★今日の画像は、鹿児島『百名山・開聞岳』です。標高925mと百名山では一番低い山。広島の白木山とどっこいどっこい。ところがさすが百名山。登るに従い、景色、登山道は変化し、7合目からはアルプス並の岩場続き。頂上からは、薩摩半島が一望に開けます。鹿児島に用事があり、行ったついでに登りました。大変楽しい山歩きではありました。
★★元ウオールストリート・ジャーナルWSJ紙の編集長で、NPOメディアの雄『プロパブリカ』の編集主幹ポール・スタイガーさん。彼は2006年に米大手金融機関の元社長夫妻から『毎年1,000万法12億円)を調査報道のために寄付したい。協力して欲しい』と相談を受けました。彼は翌07年に、現在のプロパブリカの骨格となるNPOメディア設立案を夫妻に手渡します。すると夫妻はそれをとても気に入り、スタイがーさんに編集主幹を務めて欲しいと要請し、彼はWSJ紙の編集長の任期を終えた08年1月、プロパブリカを設立しました。
スタッフは10年当時総勢34人。最年少は23歳で、60代の記者もいます。米メディアで平均10年前後の記者経験を積んだジャーナリストばかりで、年収は最低でも6万法∈嚢發20万法∧振僂垢襪10万砲箸いΔら、かなりの高額です。当初募集した記者は17人でしたが、応募は1,400人に達しました。採用した半分、8人はピュリツァー賞受賞記者。安定した収入と、腰を据えた良質の調査報道を可能にするNPOメディアならではの環境が、優秀な記者を引き寄せたのです。
プロパブリカがその名を全米に知らしめたのは、10年4月のピュリツァー賞受賞がきっかけでした。既存メディアでも至難の業とされる競争率の極めて高い賞に、設立からわずか2年余りの新興NPOメディアが権威ある調査報道部門で見事グランプリを獲得したのだから、業界関係者は仰天しました。当時、ロイター通信はこの授賞を『オンライン・ジャーナリズムの歴史的勝利』と伝えました。
授賞したのは女性記者、シェリ・フィンクさんの記事。ハリケーン・カトリーナ(2005年)の被災地に長期滞在し、災害直後、ある医師が『避難は不可能』と独自に判断した患者に、致死量のモルヒネを投与し死亡させた問題を明らかにしました。フィンクさんはこの医師が『最終判断』に至るまでの状況を細かく取材し、生死を預かる医師が災害時に求められる判断の難しさと患者の『生きる権利』を徹底的に検証しました。コメントは全てオンレコで、匿名の引用は一切なく、大きな災害に対し十分な備えのなかった医療機関の現状と課題を提示した報道でした。
実は同じ年、プロパブリカ別の報道でも公益部門で最終選考に残っていました。カリフォルニア州における看護師の違法行為に絡み、不正を審査すべき医療評議会が迅速な審査を行わず、患者からの被害の届け出などを受けてから実際に看護師免許の剥奪など必要な対応を取るまでに平均で3年以上、長いケースでは6年もかけていた実態を暴きました。病院の薬品を盗んだり、患者への暴力を繰り返した看護師が多く、中には盗んだ薬や酒で眠り込んでしまい、危篤状態の患者を放置した例もあり、告発しました。当時のシュワルツェネッガー知事は『医療の信頼を裏切る行為だ』と、迅速な対応を怠った評議会の3人を罷免しました。
プロパブリカはさらに、同じような問題は全米各州で起きているはずだと考え、ウェブサイトで各州の医療評議会の連絡先や担当者、取材ポイントなどのノウハウを掲示し、地方メディアの取材を促しました。その結果、多くの地方紙がプロパブリカの伝えた連絡先を使い、同様の手法で地域の医療評議会や看護師の不正を追及し、ついには全米規模のキャンペーン報道へと発展したのです。
スタイガーさんは、これからのメディアについてこのように話します。『かつての新聞社はどこも非常に経営状態が良くて、ほとんどのアメリカの主要都市に地元紙があり、その利益率は35%にも達していた。新聞社は、その利益を記事の質向上のために再投資した。仮に私が1975年当時、新たな新聞社を作ってロス・タイムズ紙と競争しようとすれば、1億砲鮟个靴動場を確保し、ワシントン支局に30人の記者を置き、海外にも特派員を配置しなければならなかった。まるでなんでも扱う百貨店を開くような、多角的な経営展開が必要でした。
しかしインターネットがその百貨店を破壊し、顧客をブティックの集まる商店街に連れて行った。スポーツ専門店もあれば、金融商品に詳しい店もある。しかも全部、無料なのだ。そうなると、ニュースを提供する側は大変。お金のかからないニュースなら無料で提供出来るが、調査報道や海外報道などのように時間もお金もかかる情報を無料化することは出来ない。そこにその隙間をぬって活躍するNPOメディアの存在感が高まり、機能していくと見る』。
(参考: (参考: 大治朋子著『アメリカ・メディア・ウォーズ』)
★日本でも、ネットメディアが勃興し、様々な情報が乱れ飛びます。新聞社も遅れてはならじと、Webを開設しました。が、大手は有料としています。ネット以前の時代、日本でもフリーペーパーの勃興をみました。東京でいえば、リクルートの『R35』。今般、紙のR35を止めて、ウェブだけに絞りました。このR35が紙面充実のため、共同通信、時事通信に記事の配信を申し入れたことがあります。ところがどうでしょう、傘下の地方紙がこぞって大反対し、結局配信は実現しませんでした。表では『報道の自由』を叫び、政府、自治体、企業の透明性を要求する日本のメディア。その裏では、このように報道の自由を歪め、押し紙による暴力的販売体制をかたくなに維持しているのです。戦前に築かれた、新聞社に有利な制度、方便、法規を建前に、日本の新聞メディアは『死にたいメディア』に突き進んでいると、私には思えます。次回から、『時代錯誤の新聞メディア』を報告します。
★どうやら、カープのマエケンがポスティングシステムを使って、米大リーグへ移籍することがほぼ確実な情勢に。球団への譲渡金は最高限度の24億6千万円、報酬は5年契約で73億8千万円が見込まれています。現在の年俸が3億円ですから、何と5倍に。願わくば、アメリカで活躍し、また黒田と同じようにカープに帰ってきてくれると、ファンとしては大変嬉しいですねえ。ガンバレ、広島のマエケン。
★Jリーグは、協会の掟で、『チーム名に企業名は採用できない』ことになっています。このことから、『読売ヴェルディ』を所有する読売新聞『ワンマンオーナー渡邊恒雄』が、球団を売却し、『川崎ヴェルディ』『東京ヴェルディ』と変遷し、J2落ち後、J2の常連になっている変遷歴史については、ファンならご存じのはず。ところが、今季『なでしこリーグ』で優勝したのが、『日テレベレーザ』と。女子リーグでは企業名がOKで、男子リーグでは企業名がNOの理由。ネットで探すと、なんと男子はプロなのに、女子はアマ、即ち企業の運動部だということです。納得ですが、ワールドカップで優勝し、賞金や協会からの奨励金が出たのは、アマでもOKなのか、なあ。まあ昨今アマの解釈も拡大しているようだから、それも良しでしょうねえ。
★団体スポーツの最大の要は『監督』。ヤクルトの実例がそれを如実に物語っています。昨年、どん尻をはい回り、期中に小川監督が辞任、真中代理監督にバトンを。ところがどっこい、今年は真中ヤクルトは見違えるチームに。7月に一度6位に落ちましたが、その後ぐんぐん伸びて、ついにリーグ優勝を。昨年3冠王に輝いたガンバの長谷川監督しかり。手前みそですが、主力選手を毎年浦和に引き抜かれ続けているサンフレッチェ。それでも、現時点で年間得点首位と、2ndシーズン優勝を手にしています。やっぱり、『監督』こそチームの要です。ところが、不思議に負け続ける人物を監督に据え続けるクラブも。それは『清水エスパルス』、監督は『田坂和昭』。そうです、大分をJ2に陥落させ、清水のコーチに。それが、今シーズン成績不振でシーズン半ばに解任された大榎前監督の後を継ぎ、監督に。そして何ら成果のない中J2に陥落。驚いたのは、その田坂監督を清水は来期も使うと。恐れ入り屋の松五郎です。一体清水のマネジメントは何を考えているのか、ただただ驚嘆するばかりであります。(>θ<)