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Channel: Freeman 雑記帳・広島
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『広島学15 軍用食の代表「缶詰」』

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<広島学を30回、毎日更新アップします>
★今日の画像は、中国で摘発された偽札『37億円分』、何ともすごい偽札ではある。そして、春、甲子園に出場する『瀬戸内高校野球部』、牛田山への登り路から望遠で撮りました。オリックス、山岡投手の母校でもあります。ガンバレ、瀬戸内!

★★軍と共に成長を遂げたというと、聞こえは良くないかも知れないが、ふりかけよりもっと深く戦争とかかわっている食べ物がある。それは、ほかでもない『缶詰』である。念のため、缶詰の原理をおさらいしておく。口の広い瓶に食品を詰め、コルクの栓をゆるくはめて湯煎鍋ユセンナベに入れる。加熱されることで中の空気が抜けた瓶を密封すると、長期の保存が可能となる。今から200年前ほどの1804年、パリの製菓職人、二コラ・アペールがこのことを発見、瓶詰の食べ物を考案したのが缶詰の始まりである。これは、当時皇帝ナポレオンに率いられヨーロッパのあちこちに遠征を繰り返していたフランス軍の食糧をどのように補給すればいいか――その問題を解決する方法を、懸賞金をかけて公募したのに応えたものであった。ナポレオンはアペールに対し1万2千フランもの賞金を授け、すぐに軍の食糧として供用したところ、それを口にした兵士達の士気は多いに上がったと言われている。

だが、ガラス瓶には、重くて破損しやすいという欠点があった。それを解決したのがイギリスのデュラントである。ガラス瓶に代わってブリキ製の容器を使うことを思い立つ。瓶より携帯性、保存性に優れていたから、イギリス海軍の軍用食として採用された。1812年には早くも、世界初の缶詰工場が作られ、孔子肉やコンビーフ、羊肉と野菜のシチューといった缶詰が生産されるようになった。1818年にはアメリカでも缶詰の製造が本格化した。1858年にはワーナーが缶切りを発明したことで利便性が飛躍的に向上した。日本ではそれから10年ほど後、明治4年(1871)、長崎会所吟味役の家に生まれた松田雅典が、勤めていた外国語学校のフランス人の指導で、イワシの油漬け缶詰を作ったのが始まりとされている。そして、明治10年には、北海道に日本で初めての缶詰工場が設けられ、アメリカ人技術者の指導のもとで、その年の10月、石狩川産サケの缶詰が作られた。


だが、明治後期に日本の缶詰産業が大きく伸びたのは広島で、それもまた、この地が軍都だったからだ。その先駆けとなったのが脇隆景である。脇は旧賀茂郡西条で、フランス人宣教師から缶詰の製法を学び、旧安芸郡海田市に広島県で初めての缶詰工場を作った。苦労の末、明治16年(1883)、東京・上野で開かれた水産博覧会で表彰されたのを手始めに、各地の博覧会で入賞を続け、事業を軌道に乗せる。脇にとって大きな転機となったのは同18年、広島の第五師団に牛肉の缶詰を納入したことだ。これは貯蔵用の食品を軍に納入した初めてのケースだった。そして、日清・日露両戦争では、魚類、蔬菜など、様々な缶詰を軍用食として陸海両軍に納入するまでになった。

その脇と力を合わせ、事業規模を拡大していったのが、旧賀茂郡四日市の蔵元に生まれた逸見勝誠である。逸見は明治13年(1880)、6名の仲間と共に西条の地で、蔬菜の缶詰事業に取り組んだものの失敗。だが、4年後には東京で缶詰、パン、輸入食料品、洋酒の販売を始め、同21年に、逸見山陽堂を名乗る。その年、牛肉の日本煮(大和煮)の缶詰を作り、これが当たった。早い時期から東京に本拠を移していたため、広島とのつながりは薄れた感もあるが、勝誠の死後、後を継いだ長男の斧吉が昭和の初め頃、県内で多く穫れる桃、ビワ、洋ナシ、さらに昭和11年(1936)にはフルーツみつ豆の缶詰を考案、同社を大きく発展させた。


旧豊田郡大長村(現呉市)生まれの加島正人が、ミカンの缶詰に取り組んだのもその頃である。ミカンの缶詰はあまたある缶詰の中でも、日本人が初めて缶詰にしたものだ。昭和の初め頃ようやく製品化に成功し、同3年、そのサンプルをイギリスに持ち込んだところ、大うけした。それ以来1970年代まで、ミカンの缶詰は日本の独占商品として世界中に輸出されることになる。

イギリスにサンプルを持ち込んだのは、その後キューピーマヨネーズを創業した中島薫一郎であった。中島は愛知県西尾市の出身で、水産講習所(現東京海洋大学)で学んだ後缶詰会社に勤めていた。大正の初めころ、農商省の海外実業実習生として欧米に赴き、マヨネーズの存在を知る。その時、マヨネーズと共にそのおいしさを日本にも伝えたいと思ったのが、オレンジマーマーレードであった。中島は将来その夢を実現すべく、昭和7年、現在のアヲハタ株式会社(竹原市)を立ち上げる。果物の缶詰は原料立地産業で、原料となるミカンを、品種や熟度、形などから厳選しないといい製品を作ることが出来ない。

この当時、広島県は柑橘類の最優良産地であった。そのため、瀬戸内海沿岸の豊田郡など、県内に多くの工場が作られた。アヲハタもその一つで、創業時はミカンの缶詰とオレンジマーマーレードを作っていた。ちなみに、『アヲハタ』の社名は、中島がイギリス滞在中に、ケインブリッジ大学とオックスフォード大学のボートレースを観戦した際、ケンブリッジの校旗が淡青、オックスフォートが濃青で、そのブルー一色の鮮やかさが大変印象的だったことから思いついたものだと言う。
  (参考:岩中祥史著『広島学』)


★<男だけじゃやい、製造業は>多くの工業団地を抱える神奈川県綾瀬市は、製造業で働く女性を増やそうと、若手女性社員によるPRポスターを作製した。50部を印刷し、県内のハローワークや工業系高校、市内関係各所に貼り、イメージアップと雇用確保を目指す。

ポスターを企画・制作したのは、『ものづくり女子検討会』のメンバー5人。初めて合同入社式を開催したり、施策の検討をしてきた。5人のほかに、外国籍の女性も加わり、作ったキャッチフレーズは『「オトコ」だけじゃない、製造業は!』。女性も、ものづくりを支えていることを強調している。勇ましい、な。


★<テスラ不振>『米テスラ』の新型EV『モデル3』が本格的な量産に手間取っている。電池の問題などで量産開始は2018年6月にずれ込む。投資負担が17年4Qでの最終赤字が740億円と過去最大となった。マスクCEOは『見通しが甘かった』と。モデル3は、出荷を17年7月に始め、1週間で5千台という生産目標を掲げていた。当初達成時期を『17年末』としていたが、『18年3月』に先送りし、今回正式に『18年6月末』を表明した。ステラの究極的目標は『ロボット活用の組み立て工程の全自動化』。AIによる画像認識技術の進化、ロボットの動きの精度向上など。現時点では、車両組立などでは改善が進むが、中核部品である蓄電池の組立精度が上がってこないそうだ。

パナソニックなど部品メーカーには早期の量産を求めて来たが、肝心の自社のロボット工程がボトルネックとなっている。要因の一つは生産ラインの立ち上げを委託していた企業がテスラの厳しい要求に応えられなかったこと。テスラは通常は1年半かかる作業を自社でやらなければならなくなってしまった。それでもマスクCEOは『20年に100万台の年産を達成する旗は降ろしていない』と強気である。

が、17年10~12月のフリーキャッシュフローは350億円のマイナスだ。期末の自己資本率は15%弱と1年前より6ポイント低下。量産の遅れで、どこまで忍耐強く量産を待ち続けられるか。マスクCEOは、『今いる地獄のような状況は2度と体験したくない』とは語るが。しかし、テスラの初代モデルを買った人の反省の弁を寄せているのを読んだが、まあ700万円もだして買うようなクルマではなかったことだけは確かなようだ。クルマはエンジンだけでは走れないからねえ。


★<ヒートコットン>えらいもんだねえ、『ヒートコットン』。12月に例年にない寒波が来襲し、普通の羊毛の毛布の代わりに、かみさんが、綿で出来た『ヒートコットン』を手配してくれた。なんと、コットンなのに羊毛の倍の値段。秘密は織り方にあるようで、体から出る汗を熱に変える機能があると。なるほど、羊毛毛布よりも暖かいし、肩に完全にかかるので寒さが堪えない。たかが木綿とは言え、この素晴らしさは見事である、なあ。


★<引っ越し難民発生か>日本の物流網が危機的状況に陥る中で、今春の人事異動は希望のタイミングで引っ越しできない多数の『引っ越し難民』が発生する恐れが強まっている。引っ越し会社は企業に3~4月の繁忙期から転勤時期をずらすよう要請を始めた。雇用逼迫の時代、春に集中する人事異動など企業の重要イベントを分散させ、日本全体の生産性向上につなげる好機かも知れない。

『今春は企業から依頼される引っ越しを100件以上断るかも知れない』。引っ越し中堅の『アップル』(東京)の文字社長の表情は厳しい。年間12億円の同社が抱えるトラック運転手は70人弱に上る。ところが昨年、1割の運転手がヤマト運輸などの宅配業者に移籍。宅配が値上げと労働条件の見直しに踏み切り、好待遇を求めて人材が流出した。

学生アルバイトも厳しい仕事を敬遠しがちだ。『1日、1万3千円を支払うといっても、学生は来ない。今春は特に距離が長い転勤の仕事は受けられない』と、文字社長。運転手の引っ越し作業は1人当たり1日2件から3件に増やして生産性を高めようとするが、焼け石に水となりそうである。


大手も異常事態だ。サカイ引越センターの法人営業担当者は、『引っ越しが集中する3月後半から4月1週目は料金もかなり高くなります。ドライバーの自社養成で今春は乗り切れそうだが、不足感がさらに高まる来春以降を見据えて動いている』とも。今春は『割引キャンペーン』をする必要性も乏しく、単価は逆に上がりそうだと。

09年末、当時の民主党政権下では、星野リゾートの星野社長が『休日が集中する日本では観光業は100日の黒字で、残る265日が赤字だ』と主張。民主党は景気底上げを目指し、休みをずらして10月に5連休を設ける案をまとめたが、その後の東日本大震災の発生によって構想は立ち消えになった。就職や会社の地域間移動、入学式など重要行事が春に一極集中するニッポン。人材不足の克服と生産性革命のため、慣れ親しんできた企業は学校の歳時記を思い切って見直す好機であるとも言える。


★<離婚式プランナー>離婚式プランナー『寺井広樹(37)』。『旧郎旧婦の最後の共同作業です!』。夫婦関係解消を決めた男女が、『独身に帰る=カエル』というシャレが込められた『カエルハンマー』で結婚指輪を叩き潰し、仲人改め『裂人サコウド』ら参列者が拍手を送る。『離婚式』の発案者である。500組以上の離婚式司会を務め、夫婦の別れを見届けてきた。当初は20~30代が中心だったが、近年は40~60代が目立つようになった。『人生の失敗ではなく、再出発だと捉える意識が根付き始めている』と社会の変化を語る。

人材派遣会社を辞めた後の2009年3月、大学時代の先輩から離婚を告げられ、ショックを受けた。一方で離婚式を申し出て、反対を押し切り、東京都内のレストランで開催。当日も参列者と先輩夫婦の冷たい視線に冷や汗をかいた。が、雰囲気が一変したのは結婚指輪を壊した瞬間だ。先輩夫婦の表情が明るくなり、拍手が起こった。参列した女性が2回目の離婚式の主役になった。


離婚式で2人の歩みを振り返るスライドショーを見た『旧郎』が、豪泣した後にすっきりすることから、涙の効果にも着目。泣ける映画の鑑賞や朗読を聞いて意識的に涙を流す『涙活ルイカツ』を13年に始め、徐々に輪が広がっている。根底にあるのが『世の中の常識をひっくり返して見つめ直す』というポリシー。中学2年の時、阪神大震災に遭い、親しい友人を亡くした。自宅にテレビを置かないなど、今も人と異なる生活を貫く。

毎日、文房具店のペン売場にある試し書きコーナーに足を運ぶ。『時々の流行や人の興味、心に引っかかる言葉が書かれている貴重な資料』。気に入った試し書きを譲り受け、コレクションは10年間で4万点に上る。2月中旬には東急ハンズ東京店で開かれる展覧会に貸し出す。琴線に触れるイベントを練り上げるべく、メガネの奥の目を光らせる。

異能は、異才から生まれるのかな。それとも常識人の中の眠っている異能を呼び起こせば発するのか、な。面白い人ではある。まさに『異能』だ。


★<北朝鮮・万嶺号>平昌オリンピックに合わせ、北朝鮮の『三池淵サムジヨン管弦楽団』の芸術員らを乗せて韓国東部に入港していた貨客船、『万景峰マンギョンボン92号』が、北朝鮮に向けて出港したそうだ。この船は韓国到着後、燃料の提供を求めていたが、9日、突然撤回していたと。燃料の提供は、国連安全保障理事会の制裁決議に反するため、韓国政府が調整を続けていた。北朝鮮が要求を撤回した経緯は不明。韓国は2010年から独自制裁として北朝鮮船舶の入港を禁止しており、例外措置としてこの船を入港させたことに国内では批判が出ていた。まだ、韓国には正常な神経と判断力を持った人が残ってるんだねえ。感心だ。


★<香港バス事故>香港北部の新界地区で10日夜、2階建てバスが横転し、19人が死亡、60人以上が負傷したと。事故の原因は、運転手が速度を超過して走行し、坂道を下る際にバスをコントロールしきれなかった可能性があると。運転手は無傷で、アルコールや薬物などは検出されなかった。それにしても、香港で19名死亡の大バス事故とは、まっこと世の中は恐ろしい。

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