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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『ルバング島、「オノダの森」として観光化』

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太平洋戦争後もフィリピン・ルパン島に残り、密林で30年間潜伏を続けた元陸軍少尉の『小野田寛郎さん』が1月末に亡くなりました。山を下りてから40年。小野田さんが過ごした森は、『オノダの森』として史跡観光化の路を。

『そうか。死んだか』。マニラから南西120舛防發ぶ『ルバング島』。農業を営むロブレスさん(57)は2月末、小野田さんの悲報を1ヵ月半遅れで知り、遠くを見つめました。あの日、1974年3月10日、ロブレスさんはフィリピン軍の案内役としてこの場所を訪れ、『投降』の話し合いのため山を下りてくる小野田さんを待ちました。汚れた帽子をかぶり、銃を背負った日本兵が草むらから現れました。

小野田さんはその場で日本政府の関係者らと話し合い、投降に応じました。ロブレスさんら島民にとって、日本兵はいまいましい存在。14歳の時に父と農作業中、やぶから発砲されて命からがら逃げました。ココナツの木に登って撃たれた知人、農作物を集めた小屋を焼かれた親戚もいます。投降場所には、夫を日本兵に殺されたと訴える女性も出てきて、石を握りしめていました。

それから40年。同島ローク町のトリア町長(56)は、『もう怒りは消えた』と。小野田さんは96年に島を再訪。小野田さんに左足を撃たれたというトリアさん(当時81)と面会して抱擁を交わし、いたわり合いました。トリアさんは町長の親族です。この時、島民の多くが『全ては戦争中の出来事』と小野田さんを許したそうです。

そのトリアさんも3年前に他界。小野田さんについて報じた当時の新聞記事は、同町の教員によって切り抜かれ、冊子にまとめて、役場に保管されています。『小野田少尉がルバング島で過ごした1万950日』。

『オノダ』にちなんだ町おこしも始まって。島では2010年、小野田さんが過ごした山の3舛髻悒ノダトレール』として整備。3時間で往復できるコース。入り口看板には『小野田少尉が30年間過ごした密林で、環境的にも歴史的にも重要。生物多様性の保護と維持に協力を』とあります。

町には19人の公認『オノダガイド』がいます。その一人、ディビダットさん(28)が歴史や地形を説明しながら、小野田さんらが休息をとったとされる洞窟へ案内してくれました。彼は高校の歴史の授業で小野田さんを知り、『困難を克服した人物』と尊敬するように。歴史の本を読んで知識を深め、ガイドに選ばれました。

『密林で30年暮らすのは偉業だ』、と元軍人のサンチェス町長(82)は称賛します。さらに『この美しい森は小野田さんからの贈り物』とも言います。『小野田さんを恐れて違法伐採や動植物の乱獲が起きず、結果として豊かな森が残ったから』だと。『オノダの人生は実にユニーク。ここにしかない観光資源として生かしたい』。近い将来、『オノダトレール』を拡張し、博物館を作る構想もあります。

密林で30年の生活。現代人には考えられませんねえ。小野田さんはとても意志の強い人だったのでしょう。帰国後、ブラジルへ渡り、農場経営で成功されました。戦後は遠くなりましたが、戦争の悲惨さは忘れてはいけないと思います。

★東京ヴェルディの選手放出が止まりません。財務面の苦境から、選手を相次いで放出し、その移籍金を財務の手当に。今回元代表の高原をJ3のSC相模原に期限付き移籍を。これでいくばくかの資金手当になるのでしょうが。監督がいかんですねえ、三浦泰年。傲慢、放言の薄汚い監督。実績が全然出ないのですが、かといって新しい監督を迎える資金もなし。ヴェルディ苦境の突端です。

★今年の春闘は、政労使が三位一体となって、賃上げの大合唱。かくして賃上げはもちろん、ユニクロに代表される非正規社員の正規社員への切り替えなどの余波も。ここ20年、悲劇の主役だったゼネコンにも春が。なんと大成建設は17年ぶりにベア、7,700円を、大林組は16年ぶりに7,500円を。これが全回転し、日本全体に明るさを取り戻してくれるといいですねえ。

★不可解なマレーシア航空の行方不明事件。2週間が経過し、解決のメドが立ちません。一体、何者が何の目的でこのようなことをしたのか。また、客室乗務員は異常を感じ、乗客の脱出を試みなかったのか、謎は深まるばかりです。

■今日の画像は、カリフォルニア・サンタモニカの『美しき森の宿』と、安芸区瀬野駅北の『高城山499m』です。瀬野を囲む山々はとても急峻です。(^.^)

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