<広島学を30回、毎日更新アップします>
★今日の画像は、次期主力ステルス戦闘機『F35A』と、アネモネです。アネモネが見られるようになると、まさに春近し、ですね。F35A、正確な価格は不明なれど、まあ1機200億円程度だろうねえ。高い、な。
★★初のスコッチウイスキーの誕生にも、広島は深くかかわっている。あのNHK朝ドラの主人公『マッサン』である。日本で最初に本格的ウイスキーを造ったとされる『竹鶴政孝』の生家は、旧賀茂郡竹原町で、享保18年(1733)創業の『竹鶴酒造』である。子供の頃から酒に興味を持っていた政孝は、家業を継ぐべく、大阪高等工業学校(現大阪大学)醸造科に進んだ。ところが在学中、洋酒に興味を持ち始め、先輩の岩井喜一郎と縁を持ったのがきっかけで、摂津酒精醸造所(後に宝酒造に合併)に入社してしまう。同社は当時、イミテーション的な手法ではあったが、ブランデー、ウイスキー、甘味葡萄酒などを製造していた。中でも、大阪の洋酒製造販売業者・鳥井商店(後壽屋を経てサントリー)から委託を受けて作っていた赤玉ポートワインはヒット商品になっていた。だが、イミテーションでは、本場イギリスのウイスキーにいずれ駆逐される日が来るに違いないという危機意識を抱いていた摂津酒造の社長、阿部喜兵衛と岩井は、なんとか高品質のウイスキーを造りたいと考え始めた。
大正7年(1918)、竹鶴は阿部の命を受けスコットランドのグラスゴー大学に留学、有機化学と応用化学を学んで、3年後に帰国する。だが、帰国してみると、摂津酒造の業績は悪化しており、ウイスキー造りどころではない状態に。仕方なく政孝は同社を退職し、中学校で化学の教師を務めながら糊口をしのいでいた。
そんな折、国産ウイスキーの製造を本格的に企画し始めていた壽屋の社長、鳥井信治郎に招かれ、10年契約で同社に入社する。京都の山崎に設けた日本初のウイスキー蒸留所で、竹鶴は製造に打ち込んだ。ようやく昭和4年(1929)、『サントリーウヰスキー白札』を発売したが結果は惨憺たるものだった。そこで、翌年、廉価版の『赤札』を売り出したのだが、こちらも全く売れない。この頃から、竹鶴と鳥井の考え方の違いが次第に鮮明になってきたようである。日本酒の蔵元に生まれ育った竹鶴は、頭のてっぺんから足の先まで職人肌の技術屋であった。一方、鳥井は根っからの営業・宣伝マンである。
ウヰスキーは原酒を最低でも数年、場合によっては10年、20年と寝かさなければ熟成してこない。竹鶴はあくまで『本場のスコッチ』を再現することにこだわっていたから、一刻も早くという鳥井の思いと齟齬をきたすのはやむを得なかったのだろう。結局、約束の契約期間10年が過ぎたことを理由に、昭和9年(1934)、竹鶴は壽屋を退社した。だが、本場スコットランドと同じ風土で本格的なウイスキーを造りたいと長年願っていた竹鶴は、資金を集め北海道の余市町に大日本果汁株式会社を設立する。そして、『日』と『果』を取り、『ニッカウヰスキー』と命名した。
ニッカよりサントリーの方が先に国産のウイスキーを造ることに成功したから、日本のウイスキーの元祖はサントリーと主張する向きもあるようだ。だが、こうした経緯を見ればウイスキーの元祖はニッカだサントリーだという以前の問題、つまり竹鶴政孝個人と言った方が妥当だろう。そして、その政孝には、まごうことなく広島人の血が流れているのである。広島人のこうした『純』な気質は、確かに世渡りには不向きかも知れない。まして、そこに職人気質が加われば、それはさらに鋭角的になり、周囲とぶつかり合う場面も増えてこよう。竹鶴はまさにそうしたタイプの人間であったから、壽屋にいた10年間は、相当の忍耐を要求されたと推察出来る。だが、それも広島人特有の楽観主義が幸いし、夢の実現までひた走ることが出来たに違いない。これらは、NHKの朝ドラ『マッサン』でよく描かれている。 (参考:岩中祥史著『広島学』)
★<津川雅彦の系図>NHKの『ファミリーストーリー』で、津川雅彦の巻を観る。華麗絢爛だねえ、壮観だねえ、津川の系図は。兄長門裕之も俳優、その妻南田洋子も俳優、雅彦の妻朝丘雪路も俳優で、画家伊藤深水の娘、娘も俳優。まさに俳優一家。その両親、祖先がまたすごいのだねえ。
父方は、父友一は沢村国太郎を名乗る歌舞伎役者から映画俳優に転身した戦前の大スター、叔母は沢村貞子、叔父は加藤大介。祖先は幕末の頃水戸藩で庄屋を務め、藩を二分した勢力下で敗北して水戸を離れた。そして祖父伝三郎は東京で役者を志すが果たせず、ならと、35歳で結婚し、子供を4人育てたが、この3人が役者として大活躍をした。
母方は、京都で曾祖母牧野ヤナと山国の維新功労者藤野斎の間に生まれた牧野省三が日本映画の立役者となった。『日本映画の父』と称賛されて、今も京都に大きな銅像が立つ。そしてその娘恵美子が芸名牧野輝子として銀幕を飾り、沢村国太郎と結婚し、生まれたのが雅彦。叔父に大映画監督のマキノ雅弘がいる。津川雅彦はこのマキノの屋号を借りて、マキノ雅彦として3本の映画監督経験も持つ。
一族が芸能一家とは聞いていたが、改めてその華麗さに驚く。雅彦は5歳で映画出演。本格的デビューは裕次郎と共演した、石原慎太郎原作の『太陽の季節』だった。その雅彦も当年で78歳。老齢の域に達してはいるが、その芸にはますます磨きがかかっている。牧野省三の教えに『大衆に受けない映画は映画ではない』と、その大衆への娯楽性を第一として教訓がある。
★<キツネザル>マダガスカルに住む『キツネザル』。例の横跳びで走る面白い猿の種類。なんとこの猿、祖先は1種なのに、『的者生存』の進化の原則にしたがった、現在は80種類にも増えている。そして、外敵から逃れるため、尖塔状になった石灰岩石地帯に住む。すごいことだねえ、進化とは。まあ、この前も書いたが、16万年前に誕生した人類が世界に散り、今の顔かたち、皮膚の色、背丈が異なる多くの人種に分かれたのだから、まあありうることだが。しかしあのマダガスカルの島の中だけで起こった進化というのに、また驚く。
★<ウソつき佐川国税長官>自民党は本音が出せない党なんかねえ。あの佐川新国税庁長官が国会でウソ答弁をし、長官になって以来記者会見も開かないことについて、誰も注意をしていない。阿倍首相や麻生財務相などはかばってばかり。やっと石破元幹事長が、佐川長官就任以来記者会見をしていないことに関し、『何らやましいところがないのならば、きちんと説明する責任はある』と注文を。そして『別に国会で証人喚問とか参考人に出てくれとは言わないが、記者会見に応じないのはすごく違和感がある』と述べた。この発言までどれだけ時間が経っているか。半年は経っているだろうか。だらしない自民党と見られる危険性を石破氏は指摘している。当然の理であり、閣僚や自民党内から声が出ないのがおかしい。腐ってる自民党なのか、な。『公務員は、国民の公僕なり』をすっかり忘れて佐川国税庁長官だな。
★<日本肉輸入トップのカンボジア>カンボジアへの日本産牛肉の輸出が増えている。2017年度は過去最高になり、冷凍牛肉輸出先として7年連続の世界一となることが確実だ。しかし、カンボジアの国内ではほぼ日本産牛肉は見当たらず、輸入が多い事実も知られていない。このナゾを解くヒントが中国にある。中国はBSEが発生した日本産牛肉の輸入を禁止しているが、闇市場では平然と売られている。
この問題は、確か2年くらい前にNHKがNスペで報道したね。拙者は興味深く観たから良く覚えている。まず、カンボジアに輸出された冷凍牛肉は、タイに移送され、そこで日本産のラベルがタイ産に貼り替えられる。タイからはラオスを抜け、雲南省に入り、延々と最後は上海にたどり着く。上海ではは牛肉レストランに配送され、レストランでは、表向き日本産牛肉のメニューはないものの、そこは知りたる人達が知っている事実。陰でこっそり日本産牛肉のしゃぶしゃぶをオーダーする中国人富裕層がいるのだ。なぜか、一度日本を訪れ、日本牛、神戸牛や松阪牛など高級牛肉を食した中国人達がその味がわすれられず、オーダーするのだ。この需要が結構多く、このような密輸ルートが開発されたと報じたね。すごいことだよ、これは。日本人がセールスしなくっても、日本観光に来た人々が帰国後も日本食を食したいという強いサインなんだね。世界中を席巻している『日本食ブーム』の根源は、日本観光にある、と言っても過言ではないだろう、な。
★<海賊版ネットマンガ>『海賊版ネットマンガ』が出回っているそうだ。閲覧無料で、特に高校生あたりに人気があるらしい。マンガ協会会長の『ちばてつやさん』は、『漫画家の生活がなりたたなくなる。やめてくれ』と叫んでいます。さもありなん、でだな。が、ことは難しく、この海賊版、海外のサーバーからアップしているので、規制、取り締まりの手が届かないのだそうだ。一体無料で閲覧させてどうやって儲けるのかしら、ね。理不尽な輩だ。
★<1打席限定・新井>11日、日南球場で行われたカープ紅白戦。紅白戦とは言いながら、観客は12,500人も、立ち見も出来るほどに。そこで緒方監督がファンサービスに動いた。2回表、二死走者なし。紅組・会沢の打順で、なぜか一際体の大きい男がゆっくりと打席に。ウグイス嬢の突然コールは、『ピンチヒッター、ミスター・アライ』と。このコールに球場はドッと沸いた。1打席限定なるも、フルカウントから高橋昴の6球目を右前打。しかも暴走気味に二塁を狙い、憤死。しかし観客からは惜しみない大きな拍手が起こった。緒方監督は真相を語らなかったものの、『新井が一番目立っているね』とニヤリ。1月生まれ、41歳の『アライ』は、今季も活躍しそうだ、な。