された杉本容疑者』と、『アベリア』『紫とピンクのクジャクソウ』です。普通のクジャクソウは単葉ですが、この花は八重ですねえ、可愛い。菊によく似ていますが、葉の形が違います。(^.^)
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